殴られても噛みつかれても我慢(介護職員さんの話)


前置きとして。

私は介護職員ではなく
要介護5・1級障害者の実母を
10年間世話し看取った家族の立場である。

老健をのべ5軒
特養を2軒
利用させて頂いた
その中で起きた事実として書く。


脳動静脈奇形血管破裂によってある日突然要介護5・1級障害者になった母は、一旦は要介護2にまで回復するも、入所していた老健において薬(グラマリール)による鎮静コントロールを受けたために認知症が加速度的に進み
それをきっかけに二度と回復することなく
この世を去った

施設からは、グラマリールの処方について最初「気持ちが落ち着く薬」とだけ説明された。
副作用に関する説明は無かった。

母は暴力を振るったり暴言を吐いたりする事はなく、ただ消灯時間の9時を過ぎても本を読みたい、と繰り返しスタッフに相談したのだが
決まりは決まりだと
何の妥協案も模索されぬまま禁じられた

傷病による脳出血だったので、徐々に進む認知症ではない
母にしてみれば突然生活習慣を変えるよう強制された禁固生活のようなものだったに違いない

繰り返す「本を読みたい」というお願い事が、スタッフたちには煩いと感じられたのだろうか…
お母様は昼夜逆転しているようなので、「夜よく眠れるお薬」を増やしますが良いですか?とある日連絡が来た

後々、それがグラマリールという薬であったこと、副作用として朦朧としたり言動がなくなったり食欲減退したりすることを知った

薬の処方から1月ほどで、明らかに母の症状がおかしくなったが、施設からは薬との関連はないと説明を受けた

しかし他に原因が見当たらない
私と妹は、自費診療で母を脳外科へ連れ出した
(老健では介護保険と医療保険を併用する事はできない、と母を受診させることを拒否されたからだ)

そこで「気持ちが落ち着く薬、夜よく眠れる薬グラマリール」と症状との関連が明らかになった。

次々に明るみに出る、施設の杜撰な薬の管理。
嘱託の医師は薬の投与量を把握しておらず、誰が処方を決めたのかもすぐにわからないような状態

裁判を起こす事も勧められたが、我々家族の方にその精神的余裕や経済的余裕がなく
老健からの謝罪を受け入れ穏便にことを納めることで合意するしかなかった

……母が死んでから、
あの出来事を思い出すと
介護や福祉、介護の仕事そのものに対し
悔しくて苦々しい気持ちになる

介護施設の職員方は押し並べて良心的な人が多いことは理解している
人手の無さ
無理難題を並べる利用者
彼ら彼女らはよく応えて献身的に働いてくださったと思う

だが、私は介護職員の皆さんに
どうしても感謝ができない

介護施設における身体不自由の高齢者は
結局のところ
人間らしい扱いはしてもらえない

夜のお薬、など、含みのある言い方
歩き回って迷惑をかける人は歩けなくなる
声が煩い人は喋れなくなる
トイレ頻回の人はオムツになる

…嫌なら家で世話してください、なのだ

正常な機能を薬で奪わないと、介護ができないケースがたくさんある…、それは仕方がないこととは思えど
そしてそれには抗えないし怒っても泣いてもどうにもならないとは分かっていても。

自分の親に対してなされる
非人間的扱いには
家族として心を殺された、と今でも思う


さて、ここまでが前置きである。

タイトルに書いた「殴られても噛みつかれても我慢」というのは、介護スタッフさんから必ずと言って良いほど言われる言葉。

「私たちはたとえ殴られても噛みつかれても、利用者さんに対して家族のように接して我慢しています。こちらからは絶対訴えたりやり返したりしない」と。

私達はこれだけ精一杯頑張っているし我慢している、という答えが返ってくるわけだが
それがもう理解不能なのだ。

暴力や暴言に関して私は母がそうだったと一言も書いていないし、事実そうだったのだが、なぜか
「これだけ頑張っている、私達も我慢している」という反応が返ってくる。

どういうつもりなのだろうか…

それだけではなく(こんな書き方は失礼とは思うが)介護職の方とは理性的な言葉のやり取りが滅多に成立しない。

私たちの努力を認めて!
こんなに人手不足の中、
尋常でない努力をして頑張っているんだ!
という反応ばかりが返ってくる。

母のケースしか私は書いていないのに
もっと大変な思いをしているのは私達!という圧力を受け、言葉のやり取りを諦めたことは一度や二度ではない

「介護に感謝しています」
「介護してくださってありがとうございました」
「介護を受けられて母は幸せだったと思います」
と書けば満足なのだろうか?

私の母を直接介護してくださった方からの弁明ならいくらでも受ける道理があるが、そうでない介護職の方からの承認欲求の叫びは到底理解できない。


母は薬でコントロールされ介護を受けた
それが元で死んだ。
介護の現場では、そういうケースは
「仕方がないこと」とされている。
嫌なら家に連れ帰りなさい、家に連れ帰ることができないのなら「介護のやり方に不服を申し立てるな、私達は殴られても噛みつかれても我慢しているのだから!」

どうして感謝などできるだろうか?



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