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FaY | ラオスの民話 ノンチョン村の歴史

Folklore and Youth -FaY- プロジェクト紹介


2021年11月からスタートした、Wisa(日本)&CAF(ラオス・ルアンパバーン県)の協働プロジェクト、「民話と若者」FaY(Folklore and Youth | フォークロア・アンド・ユース)。

本プロジェクト は、Wisa(Wakamono International Support Association)が2021年から開始したラオスの若者とのデジタルユースワークプロジェクトです。ラオス人の子ども・若者たちがお年寄りから聞き取った昔話を文字起こしし、その英語の翻訳をオンラインでつながった日本人の中学・高校・大学生の学生たちがお手伝いします。その後、日本語に翻訳して、イラストをつけていきます。

プロジェクトについての詳細は、こちらのActivo

今回はルアンパバン県の山間の村、ノンチョン村の歴史を御紹介します。

下訳:こっしー、Kiyoka、Shiratama、Sora, Himari, Yuki 
上訳:たいぞう
イラスト:Suk 

作品紹介

むかしむかし、プー・ルアン(Phu Luang)という名前の村が山の中腹にありました。その村にはクム族の人々が住んでいました。
プー・ルアン村は小さな村でしたが、あるときからアメリカ人との戦争に巻き込まれてしまいました。山にはたくさんの爆弾が落とされ始めましたのです。戦火を逃れるために村人たちは移住しなければならなくなりました。アメリカの人は村の家を攻撃しました。村の人々は洞窟に隠れて寝泊りするようになりました。

ある日の朝、村人たちは置いてきた動物たちの世話をするために村に戻りました。大きな戦争の戦火は1年に2回、お米の収穫の時期に起こりました。村長はその日、村人たちに言いました。
「アメリカは爆弾を高い山に落としてくるようだ。食料の確保も難しい。またときどき、山の上には山賊が現れる。そのため、あまり標高が高くなく、平地に近い村に引っ越そう」。
村人たちにとっては、ひいおばあちゃんの時代から暮らしてきた村を残して引っ越しをすることは難しい選択でした。しかし、数日後には山を降りた場所にあるブンチョン村に引っ越すことを決めました。村長の判断を、重く受け止めたからです。

彼らがブンチョン村を訪れたとき、同じように戦火を逃れようとしていた10組のクム族家族と5組のモン族家族が共に移り住んできました。クム族が村に来てまもなく、ポンサリー県からも人々がやってきました。彼らは同じトーテム・クランであったため、7組の家族を受け入れることにしました。受け入れられなかった異なるトーテムの家族は、その村の川向かえに竹の家を創って住み始めました。

トーテムとは、自分達の先祖が動物や植物たちと取り持っている特別な関係のこと言います。たとえば、ある家族はカエルをトーテムとしているとすると、その家族はカエルを食べることができません。カエルはその家族を守っってくれていると考えられるためです。

クム族の人々は昔、自分達のトーテムクランを持っていて他のクランと混ざって生活するのは好きではありませんでした。
「人々は一緒に生活するのは好きだけれど、違うグループとも生活しないといけない」。当時、たくさんの村人たちはそのような不安でいっぱいでした。
異なる生活文化をもったクム族とモン族、そしてそれぞれのトーテムクランには様々な生活習慣の異なりがありました。
しかし、共通していることもありました。みんな徒歩で人々が多く集まる市場に、蜜蝋や山菜、山鼠を持っていき売ることでお米や塩と交換をしたり、現金収入を得るようになっていたことです。

どうして私たちの村には「おたま」(おおきな匙)という意味を持つ”Chong”(ラオス語)という言葉が入っているのでしょうか。

ルンという名前の川に掛かっている橋の手前には深い池(ノン: ໜອງ)があり、その池の中には、古代から今までずっと、色々な種類の魚が住んでいました。そこには、とてもきれいな湧き水が出ているという伝説があります。今では、ラオス政府によって、自然保護地区として指定されています。

池の中には大きな穴があったので、村人たちは「ナーガ」がそこに住んでいると信じていました。ある日、村人たちは竹でできた見たこともないくらい大きなおたまが池から顔を出しているのを見つけました。それから、村人たちはなぜ池から大きなおたまが沸いて出てきたのかを議論しはじめました。このようにして、この村は村人たちがいつもおたまが出てきた理由を考えている村として有名になっていきました。

やがて、外の人はこの村をチョン(大きなおたま)村と名付けました。村の少し山を登ったところにはもう一つの大きな穴があり、村人たちはこの穴と池の穴はつながっていると信じていました。村人たちはこの穴がナーガの住処だと思い、恐れていました。しかし、二十年後にビエンチャンからやってきた役人たちは神聖な穴を埋めてその上に寺を建ててしまいました。

そのため、新参者を除く村人は皆、ナーガのたたりを恐れてお寺に住もうとはしませんでした。そのため、村の外-サニャブリー県からやってきた僧侶のみがお寺に住みました。

ノンチョン村の景色(その村に住むSukさんが描いた絵)

ブンチョン村のすぐ隣にノンプーという名前の村がありました。ノンプー村には、クランが異なるクム族の人たちが住むようになりました。「ノン」Nong (“ໜອງ”) は「池」、「プー」Pou (“ພຸ”)は湧き水を意味しています。そこには先ほどご紹介した、たくさんの魚が住んいる池があったのでその名前になりました。ノンプー村とブンチョン村との間には、川がありますが徒歩で5分ほどしか離れていません。この2つの村は、元々、川によって分かれていましたが、徒歩5分ほどの距離に隣接していました。

彼らは団結して一つの村になることにしました。そして、ノンプー村 Nong Pouとブンチョン村Bun Chongを合わせて、『ノンチョン』と名付けました。みんながこの村の歴史とともにその意味を理解していたため、今でもお年寄りは「ノンプー」や「ブンチョン」という村の名前を憶えて使っています。
こうして、クム族の人々は、特にノンチョン村周辺に住むようになったのです。

プロジェクトへの寄付のお願い

FaY-Folklore & Youth では、ラオス現地で民話の調査にあたっている孤児・ひとり親家庭の子ども達の雇用創造に取り組んでいます。 子ども達の学費、生活費、医療費などに使用される謝金は、皆様のあたたかい寄付で成り立っています。
寄付を通じてご協力いただける方は、こちらのWisaの特設ページからお願いします。


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