見出し画像

わが半生 ウィリアム・ブランハム (日本語訳)


これは筆者が、何年も前に翻訳した、
ウィリアム・マリオン・ブランハム
(William M. Branham
アメリカ、1909-1965)
による一説教の全文です。

どなたか探されている方の、
お目に止まりますようにと祈りつ、
ここに掲載することにいたします。

大変長い説教の書き起こしを
翻訳した文章ですので、
お読みになられたい方は、
どうぞご自由に
印刷等なさってください。


Life Story

Preached on Sunday afternoon,
19th April 1959
at the Angelus Temple
in Los Angeles, California, U.S.A.
(2 hours and 4 minutes)




 さあ、少しのあいだ、こうべを垂れて祈りましょう。われらが恵み深き天の父よ、神であり救い主であられるあなたに、こうして近づくことが出来るのは、まさに名誉なことです。この美しい賛美歌、「輝く日を仰ぐ時」を聞きながら、あなたの偉大さを思い、わたしたちは胸を躍らせています。あなたの大いなることが、今日この午後、あらたにされますように祈ります。いまわたしは長い年月のなかで初めて、いままでの来し方を振り返ろうとするのですが、どうか力と、わたしがこの時の必要を満たすことができるように、あなたが計らってくださいますように。そしてわたしが犯してきた人生の過ちが、他の人々があなたに近づくための踏み石になりますように、主よ、願います。時の砂に残る足跡をみて、罪人たちがあなたのもとに導かれますように。これらのことを、主イエスの御名によって願い求めます、アーメン。(どうぞ、席についてください。)

[グラバー兄弟が、「始める前に、このハンカチの上に祈ってくださいますか?」と訊く。―編集者注]

 勿論ですとも。[ 「こちらとこちらにお願いします」 ] わかりました、どうもありがとう。聖人のようなこのグラバー兄弟とは、もう長い付き合いになります。昨晩、兄弟と一緒に時をすごすことができました。その時に彼が話してくれた話なのですが、グラバー兄弟はすこし前まで、寝たきりになっていたのだそうです。そしていま、七十五歳で、また主への奉仕に戻っています。これを聞いたら、わたしは自分が思っている半分も疲れてはいないのだと思い知らされましたよ。わたしは、疲れている気がしたのです。でも、そうでないと信じます。グラバー兄弟がここに、もう宛名も書かれた封筒に入ったハンカチを用意してくれました。

 さて、このハンカチが欲しい方は、ラジオの向こうの皆さんも、ここにいらっしゃるどなたでも、アンジェルス・テンプルから手に入れることができます。ここ、アンジェルス・テンプルに手紙を送ってくだされば、ここの人たちがハンカチの上に祈り、いつでも郵送してくれるでしょう。この祈りの力は、聖書に書かれた、神の約束なのですから。

 もしも、わたしが祈ったハンカチをご所望の方がいましたら、ぜひお役に立ちたいと思います。インディアナ州、ジェファーソンヴィル、私書箱325です。私書箱の番号を忘れても、ただジェファーソンヴィルとだけ書いていただければ結構です。三万五千人くらいの小さな町で、誰もがわたしを知っていますから。みなさんのために喜んで、ハンカチのうえに祈り郵送しましょう。

 さて、これは本当に上手くいっているのですよ。封筒の中に、小さな手紙が入っています。世界中のひとが毎朝九時、それから十二時と三時に祈っているのです。世界中というのですから、この祈りのために夜中に起き出さなくてはならないひともいることでしょう。ですから何万人も、何十万人ものひとたちが、このミニストリーのため、あなたの病のために、一斉に祈ってくれているのです。神様がそれを無視なさるはずがありません。お金を求めているのでも、なにかを支援して欲しいのでもありません。わたしたちはただ、みなさんを助けたい一心、そのために働いているのです。

 いまここに、たくさんのハンカチが運ばれてきました。みなさんがもしハンカチを用意できないのなら構いません、ただそう書いて送ってください。いますぐ必要でないなら、聖書の使徒行伝19章のところに挟んでおくといいでしょう。小さな白いリボンと、まず罪を告白するようにというガイドが送られてくるはずです。罪を告白するには…。神との関係を正す前に、神様から何かを期待してはなりません。いいですか。それから隣人と牧師を呼んでくるようにと命じられているのです。もしあなたの心に、誰かとのしこりがあるのなら、まず先にその人のもとに行って、関係を正して帰って来なさい。それから祈りなさい。自分の家で祈りの集会を開いて、このハンカチを下着のしたに留めて、神を信じなさい。さっき言った通り、毎日三時間、世界中に祈りの輪が広がり、祈っている人がいるのですから。

 さて、これは完全に無料です。ただ送ってくださればよいのです。あなたの住所に、このミニストリーの何かプログラムについて、しつこくダイレクトメールを送りつけるなんてことも決して致しません。支援していただこうにも、支援していただくプログラムすらないのですから、ね。みなさんの住所を得ようとしてしているのではないのです。ただみなさんに仕え、主の業を働き続けようとしているのです。

 さあ、共にこうべを垂れましょう。ラジオの向こうのみなさんも、ハンカチを手元に用意して、いまから祈るあいだハンカチに手を置いてください。

 恵み深き主よ、この包みを御前にささげます。なかには、赤ちゃんの服や小さな肌着、可愛いあんよのためのお靴もあることでしょう、それから何でしょう、ハンカチですか、これらは病に冒された人々の元に届けられるのです。主よ、あなたの御言葉に従って、わたしたちはこれを成すのです。あなたの僕パウロに神の霊が宿っていると信じた人々が、彼のもとからハンカチやエプロンを取り、その信仰によって病人から汚れた霊が去って、病が癒されたと、使徒行伝に書いてあります。主よ、わたしたちは聖パウロではありません。しかしあなたはイエス様であり、変わられません。どうかこの人々の信仰に心を留めてくださいますように。

 海を目の前にし、山々をそばに控え、ファラオの軍隊が近づく中で、罠に嵌められたイスラエルは、神に従おうとしました。誰かがこう言った通りです、「神が火の柱から怒りの目で見下ろすと、海は怯えてみずから巻き上がり、イスラエルが約束の地へ渡るための道を作った。」
 
 おお、主よ、この小包が病める体に、記念として触れるとき、どうかもう一度こちらを見下ろしてください。そして病が怯えるとき、この贖いのために死んだあなたの息子、イエスの血を通してこちらをご覧ください。軍隊が怯えて去り、人々が約束されたものにたどり着くことできますように。あなたは何よりもまず、わたしたちが健康のうちに栄えることを望んでおられるからです。父よ、あなたに願います。わたしたちはそんな心を持って、あなたに願うのです。それが目標です。イエス・キリストの御名によってあなたのもとに届けます。アーメン。

 グローバー兄弟、ありがとう。どうもありがとう。

 さて、今夜はこの伝道集会最後の日です。これが放送されるかどうか、わたしはわかりませんが、もしものためにラジオで聞いておられる皆さんに伝えさせてください。この集会は長い間わたしが経験したなかで、もっとも素晴らしい集会のひとつでした。団結して、健全で、とても優しくて、協力的な、久しぶりに見たような素晴らしい集会でした。

 しかし…。【ある兄弟がこう言う、「4:15までは生放送をしていますよ。南カリフォルニアから島々、そして船の上からも聞いているひとたちがいます。何千何万も、たくさんの視聴者が待っています。ー編集者注】どうもありがとう。それはとてもよかった。それはうれしいことだ。神様の祝福がありますように。

 わたしは何故でしょうか、アンジェルス・テンプルがとても好きなのですよ。イエス・キリストの福音すべての上に立っているのですからね。それにいまでは、なんだかとても親しく感じるのです。みなさんに出会い、その素晴らしい霊を見ると、わたしはいままで以上にみなさんの仲間のような気がするのです。みなさんの上に神様の祝福があるように、祈ります。そして… 【会衆が拍手するー編集者注】 みなさんの優しさに感謝します、ありがとう。

 さて、今日わたしは自分の人生について語るようにと言われたのですが、それはわたしにとって大変なことなのです。長い年月のなかで、これが初めての試みです。細かいことまで話す時間はありませんので、ちょっとした部分だけになるでしょう。わたしはいままでたくさんの過ちを冒してきました。ここにいるみなさん、そしてラジオの向こうのみなさんへわたしが願うのは、みなさんがわたしの過ちによってつまづくことなく、これを踏み石にして、もっと主イエスに近づいてほしいということです。

 今夜の癒しの集会のために、プレイヤーカードが配られることになっています。さて癒しの集会といっても、わたしたちが誰かを癒すというのではありません。わたしたちは誰かのために祈るのです。癒しをなされるのは神様です。神様は情け深くもわたしの祈りに答えてくださっているのです。

 少し前のこと、わたしはある有名な福音伝道者のマネージャーと話していました。なぜその人は病人のために祈らないのかと尋ねたのです。彼がわたしの集会のマネージャーに答えたところ、「このひとは神の癒しを信じているのです。でももし彼が病人のために祈りだしたのなら、彼は教会の支援を受けているので、伝道に支障が出てしまうでしょう。多くの教会は神の癒しを信じていないのですから。」

 とはいえわたしはこの福音伝道者を尊敬しています。彼は自分の場所を、役目を守っているのですから。もしかしたら彼は…。わたしは彼の場所を埋めることはできないし、きっと彼もわたしの場所を埋めることは出来ないでしょう。神の御国のなかには、わたしたちそれぞれに場所があり、共になって働くのです。それぞれ違った賜物、それぞれの霊、それぞれの表れ、いえ、つまりひとつの霊のもとで、ということですが。

 さてそれから、今夜の礼拝は…、コンサートは6:30から始まるのでしたっけ。さてラジオの向こうのみなさん、ぜひいらしてコンサートをお聴きください。きっと美しい演奏になるでしょう。いつだってそうなのですから。
それからこの礼拝が終わったすぐ後に、プレイヤーカードが配られることと思います。もしここにおられる方で、プレイヤーカードが欲しい方がいらっしゃいましたら。ついさっき聞いたのですが、わたしの息子かマーシアさんかゴードさん、彼らがカードを配るそうです。そのまま席についていてください。席についていてくだされば、礼拝が終わってすぐ後に、この若者たちが列を下りみなさんにプレイヤーカードを配ることでしょう。二階席か一階か、どちらでもどこにいらしても、です。若者たちが誰にカードを配ればいいのかわかるように、どうか席についていてください。そして今晩、病人のために祈りましょう。そしてもし主がわたしの考えをお変えにならないとすれば、今晩は「御父を見せたまえ、されば満たされん」という題の説教をしましょう。


プレイヤーカードの実物。  訳者撮影。


 さて、この午後わたしの半生についての話をする前置きとして、ヘブライ人への手紙13章12節を読みましょう。

それでイエスもまた、ご自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。
だからわたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。
わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来たるべき都を探し求めているのです。

 なんて素晴らしい御言葉でしょうか。人間の半生、また何でも人間に関わるものを、わたしたちは讃えません。特に人の過去、わたしの過去のように暗いものはなおさらです。でももし御言葉を読んだのなら、神様がその御言葉を祝福してくださるだろうと思ったのです。わたしが考えていたのは、わたしたちはここに永続する都を持っておらず、来たるべき都を探し求めている、という部分です。

 さて、みなさんはきっとロサンジェルスに愛着を抱いておられることでしょう。もちろんですとも。ロサンジェルスは立派で美しい都です。排煙だの何だのがあるにしても、美しく、気候の良い街です。しかしこの街も永遠に続くことはできません。いつかは終わりが来るのです。

 わたしはローマで、偉大な皇帝たちの跡、そして6メートル足下に眠る、永遠に続くと思われた街々の廃墟の上に立ち尽くしました。わたしはファラオの偉大な王国の跡の上に立ったこともあります。偉大なファラオが治めた跡は地下に眠っているのです。わたしたちはみな、自分の町や家に愛着を抱いています。しかし覚えていてください、それは永遠に残ることはないと。

 まだ小さな男の子だったころのこと、わたしはよく大きな楓の木のところに行きました。わたしの故郷には、広葉樹がたくさん生えているのです。この木のほかに、サトウカエデや、「堅楓」、「軟楓」なんて呼ばれた木もありました。あの立派な巨大な木は、そのなかでも最も美しい木でした。畑の干し草仕事や収穫からの帰り道、わたしはこの大きな木の下に座って、上を見上げることを好んだものでした。その巨大な幹を、大きく力強い枝々が風に揺れるのを、眺めていたものでした。「この木はきっとこれから何百年も何百年も、ここに残り続けるんだろうなあ。」わたしはそう思ったものでした。それがちょっと前のこと、その大きな木を見に行くと、木はただの木株になっていました。「この地上に永続する都はないのです。」

 そうです、なんでもこの地上で目に見えるもので、永続するものはありません。なににも終わりがあるのです。なんでも死に運命づけられているものは、不滅のものに席を譲らねばならないのです。ですからわたしたちがどれだけ立派な高速道路を作ろうと、素晴らしい建物を建てようと、それはいつか無くなる運命なのです。なにも永続するものはないからです。目に見えないものだけが、不滅なのです。

 わたしが昔住んでいた家は、古いログハウスで、泥で木の隙間が埋めてありました。泥で隙間を埋めてある家なんて、見た事のない方が大勢でしょうね。隙間がすべて泥で埋めてあるんですよ。古い家で、とても大きく立派な木材が使ってありました。この家は何百年も持つことだろうと、わたしは考えたものでしたが、ね、ご存知でしょう、あの家のあったところはいま住宅団地になっています。もう本当に変わってしまいました。なにもかもが変わってゆきます。しかし…

