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トニ・クロース引退に寄せて

唯一無二のマエストロが、そのアイコニックなスパイクを脱ぐ


長い「晩年」

大それたことは言えませんが、ここ数年のクロースは本当に人間らしくなりましたよね。満身創痍で20-21シーズンを終え、グロインペインにより21-22シーズンの序盤を欠場。この頃からレベルの高いうちに引退したいという旨の発言がよりクローズアップされ始めたと記憶しています。20-21シーズンのプレーはリヴァプール戦でのアシストをはじめ素晴らしかったのだけど、どこか本当に自分の先は長くないと考えていそうな雰囲気があって。淡々とEUROで敗北して代表引退を発表したときは、1, 2年後には同じようにして現役引退を発表するのではないかという印象すらありました。

(ヴィニは翌シーズンの覚醒を予感させる2ゴール)


21-22シーズン序盤、クロース欠場に伴いチームはフェデを中盤起用してフィジカルな戦いを披露。そんな中での復帰初戦はモドリッチとの2CH、後半からはアンカーで起用されたものの噛み合わず、エスパニョールに敗北。その後モドリッチ-カゼミロ-クロースの定番起用に戻りリーグ戦では安定して勝利を重ねますが、PSG戦 1st leg で終始押し込まれて敗戦。その後のCLでは逆転勝利を重ねる裏で最初に交代させられる選手に。ビハインドを負ったチェルシー戦で交代に不服を示した場面は忘れられません。本当に早く走って交代しろと思ったし、自分が一番好きな選手にそう思う日が来るとは想像していなかった。決勝ではフル出場しCL制覇に貢献するも、翌シーズンへの展望はそこまで明るくなかったと記憶しています。当時のMarcaは遠回しにCMK、とりわけカゼミロとクロースの世代交代を訴えていましたし。

13節ラージョ戦、ビルドアップの出口となってその流れからゴール
(LaLigaが埋め込みを禁止しているのでハイパーリンク付きのスクショ画像です)

22-23シーズン、チュアメニが加入する一方クラブの雰囲気を察したカゼミロは退団。W杯中断を経て、チームはチュアメニをベンチに座らせてのクロースアンカー・カマヴィンガSB起用をファーストチョイスに。CLでは調子の上がらないリヴァプール・チェルシーを退けて準決勝に進出するも、シティ戦 2nd leg では大敗。バルセロナがリーグ戦では堅守だったため、獲得タイトルはコパ・デル・レイのみに終わりました。

チームとしては成功と言えないシーズンでしたが、クロース個人のプレー内容は前年より良かったと記憶しています。印象に残っているのはシーズン前半のクラシコですね。フィジカルコンディションが良く、先制点は珍しいドリブルでのライン突破から。守備強度もなかなか高かったはずです。あとは大敗したシティ戦2nd leg。多少疲れはあり、サイドのローテーションから彼の背中をきれいに取られて先制されてはいるのですが、守備面で誰か一人の責任に収まる試合ではなく。ボールだし局面で、独力の駆け引きでなんとかボールを前に進めていたのが印象に残っています。

(出色の出来だったクラシコ)

(CL敗退直後の投稿)


そして現役最後となった23-24シーズン。序盤はローテーション起用ながら、カルロが純粋な4312を諦めた辺りからスタメンに定着。怪我人が相次いだシーズン中盤はブラヒム起用の裏でフェデと2CHを構成し圧巻のパフォーマンス。CLシティ戦ではモドリッチとの交代が前提とはいえ堅実な守備を披露。リーグを獲得し、誰もが契約更新を望む中での引退発表。最後はガッツポーズでクラブレベルのピッチを去る。完璧ですね。

(CL優勝後、チームメイトに促されサポーターに向かって)


