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「書く」ことが好きになったきっかけ

よく周りの人には「ちのぱんって本当に人に興味ないよね」って言われる。(え、出だしからこいつ大丈夫と思った人、心配してくれてありがとうございます。)

んーそう言われればそうなのかもしれない。

もともと弁が立つほうではないので、積極的に人と話をしたりすることに苦手意識はある。コミュ障のくせして、話し出すと、途端に自分の話が多くなったりすることも最近自覚するようになった。

かと思えば、「人から愛される人柄だよね」と言われることも多い。たしかに比較的人の好き嫌いはないほうだし、いじられキャラでもあるのでその節はある。

え、二重人格なんかわしは。

そんなことも相まって、最近目下の自分テーマは、『本当に僕は人に興味がないんだろうか』ということだ。

ちなみにまだ答えは出ていないので、これ以上は言及しない(笑)いつかこれについても書こうと思う。


すこーし話が脇道に逸れてしまったので、本題に入ろう。

かれこれ『書く』ということを8年ぐらい継続している。『書く』ということを通じて、誰かの想いを可視化することがすごく好きなのだ。(だから上記悩んでいるわけなんです(笑))

一番最初に『書く』アウトプットを世の中にしたのは、大学4年間続けていた予備校のアルバイトで、ブログを書く仕事があったのが、きっかけだ。

もともと文章を読むということは好きだった。

中学生の時は、毎朝の朝礼的なものの前に、毎日10分本を読む時間があったのだが、みんなは本を読むのが嫌すぎて寝たり、本に隠して携帯をいじったり、内職をする中で、僕は黙々と本を読んでいた。

当時は東野圭吾さんの本がすごく好きで読み漁ったり、三国志にハマって1から全部読んだり、小説などを中心に読んでいた。作家さんの描く世界観に没入して、一人で妄想して、ニヤニヤしていた。(相当気持ち悪いな(笑))

そんな学生だったので、国語のセンスは抜群だった。(自分で言うなw)

大学受験でも国語は唯一勉強しなくても点数がとれる科目だったし、実際国語の教員になろうと思っていたこともある(教員を目指した理由は別にあるのですが)

大学時代には日本語教師の資格も取ったし、「言葉」というものにはずっと惹かれている。

アルバイトでブログを書き始めた頃は、正直そこまで『書く』ということに特別な想いはなかった。ただ毎回自分の番がまわってくると、悩むことなくすらすら文章を書けていたので、なんとなく向いているんだろうなと思っていたくらいだ。

本好きは大学に入ってからも継続していた。趣向が変わったのか、自己啓発本やビジネス書を読むようになった。将来のことも考えて、なんとなく読んでおいたほうが良さそうだからというあまりにも単細胞的思考回路がここでも働いた。

「なんで本が好きなんですか?」とか「いっぱい本読んでますよね」とかいわれることもあるが、決して褒められた目的意識があるわけではなく、なんとなく文章が好きで、なんとなく読んでいることも多い。

ちなみに最近は、自分の興味関心に合わせてだけ本を読むようになって、固めの書籍はほとんど読まなくなった。年を重ねることによって、趣味嗜好が変わるのは舌だけではないようだ。

本をいろいろ読んでいると、自分の感覚に馴染む文章とそうでない文章があることがわかってきた。小説を読んでいた時は、そこの主人公に自分を移し替えることができたので、あまり気が付かなかったが、ビジネス書では好き嫌いがはっきり分かれた。

内容もそうなのだが、言葉の選び方、文章構成、言い回しなどの部分が合わないととたんに読む気が失せてしまった。とくにがちがちのロジック系で、ひたすらファクトだけが書いてあるようなものは苦手だった。

そんなことに感覚的に気がついたら、『書く』という表現手法に俄然興味を持つようになった。自分に馴染む文章って何なんだろうか、表現したいことってどんな世界観なんだろうか。


そんなときに、出会った一人の高校生がいる。その彼との出会いが、『書く』ということの世界に導いてくれることになる。

その子は公立高校に通うA君という男の子だった。当時のA君は大きな目標もなく、大学受験が目の前にあるから予備校にきている子だった。

高校生くらいになると、よく夢や目標を持って頑張ろうと言われることも多いが、そんな簡単なことではない、と僕は思う。

基本学校と家の往復、部活やったり学校行事に取り組んだり、習い事したりもするが、ほぼ毎日同じルーティンなので、世の中との接点も少ない。

知らないことは想像しようがないので、「何かやりたいことないの?」って聞かれても、大体みんな似たような答えになるのは致し方ない。(日本の教育の愚痴が出そうになるのでこの辺でお口チャックw)

なので、夢や目標が決まっている上で、志望校を選んでいる高校生は圧倒的に少ないというのが僕の所感だ。(300人近く高校生を担当したのでそんなに間違ってないはずだ)

僕も高校生のときは将来の夢なんか漠然としていて、ちゃんとした目標なんかなかった。(ある風に見せていたことは事実で、そういうところが器ちっちゃいなって自分で思うw)

A君の話に戻ろう。

その予備校では、毎週実施しているグループ面談なるものを実施している。学校のクラス分けと同じように、国立文系/私立理系志望などと、志望校の近しい子たちが一つのグループになることで切磋琢磨しようという狙いだ。

グループ面談では、その週の個人目標を決めて共有するのだが、当時A君は約束を守ってきたことが一度たりともなかった。その場ではじゃあ来週は頑張ろう!などというありきたりなフィードバックをして、なんとなく来週できそうな目標を立てさせるのだが、ことごとく何かをやってこない男だった。

