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食べるは生きる-「もの食う人びと」

小さなときになりたかった職業、あなたは何でしたか?

私の場合、それはレストランのコックさん。
普通のサラリーマン家庭に育ち、親の料理もごく一般的で、野菜炒めどーん!スパゲッティサラダどーん!っていま思い返せばちょっと乱暴だな、と思えるくらい。美食に囲まれていたわけでも、外食の機会がたくさんあったわけでもないのに、ずっと料理人になることを夢に見ていた。幼稚園の卒業文集には「わたしがおとうさんといっしょにさかなをつってきて、おかあさんとりょうりするおみせをやりたい」なんて書いてたっけ。

その後の引越しでまだ自然が残るニュータウンに来たこともあり、植物に興味を持ち、図書室にあった牧野富太郎さんの本に感動し、樹医になりたい…なんて時代や、「自分で商売する、社長になる」なんて夢をみていた時を経て、就職時に食品に携わる仕事を選んだのは、学生時代に読んだこの本の影響が少なからずあったと思う。

辺見庸さんの「もの食う人びと」。自分の知らない世界が、同じ地球上で起きていることに大きな衝撃を受けたルポタージュ。
楽しみ、欲求を満たすための「食べる」ではなく、生存するために「食う」こと。食べることへアクセスすら難しい地域の現実。本は残飯を食べるカットから始まり、貧困地帯、戦地訪問、チェルノブイリ事故そばの村での食事が続く。飽食の時代と言われて久しいけれど、海の向こうはこんなことになっていたのか、どうしてこれに気づかなかったんだろう。

人が追い込まれたとき、どうするのか。何に希望を持って生きるのか。生きるために限られた選択肢の中からそれを食べると選んだとき、どうあるのか。人が人の肉を食べること、放射性物質で汚染された土地での生活、性的強要の中で見出した生きる望み。ぼんやり生きてきた自分とは全く縁がなく、しかしどこかでそちら側に転がるかもしれないという恐怖。
飽食の時代と呼ばれ、食べることに快楽を見出した今の私たちにとって、目を背けたくなるような現実がこの本には詰まっている。

この記事を書こうと思って久しぶりに読み返してみたけど、その生々しい現場の息づかいがすぐそばで感じられるようで、また同じ人間として目を背けるわけにはいかないという勝手な自意識から、はじめてこの本を手に取ったとき、読むのを止められなくなったんだよな、と思い出す。

座右の書にするのでもなく、折に触れて読み返すのでもなく。それでも、この地球の上で起きている出来事として、また同じように「もの食う人」として、目をそらしてはいけない現実を実感。

このnoteでは、やわらかいストーリーから食品ビジネスに関するテーマまで、幅広く取り上げていこうと思っています…が、たいへん大きな影響を受けた本として、どうしてもこの本を1件目に紹介したいと思っていました。初版は1994年発売、およそ四半世紀も前の本であり、今とはだいぶ変わったこと、今も変わらずに続いていることなど様々ありますが、色褪せることのない迫力と描写、そして生々しい人間の有り様が描かれています。食に携わる方はもちろん、一人でも多くの方に読んでいただきたい1冊です。

辺見庸「もの食う人びと」


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