 それからわたしの父のことです。父は背が低い方で、がっしりした男で、とても強いひとでした。父はわたしが知っているなかで一番強い小男のひとりです。わたしは一年ほど前に、父が昔よく流送の仕事で一緒になった、流送夫のクーツさんに会いました。クーツさんはわたしのとても親しい友達で、第一バプティスト教会の執事をしています。クーツさんがこう言ったのでした、

「ビリー、きみはきっととても力が強いんだろうねえ。」
「いや、そんなことないですよ、クーツさん。」わたしは答えました。
「もしきみがお父さん似なら、きっと力が強いはずだよ。きみのお父さんは自分は63キロしかないのに、400キロもの木材をたったひとりで荷台に積んだのだよ。」

 父はそのやり方を心得ていたのでした。父は強いひとでした。母が夕食に呼ぶ前に、父が洗い場で体を洗っていた姿をよく覚えています。

 わたしたちの家の前庭に、年老いた林檎の木がありました。それから三、四本小さな木が、家の裏にかけて生えていました。その真ん中の木の脇に、何本かの曲がった釘で、古い大きな壊れた鏡が掛けられていました。これを聴いている大工さんたちなら、「衣装掛け」とでも呼ぶのでしょうか。釘が曲げられて、鏡を支えていたのです。それから古い錫の櫛がありました。このなかで昔の錫の櫛を見たことのあるひとは、どれだけいますかね。わたしはまだ覚えていますよ。
 
 それからそこには小さな洗濯椅子がありました。ちいさな板に、傾いた短い足がついているのです。そしてその木に反して、小さな古いポンプがしまわれていて、そこから水を汲んでいました。この古い木の下で、わたしたちは洗濯をしていたのです。母はよくあらびき粉の入った袋から、タオルを作っていました。粉袋から出来たタオルを使ったことのあるひとはどれだけいますかね。ふむ、まるで我が家にいるような気分になりますな。あの大きな、古くて粗いタオルのことですよ。わたしたち幼い子供たちに風呂を使わせるとき、母は粉袋タオルを使って小さな背中をこすったもので、いつも背中の皮を剥ぎ取ってでもいるような気がしたものです。あのあらびき粉の袋ならよく覚えています。母はその糸をひっぱって、小さな房を作り、飾りにしたものでした。

 藁でできた布団で寝たことのあるひとはどれだけいますか。いや、言い直しましょう、殻から作った枕を知っているひとはどれだけいますか。ほお、グローバー兄弟、これはまったく我が家にいる気分ですな。藁布団、そう、わたしがあれから卒業したのだって、そう遠くない昔のことですよ。まったく涼しいし、寝心地の良いものですよ。それから冬になると、古い羽布団を上にのせて、カンバス地を寝ているひとの上にかけたのです。家の割れ目から雪が吹き込んでくるのですからね。古い羽目板がひっくりかえって、そこから雪がすぅーっと入ってくるのです。おお、こういうことはよく覚えていますよ。

 昔のこと、父は髭剃りブラシを持っていました。これを聞いたらみなさんびっくりするでしょうね。そのブラシはトウモロコシの殻から出来ていたのです。トウモロコシの殻で出来た髭剃りブラシです。母手作りの灰汁石鹸の古いのを泡立てると、父はそれをトウモロコシの殻の髭剃りブラシで顔に塗り、大きな古い西洋カミソリで剃っていたものでした。
 
 それから日曜日には、父は紙を襟の周りに巻きつけて、襟をカミソリから守ったものでした。普通はセルロイドで出来たものを使ったようですね。そんな光景を、みなさん見たことはありますか。おお、なんてこった。
 
 あの頃によく水を飲みに行った、下りて行った先にある古い小さな泉のことは、まだ記憶に残っています。古い瓢箪の柄杓を使って、水を飲んだものでした。瓢箪の柄杓なんて見たことのあるひとはどれだけいますかね。うむ、とにかくケンタッキー出身のひとはどれくらいいますか。おお、このケンタッキー人たちを御覧なさい。オクラホマ人とアーカンソー人ばかりかと思ったら、ケンタッキーもだいぶ進出しているようだ。何ヶ月かまえに、ケンタッキーで石油が見つかったらしいから、こっちに来るひとも増えているのかもしれませんね。

 それから父が夕食前に体を洗う光景も、わたしの記憶に残っています。父が袖を捲り上げると、短いずんぐりした腕が見えるのでした。父が洗おうと腕を伸ばし、水を顔に掛けるとき、その筋肉が短い腕のうえに塊になって盛り上がるのでした。それを見てわたしは、「うん、きっとパパは150才まで生きるに違いないな」と言ったものでした。父はとても強いひとでした。しかし52才で亡くなったのです。ね、「この地上に永続する都はないのです」。そう、わたしたちはいつまでも続くことができないのです。

 
 さて、これからみなさんで小旅行をいたしましょう。ここにいるみなさんひとりひとりに、わたし同様に人生談があるはずです。ちょっとのあいだ、思い出の小道を辿るのも悪くはないではありませんか。そうは思いませんか。さあ、みんなで少しのあいだ昔に帰り、わたしたちの子供時代に戻った気になってみましょう。

 さて、わたしの人生の最初の部分ですが、これは少し触れるだけにしておきます。これは本に書かれていますし、本を読まれた方も大勢いるでしょうからね。

 わたしはケンタッキーの山奥深くの、ちいさな山小屋で産まれました。ひとつきりの部屋にみんなで住み、床に絨緞を敷くどころか木すらありません。床はただの土でした。三本足を付けた切り株が、わたしたち家族のテーブルで、その周りをたくさんの小ブランハムたちが囲んだのです。その貧しい山小屋の周りを、わたしたち幼い兄弟は、オポッサムの群れかなにかのように転げまわっていたのですね。兄弟はぜんぶで9人、その内に女の子がひとりです。妹は男の子ばかりのなか、本当に苦労したそうです。昔したことを思うと、今でも彼女には頭が上がりません。わたしたちの遊びに、妹はどうしてもついてくることができませんでした。女の子だからっていって、わたしたちは妹を追い返したのです。妹には悪いことをしました。

 思い返してみると、うちのテーブルのまわりには椅子がふたつしかありませんでした。木の皮と古いヒッコリーの枝で出来ていて、足のところはヒッコリーの樹皮で飾られていました。あのヒッコリーの樹皮の椅子を、覚えているひとはいるのでしょうか。ああ、こうしているといまでも母の声が聞こえてくるようです。それから時がたって、木の床がある家に引っ越せるようになり、母が赤ん坊を膝に乗せて、どんどんと床を鳴らしながら揺り椅子をこいでいる情景を、いまでもまざまざと思い出します。母はよく、洗い物かをするときや泉に水を汲みに行くときに、小さな子どもが外に出て行かないようにと、その椅子を横倒しにして扉のところに斜めにして置いていたのです。

 わたしが生まれたとき、母は15歳で、父は18歳でした。そしてわたしが9人兄弟の一番目だったのです。聞かされた話によると、それはわたしが産まれた朝のこと…。

 さて、わたしの家族はとても貧乏でした。赤貧といってもいいくらい。住んでいた山小屋には、窓さえありませんでした。あったのは、開け閉めできる木の扉だけ。みなさんはそんなもの見たこともないでしょうね。窓の代わりにその木の扉を開けるのです。昼間は開けておいて、夜には閉めます。あのころは電気など通っていなかったし、灯油ランプさえ灯すことはできませんでした。脂灯というのを使っていました。そんなもの何かみなさんお分かりにならないでしょう。松材の継ぎ目のところを買ってきて、火を着けて、ほやをかぶせるんです。それが燃えて、煙がすこし出るのですが、煙して困るような家具は初めから持っていませんしね。ただ小屋のなかが煙くなるのです。天井から煙を逃がして、それで上手く行っていたのです。

 わたしは1909年4月6日に生まれました。ということはつまり、いまのわたしは25歳をちょっと超えたくらいになるわけですが。(冗談は置いておいて)、これは母から聞いた話です。わたしが産まれた朝、その小屋の窓を開けたときのこと。そこには産婆さんがいただけで、お医者さんはおらず、その産婆さんというのもわたしの祖母でした。わたしが産まれて産声を上げ、母は我が子を見ようとしました。とはいえ母自身もまだ子どもだったのです。明け方5時頃のことです、その小さな窓を開けると、外の小さな藪にコマツグミがいました。みなさんは、わたしの伝記に載っている絵をご覧になられたかもしれません。そのコマツグミは全身全霊でさえずっていました。

 わたしは昔からコマツグミが好きでした。さあ、ラジオの向こうの少年たち、わたしのお気に入りの鳥を撃ってはいけませんよ。コマツグミは…、わたしの鳥なんです。コマツグミの胸がなぜ赤いか、言い伝えを聞いたことはありますか。ちょっとお話しましょうか。なぜコマツグミの胸が赤いかについてのお話です。ある日のこと、王のなかの王である方が、十字架にかかっておられました。王はとても苦しんでいるのに、誰もそれを助けようとするひとはいませんでした。王はひとりきりでした。そこに小さな茶色い鳥が来て、その十字架の釘を抜いてあげようとしたのです。小鳥は十字架の近くに飛んできては、釘を引っ張ろうとします。でもあまりにも小さくて、釘を抜くことが出来ません。そのうちに小鳥の胸は血に染まって真っ赤になってしまいました。それからずっと、コマツグミの胸は赤いのです。だから少年たち、コマツグミを撃ってはいけないよ、そっとしておいてあげなさい。

 その鳥は窓のわきに留まって、コマツグミの歌をさえずっていました。わたしの父が窓を押しあけると、この絵に描かれているのと同じ光が、渦を巻きながら入ってきてベッドの上で留まったと、母が聞かせてくれました。祖母は言葉を失ってしまいました。

 さて、わたしたちはあまり宗教的な一家ではありませんでした。わたしは父方も母方もアイルランド系で、カトリックの一族です。父は純粋なアイルランド人で、ブランハム家の出です。母はハーヴェイ家の出で、母の父はチェロキー族の女性と結婚しました。だから100パーセントがアイルランド系だというわけではないんです。わたしの両親は、教会に行きませんでした。教会の外で結婚し、信仰はまったくありませんでした。あの山奥には、カトリック教会すらありませんでした。初期に開拓移民として、ブランハムが二家族入植し、そこから後のブランハムたちが生まれ出たのですね。これがわたしの家系です。

 そして窓を開けると、そこに光が立っていて、ひとびとは立ち尽くしてしまいました。母の話によると、父はその日のために新しいつなぎを買ったのだそうで、昔きこりや流送夫がよくしたように、つなぎの胸当てに腕をつっこんで立ちつくしていたそうです。みな怖がってしまいました。

 そうそう、生後10日くらいの時でしたか、両親はわたしを、「オポッサム王国教会」という名の小さなバプティスト教会に連れて行きました。オポッサム王国教会なんて、すごい名前じゃありませんか。年老いた昔風のバプティストの巡回説教師が、二ヶ月に一度来て説教をしました。教会の人たちは小さな集いを開いて賛美歌をうたったりしましたが、説教が聞けるのは説教師が巡ってきたときだけでした。報酬は一年に一度、みんなで育てたカボチャだの何だのを渡すのです。そのおじいさん説教師が、小さな赤ちゃんだったわたしのために祈りを捧げてくれました。それが教会に足を踏み入れた初めてでした。

 それから時がたって、二歳くらいになったときのことでしょうか、わたしは初めての幻を見たのです。

 そうそう、あの「光が入ってきた」、つまりわたしが産まれた朝のことは山中の噂になり、山の住人たちはその正体をつきとめようとしました。家の鏡に朝日が反射しただけだというひともいましたが、うちには鏡などありませんでした。それから早朝でしたので、日も昇っていませんでした。五時頃のことだったのです。次第にひとびとはこのことを忘れてゆきました。それからわたしが三歳になった頃のこと……

 さて、正直に話しましょう。わたしの人生には、語りたくないこと、語らずにすむのなら避けて通りたいようなこともあるのです。それでも、本当のことを話しましょう。自分のことや自分の家族のはなしは、正直に真実を語らなくてはいけません。

 わたしの父は信仰のあるひとではありませんでした。父はいわゆる山男で、いつだって酒を飲んでばかりいました。あるとき父は、山奥のパーティーで起きた、発砲するやらナイフで切り付けたりで二三人が殺された喧嘩に関わってしまいました。父はこの喧嘩の首謀者のひとりだったのです。父の友人が痛めつけられ、椅子で応戦したりなんだりで…。ある男がナイフを持って、床に倒れている父の友人の胸を刺そうとしたのです。父がそれに分け入って、それはそれは壮絶な喧嘩だったそうです。何マイルも何マイルも離れたバークスヴィルから、馬に乗って保安官が父を捕まえに来たほどですから。

 その男は半死だったそうです。もしかしたら彼の家族の方がこれを聞いているかもしれませんね。名前を言いましょうか、ウィル・ヤーブローというのがその男の名前です。ヤーブローの息子の家族はカリフォルニアに住んでいるそうですから。ウィルは意地が悪く力強い男で、自分の息子のひとりをレールフェンスで殴り殺したような男です。つまり邪悪でとても力ある男でした。そのウィルとわたしの父がナイフで盛大な喧嘩をしたのです。この男を半殺しにしてしまったので、父はケンタッキーを去り、河を渡ってインディアナに逃げなくてはなりませんでした。

