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0と100はないって話 その2

こんばんは。前回0と100はないって話を書きましたが
今回は前回とは違う例え、人の0と100がないという話から
自分の人間に対する価値観も書いていこうかなと。

人の話ってどんな風に受け取る??

こんな風に質問されたことってあるでしょうか。
私はこの文章のまま聞かれたことはありません。
しかしこのように意訳できる機会は山ほどあったと最近は特に思います。
一つ例を挙げてみたいと思います。
少しデリケートにはなりますがトランスジェンダーについて議論している
現場に出くわしたあなた。このように聞かれました。
「トランスジェンダーはもっと広めていくべきだよね??」
この際の答えに0も100もないということ、自分の人間への価値観が
見えてくるなと思います。
その答えは「基本賛同できるけど場合によるよね。」です。
答えのバリエーションの中にはすべて認めるというのがあります。
しかし、これらは0と100に該当していると考えているため、
賛同とも否定ともとれるような答えになるわけです。
ここには偶然論という別の考えも含まれるのですがこれはまた別の機会に。
なんにせよ、いろいろな場合を想定した場合0とも100とも言えなくなっているのが自分の返答から感じることができるかなと思います。

では人間に置き換えて考えてみましょう。
結論から言えば「人によるからあんまり気にしない」これにつきます。
もちろん人としゃべることは大好きですし、人について考えるのは
猶更好きなことで、気にしない=興味がないとはなりません。
そのうえで結論は人によるから深追いしないなんて考えになります。
だってどれだけ語っても刺さるかはその人次第なんで(笑)

深追いすると疲れてしまうのもそうですがなにより視野や考えの幅が
狭くなっていってしまうのかなと思います。
0と100はないに立ち返りますが、100に傾きすぎると
全てを認めていく中で確信というものが出来上がっていく気がします。
そうするとそれ以外は認めない、概論だけで判断してしまう人に
なってしまう恐怖感が自分のなかで強くあります。

0と100はないはそんな判断を日常的にできる人も自分のなかで
納得できるように解釈できる考えの一面も持っています。
認める、納得できている状態は人間として気楽な状態ですから。

こんな感じに今回は例えてみました。
哲学も完全な答えは存在しないという考えがあるようでシンパシーを
感じた今日この頃です。
この場合はどんなふうに0と100はないを使うのかに答えたい欲があるので良ければコメントに書いてくれると嬉しいなと思います。
ここまでご精読ありがとうございました。またいつか。





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