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痛みはあるか・悲鳴はあるか ~誰も自分事でないプロジェクトの終わらせかた~

長く続いてたプロジェクトであまり結果も出ずに、調査ばかリやっている。会議ばかりやっている。そのうち担当者も替わり、時代も変わり、事業の目的も大きなところは、地域振興や地方創生などあるが、何のために、誰のためにやるのが、何をやるのが、・・ぼやけいていることって、無いですか?

ビジネスは、困りことの解決、課題解決であり、win‐winになりやすいパターンは、地域の痛みを取り除く、緩和する営みこそが、ミッションとなり、パッションのはずなのだが、自分事にならない大勢の、みんなのために、地域のためにというくくりのプロジェクトはどうやって止めたらいいのだろう。仮説というか、権力も影響力もない個人のメモ。


サラリーマンの場合

やはり雇われているのか、セルフエンプロイーを含め自己決定権があるかどうかでことなので、会社員の場合から考えてみる。
作業レベルでお仕事をこなすという風に考えれば、顧客のことでなく組織内で与えられたワークを時間内で粛々とこなす。しかし仕事とは、自分にしかできないことを追求し、今までにない価値を生み出すプロセスだと考えらるなら、ワクワクしない作業は、できるだけ距離を置く。
自分の本当の顧客は誰だろうと自問自答し、痛みを感じている人、悲鳴を上げいている人への提案および実践に繋がらない仕事は、悲しい。なので、そいうことが慢性的な仕事や体質となっているなら、転職を考える。
組織内で、意見をぶつかり合わせ、体質改善できるなら、やってみるのもいい。ただ人も組織も簡単には変わらないので、自己選択権の大きい道を、ワクワクする仲間のいるところに異動を考えていくこと。

自営の場合

チームでも独りでも、自己決定権のある人またはその集まりであれば、顧客を選ぶ、仕事を選ぶ。請負型の仕事から、ダイレクトにお客の問題を解決できるノウハウ等を伝えるチャンネルを作る。
よく言う、フロー経営からストック経営。時間の切り売りでなく、資産となる知識や人脈、経験、などを元手に稼ぐということを前提に、地域の痛みや課題に向き合っていく。そこにはスキルと経験、専門性が必要になってくるだろうから、終わりのない学びが必要だ。
主体性のないプロジェクトは、関わらない、近づかない、抜ける。大人なので、それなりの礼儀は踏まえつつ、他人を変えるだけのパワーのない個人は冷静に状況を把握し、そこから学び、近寄らない。
別の提案をすることで、困っている人に、小さな形で寄り添ってみるのもいい。おせっかいは自分の背負える荷物の範囲で。
とにかく、お人よし系の私のような人は、Noと言えない人種であるが、歳と共に、嫌われ役キャラを立てるようにして、できるだけ巻き込み字kを避ける。

これからの働き方や生き方の問題

仕事なんだから、好き嫌いを持ち込むなと、昔よく言われた。時代なのか年齢なのか、そんなのほんとにあほだと思える。仕事は楽しく、ワクワクする方がいいし、偉そうなことは言えないけど、いつでも辞められるぐらいのスタンスで、真剣に向き合っていった方がいい。
ぬるま湯はダメである。沖縄は緩いので、良くも悪くも、そこに自覚的になる必要がある。
まわりの同僚とも意見が合わなくなってきたら、もういいタイミングだ。次のステージに行くのに。とりえあず両手でつかんでいるものを、手放さないと新しい宝物はつかめない。

自分事になれない、プロジェクトは辞める。自分事なのに周りい理解されないプロジェクトは、速く自分のポジションで提案できるように身軽になる。

やんばる便り

日曜日は暖かかったのに、11日月曜日はすこしまた気温下がったかな。
海で泳いでいる人もいたな。
もうすぐ海開き。
春よ来い

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