 その頃父の兄のひとりが、ケンタッキー州のルイヴィルに住んでいて、そこの寄木製材所の管理補佐をしていました。父は17人兄弟の末っ子でした。父は兄を頼りにそこを訪れたのです。父はお尋ね者になっていたので、家に帰ることができませんでした。一年ばかりして、偽名を使った手紙がわたしたちの元に届きました。父は母にどういうふうにして便りを出すかを教えてあったのです。

 それから覚えているのは、ある日泉でのこんな出来事です。それは父の事件の後のことでした。わたしとすぐ下の弟との間には、11ヶ月の差がありました。弟はまだ這い這いをしていました。わたしは弟を感心させるために、大きな石を掴んで水たまりに思い切り投げつけようとしていました。泉の枯れた跡が泥だらけの水たまりになっていたのです。すると鳥の鳴き声がしました。木の上で囀っているのです。わたしが見上げると、鳥は飛び去ってしまいました。その時、声がしてわたしに語りかけたのです。そんな幼い頃のことを覚えているはずがないだろうとみなさんは思われるかもしれません。しかし裁き主である神は、そして天と地とそこにあるすべては、わたしが真実を語っていることを知っているでしょう。

 鳥が飛び去ると、その鳥が留まっていた木から声がしたのです。まるで風が茂みに絡まったかのように、その声は言いました、

「おまえはニューアルバニーと呼ばれる町の近くに住むことになる。」

 そしてわたしは三つの頃から今まで、インディアナ州ニューアルバニーから3マイルも離れないところに住んでいるのです。わたしは家に戻って母にそのことを話しました。母はわたしが夢でも見たのだと思ったことでしょう。その後、わたしたちはインディアナ州に引っ越しました。裕福なワーセン氏の元で、父は職を見つけたのです。ワーセン氏はワーセン蒸留酒製造所のオーナーで、株をたくさん持っていました。彼は大富豪で、ルイヴィル•カーネルズ野球団の権利の一部も持っていました。わたしたちはその近くに住んだのです。貧しいのに関わらず、父は酒を飲むことを止めることができませんでした。だから父は密造酒作りを始めたのです。

 わたしは長男だったので、そのせいで辛い思いをしました。ウィスキーを作る間コイルを冷たく保つために、わたしは蒸留所に水を運ばなくてはならなかったのです。そんな蒸留所に二三も持っていたでしょうか。そのようにして出来た酒を父は売っていたのです。さて、これがわたしが話したくなかった部分です。でも本当のことなのですから。

 そうそう、ある日のこと、納屋から家に戻る道を辿りながら、わたしは泣いていたのでした。裏には氷を切り出す池がありました。昔は氷を切り出しておがくずの中に入れておいたものなのです。ワーセン氏もそうして氷を保管していました。わたしの父は、ワーセン氏の運転手をしていました。お抱え運転手です。この池から切り出した氷はおがくずのなかで保存され、夏になって氷が手に入らなくなったときに、飲用ではなく、水を冷やしたりミルク桶を冷やしたりするために使われたのでした。池は湖の氷みたいに清潔だったのだと思います。

 その日わたしは井戸から水を運んでいました。一区画ほどの距離もありましたでしょうか。わたしは悲しい思いでいっぱいでした、というのも学校帰りの男の子たちがみんな池で釣りをしていたからです。わたしは釣りが大好きでした。それなのにみんなは釣りをしていて、わたしはといえば蒸留所に水を運ばなくてはならないのです。もちろん禁酒法の時代ですから、蒸留所のことは一言も漏らしてはなりませんでした。ほんとうに辛いことでした。ふらふらしながら水を運んだ日のことをまだ覚えています。わたしはトウモロコシの軸を足に付けて、埃除けにしていました。そんなことをした覚えのある人はいますかね。こんなふうにしてトウモロコシの軸を糸で足にくくりつけるんです。まるで亀の頭みたいに、足が地面から浮くのです。わたしはいつでもどこへでも、このトウモロコシの靴で行きました。それというのも靴を持っていなかったからです。わたしたち家族は、時には真冬になるまで靴無しで過ごしていました。運が良ければなんでも手に入ったものを、慈善団体や誰かががくれる靴や服を着て過ごしていたのです。

 そしてわたしはその木の下で立ち止まると、座って駄々をこねていました。(九月のことでした。)わたしは釣りに行きたかったのに、小さな糖蜜バケツに何杯も水を汲まなくてはならないのです。バケツはこのくらいの高さで、わたしはまだ7歳で小さかったので、一度に運べたのは半ガロンほどだったでしょうか。大きな桶に水を注ぐと、また戻って二つのバケツを持って水を汲まなくてはなりませんでした。その晩に家で、父と友人たちは出来たコーンウィスキーを楽しんだことでしょう。

 わたしが泣いていると、突然何かがつむじ風のような音を立てるのが聞こえました。そう、こんなかんじです(うるさくならないといいのですが)、「フゥーーーーーーシュ、フゥーーーーーーシュ」とこんな感じの音でした。シーンと静まるなか、わたしは辺りを見回しました。そうするとどうでしょう、小さなつむじ風が、ちっちゃなサイクロンとでも呼びましょうか、秋にトウモロコシ畑をかけぬけて葉っぱや何やらを巻き込んで吹き抜ける風です。家と納屋のちょうど真ん中あたりにある、大きな白ポプラの木の下にわたしは立っていました。そして音がしたのです。わたしは辺りを見回しました。そう、まるで今のこの部屋のように、辺りは物音ひとつしない静けさでした。

「あの音はどこからきているんだろう?」
わたしは思いました、
「ここから聞こえてくるのかしら」
その音はだんだんと大きくなってゆきます。

 わたしは小さなバケツを手に取ると、わめき声をあげながら小道を登りました。ほんの何メートルか歩き、大きな木の下を出ると、つむじ風の音はますます大きく迫ってきました。振り返ると、木の中程のところにまた別のつむじ風が、木の周りをまるで捕らえられているかのようにぐるぐると廻り、葉を揺らしていました。つむじ風の多い季節だったこともあり、わたしは不思議には思いませんでした。秋にはこういうつむじ風がよく起きるのです。塵をまきあげてゆく風です。砂漠でも見られるそうですね、同じことです。わたしがいくら見ていても、このつむじ風は消えませんでした。普通ならフーッと吹いて消えてしまうのです。しかしこのつむじ風は2分以上もそこに留まっていました。
 
 わたしは小道へ足を向けようとしました。もう一度振り返ると、人間の声が、いま喋っているわたしの声と同じくらい現実の声がしてこう言ったのです、

「なにがあっても絶対に、酒を飲んだり、タバコを吸ったり、自分の体を汚すようなことをしてはならないよ。きみには大きくなったらしなくてはならない仕事がある。」

 わたしは死にそうなくらい怯えてしまいました。ちっちゃな子供がどう感じるか、わかるでしょう。わたしはバケツを落とすと、金切声をあげて、家までの道を全身全力で走り出しました。

 母は庭から走ってこちらに迎い寄りながら、きっとマムシに足を噛まれたのだろうと思ったのでした。その地方では、よくマムシや毒蛇が出たのです。わたしは母の腕に飛び込んで、叫ぶやら抱きつくやらキスするやら大混乱でした。

「どうしたの、蛇にかまれたの?」
と母は尋ねながらわたしを眺め回しました。
「ママ、かまれたんじゃないよ。あそこの木に男のひとがいるんだ。」

 それを聞くと母は言いました、
「まあ、ビリー、そんなはずがないじゃない。途中で立ち止まってお昼寝でもしたんじゃない?」
「そうじゃないよ。あの木のなかに男の人がいて、ぼくにお酒を飲んでもタバコを吸ってもいけない。ウィスキーを飲んだり悪いことをしちゃいけないって言ったんだ。」

 その時わたしは、密造酒を造るための水を運んでいたわけです。それで神は「酒を飲んだり体を汚すようなことをしてはいけない」とおっしゃったのです。それは不道徳なことですから。わたしは幼いころから、そして青年になってからも、そうした罪を犯したことはありません。これからこの話のなかに出てくるでしょうが、主がわたしを助けてくださったのです。これからするお話で、みなさんもおわかりになることでしょう。「絶対に、酒を飲んだり、タバコを吸ったり、自分の体を汚すようなことをしてはならないよ。きみには大きくなったらしなくてはならない仕事がある。」とそう言われたのでした。

 その話をしても、母はただわたしを笑うだけでした。わたしがヒステリーに陥っていたので医者が呼ばれ、「この子はただ神経質なだけですよ、それだけです」と診断を受けました。母はわたしをベッドに寝かしつけました。その日以来今日にいたるまで、わたしは怖くてあの木のそばを通ったことがありません。いつも庭の反対側を廻って通っていました。あの木のなかに深い偉大な声をした男の人がいて、わたしに語りかけてきたのだと思っていたのです。

 それから数ヶ月経ったある日、わたしは弟と前庭でおはじきをして遊んでいました。すると突然不思議な感覚が襲ったのです。わたしは立ち止まって木にもたれ掛かりました。わたしたち家族は、オハイオ河のすぐ畔に住んでいました。ジェファーソンヴィルの方向を見下ろすと、わたしは橋が立ち上がり、河を架けるのを見たのです。そして16人のひとが橋から落ち、その工事で犠牲になるのを見ました(わたしは指折数えていたのです)。わたしはすぐさま走って母にそのことを告げました。母はわたしが夢を見たのだろうと思いましたが、それを胸にしまっておきました。するとどうでしょう、20年後にその同じ場所にミュニシパル橋が架けられ、その工事の間に16人のひとが犠牲になったのでした。

 いつだって、その通りのことが起こるのです。この会堂でも見て取れるように、いつだってそうなのです。



ブランハム兄弟が幻で見た橋の現在の姿。2nd street bridgeとも、George Rogers Clark Memorial Bridgeとも呼ばれる。  訳者撮影。


 皆わたしを、ただの神経質な子供だと思っていました。そしてその通り、わたしは神経質な人間です。お気づきになられたことがあるでしょうか、霊的な傾向のあるひとは神経質だということに。詩人や預言者がその良い例です。あの有名な歌、"There is a fountain filled with Blood, drawn from Immanuel's veins.”  を書いたウィリアム・クーパーもそうです。みなさんもあの歌はご存知ですよね。そう遠くない昔に、わたしはクーパーの墓を訪れたことがあります。ユリウス兄弟、だったでしょうか、ええ、彼も一緒に墓を訪れたのです。クーパーはこの歌を書き終わり、インスピレーションが去ると、身投げするための川を探しに出て行ったと言います。ね、霊が去ったのです。だから詩人や作家や、そう預言者なんかは…。

 エリシャを御覧なさい。エリシャは山の上に立ち、天から火と雨を呼びました。しかし霊が去ると、エリシャは女の罠に自ら飛び込んでいきました。40日後に洞窟に引き籠っていたエリシャを、神が見つけ出したのです。
 ヨナを御覧なさい。ヨナは主から油注ぎをうけインスピレーションをえて、ニネヴァに神の言葉を説きました。セントルイス程の大きさの都市が、ヨナの説教によって、麻布をまとって罪を悔い改めたのです。しかし霊が去ったとき、ヨナはどうなってしまったでしょうか。霊が去ってからヨナは、山の上で神に、自分を死なせてくれと祈ったのです。ね、インスピレーションが去ったときこうなってしまうのです。

 これはわたしがもう少し成長してからの話です。少年時代のことです。(時間に間に合わせるためにすこし急がなくちゃなりません。)わたしも若いころは、他の若い男の子たちと同じようなことを考えていました。学校で、ガールフレンドを見つけたのです。みなさんもご存知のように、わたしはとても内気な性質だったので、ようやく得たガールフレンドでした。他の男の子たち同様、わたしも15歳くらいだったでしょうか。彼女はとても可愛い子でした。鳩のような目をしていて、歯は真珠のよう、白鳥みたいなうなじをしていて、とても綺麗な子でした。

 それからわたしには、同じ年頃の親友がいました。彼がお父さんの古いT型フォードを借りてきて、お互いの彼女を連れてダブルデートをしようということになったのです。彼女たちをドライブに連れていく計画でした。ガソリンを2ガロン買うに十分なお金を持っていたのです。後輪をジャッキで上げてクランクを回すのです。これを覚えてらっしゃる方はいますかね、クランクを回すんですよ。とても楽しいドライブでした。わたしのポケットには5セント銅貨が何枚か入っていて、途中お店に寄って、ハムサンドイッチを5セントで買いました。わたしが四人分を買ったのです、リッチでしょう。それからわたしたちはサンドイッチを食べて、コーラを飲みました。わたしはコーラの瓶を集めて返しに行きました。戻って来ると、驚いたことにわたしの可愛い彼女が煙草を吸っていたのです。(それは女性が恩寵から、女性らしさから堕ちていきはじめた時代でした。)
 
 わたしはいつも煙草を吸う女性に対して思うところがありました。その頃からそれはまったく変わっていません。そう、煙草を吸うのは女性の出来る最低なことです。煙草会社に恨まれるかもしれませんが、これだけは言わせていただきたい、それは悪魔の業です。この国を殺し破壊するものです。わたしはまだ自分の息子が酔っ払いになる方が、喫煙者になるよりもマシだと思います。本当のことです。わたしはまだ、妻が床にふして酒に酔っているのを見る方が、彼女が煙草を吸っているのを見るよりもマシだと思います。それほどなのです。