キャリアハイ

今季のクロースは自他共に認めるベストな状態にありました。「最高の状態で引退する」というの彼の美学は完遂されたでしょう。3列目の選手として守備強度の改善、アジリティ不足を補うための上半身の増量/腕力向上(対人のつばぜり合いでスピードに乗られる前に押さえ込むため)に本腰を入れ始めたのはコロナ中断〜20-21くらいからだったと記憶していますが、更にそこから、アンチェロッティとの3年間でキャリアハイを更新して引退したのには尊敬の念を禁じ得ません。

とりわけ今季は彼自身の変化とチームの変化が完璧に噛み合っていました。まず攻撃面では、IH落ちするだけでなくむしろ右サイドに出張したり左右に動いて次々と違う門を覗くことで良さが出ていた場面が多かった。また出し手としてのプレーだけでなく、デコイランで反対のCBへのパスコースを作ったり、1列落ちずに後ろを向いてのパスリピートが増えたように感じます。デコイランは従来からIHとしてSBに後方の逃げ道を提供するプレーをしていましたが、レパートリーが増えたように思います。

もちろんチーム全体の変化も多分に効いています。ライン間を得意とするベリンガムやブラヒムの存在に加えて、ヴィニは内側でのプレーを覚え、フェデもタイミング良く1つ前の高さに入って手前側の選手と接続し、相手を収縮させるプレーが上達しました(誰の指導なのでしょう、カルロかダビデか、はたまたビエルサか)。もちろんロドリゴやカルバハル、モドリッチ(いるときは)らは何でも出来ます。このような状況でクロースは手前を横断的に使い、選手を押し出して前方にライン間プレイヤーの箱庭を提供しました。シーズン中盤のアトレティコ戦、ジローナ戦はその典型でしょう。


守備面では、今季は帰陣のルートが良くなって戻るべき場所にまず戻ることが増え、たとえばクロスのマイナスケアに間に合っているシーンが本当に増えた。元来対面の相手に気を取られがちで、スペース・パスラインへのケアは得意ではないんでしょうが(代表例は2122シティ戦1st leg や先日のスペイン戦の失点シーン)、チーム全体の整備、フェデやカマヴィンガの運動量もあり粛々とタスクを遂行していた印象です。それにより、数年来取り組んできた球際で奪いきる部分がより活かされるようにもなりました。

この守備面の改善はほぼ間違いなくカルロの手腕が大きいでしょう。現役時代の自身のポジションなだけあってCHに対する彼のこだわりは有名で、たびたびカマヴィンガやチュアメニのプレーに対してはっきり改善点があると言い切ってきました。彼らをCBやSBで起用することも、ある意味ひとつのメッセージとして機能しているのでしょう(特にカマヴィンガのケースは)。そんな中、表では何も言わないけれども、そして練習中にどのようなやりとりがあるのかは分からないけれども、クロースがあの年齢にして守備時のポジショニングを改善したのを見ると、本当に胆力のある監督なのだと思わされます。

そして、気づけばカマヴィンガもビッグマッチで再びCHとして起用されるようになりましたね。ワールドクラスの左利きCHは他にはジャカくらいだと思うので、ここからさらにアンタッチャブルになって欲しいです。右足も頑張れ。


そして何より、今季はいつになく感情を出してプレーしていました。審判の判定に不服を示したり、セルヒオ・ラモスと小競り合いをしてみたり。チームメイトと表だって喜び合うシーンも増えた。有名なのは(21-22ですが)CL優勝直後にモドリッチと抱き合っているのとか、ルーカス・バスケスとの関係性でしょうか。それ以外にも、例えばヴィニとのつながりとかもよいです。サイコパスとか畜生とか言われがちで、まあ確かにどこか頭のネジは外れていて、ルーティンを優先してチームのパーティーを欠席するような人ではあるけれど、同時にとても家族を大切にする人でもあるし、11proは自分で手入れをするし、チームメイトへの愛情は随所に感じられる。アウェーのシャフタール戦、頭を切ったリュディガーが医務室で傷口を縫われるのを、アラバとクロースが横でついているのは良いシーンです(言語的ニーズもあるのでしょう)。刺激が強すぎたのかyoutubeから削除されてしまいましたが。また "embarassing" だとか、選手はFIFAとUEFAのおもちゃだとか、率直な物言いも時には助けになっていたでしょう。そういえば、書いていて思い出しましたが「新しいフォーマットのCLには出場しない」と言ってましたね。有言実行しているのが本当に彼らしい。

