心臓が止まった③

3/24(金) 午前10時ごろ
目が覚めた。
目が覚めたというよりも周りが慌ただしくて起きた。
僕がいるのは個室の病室だった。
滞在している病院のパジャマをいつのまにか着させられていた。

目が覚めた僕に、ある看護師さんは僕にこう言った。
『今のままだと非常に危険な状態です。
うちの病院では、心臓を強く補助する機械がありません。これ以上の対処が出来ません。今から松本にある病院に転院します。今からヘリの準備をし、準備出来次第、出発します。』

『昨夜の緊急手術は成功したんじゃないの?』と疑問に思った。実際は、心臓を補助する機械を入れたが、あまり効果がなかったようだ。
ますます心臓が動かなくなっていた。

人生で初めてヘリに乗れる!という興奮があった。
ドクターヘリに乗った自慢が出来ると思った。
今思うと愚かな考えだ。

喉が異常に渇くので、『お水ください』と頼む。
しかし、心臓に負担がかかるためダメだと言われる。
看護師さんに『紙パックのコーヒー牛乳があるので、それは飲んでいいですよ』と伝えられた。
なぜ、コーヒー牛乳だったら飲んでいいのか今でも分からない。
コーヒー牛乳が好きでも嫌いでもないが、喉が渇いているためコーヒー牛乳を一気に飲む。
とてつもなく、苦い。
余計に喉が渇き、もがき苦しんだ。
あまりの苦さに『こんなん飲まんほうがよかった』と叫ぶ。
銭湯で飲むコーヒー牛乳とは別物だった。
一瞬にしてコーヒー牛乳が嫌いになった。

転院すると伝えられた後、自分の持ち物について確認した。
自分の服、財布などの貴重品があると確認し、それらの物はビニール袋に入れられた。
自分の身の周りは、準備は出来た。
しかし、出発について何も連絡が来ない。
そこから2時間ぐらい待ち、『出発の準備が出来ました!移動します!』と伝えられた。

新型コロナウイルス陽性のため、僕は、透明な納体袋のようなものを身体全身包まれる。
新型コロナウイルスを周りに感染させないためだ。
通気性などなく密閉されるのでとても暑い。
『暑くない?』と度々聞かれるが、『暑くない』と答える。
助けてもらっている立場で、『暑いです!』と言える状況ではない。

ベッドからストレッチャーに乗せられ移動。
ヘリで移動することにワクワクしながら、移動していた。

待ち構えていたのは、救急車だった。
しんどかったが、『ヘリちゃうんかい!』と思わずツッコんでしまった。
なぜなら、自分がいる長野市の病院から移動する松本の大学病院までの距離が約60キロもある。
車で行くと約1時間はかかる。
ヘリだと10分ほどで着くので、時間がかかる救急車で移動している際に死ぬんじゃないかと思った。
後日、両親から話を聞くが、天候不良のためドクターヘリは飛べないと判断されたらしい。

救急車に乗せようとするが、心臓を補助する機械が大きいため、時間がかかる。
30分ほどかかり、自分、看護師さん3人が乗り込む。

サイレンを流しながら、松本市にある大学病院へと向かう。
聞こえてくるサイレンや心電図の音に恐怖を覚えた。
『僕って、死ぬんかな…』と。
3人の看護師さん達や救急隊員に5分おきぐらいに、
『大丈夫?』と確認される。
大丈夫と答えるが、めちゃくちゃ暑い。
松本インターを降り、サイレンや救急隊員の呼びかけによって渋滞をくぐり抜ける。
約1時間かけ、松本市にある大学病院に到着。
救急車のバックドアが空き、転院先の看護師さん達が待ち構える。
転院先の看護師さん達に引き渡す前に、自分が着ている長野市の病院のパジャマをその場で脱がされ、転院先の病院のパジャマを着させられる。
救急車に乗っていた3人の看護師さん達は、僕に向かって『頑張って!きっと助かるから!』と声がけされる。

僕は転院先の病院に引き渡された。
救急隊員と看護師さん達を乗せた救急車はすぐに帰って行った。

転院先の病院に着いた後の記憶はほとんど無い。
記憶が無い部分は、両親の話・看護師さん達の話を元に作成します。


心臓が止まった④に続く…

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