 さて、わたしと共にあるこの霊は、神の霊です。あなたが煙草を吸っているのなら、神の霊にたどり着くことは難しいといわざるを得ません。いつだってこの説教台から、神の霊が煙草を非難しているのをご存知でしょう。煙草を吸うのは恐ろしいことです、遠ざかっていなさい。

 ご婦人方、もしこれを聞いて良心の咎めることのあるならば、イエス・キリストの御名によって、やめてしまいなさい。煙草はあなたを破壊し、殺します。煙草は癌の塊です。

 医者の警告を聞いたことがないのですか。それでも世間は煙草を売ろうとします。ドラッグストアに行き、もし「癌を50セント分買いたいのですが…」と言えば、あなたは気狂ったと思われることでしょう。でも50セント分の煙草というのはつまりそれと同じことなのです。お医者さんの言葉です。ああ、この国の拝金主義っぷりはなんて酷いのでしょう。煙草は人殺しだと証明されているのです。

 さて、可愛い彼女が煙草を手にかっこつけている姿は、わたしを打ちのめしました。彼女のことを愛していると思っていたのですから。「そんな…」とわたしは思いました。

 人々はわたしのことを女嫌いだと呼びます。知っているでしょう、わたしはいつも女性と対立するような形になっているのですから。でもわたしは、姉妹たちに反対するものはなにもないのです。わたしが異を唱えるのは、現代の女性の行動についてです。そうです、心根の正しい女性たちは、守られるべきです。

 父がまだ密造所をやっていて、わたしが水や物をそこに届けなくてはいけなかった頃にみた光景を、いまでも忘れません。まだ17、18にもならない若い女性たちがそこで、いまのわたし程の年の男たちと一緒になって酔っ払っていたのです。酔い覚めにブラックコーヒーを飲ませて、夫の夕食を作らせるために、彼女たちを家に帰したのです。おお、そんな光景です。これはわたしがその頃に言った言葉ですが、「新品の銃弾を使って殺す価値もない」。そうなのです。そう、わたしは女性を憎んでいました。その頃の思いを払いのけるために、わたしはまだ気をつけなくていなくてはなりません。

 しかし、そう、善良な女性は、男の冠に付いた宝石です。そんなひとには敬意を払うべきです。わたしの母と妻は、愛おしい女性です。わたしは尊敬すべき何千ものクリスチャンの姉妹たちを知っています。神様は女性を、母としてそして真の女王として造られたのです。それを尊ばなくてはなりません。男にとって妻とは、神様から与えていただく賜物のなかで、救いの次に素晴らしいものです。妻が良い妻であれば、それは本当に素晴らしいことです。しかしそうでなければ、ソロモンが語ったように、「善良な妻は夫の冠に付いた宝石、怒りっぽい妻は夫の骨の腐れ」です。そうなのです、それ以上酷いことはないくらいです。ですから兄弟、もしあなたが良い妻を持っているのなら、なによりも彼女に尊敬を払うべきです。そう、そうするべきです。子どもたち、もし君が、家に留まって君の服を洗ったり、学校に送り出したりして世話を焼いてくれ、イエスさまのことを教えてくれる、そんな本物のお母さんを持っているのなら、君の優しく素敵なお母さんを、何にもかえて大事にしなくてはならないよ。そんな女性は大切にしなくてはなりません。そういうひとこそが真の母親というものです。

 田舎のひとを笑いものにして、ケンタッキーの山奥の訛りについてとやかく言うひとがいますが、ここハリウッドの現代的な母親たちは、そんな田舎のお母さんたちから子育てを学ぶべきでしょう。髪はぼさぼさで口紅をぬったくり、顔になんだかよくわからないものを塗って、はだけた服を着て、一晩中酔っ払っている。そんな母親はもう二度と出歩かないように、ヒッコリーの枝で懲らしめるといいのです。いいですか、世の母親がもっとましだったのなら、ハリウッドもこの国も、もっとまともな場所になっていたことでしょう。「ちょっと流行りを追いかけてみただけよ」なんて、悪魔の業のひとつです。

 さて、この少女を見て「なんて哀れな子だろう…」と、わたしの心はひどく痛みました。

「あらビリー、煙草が欲しかないの?」彼女は言いました。
「いいえ、いりません。僕は吸わないから。」
「まあ、あんたダンスもしないって言ってたわね。」

 みんなはダンスに行きたがっていたのですが、わたしが反対したのです。シッカモアガーデンというところで、ダンスがあったのでした。

「そう、ダンスもしません。」
「まあ、あんたはダンスもしない、煙草も吸わない、お酒も飲まないのね。なにか面白いことでもあるの?」
「僕は釣りも好きだし、狩りをするのも趣味なんです。」それでは彼女は納得しないようでした。
「煙草をのみなさいよ。」彼女は言いました。
「いいえ、結構です。僕は吸わないんです。」わたしはそう答えました。

 わたしは車の泥除けのところに立っていました。覚えてますか、昔のフォードの泥除けは、足台みたいになっていたんです。彼女とわたしは、後部座席の泥除けに立って、話していました。

「あんたは煙草を吸わないっていうの? 男のくせに意気地なしねえ。」
「ええ、吸いません。吸いたいと思わないから。」
「まあ、なんて女々しいんでしょう!」

 わたしはカッコいいワルのビリーを目指していたのです。女々しいなんて言われるのは心外でした。プロボクサーになるのが、わたしの人生の目標だったのです。

「女々しい? 女々しいだって?」

 そんなことを言われたのでは、黙っているわけにはいきません。

「寄越せ!女々しいか女々しくないか見せてやるよ」、わたしは手を出してそう言い、煙草を手に取ると、マッチに火を点けようとしました。さて、わたしの義務は真実を語ることであって、みなさんがどう思うかまでは責任を持てません。いま聖書を手に取るのと同じくらい、煙草を吸おうと決心していたのです。

 煙草に火を点けようとすると、どこかから音が聞こえてきました。「フゥーーーーーシュ!」もう一度煙草を口に運ぼうとしましたが、できないのです。煙草を地面に投げ捨てて、わたしは泣き出してしまいました。みんながわたしのことを笑っています。わたしは歩いて家に帰り、野原に腰を据えて、泣きました。辛い人生でした。

 またある日のこと、父がわたしと弟を川に連れて行ってくれたことがありました。ウィスキーを入れるためのボトルを拾うために、小舟で川を下るのです。川にはたくさんそうしたボトルが落ちていました。一緒にいた父も、小さくて平べったい、そう、きっとあれは半パイント瓶だったのでしょうね、そんな瓶を持っていました。そう、ドーンブッシュさんも一緒でした。ドーンブッシュさんが持つ素敵な小舟を貸してほしくて、わたしは彼に気に入られたいと思っていました。その舟には立派な梶があったのに、うちのには梶などぜんぜんついていなかったのです。うちの舟は、ただの板をパドルで漕ぐようなシロモノでした。ドーンブッシュさんは溶接が出来、父の密造所を作ってくれたひとでした。川を下る途中、風に倒された木がありました。ふたりはその木に足をかけると、父が後ろポケットからウィスキーの入った小さな平たいボトルを取り出しました。ドーンブッシュさんと父は、お互いに譲り合いそのボトルからウィスキーを飲んでいました。父が木に這う枝にそのボトルを置いて行ってしまうと、ドーンブッシュさんがそれを取って、

「ビリー、きみも飲むかい?」と聞きました。
「ごめんなさい、ぼくは飲まないんです。」とわたしが答えると、彼は
「ブランハム一族に飲まないやつなんかいるのか?」
「僕は飲まないんです。」
「ああ、俺は女々しいのをひとり育てちまったんだ。」と父が言いました。
父がわたしのことを女々しいと呼んだのです。
「飲んで見せますとも」 

 そう言うとわたしは、瓶の蓋を取り、ウィスキーを飲もうとしました。しかし、わたしが瓶を傾けはじめたとき、「フゥーーーーーシュ!」という音がしたのです。その瓶を戻すと、わたしは野原に駆けて行って大声で泣きました。なにかがわたしを止めたのです。おわかりでしょう、わたしが正しかったわけでもないのです。わたしはやる気でいたのですから。でも神様が、その驚くべき恩寵が、わたしをそういったことから守ってくれたのです。わたしは飲酒も煙草もやろうとしていたのです、でも神様が止めてくれたのです。

 それからわたしが22才くらいになったときのこと。わたしはとても可愛い女の子に出会いました。ドイツ・ルター派の教会に通う子で、ブランバックという苗字でした。Brumbachというスペルで、元はBrumbaughといったのです。とても良い子でした。煙草も吸わないし、酒も飲まない、ダンスにも行かないし、品行方正な女の子だったのです。わたしが彼女と付き合い始めたのが22のころ。わたしはお金を貯めて古い旧式フォードを買ったので、それに乗ってふたりでデートをしました。その頃近くにルター派の教会がありませんでした。彼女の家族は、ハワードパークに引っ越してきたのです。

 そう、わたしをミッショナリー・バプティスト教会の牧師に任命してくれた聖職者で、ロイ・デイビス博士というひとがいました。アップショー兄弟と姉妹にわたしのことを話して、ここに来るきっかけを作ってくれたひとですよ。ロイ・デイビス博士です。彼が第一バプティスト教会で説教していたのです。あれ、あそこは本当に第一バプティスト教会だったかな、いや違う、ジェファーソンヴィルのミッショナリー・バプティスト教会だった。博士がその教会で説教をしていて、わたしたちは夜の集会に行ったのです。わたしはそれまで教会に加わったこともありませんでした。ただ彼女と一緒にいたかったのです。そう、本当のところを言えば、わたしの主な目的は彼女と一緒に行くことだったのです。

 そういうふうに彼女と過ごしているうちに、ある日わたしは思いました。彼女は裕福な家庭の子だったのです。「もしかしたら、もしかすれば、ぼくは彼女の時間を奪うべきじゃないかもしれない。これは正しくないんじゃないんじゃないかな、彼女は育ちのよい女の子で、ぼくは貧しいのだから…。」わたしの父が健康を壊していたので、わたしは…。床に絨毯のある素敵な家に住んでいるような女の子に、良い生活をさせてあげる余裕なんて、わたしには全くなかったのです。

 生まれて初めて絨毯をみたとき、わたしはそれが何かわからずに、避けて通ったものでした。こんなに綺麗なものを見るのは生まれて初めてだと思ったものでした。「なんでこんな綺麗なものを床に敷くんだろう」と。それが絨毯をみた初めてでした。マッティングラグとかいうんじゃないかな、違うかもしれない。枝編みとでもいうのでしょうか、そんな縁飾りがしてある、綺麗な緑と赤の絨毯で、真ん中に大きな模様があるんです。とてもすてきなものです。

 そう、そうしてわたしは決めたのです。彼女に結婚を申し込むか、身を引いて誰か良い男に彼女を任せるか、どちらかしかないと。誰か彼女に優しくしてくれる男、誰かちゃんと生計を立てられて彼女に親切にしてあげられる男。わたしにも、彼女に優しくすることは出来ました。でも、わたしは時給20セントしか稼げないのです。彼女に良い暮らしをさせることは出来ません。それに父が体を壊していたので、わたしはあの大家族を養わなくてはなりませんでした。わたしは経済的にせいいっぱいだったのです。

 ですからわたしは思いました、「ぼくに出来るのは、彼女の元を去ることだけだ。彼女が大切過ぎるから、ぼくと関わらせて彼女の人生を狂わせるのは耐えられない。」

 それからこうも思いました、「もし誰かが彼女と結婚して、暖かい家庭を築いたのなら。ぼくは自分が彼女と結婚できなくても、彼女が幸せならば満足できるかもしれない。」

 しかしこうも考えました、「でも彼女をあきらめることなんて出来ない。」わたしはずっと悶えていました。来る日も来る日も悩んでいたのです。わたしは恥ずかしがり屋だったので、プロポーズをする勇気がありませんでした。「よし、彼女に申し込もう!」と毎晩心に決めるのですが、なんというのでしょう、どうしても怖気付いてしまうのです。男性諸君はみなさん、同じようなことを経験されているのではないでしょうかね。本当に不思議な感覚なんです、顔が赤くなってしまうような。どうしてかわからない、わたしは彼女に申し込めなかったのです。
 
 だからみなさん、こんなわたしがどうやって結婚したのか、不思議に思うでしょう。実はね、わたしは手紙を書いて申し込んだのです。書き出しは「拝啓…」なんかじゃありませんよ。恋しているのだから、もっと気の利いたことを書いたはずです。わたしはベストを尽くして手紙を書きました。

 わたしは彼女の母親をすこし恐れていました。お母さんというひとは、ちょっときついひとだったのです。彼女の父親の方は、年老いた優しいオランダ人で、すてきなひとだったのですがね。彼は組合のまとめ役で、鉄道の乗務員をしていて、あの頃に月500ドルを稼いでいました。それなのに時給20セントしか稼げない男が、その娘と結婚しようというのです。ふむ!わたしもそんなのが上手くいくはずのないことをわかっていました。そして彼女の母親というひとが…。彼女の母はちゃんとした婦人でした。上流階級に属した、すこしうるさ型のひとで、わかるでしょう、そんなひとがわたしを認めるはずもなかったのです。わたしはただの藪深い田舎者で、お母さんがホープにはもっとましな階級の男の子をと考えたのも無理はないことだったのです。彼女が正しかったのでしょう…。でもあの頃のわたしは、そこまで考えることができませんでした。