(この方のイラストはいつも面白い)

(シティ戦、PK戦に勝利しての一コマ)

超一流選手に対するコメントとして適切でないのは分かっていますが、本当に幸せそうにプレーするクロースを観ることができ、ファンとしてこれ以上なく楽しい一年を過ごさせてもらいました。2年前の状態からは考えられないほど健康で充実したシーズンだったなと見ていて感じます。全ての局面でキャリアハイを更新して生き生きプレーし、あれだけ惜しまれて引退するのには本当に頭が下がる思いです。ただただかっこよかった。ありがとうございました。


最後のトップ下として

思えば、IHとしてクロースの守備は長い間怪しさ満点でした。初期の「アリバイ守備」時代は私がまだマドリーを追っていなかったのでよく分からないですが、私が見始めて数シーズンは依然として不安定だった印象です。ふらふらっと釣り出されて背中を取られ、帰陣が間に合わないのだがそこでカゼミロが奪って(間に合っていない分)相手のカウンタープレス隊を超えた位置にいるクロースにパス、周りが追い越すタメを作って速攻に移るか逆サイドの起点側に振って保持に移行、なんてシーンをよく見ましたよね。保持ではとても論理的にプレーするからこそ結構謎だったのですけど、その根本的な原因は育成環境(とドイツサッカーの特徴)にあるのだろうと思うようになりました。

もちろん、単純に育成年代はトップ下だったからという点は真っ先に挙げられますが、それだけではないのではと感じます。考えてみると、モドリッチやチアゴ・シウヴァの世代辺りからクロース(かその少し下)までの世代は、ペップバルサが起こした変化を一番もろに浴びたはずです。そもそも2010-2020の10年間は、数十年後から見てもサッカーが最も激しく変わった10年として記憶されているかもしれません。ペップバルサを起点とする攻撃の発展が一世を風靡し、それに対応するためどんどん守備は緻密になっていきました。クロースは1990年生まれなので、育成年代を全てペップバルサ以前のサッカーで過ごし、トップに上がって少しした頃からサッカーが加速度的に変化していったわけです。U-17EUROの頃のカピカピの動画をyoutubeで漁ると、トップ下でプレーする育成年代のクロースはのびのびチャンスメイクをやっています。牧歌的な時代です。少し時代が下って11-12のCLマドリーvsバイエルンがuefa.tvで見られますが、この試合も今の基準から見れば考えられないほど緩いブロック守備で、クロースはたまに列落ちしたりライン間でボールを受けたりして、精度の高いピッチを横断するようなパス(浮き球ですらない)をズバズバ通しています。

もう4年前になるコロナ直前のリヴァプールvsアトレティコ戦や、コロナ禍のCL final バイエルンvsPSG戦を思い出すと、'10年代よりはサッカーの変化はゆっくりになっているように思います。

守備戦術が発達しライン間のスペースが減るにつれて彼は徐々にプレーエリアを下げていき、マドリーでは攻撃時は完全にIH落ちをする3列目の選手になりました。しかし育成年代ではトップ下ですから、守備時はむしろ1stプレッシャーとしての役割が板についており(恐らく当時のFWはほとんど守備をしなかったのでは?)、どんどん上がっていく事を好む。こういう特異な育成経路をたどったが故に、IHから1stプレスに出るのだけど間に合っておらず背中側を使われる18-19~19-20辺りまでのよくあった光景が出来上がったのでは思います。