高校3年生の春すぎまでは、志望校も決まっておらず、入れればどこでもいいという感じだった。「早く志望校を決めよう」だとか、「志望校を決めたほうが勉強も捗る」などと言葉をかけるが、まあ現実はそんなに簡単には決まらない。

でもなんとか彼には頑張ってほしいなと思っていた。担当生徒だからというのはもちろんあるが、なんとなく自分と似ているなと思っていた。どこかいつも冷めている感じがして、でも自分の世界観を持っている。ハマったらすごく強いタイプで、彼から発する言葉のセンスも心地よい。

ここで受験勉強を頑張らなかったら、一生このままなんとなくで終わってしまうんではないかと思っていたこともあり、A君には毎回「絶対俺はお前を逃さないから最後まで覚悟しておけよ!」と笑顔で言っていた(ドラマの見過ぎで、イケメンが言ったら胸キュンするやつやん)

でもそんな思いとは裏腹に、なかなか勉強の進まないA君。勉強が捗らない理由は、「やりたいことないんすよね〜」という口癖からお分かりの通り、目標がないからだ。そんなに大きな目標でなくてもいい、何か彼が納得できるものがあれば、きっと変われるはず。

そんな彼が変われるかもしれない絶好のチャンスがやってきたのだ。

その予備校では当時、塾内合宿というイベントがあった。その塾内合宿では、勉強もするのだが、途中で自分の将来について考えるパートがある。これはチャンスだと思った。

普段は、なかなか真剣に将来について考えるきっかけがなかった。なかったというよりは僕が引き出せていなかっただけなのだが、A君にとっては全く違う思考性を持った同級生に囲まれ、いつもと違う環境で、自分について向き合う時間は貴重な経験になると同時に、潜在意識にある彼のやりたいことを目覚めさせてくれるのではないかと思っていた。

普段から約束を守るやつではなかったが、言葉巧みに「俺も最後まで出るから一緒に出よう」と説得をし、渋々「気が向いたら行きますよ〜」と言っていた。(普通だったら絶対来ない言い訳のセリフ第一位のやつです)

でも当日、「だるいっすよ〜」と言いながら来るあたりは可愛いやつだ。決して勉強が嫌いなわけではない。自分自身が何をやりたいのか言語化できていないだけで、それがわかって納得できれば、目標に向かって頑張れるやつなのだ。

合宿のコンテンツでは、グループメンバー4〜5名と、我々の学生メンター1名がつく形になる。自分の担当生徒は原則合宿では担当しないので、A君とは別々のグループである。

将来の夢や目標を考えるコンテンツでは、個人ワークとグループワーク、最後に全体発表という流れで行われる。普段は交わらない他の学校の同級生とメンター、合宿という普段と全く違う特異な空間ということもあり、A君も高い緊張感をもって臨んでいる。

個人ワークではワークシートに沿って自分の考えを『書く』のだが、そこからグループワークでそれぞれの考えを発表したり、意見を出し合ったりする中で、さらに思考を深めていく。ここで重要なことは対話であり、人の意見は絶対に否定をしないこと。そうすることで自分の考えを言いやすくなる。

正直、当日の話はここまでしかない。(え、内容薄くない?と思った人、申し訳ございません。)


この合宿の後日、僕に『書く』という重要性と好きという感情を与えてくれた瞬間が訪れる。

数日後、A君と個人面談をすることにした。実際合宿に参加してみてどうだったのか、何か心境の変化はあったのか、それを知りたかった。半ば強制的に参加させたので、それでやる気がなくなったらどうしよう...とちょっと怯えていた(笑)

A君は開口一番、「茅野さん、この前の合宿よかったっすよ!」と笑顔で話をしてくれた。「おおお、よかったぞおおお。何がよかった!?」とこちらも笑顔で応戦する。


「実は将来やりたいことがあったんですけど、今まではかっこ悪いなと思って言えなかったんですよね」


おお、すまん。それはわしのせいだな。内心、心にぐさっと鋭い言葉の刃物が刺さったが、冷静な顔を装って、「そうなんだ!何をやりたかったの?」と言葉を絞り出す。

「ゲームが好きでオンライン対戦しまくってるんですよ。外国のゲームで、英語でコミュニケーションすることも多くて、将来漠然と英語とか使えるようになりたいんです」

そうか、そうか。確かに予備校でゲームやりまくってるとは言いづらいよなと勝手に僕の心は納得して、「いいじゃん、いいじゃん!なんで今回言おうと思ってくれたの?」とあたかも自分が引き出してあげたかのような満足げな顔で言葉を返す。

「実はちゃんと自分の目標について、書いたり、意見を交わすことってなかったんです。書き出したらああ自分ってこんなことが好きなんだって気がついいたり、言ってみたら意外とみんなが肯定してくれて、これでいいんだって思えたんです」


めっちゃいい話やんけ。涙出そうや。

このあとは彼のやりたいことが実現できる志望校を決めて、受験が終わる最後の最後まで努力を重ねることになった。その後彼に大学生になって会うことがあったが、英語の勉強を頑張っているらしく、TOEICの点数よりは僕よりも高かった。誇らしかった。

この経験から学んだことが『書く』ということは素晴らしいということだ。ただ『書く』だけではなく、人との対話を通じ、その想いを可視化することが重要なのである。

今は同じ会社で働く仲間の想いにスポットライトをあて、文章にして『書く』ことで、その人の魅力を引き出し、発信することを大切にしている。

僕は『書く』ことが好きだ。そのきっかけをくれたA君にはこれからもずっと勝手に感謝していくのだろう。

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