 そしてわたしは思いました、「さて、どうしよう。彼女のお父さんに尋ねるのも出来ないし、ましてやお母さんに尋ねることなんて絶対出来ない。彼女にまず尋ねてみるべきか。」

 というわけでわたしは手紙を書いたのです。その朝仕事に向かう途中で、手紙を郵便箱に入れました。それは月曜の朝で、水曜の夜にはふたりで教会に行くことになっていました。わたしは日曜日の一日ずっと、彼女に結婚を申し込もうとしていたのですが、それだけの勇気を掻き集められなかったのです。

 わたしは手紙を郵便箱に入れ、仕事場でこれから起こることを想像していました。「もし彼女のお母さんの手に、手紙が渡ったとしたらどうしよう?」おお、もしそうなればすべてがお終いでした。わたしのことを元々気に入っていないひとですから、お母さんの手に手紙が渡ったとしたら! わたしは息を詰めていました。

 水曜の夜が来て、わたしはこう思いました。「どういう顔をしてあの家に行けばいいんだろう。もし彼女のお母さんの手に手紙が落ちたのなら、きっとぼくを酷い目に会わせることだろうなあ。ちゃんと彼女のもとに届いていればいいけれど。」

 手紙はホープ宛になっていました。そう、彼女の名前はホープといったのです。「ちゃんとホープ宛だって書いておかなくちゃ」、だからきっとホープの手に渡っていただろうと考えました。

 彼女の家の外に車を停めて、警笛を鳴らして呼び出すなんて馬鹿なこと、わたしはしませんでした。おお、家まで歩いて行き、扉をノックして彼女を呼び出すだけの勇気がない男は、まずだいたい彼女と一緒にいる資格がないのです。本当にその通り。それは考え無しで安っぽいやり方です。

 というわけでわたしは、ちゃんと前もって磨いておいた旧式フォードを停めると、玄関の扉を叩きに行きました。するとなんということでしょう、彼女の母親が出てきたのです。わたしは息が止まってしまったようでした。

「お、お、お元気ですか、ブランバックさん?」
「どうも、ウィリアム。」母親は言いました。

 わたしは「ウィリアムと呼ばれるとは、なんだかまずい予感がするぞ…」と思いました。

「入っていかないのかい?」
「ありがとうございます。」わたしは家に入って言いました、「ホープはまだ準備出来ていないのでしょうか?」

 ちょうどそのとき、ホープが家のなかをスキップしながらこちらにやってきました。彼女はまだ16でした。

「ビリー、こんにちは!」彼女が言いました。
「こんにちは、ホープ。教会に行く用意はできた?」
「あと少しよ。」彼女は言いました。

 わたしは思いました、「ああ、彼女は手紙を受け取っていないんだ、受け取っていないんだ。よかった、本当によかった。もし手紙を読んでいたら、そのことを言うはずだもの。ホープは手紙を読んでいないんだ、ああ、よかった!」

 わたしはほっとした気分でした。

 それから教会に着くと、わたしはまた悩み始めました。「もし彼女が手紙を受け取っていたらどうしよう。」デイビス博士の語る言葉はまったく耳に入ってきません。わたしは彼女を見て、思いました。「もし彼女が黙っているだけだとしたらどうしよう。教会を出てから、そのことを聞いたら答えてくれるんじゃないだろうか。」デイビス博士の説教はひとことも耳に入ってきません。もう一度彼女を見て、わたしは思いました。「ああ、本当は彼女を手放したくなんかないのだけど。遅かれ早かれこの決着がつくのだろうなあ。」

 教会が終わり、わたしたちは家に帰ろうと、通りをふたりで歩いていました。月の明るく輝く夜でした。旧式フォードのところまで来ると、わたしは彼女をを見つめました。なんて彼女は美しくみえたことでしょう。彼女を見つめながら、わたしはこう思いました。「ああ、彼女を手に入れられたらどれだけうれしいことだろう。でもそれは無理なんだろうなあ。」

 ふたりで少し歩きながら、わたしは彼女の方を見て言いました。

「こ、今晩の調子はどうだい?」
「あら、わたしは元気よ。」彼女は言いました。

 旧式フォードを停めると、わたしたちは車を降りました。角を曲がれば、すぐそこが彼女の家でした。わたしは彼女を玄関までエスコートしながら、こう思いました。「きっと彼女はあの手紙を受け取らなかったんだ。だからぼくもあのことは忘れよう。そうしてまだ一週間は彼女といられるというわけだ。」わたしは良い気分になりました。

「ビリー?」彼女は言いました。
「うん。」
「手紙、受けとったわ。」なんていうことでしょう。
「受けとったの?」
「ふんふん。」彼女はそのまま何も言わずに歩き続けるのです。

 わたしは思いました、「おい、お願いだから何か言ってくれ!ぼくを追い払うか、手紙をどう思ったかを言うかどちらかにしてくれ!」
わたしは訊きました、「読んでくれた?」

「ふんふん。」彼女は言いました。

 まったく、女性が男をあやふやな状態に留めておけることといったら!ああ、そういう意味でいったわけじゃないんです。ね、わかるでしょう。とにかく、わたしはこう思いました。「どうして何も言ってくれないのだろう。」そしてわたしは質問を続けました。

「終わりまで、最後まで読んでくれた?」
「ふんふん。」

 わたしたちはもうほとんど玄関の扉ところまで来ていました。わたしはこう思いました、「このまま玄関に入ったら、彼女の両親に何と言われるかわからない。だからどうかいま答えておくれ。」

 というわけで、わたしは待ち続けたのです。

 彼女が言いました。「ビリー、わたしは賛成よ。」そしてこう言ったのです、「あなたを愛してるわ。」神様がその魂を祝福してくださいますように。彼女はもう栄光のうちにいるのです。彼女は言いました、「愛してるわ。わたしたち、このことを両親に話すべきじゃないかしら。そう思わない?」

 わたしは言いました。「ホープ、五分五分から始めないかい。君がお母さんに話してくれるなら、ぼくは君のお父さんに話すよ。」こうしてわたしは一番酷い部分を彼女に押し付けたのでした。

「いいわ。まずお父さんに話してくれるならね。」
「いいとも。日曜の夜に話すよ。」

 日曜の夜がやってきました。わたしは彼女と教会に行き、家まで送ってきたのでした。ホープはわたしの方をずっと見ています。時計を見ると、9時半を指していました。わたしが帰らなくてはいけない時間です。彼女の父のチャーリーは机で文章を打っていて、ブランバック夫人は角に座ってかぎ針編みのようなことをしていました。何て呼んだらいいのかわからないのですが、小さなフックを物にかけてつくる、あれです。そんなような何かをしていました。そしてホープはわたしの方をじーっと見ているのです。彼女はわたしを睨んだりして、父と話すようにと圧力をかけてきます。わたしは「もし断られたらどうしよう」と心配していたのです。わたしは立ち上がると、言いました。「もう帰らなきゃ。」

 玄関の方に歩き出すと、ホープがわたしに付いてきました。彼女はいつも玄関まできて、おやすみを言ってくれたのです。わたしが扉に向かうと、ホープが言いました。

「お父さんに話してくれないの?」
「ああ。言おうと思うんだけど、どうしたらいいかわからないんだ。」
「じゃあわたしは戻るから、お父さんを呼ぶといいわ。」ホープはわたしを残して行ってしまいました。

「チャーリーさん」
と彼女の父を呼ぶと、彼は振り返って言いました。
「ビリー、どうしたんだい?」
「ちょっと話をしてもいいですか?」
「もちろん。」チャーリーはそう言って机から離れました。ブランバック夫人はチャーリーを見、ホープを見、それからわたしの方を眺めました。

「玄関先まで出てきていただいてもいいですか?」
「いいとも、そちらに行くよ。」チャーリーはこちらにやってきました。
「心地いい夜ですね。」
「ああ、そうだね。」
「暖かいですし。」
「その通りだ。」チャーリーはわたしを見つめました。
「ぼくはずっと一生懸命働いてきたんです。手にもタコが出来始めたくらい。」
チャーリーは言いました、
「きみに娘をあげるよ、ビル。」なんてことでしょう!「娘をあげるよ。」

「そんなまさか」とわたしは思いました。
「チャーリーさん、本気で言っているんですか。あなたは裕福で、あなたの娘のホープなのですよ。」
チャーリーはわたしの手を取ると言いました、
「ビル、いいかい、人間の人生で大切なものはお金だけじゃないんだよ。」

 「チャーリーさん、ぼくは時給20セントしか稼げないんです。でもホープを愛していますし、ホープもぼくのことを愛してくれています。約束します、チャーリー。ぼくはこの手のタコが剥がれ落ちるまで働いて、ホープのために生計を立てます。ぼくは絶対にホープを裏切りません。」

 「君を信じるよ、ビル。いいかい、君に聞かせたいことがあるんだ。幸せになるのにね、お金は別に必要ないんだよ。ただホープに優しくしてやってくれ。君ならばと信じているよ。」

 「チャーリーさん、ありがとう。必ず彼女に優しくします。」

 それからホープはお母さんに話しをしました。ホープがどうやって乗り切ったのかは知りませんが、わたしたちは無事結婚することができました。

 そういうわけで、わたしたちは何も持たずに結婚しました。所帯道具もなにもありませんでした。わたしたちは二三ドル持っていて、月4ドルの小さな古い家を借りました。それから誰かが古い折りたたみベッドをくれました。昔の折りたたみベッドを見たことはありますかね。あれを貰ったのです。そしてシアーズローバック百貨店に行って、小さなテーブルと四脚の椅子を買ってきました。塗装はされていなかったので、自分たちで塗りました。そしてくず物商のウェーバーさんから、料理用ストーブを75セントで買いました。その上に載せる火床に1ドルといくらか払ったと思います。それがわたしたちの所帯道具でした。わたしは椅子に塗装して、四つ葉のクローバーの柄を描きました。なんてわたしたちは幸せだったことでしょう。お互いがいれば、それで十分だったのです。神様の徳と恵みのおかげで、わたしたちはこの世で一番幸せな若い夫婦でした。
 
 わたしは知ったのです。幸せというのは、どれだけ世の富を所有しているかとは関わりのないことを。ただ自分の与えられたものに、どれだけ満足しているかで、幸せというのは決まるということを。

 それからしばらく経って、わたしたちの小さな家に神様が舞い降りて、小さな男の子を恵んでくださいました。ビリー・ポールというのが彼の名前です。いまこの集会にいます。それからまた11ヶ月ほど経つと、シャーロン・ローズという小さな女の子をもって、神様はわたしたちを祝福してくださいました。聖書の「シャロンの薔薇」という言葉から取った名前です。

 ある日のこと、わたしはお金を貯めて、パウパウ湖に釣りをしに小休暇へ出かけました。その帰り道のことです。

 話はそれますが、その時期のわたしの話をしましょう。わたしは洗礼を受けて、ロイ・デイビス博士からミッショナリー・バプティスト教会の牧師に任命されました。いまもわたしが牧師をしているジェファーソンヴィルの幕屋で、わたしは小さな教会の牧師になりました。わたしは17年間牧師をして、一銭のお金も得たことがありませんでした。教会には、献金箱すらなかったのです。教会の裏に、「これらのいと小さきものの一人になさざりしは、即ち我になさざりしなり」と書かれた小さな箱が置いてあって、わたしが働いて得た十分の一献金などのお金を、その中にいれ、それで教会の経費を払っていたのです。教会には10年のローンがかかっていましたが、それも2年以内に払い終えてしまいました。わたしはどんな種類の献金も、受け取らなかったのです。

 そうそう、それでわたしは休暇に出かけるために、何ドルかを貯めました。ホープはファインシャツ工場で働きました。なんて愛しく優しいひとだったことでしょう。いまごろ彼女の墓には雪が降っているにちがいない。ホープはわたしの心に住み続けているのです。わたしが湖に釣りに出かけるお金を貯めるために、ホープが一生懸命働いてくれたことを思うと…。

 湖から帰る道すがら、インディアナ州ミシャワカとサウスベンドに差し掛かったあたりのこと。わたしは、後ろに「ジーザスオンリー」と書いてある車を何台も見かけました。「ジーザスオンリーなんて、変な名前だな」わたしは思いました。それからこの言葉が目につきはじめました。自転車にも、フォードにも、キャデラックにも、至るところに「ジーザスオンリー」と書かれているのです。そんな車のひとつを尾けてみると、大きな教会にたどり着きました。それはペンテコステ派の教会でした。

 わたしもペンテコステ派の噂は聞いていました。「あのひとたちはホーリーローラーっていって、床に転げては口から泡を吹いてるんだよ」それがわたしの聞いたすべてでした。そんなわけですから、彼らと関わりを持ちたいとは思わなかったのです。

 ひとびとが教会に入っていくのを見て、「ちょっと中に入ってみようか」とわたしは考えました。あの旧式フォードを停めて、教会に入りました。なんて素晴らしい歌声が聞こえてきたことでしょう。そこでは二つの大きな教会が集まっていました。ひとつはP.A of J.Cといい、もうひとつはP.A of Wといいました。昔の団体です、覚えていらっしゃる方もいるのではないでしょうか。ユナイテッド…ユナイテッド・ペンテコステ教会というんじゃないかな。わたしはそこに立ち、ユナイテッド・ペンテコステの教師たちが、イエスとその偉大さについて、聖霊のバプテスマについて語るのを聞いていました。「なんのことを話しているんだろう?」とわたしは思いました。