加えてドイツサッカーについても、これは個人の印象でしかないですが、守備時にエリア管理よりも前向きのチェックを好むように感じます。ブンデスでも、MF-FWの守備ユニットがプレスをかけてGKに蹴らせるのだけどDFラインの前のスペースが大きいのでロングボールから2ndを拾われて前進される、なんてシーンが結構ある印象。

関連して、数年前までベテラン世代がかなり力を保っていたのは、なまじサッカーの変化を追った育成を受けた現在の中堅世代と比べてサッカーの変化を全て耐え抜いてきたからだと思っています。ベリンガム・ペドリ・ヴィルツ・フォーデン辺りの若手(ヤマルは更に若いので除外)が、ようやく育成システムがペップ以後の変革を上手く落とし込めた最初の世代にあたるのでしょう。

振り返ってこのように整理してみると、クロースは現代まで生き残った最後の古典的トップ下なのだ! と言えないでしょうか。「ファンタジスタが絶滅した」みたいなことが言われるとき、最近では小さいスペースで技術を発揮するエジルやイスコのようなプレイヤーがイメージされる印象ですが、その更に昔にはトップ下が時間とスペースを得てまさしく「司令塔」をやれていた時代があったはずです。少なくとも19-20、長くて21-22辺りまで、彼は基本的にIH落ちの位置からトップ下としてやってきたことをそのまま実行していたように思います。サッカーの変化に伴って自身のプレーエリアを変化させていき、多少の不整合は圧倒的な質で覆い被せてきた。そんな彼がよりプレーの幅を広げたCHとなり、キャリアハイのパフォーマンスを見せた上で引退したことで、サッカー界の時代がまたひとつ進んだことがはっきり感じられるのではないでしょうか。


編集後記

最後までお読みいただきありがとうございます。クロース本人は確実に本記事がやっているような(スポーツの・あるいは選手キャリアの)「物語化」を嫌うでしょう。仮に名の通った記者がパブリックな媒体でこの内容の記事を書くと、クロースへのリスペクトが欠けていると批判されるかもしれません。それでも、会見で「僕はカゼミロじゃない」とまで言った選手が、あれだけ全てを勝ち取った選手が、キャリアの晩年に全局面で輝いたのを見ると、選手は何歳(いくつ)になっても凄みを増すのだなと実感します。それと同時に、ワールドクラスの選手に疑念を挟む必要はまったく無いのだなと感じるのです。

何より今季はちゃんと見始めて以来で一番楽しいシーズンでした。クロース自身の変化とチームの変化、そしてレヴァークーゼンやジローナといった局面の個人戦術を積み上げるチームの台頭により、クロースの価値が今まで以上にクローズアップされた感もあります。自分の見る目も少しは変わったのでしょうか。

途中でちらっと自白しましたが、私はクロースのキャリアの半分以上は全く追えていません。そもそも海外サッカーに本格的に興味を持ったのは2014年のW杯がきっかけで、その後もwowowには契約してもらえず、ちゃんとマドリーを追えるようになったのはDAZNが襲来した18-19シーズンからです。それでもW杯でラームへのきれいなサイドチェンジを見て以来、一番好きな選手はずっとトニ・クロースでした。来期クロースのいないマドリーを見て、より引退を実感するのでしょう。不摂生をするタイプではないでしょうから、OB戦で現役そのままのプレーが見られるのを楽しみに待ちたいと思います。出てくれればですが。

改めて、トニ・クロース選手、現役生活お疲れ様でした。

具体的に引用はつけていないものの、本記事の内容は普段読んでいる以下のnoteやXの投稿から影響を受けています。どれも刺激的なテクストで、いつも楽しませていただいております。この場をお借りしてお礼申し上げます。
ssfm1902
らいかーると
五百蔵容
きのけい
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サムネイル: adidas Football 公式Xよりhttps://twitter.com/adidasfootball/status/1809522685996650549

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