 しばらくすると、誰かが飛びあがって異言で語り出しました。わたしはそれまで異言なんて一度も聞いたこともありませんでした。すると向こうの方から、女性が全速力で駆け抜けてくるではありませんか。それからみんなが立ち上がって走り出しました。「なんてことだ、教会の規律ってものがないみたいじゃないか。叫んで大声を出して、なんてことだ」とわたしは思いました。「なんてひとたちだろう。」でもそこには何か惹きつけるものがあり、長くそこに座っていればいるほど、わたしはだんだん気に入ってきたのです。そこにはなにか素晴らしいものがあるようでした。まだまだ続くその光景を、わたしは眺めていました。「あと少し我慢して見ていよう。出口の近くにいるんだから、なにか酷いことが始まったら、走って扉から逃げればいいのだもの。角を曲がったすぐのところに、車も停めてあるわけだし。」

 よく聞いていると、そこにいる説教師のうちの幾人かが学者や神学生だということがわかりました。「それは結構なことで」とわたしは思いました。

 夕飯の時間が来て、「みなさん夕ご飯を食べにいらっしゃい」との声がしました。

 「ちょっと待てよ、家に帰る費用に1ドル75セントを持っているけれど…。」それはガソリンを買うためのお金でした。家に帰るためにそれだけ必要だったのです。わたしの旧式フォードは、古いけれどもかなり状態の良い車で、故障もしていませんでした。使い古されているというだけで、今時の車と大して変わりません。うちの車は時速30マイルは出るとわたしは信じていました。行きも帰りも15マイル、合わせて30マイルというわけです。「まあ、今夜は外に出て…」わたしはその夜の礼拝に参加しました。

 そして、そうそう、「牧師の方はみなさん、どの教団に属していようが構いません、どうぞ演壇までおいでください。」と言われました。演壇には200人ほども集まったでしょうか。「みなさん全員に説教していただく時間はないので、ここに来てみなさん、名前と出身を言ってくださいますか。」さてわたしの番が来ました。「インディアナ州ジェファーソンヴィルから来ました、バプティスト派のウィリアム・ブランハムです。」そう言ってわたしは歩み去りました。

 他のひとたちがみな「ペンテコステ派の…ペンテコステの…ペンテコステ教会の…P.A of Wから来た…P.A.J.C…P.A.J.C…」などと言っているのを聞きながら、わたしは思いました。「ぼくが醜いアヒルの子か。」そして座って待っていました。

 若くて立派な説教師たちが、力強いメッセージを語っていました。「今夜説教をしてくれるひとは…某長老です」そういって黒人の老人が呼ばれました。彼らは「牧師」のかわりに「長老」という言葉を使っていたのです。彼は古めかしい牧師服を着込んでいました。後ろは長い燕尾になっていて、ベルベットの襟が付いてた服です、お判りの方もいないでしょうね。わずかな白い髪が、彼の頭を縁取っていました。可哀想に、こんなふうにして出てきて、彼は演台に立つとこちらに振り返りました。他の説教者たちがイエスや偉大な事柄を語っていたところに、この老人はヨブの話を語りだしました。「わたしが世界の基を据えたとき、おまえはどこにいたというのか。明けの星たちが歌い、神の子たちが喜び叫んだとき、おまえはどこにいたというのか。」わたしはこの哀れな老人を見て、こう思いました。「なんで誰か若い人に替わらせて説教させないんだろう。」教会はひとびとで満杯でした。「どうして彼に喋らせておくんだろう?」

 この老人は、地上の出来事を話すかわりに、天上で起こったことばかりをずっと語っていました。時の始まりから、イエスの再来まで。わたしはそのような説教を、いままでの人生に一度も聞いたことがありませんでした。それから彼は霊に打たれて、このくらい高く飛び上がって、ぴしゃんと立つと肩を張り、爪先立ちで演台から降りました。「ここにはわしが説教するのに十分な場所がないのでな。」そんなことをいっても、そこはいまわたしが立っているここよりも広い演台だったのですよ。「あんなおじいさんがこんなふうになるのなら、もし僕ならばどうなるというのだろう。」わたしは思いました。「僕にもあんなのがいるかもしれない。」いったいわたしは、老人が登場したときには彼を哀れんでいたというのに、老人が去った時分には、自分自身を哀れんでいたのです。わたしは老人が立ち去るのを眺めていました。

 その夜教会を出て、わたしはこう考えました。「さあて、明日の朝、ぼくはけっして誰にも自分の名前もなにも明かさないことにしよう。」わたしはトウモロコシ畑に行くと、ズボンを寝押ししながら、そこを寝場所にしたのです。5セント払ってステールロールを何本か買うと、わたしは水を手に入れに近くの給水栓まで行きました。それだけの量があれば、すこしの間わたしの体を保たせてくれるに違いありませんでした。わたしは水を飲み、ステールロールを食べて、もう一度水を飲みに行きました。それからトウモロコシ畑に出て行き、座席をふたつ持って行くと、わたしのしじら織のズボンを敷いて、寝押しをしました。

 その夜、わたしはほとんど一晩を祈り明かしました。「主よ、わたしが見たのは何だったのでしょう? あんなに信仰熱心なひとたちはいままで一度も見たことがありません。あれがなんなのか、どうか教えてください。」

 翌朝教会に戻ると、朝食を食べていくようにと誘われました。しかしわたしは献金箱に入れるお金がないのを気にして、誘いを断りました。ステールロールを食べてから戻り、わたしは席に着きました。するとそこにはマイクが置いてあったのです。わたしはそれまでマイクを見たことがなく、なんだか恐ろしい気がしていました。ここに細い線が繋がり垂れていて、ひとりのひとがマイクを取ると、こういいました。「昨晩この演台に、バプティスト派の若い牧師さんがいたことと思います。」

「おっとっと、これはまずいことになったぞ。」わたしは思いました。

 「彼はあの中で一番若い牧師で、名前はブランハムと言いました。彼がどこにいるかご存知の方はいらっしゃいませんか。今朝の説教を任せたいからここに来るように、と彼に伝えてください。」

 なんということでしょう。わたしはTシャツにしじら織のズボンという姿でした。われわれバプティスト派の人間は、スーツ姿でなくては説教壇に立ってはならないと信じているのです。ね、ご存知でしょう。というわけでわたしはそのままじっと立ち尽くしていました。この集会は北部で開かれていました。というのもその頃の南部で開いたならば、黒人の方が参加することができなかったのです。わたしは襟に糊をつけるような南部人で、自分がちょっと偉いような気がしていたのです。それがその朝、わたしの隣に座っているのが黒人の男性だときた。わたしは彼を見上げて、こう思いました。「そうだ、彼だって兄弟なんだから。」

 「どなたかウィリアム・ブランハムがどこにいるか、ご存知ではありませんか?」またアナウンスが聞こえました。わたしはこんなふうにして自分の席に縮まっていました。二度目のアナウンスが聞こえて、「外にいる方でどなたか、ウィリアム・ブランハムをご存知ではありませんか? どうか今朝の説教をしてほしいと伝えてください。彼はインディアナ州南部から来たバプティストの牧師です。」

 わたしはじいっとして潜んでいました、ね、わかるでしょう。誰もわたしのことを知らないのですから。隣の黒人の男の子がわたしを見て言いました。

「そのひとがどこにいるか、きみ知ってる?」
さて、わたしは嘘をつく瀬戸際に立たされたのです、
「ちょっと待って。」
「うん?」彼は言いました。
「君に話したいことがあるんだ。僕がそのひとなんだよ。」
「なら説教壇におあがりよ。」
「だめだ、そんなことできないよ。わかるだろう、ぼくはこの古っちいTシャツとしじら織のズボン姿なんだから、人前になんか立てないよ。」
「ここのひとたちはきみの服装なんて気にかけはしないさ。さあ、行きなよ。」
「だめだ、だめだ。静かにしてくれよ。何も言っちゃだめだからね。」

 しばらくするとまたアナウンスがあって、言いました。「だれでもウィリアム・ブランハムがどこにいるかご存知の方はいらっしゃいませんか?」
隣の彼が言いました。「ここにいるよ、ここにいるよ!」なんてことでしょう、わたしはあの小さなTシャツ姿で説教台に上がったのです。

 「ブランハムさん、どうぞおあがりください。あなたに説教をしてほしいのです。」なんてことでしょう、こんなにたくさんの説教師たちの前で、こんなにたくさんの人々の前でとは。わたしは忍び込むようにして説教壇にあがりました。わたしの顔は真っ赤で、耳などは燃えているかのようでした。しじら織のズボンにTシャツ姿の牧師なんて、バプティスト派の説教師がマイクを使うなんて、そんなことは前代未聞でした。おわかりでしょう?
 
 説教壇に立つと、わたしは言いました。「あのー、ど、どうしたらいいのかわからないのです。」わたしはとても緊張して、しどろもどろだったのです。聖書を開くと、ルカ16章のあたりでした。「さて、これから…」わたしは本題に入りました。「彼は地獄で、上を見上げて泣いたのです。」説教を始めると、だんだん気分がのってきました。「金持ちの男は地獄で泣いたのです。」

 この説教は「そして彼は泣いた」というタイトルで、わたしはよくこのように短いタイトルをつけるのです。「汝これを信ぜよ」とか「岩に語れ」とかね、聞いたことのある方もいらっしゃるでしょう。

 それからわたしは言いました。「そして彼は泣きました、そこに子供のいないことを。もちろん地獄に子供はいませんから。それから彼は泣きました、そこには花がないことを。そして彼は泣きました、そこに神がいないことを。彼は泣きました、そこにキリストがいないことを。それから彼は泣きました、」そういってわたしが泣いたのです。なにかがわたしを捉えたかのようでした。おお、なんということでしょう。終わってしまうと、わたしは何が起きたのかわからなくなりました。気がついてみると、わたしは外に立っていました。ひとびとは叫んだり大声をあげたり泣いたりしていました。わたしたちはすごい一時を過ごしたのです。

 わたしが外に出ると、大きなテキサス帽をかぶり、大きなブーツを履いたひとが、こちらへやってきて言いました。「わたしは某長老です。」カウボーイブーツにカウボーイ服の説教師です。

 わたしは心のなかでいいました、「ふむ、ぼくのしじら織のズボンもそう悪くはなかったんだな。」

「テキサスに来て、どうかうちでリバイバル集会を開いていただけませんか。」彼は言いました。
「ほうほう、ここにメモしておきましょう。」わたしはメモしました。

 今度はゴルフ用のズボンのようなものを履いたひとがやってきました。ゴルフをするときに履く、ほらブラウスみたいなあれですよ。
彼が言いました、
「わたしはマイアミから来た某長老です。どうかあなたに…」
「ぼくの服装はぜんぜん普通だったんじゃないか」、それからわたしは自分の服を見下ろして、「普通だ」と思いました。

 
 これらのことをお土産に、わたしは家に帰りました。出迎えた妻が言いました。

「ビリー、あなたがそんなに幸せそうな理由はなあに?」
「とっても素晴らしいひとたちに出会ったんだ。いままでに会ったことのないような素敵なひとたちだよ。あそこのひとたちは、自らの信仰を恥としないんだ。」

 それから妻にすべてを語りました。
「みてごらん。こんなにたくさん招待を受けたんだ。」
「そのひとたちってホーリーローラーではないわね?」妻が訊きました。
「なにローラーだろうが構うもんか。あのひとたちは僕に必要な何かを持っているんだから。わかるのはそれだけさ。90歳のおじいさんが若返るのを、この目で見たんだ。そんなこといままで聞いたこともなかったんだよ。バプティスト派にあんな説教をするやつはいないよ。あのひとたちは息が切れるまで説教を続けるんだ。疲れ切って床に膝をつき、それからまた立ち上がって語り続けるんだ。2ブロック先からでも説教が聞こえるくらいだよ。あんなの、いままで見たことがなかったんだ。彼らは異言を語るんだよ。そしてほかのひとがその意味を語るんだ。そんなのって、聞いたこともなかったよ。」

わたしは言いました、
「ねえ、付いてきてくれる?」
ホープは言いました、
「ハニー、あなたと結婚したとき、死がふたりを分かつまで離れないと誓ったのよ。あなたに付いていくわ。さあ、家族にこのことを伝えなきゃね。」
「君がきみのお母さんに伝えて、僕がうちの母に話すのはどうだい。」
わたしは言いました。

 わたしが自分の母に話しをすると、母は言いました。
「あら、もちろんだわ、ビリー。なんでも主が呼ばれることならば、行ってするのがいいわ。」

 わたしはブランバック夫人に呼び出されました。わたしが赴くと、彼女は言いました。

「あんたが話しているあれはいったい何なんだい?」
「ああ、ブランバックさん。でもあのひとたちは素晴らしいんですよ。」
「さあさ、落ち着いて、お黙りなさい。」彼女は言いました。
「はい、わかりました。すみません。」
「あんたはあの連中がホーリーローラーだってことを知っているのかい?」
「いいえ、知りませんでした。でも立派なひとたちに違いありません。」わたしは言いました。
「結構、結構。あんたは私の娘をあんな連中のあいだに引き連れていこうとしているのかね。たわけた話さ、あんな連中は他の教会から放り出されたゴミ屑に過ぎないのじゃないか。決して私の娘をそんなところに連れて行くんじゃないよ。」
わたしは言いました、
「でも、ブランバックさん。わたしは心の奥で、彼らのもとに行くようにと主が欲せられているのを感じるんです。」
「あんたは留まって、あの教会から給料を得られるようになるまで努力をするんだよ。常識のある男らしいことをするといい。決してわたしの娘をここから連れ出そうなんてしてはならないよ。」
「わかりました。」
そういってわたしは背を向けると、立ち去ったのです。

するとホープが泣き出しました。ホープは出てくると、こう言いました。「ビリー、ママがなんと言おうと、わたしはあなたに付いていくわ。」
なんて優しいひとだったことだろう。
わたしは言いました、
「もう大丈夫だよ、ハニー。」
そしてわたしはそのままにしてしまったのです。ブランバック夫人は、「ゴミ屑に過ぎない」ようなひとたちのもとに自分の娘を連れていくことを禁じました。そしてわたしはその言うなりになったのです。あれはわたしが人生で犯した最悪の過ちのひとつでした。


左がジェファーソンヴィル、対岸はケンタッキー州ルイヴィル。オハイオ川は町のすぐそばにある。 訳者撮影。


 それからしばらく後、子供たちが生まれて数年経ったある日のことでした。1937年の洪水が起きたのです。そのときわたしはパトロールに出ていました。ひとびとを洪水で引き裂かれた家から助けだそうと、力を尽くしていたのです。わたしの妻も病気でした。妻はとても重度の肺炎だったのです。普通の病院は満員で入れなかったので、町の施設に作った仮病院に、妻は入りました。妻を任せるとわたしは、ひとびとを助けるレスキュー隊に加わったのです。わたしは川の上で育ったも同然で、舟の扱いも上手だったのです。

 わたしは呼ばれて、こう言われました。
「チェスナット街にある、もうすぐ沈んでしまいそうな家にお母さんとたくさんの子供たちがいるそうだ。もし君のボートが、モーターがあそこまで辿り着けそうならば…」
わたしは言いました。
「できる限りのことはしてみましょう。」

 堤防が壊れて、街が洗い浚われそうになっているなかを、波間を潜りぬけて、わたしは全力を尽くし、路地を抜け色々な場所を通って、ようやくそこに着きました。古い堤防の近くで、そこからは水が溢れていました。誰かの叫び声が聞こえて、わたしはお母さんがポーチに立っているのを認めました。こんなふうな大きい波が立っていたのです。こっちの方向から近づこうとしたものの、流れにぶつかって、別の方向から行かなくてはなりませんでした。ぎりぎりのタイミングでたどり着いたわたしは、ポーチの柱にボートを繋ぎました。わたしは駆け寄ってお母さんと子供を二三人、舟に載せました。それからボートで戻ったのです。かなり下流まで来て、街から1マイル半ほどのところ、岸のところまで来ると、わたしは彼女を下ろしました。わたしが近づくと、いままで気を失っていた彼女が、突然叫びだしました。

 「わたしの赤ちゃんが!わたしの赤ちゃんが!」

 さて、わたしはそれを聞いて、彼女が家の中に赤ちゃんを忘れてきたのだと思ったのです。なんてことでしょう。わたしは彼女を世話するひとたちの手に任せると、また元の場所に戻ろうとしました。あとでわかったことですが、彼女は赤ちゃんがどこにいるのかを知りたかったようなのです。3歳くらいの幼い子のことだったそうなのですが、わたしは乳飲み子かなにかのことだと思ったのです。

 そういうわけでわたしは元のところに戻り、ボートを停めました。家のなかを探しますが、赤ちゃんは見当たりません。ポーチが浚われてしまい、家も沈んでいきました。わたしは素早く駆けると、舟を停めている破片を掴んで、ボートに乗り込むと、それを緩ませました。

 わたしは川の本流の流れに乗っていました、それは夜の11時半頃で、雪とみぞれが降っていました。わたしはエンジンを掛けようと、始動ヒモを引きましたが、エンジンは掛かりません。もう一度、もう一度試しても動かないのです。舟はどんどん下流へと流れていきます。滝はもうすぐそこでした。わたしは逃れようともがきました。「おお、これが僕の終わりか。これで終わりなのか。」わたしは全力を尽くしたのです。「主よ、こんな死に方、させないでください。」わたしはなんどもエンジンを引きました。

 そしてふと思ったのです、「僕が無視したゴミ屑のあのひとたちのことはどうなんだろう?」ね、そうでしょう。

 わたしは舟の後ろに手をついて、言いました、「神様、どうかわたしを憐れんでください。こんなふうにして、病気の妻と赤ちゃんを置いて往かせないでください。どうかお願いします。」わたしは始動ヒモを引っ張り続けましたが、エンジンは掛かりません。下の方からは滝の唸る音がきこえてくるのです。あと数分で、それこそお終いです。わたしは言いました、「主よ、どうかわたしをお赦しください。なんでもすると、約束しますから。」舟の上で跪くわたしの顔を、みぞれが打ち付けるのでした。「あなたが望まれることを、なんでも致しますから。」そしてもう一度ヒモを引くと、エンジンがかかったのです。わたしは全速力を出そうとガスを全開にし、ついに岸に着きました。わたしは巡回トラックを探しに行きました。すると…、誰かがこういうの耳にしました。「おい、施設がいましがた洗い流されたっていうぞ。」わたしの妻と赤ちゃんはそこにいるのです。

 わたしは施設を目指して力の限り急ぎました。道すがら、水は15フィートのところまで来ていました。するとわたしは少佐に出会いました。

「少佐、病院ではなにが起きたのですか?」
「さあさ、心配しちゃいけないよ。だれか病院に知り合いがいるのかい?」
「病気の妻とふたりの赤ん坊がいるのです。」
「あそこにいるひとたちはみんな避難したよ。貨車にのってチャールスタウンに向かったんだ。」

 わたしは走り出しました。わたしは車の後ろにボートを乗せ、チャールスタウンに向かって走り出したのです。川は2.5マイルか3マイルほどにまで広がっていました。一晩中わたしは…。誰かがこう言うのを聞きました、「あの貨車は構脚橋のところで洗い流されてしまったらしいぞ。」

 わたしは小さな島に足留めされて、三日間そこでひとりきりでいたのです。あのひとびとがゴミ屑かどうかを、わたしはじっくりと考えていました。

「妻はどこにいるのだろう?」
自分の心臓の音が、やけに耳に着きました。

 わたしがホープを見つけたのは、小島から抜け出して数日経ってからのことでした。ホープは遠くインディアナ州コロンバスの、病院代わりになっているバプティスト集会場にいたのです。病室には簡易ベッドが並んでいました。わたしは「ホープ!ホープ!ホープ!」と叫びながら、彼女を探して、病院を全速力で駆けました。ホープは簡易ベッドに寝かされていました。結核が彼女を蝕んでいたのです。

ホープは骨ばったその手を持ち上げて言いました、
「ビリー。」
わたしは彼女のところに駆け寄りました、
「ホープ、ぼくの愛しいひと。」
「わたし酷い格好でしょう?」
「そんなことないよ、ホープ。きみは大丈夫そうだ。」


ジェファーソンヴィルで見かけた洪水についてのパネル。1937年の洪水の記憶は色濃いようだ。これは洪水が退いてきたときの写真で、一番水かさが高かったときは、二階の窓の付近まで水があったという。   訳者撮影。


 それから半年ほど、わたしたちは持てる限りを尽くして、ホープの命を救おうとしました。でもホープはただ弱っていくばかりでした。

 
 そしてある日、わたしがパトロールに出ていた日のこと。ラジオを付けると、こんな声が聞こえてきた気がしました。「ウィリアム・ブランハムさん、いますぐ病院へ向かってください。奥さんが危篤です。」わたしは車の赤いライトを付けサイレンを鳴らして、とにかく急いで病院に向かいました。病院につくと、車を止め、走って入りました。病室に向かう途中、わたしは昔よく一緒に釣りをした幼馴染のサム・アデアに出会いました。

 サム・アデア医師です。彼はそう遠くない昔に幻に出てきて、彼の医院の話をしたあのひとです。彼は、だれでも幻を疑うひとがいるのなら、その真偽についていくらでも説明するからコレクトコールをかけてくれ、と言ったのです。

 サムは帽子を手に出てきました。サムはわたしを見ると、泣き出しました。わたしは彼のほうに駆け寄ると、サムを抱きしめました。彼もわたしに手を回して言いました、

「ビリー、彼女はもう長くないよ。申し訳ない。出来る限りの手は尽くしたんだ。専門家もなんでも揃っていたのに。」
わたしは言いました、
「サム、まさか本当じゃないだろう?」
「いや、本当のことだ。」
「ホープに会わなくちゃ」
わたしは言いました。
「だめだ、お願いだから、やめてくれ。入っちゃいけない。」
「入れてくれ。」
「なら、ぼくも一緒にいくよ。」
「だめだ、一人で行かせてくれ。ホープと最後の瞬間を過ごしたいんだ。」
「彼女は意識不明なんだよ。」
サムは言いました。

 病室に入ると、看護婦が泣きながらそこに立っていました。ホープと彼女は同級生だったのです。わたしが看護婦のほうをみると、彼女は泣きながら、手を挙げて部屋を出て行きました。

 わたしはホープを見て、彼女を揺さぶりました。ホープはそこに横たわっていました。54kgほどあった体重も、27kgほどに落ちていました。わたしはもう一度彼女を揺さぶりました。その次の瞬間に起きたことを、わたしは百まで生き延びても忘れないことでしょう。ホープは寝返りをうつと、その綺麗な大きい瞳でわたしを見上げたのです。ホープは微笑んで、言いました。

「どうしてわたしを呼び戻したの、ビリー?」
「ホープ、ぼくは呼ばれてきたんだよ。」

 
 わたしは働かなくてはなりませんでした。わたしたちは医療費の支払いのために、何百ドルもの借金を負っていたのです。わたしは日中に二三回、それから毎晩彼女に会いに行きました。そして、彼女の具合が悪くなったときには…。

「呼び戻されたって、どういうことだい?」
「ビリー、あなたは説教をして、語ったことがあっても、いったいどんなものなのかは知らないのよ。」
「なんのことを話してるんだい?」
「天国よ。」
ホープは言いました。
「聞いて。わたしは白い服をきた男のひとか、女のひとか、だれか何人かのひとたちに家路を導かれていたのよ。」
それから彼女は言いました、
「わたしはとても平和で安心した気分だったわ。綺麗な大きい鳥が木々と飛び回っているの。わたしが気狂いだなんて思わないでちょうだい。
ビリー、わたしたちが間違いを犯したところを教えてあげましょうね。座ってちょうだい。」

 わたしはその言葉に従いませんでした。わたしは跪くと、ホープの手を取りました。

「わたしたちの過ち、わかる?」
「ああ、ダーリン。わかっているよ。」
「わたしたちはママの言うことを絶対に聞くべきじゃなかったのよ。あのひとたちは正しかったんだわ。」
「ああ、知っているよ。」

 
「あのひとたちのところに行くって、約束してちょうだい。あのひとたちは正しかったんだから。わたしの子供たちを、あのひとたちみたいに育ててちょうだい。」

それから彼女は言いました。

「あなたに伝えておきたいことがあるの。わたしはもう死ぬわ。死ぬことは怖くないのよ。美しいことだわ。でもひとつ気がかりなのは、ビリー、あなたを残していくことだわ。あなたは小さな子供をふたり育てていかなきゃいけないのだもの。独身のままでいないと約束してちょうだい。わたしの子供たちをきちんとした家庭で育てて欲しいの。」

 21歳の母親として、それはとても思慮深い言葉でした。

「それは約束できないよ、ホープ。」
わたしは言いました。

「お願いだから、約束してちょうだい。もうひとつ言いたいことがあるの。あのライフルのこと、覚えてる?」
わたしは銃マニアなのです。
「あなたはあの時ライフルを買おうとして、前払い金を払えなかったわね。」
「ああ。」
わたしは答えました。
「わたし、ずっと5セント硬貨でお金を貯めていたのよ。あなたのライフルの前払い金が払えるようにって。これが終わったら、家に帰って、折りたたみベッドのところを調べてちょうだい。載っている紙の下に、お金が見つかるはずだわ。あのライフルを買うって、約束をしてちょうだい。」

 その1ドル75セントを5セント硬貨で見つけたときに、わたしがどんなふうに感じたか、口には表せません。わたしはライフルを手に入れました。

 それからホープは言いました、
「フォート・ウェインに行くまえに、あなたがわたしのストッキングを街に買い出しに行ってくれたときのこと、覚えてる?」
「うん。」

 わたしは釣りから帰ってきたところで、それからフォート・ウェインに行く用事があったのでした。わたしはその晩そこで説教をしなくてはならなかったのです。それでホープがわたしに言ったのでした。

「ねえ、いい? ふたつの種類があるのよ。」

 ひとつは「シフォン」といい、もうひとつは…そう、レーヨン、合っているでしょうかね? そう、レーヨンとシフォンです。ええっと、シフォンの方が良いんです。そうでしょう? それでホープはいいました。

「シフォンのフルスタイルっていうのを買ってきてちょうだいね、いい?」

 後ろのてっぺんのところに、ちっちゃな何かが付いているやつです。わたしは女性のファッションのことなど、なにも知らなかったのです。

 わたしは街を歩きながら、「シフォン、シフォン、シフォン、シフォン」と呟いていました。忘れないように「シフォン、シフォン」といっていたのです。

 誰かの声がしました、
「やあ、ビリー!」
「やあ、やあ、こんにちは!」
そしてわたしは呟き続けました、
「シフォン、シフォン、シフォン、シフォン」
わたしは角を曲がるとスポンさんに会いました。
「やあ、ビリー。一番先の埠頭のところで、いまパーチがかかっているのを知っているかい?」
「へえ、そうなのかい?」
「ああ、そうだとも。」
そしてわたしは思いました、
「あれ、なんだったっけ?」
わたしは忘れてしまったのです。

 5セントショップで働くセルマ・フォードという女の子は、わたしの顔見知りでした。あの店でストッキングを売っているのを知っていたので、わたしはそこに行きました。

「やあ、セルマ!」
「こんにちは、ビリー。ご機嫌いかが? ホープはどうしてる?」
「元気にしているよ。セルマ、ホープのために靴下を買いたいんだ。」
「ホープは靴下なんて欲しがらないわよ。」
「そんなことない。欲しいって言っていたさ。」
「ストッキングのことでしょ。」
「ああ、もちろん。それのことだとも。」
そう言ってからわたしは思いました、
「ぼくの無知がばれたな。」

「ホープはどんな種類のを欲しがっているの?」
あちゃあと思ってわたしは言いました、
「どんな種類を売っているんだい?」
「レーヨンなら売っているわ。」
セルマは言いました。
わたしは違いがわからなかったのです。
レーヨンもシフォンも、同じように聞こえたのです。
「じゃあ、それを買うよ。フルスタイルのをひとつおくれ。」
おっと、間違えた。フルファッションというんでしたね。
「それをひとつおくれ」

 セルマから買ったストッキングは、たった20セントか30セントでした。いつもの半値です。それでわたしは言い足しました。

「じゃあ、ふたつ貰うよ。」

 わたしは家に戻ると、自慢してこう言いました、

「ねえ、ハニー。きみたちご婦人方は街中を巡って、安い買い物をしようとするけれど、ごらん。ぼくはきみが一足のストッキングを買う値段で、二足も買ってきてあげたよ。ぼくがどれだけ有能か、これでわかっただろう? セルマが売ってくれたんだよ。彼女はぼくのために、半額にしてくれたのかもしれないな。」
「シフォンのを買ってきてくれた?」
ホープが訊きました。
「もちろんだとも。」
わたしにはどちらも同じに聞こえたのです。違いがわからなかったのです。

 
 それでホープは言いました、
「ビリー、あのときのストッキングはあなたのお母さんにあげてしまったのよ。あれは年配のひとのだったから。」

 わたしはホープがフォート・ウェインに着いた途端に新しいストッキングを買いに行ったのを、不思議に思っていたのです。

「あんなことして、ごめんなさいね。」
「ホープ、そんなこと気にしないで。」

 そしてホープは言いました。
「さあ、お願いだから再婚をしてちょうだい。」
ホープはその数時間後になにが起きるかを知らなかったのです。神様の天使が彼女を連れて行こうとするあいだずっと、わたしはホープの愛おしい手を握っていました。

  わたしは家に帰りました。なにをすればいいのかさえ、わたしにはわかりませんでした。紙くずなんかを入れていた火床のところに、小さな鼠でも住んでいたのでしょう。夜になって横たわると、その音が聞こえてきたものです。わたしは足で扉を閉めると、その裏にホープの化粧着を掛けました。(そしてその死に絶えたような場所で横たわっていたのです。)しばらくすると、だれかがわたしを呼ぶ声がしました。

「ビリー」
それはフランク・ブロイ兄弟でした。
「きみの赤ちゃんが、危篤だ。」
「ぼくの赤ちゃん?」
「ああ。シャーロン・ローズだ。お医者さんがいま来ている。結核性髄膜炎にかかったんだ。お母さんから移ったのだろうよ。もう長くはないよ。」

 わたしは車に載って、彼女の元に向かいました。わたしの可愛い小さな赤ちゃんのもとへ。そこから急いでシャーロンを病院へ連れて行ったのです。わたしはサムに会いに行きました。サムは現れるなりわたしにこう言いました。

「ビリー、病室に入ってはいけないよ。きみにはビリー・ポールがいるんだ。シャーロンは死にかけている。」
「先生、赤ちゃんに会いたいんです。」
「だめだ、入っちゃいけない。シャーロンは髄膜炎にかかっている。きみはビリー・ポールにまで移してしまうよ。」

 わたしはサムが出て行くのを待ちました。その母親がまだ霊安室にいるときに、シャーロンが死んでしまうなどわたしには耐えられないことでした。教えてあげましょう、罪人の道は実に辛いものです。サムと看護婦が去ったのを見計らい、わたしは扉から忍び込み、地下室へと降りて行きました。それは小さな病院でした。シャーロンは隔離されていて、彼女の目には蝿がたかっていました。蚊除けの小さな網が、シャーロンに目のところにかけてありました。シャーロンの小さなぽたぽたした足が、そして小さな手が、痙攣でこんなふうにして上下にひきつけていました。わたしが彼女を見ると…。シャーロンは8ヶ月で、愛嬌の出始めた頃だったのです。

 あの子の母親はおむつを履いたシャーロンを、よく庭に連れ出したものでした。わたしは通りかかるたびに、車の警笛を鳴らしました。するとシャーロンは、「ぐーぐー、ぐーぐー」と行ってわたしの方に腕を伸ばしたものでした。

 そんなわたしの愛おしい赤ちゃんが、目の前で死にかけているのです。わたしは彼女の方をみて、言いました。

「シャリーちゃん、パパがわかるかい? シャリーちゃん?」

 そしてシャーロンがこちらを向くと…。彼女はあまりの苦しみに、ちいさな綺麗な目がやぶにらみになってしまっていたのです。わたしの心は引き裂かれるようでした。

 わたしは跪くと、言いました。

「主よ、わたしがなにをしたというのです。わたしは街角で福音を伝えたではありませんか。できることをすべてしたではありませんか。どうしてわたしを苦しめるのですか。あのひとたちをゴミ屑と呼んだのは、わたしではなく、あのひとではありませんか。起きてしまったことは、後悔しています。赦してください。お願いですから…どうかわたしの赤ちゃんは奪わないでください。」

 わたしが祈っていると、黒い布のようなものが視界を遮りました。神に拒絶されたのが、わたしにはわかったのです。

 さて、これがわたしの人生のなかで最も辛く困難な時期でした。起き上がって、シャーロンを見たときに、わたしは…。サタンがわたしの心に囁きかけました。

「なあ、おまえは全力をつくして説教し、正しく生きようと心がけた。それなのにいまおまえの赤ん坊が死にかけているとき、神はおまえを拒まれるのかい。」
「それは本当だ。もし神がわたしの赤ちゃんを救ってくださらないなら…」

 わたしはそこで言葉を止めました。どうしたらいいのかわからなかったのです。そしてわたしはこう言いました。

「主よ、あなたはわたしにシャーロンをお与えになり、そして取り去られました。主の御名が讃えられますように。もしあなたがこの命を取られるとしても、わたしはあなたを愛し続けます。」

 わたしはシャーロンの上に手を置きました。
「可愛いシャリーちゃん、神様がきみを祝福してくださいますように。パパはきみを育てたかったよ。きみの成長を見守りたかったと、心の底から思うよ。きみが主を愛するように育て上げたかったよ。でもシャリーちゃん、天使さんたちがおまえを迎えにきたんだ。パパがシャリーちゃんの小さな体を、ママの腕のなかに寝かしてあげようね。ママと一緒に埋めてあげよう。そしていつの日か、パパと再会しよう。きみはママと一緒に待っているんだよ。」

あの子の母親が亡くなるとき、彼女は最期にこう言ったのでした。
「ビリー、戦い続けてちょうだいね。」

 わたしは言いました、
「そうするとも…。もし神様が来られる日に、ぼくがまだ戦い続けているのなら、ぼくは子供たちと一緒に君に会うよ。もしそうならなければ、ぼくは君のそばに埋めてもらうよ。偉大な門の右側に立って、みんなが入ってくるのを待っていてくれよ。「ビリー!ビリー!ビリー!」と大声で叫んでおくれよ。そこでもう一度会おう。」

 わたしはホープにお別れのキスをしました。わたしは今日もまだ戦い続けています。もう20年以上経ちました。わたしは妻とデートの約束があるのです。わたしは彼女と再会するのです。

 わたしは死んだ小さな赤ちゃんを、母親の腕に寝かして、墓地へと連れて行きました。そしてメソジストの牧師のスミス氏が、葬式を執り行うのを聞いていました。「灰は灰に、塵は塵に…」(わたしはそれを聞いて、「心は心に…」と考えていました。)こうしてシャーロンは亡くなったのです。

 それから程なくして、ある朝わたしは小さなビリーを連れだしました。ビリーはまだちっちゃな子供でした。わたしたち父子がいつも一緒にいるのは、そういうわけなのです。わたしはビリーのパパであると同時に、ママにもならなねばなりませんでした。ビリーのミルクを夜の間温めるための火を焚くお金がなかったので、わたしは哺乳瓶を背中の下に入れて寝て、人肌でミルクを温めたものです。

 わたしたちは親友のように、いつも一緒に行動してきました。そしていつの日か、わたしがこの戦場を離れる日には、ビリーの御言葉を受け渡して、こう言いたいものです。
「さあ、行きなさい、ビリー。戦い続けるのだよ。」

 なんでわたしがいつもビリーをそばに引きつけているのか、疑問に思うひとがいます。わたしが彼を手放せないのです。ビリーはもう結婚しています。それでもわたしは、ホープが「どうかあの子の側にいてちょうだい」と、こう言ったことを忘れられないのです。だからわたしたちは親友のようにいつも一緒なのです。

 わたしは哺乳瓶を抱えて、町を歩き回った日のことを忘れられません。ビリーは泣いていました。ある晩のこと、ビリーは裏庭に出て行きました。(ホープがビリーを妊娠していたとき、大きいお腹に彼女は苦しめられていたのです。なにしろまだ彼女自身、少女の域を過ぎませんでしたから…)わたしは裏庭の古いオークの木のところを行ったり来たりしていました。そしてビリーはママを求めて泣くのです。しかしママはもういないのです。わたしはビリーを抱き上げて、言いました。

「おお、可哀そうに。」
ビリーがこう訊きました、
「パパ、ママはどこ? 土のなかにうめちゃったの?」
「いいや、ビリー坊や。ママは何ともないよ。ママは天国にいるんだ。」
わたしは答えました。

 それからビリーがいった言葉は、その午後わたしを死の寸前まで追いやったのです。それは午後遅くのこと、ビリーは泣いていて、わたしはこんなふうにして彼を抱っこしていました。ビリーを肩に乗せ、こうして撫でていたのです。するとビリーが言いました。

「パパ、おねがいだからママをつれてきてよ。」
「坊や、それは無理だよ。イエスさまが…。」
「じゃあ、イエスさまに、ぼくのママをおくってくださいっていってよ。ぼくはママにあいたいんだ。」
「まあまあ、ビリー。いつの日かぼくたちがママに会える日が来るさ。」
するとビリーがはっとして、こう言いました。
「パパ!」
「なんだい?」
「ママがくものうえにいたよ!」
なんてことでしょう、わたしは殺されたも同然でした。
「なんてこと、ママがくものうえにいたよ、なんて。」
わたしは気を失いかけました。わたしは小さな息子をこんなふうにして抱きしめると、頭を落としました。

 何日経っても、わたしはそのことが忘れられませんでした。仕事をしようと努力し、家に帰るのも辛いことでした。家はもはや我が家ではなく、ただおんぼろの家具が置いてあるだけの場所でした。そこでわたしとホープは幸せに過ごしたのです。そこに家庭があったのです。

 ある日、わたしが電気会社の仕事をしようとしていたときのことでした。古い支線が垂れているのを直そうとしていたのです。それは早朝のことでした。わたしは十字架のような姿の電柱に登りました。

 (なんで赤ん坊まで失ってしまったのだろう。妻が逝くを見送るのはまだ耐えられても、あんな小さな赤ちゃんが逝くのを見なくてはいけなかったなんて…。)

 わたしは電柱のうえで、「丘に立てる荒削りの十字架」の歌を歌っていました。本線が変圧器を経て支線につながっていました。そしてわたしはそこにぶら下がっていたのです。見ると、太陽がわたしの背後から昇りだしました。まるで丘の上の十字架のように、わたしの腕が広がっていました。

「そうだ、ぼくの罪がイエスさまを十字架に架けたのだ。」
わたしは思って、口に出すと言いました。

「シャーロンちゃん、パパはきみに会いたくて仕方ないよ。パパの可愛いシャーロンちゃんを、もう一度この腕に抱きたくて仕方ないよ。」

 わたしは我を失ってしまいました。あれから何週間も経っていたのです。わたしの側には、2300ボルトの電流が流れていました。わたしはゴム手袋を引っ張って、こう言いました。

「神様、本当はこんなことしたくはありません。わたしは卑怯者です。でも…シェリーちゃん、すぐにパパはきみとママの元に行くからね。」

 そして手袋を脱いで、2300ボルトの電流に触れようとしました。もし触っていたなら、体に血の一滴も残らなかったことでしょう。わたしが手袋を脱ごうとしたとき、なにかが起きたのです。気がつくとわたしは地面に降りていて、手をこんなふうにして顔にあて、泣いていました。これは神様の恵みです。それがなくては、いまここで癒しのミニストリーをしていることもなかったでしょう。神様はわたしではなく、その賜物を守っておられたのです。


右は、電気会社の仕事で電柱に登っているブランハム兄弟の写真。  訳者撮影。


 わたしは家路につきました。仕事をやめ、工具を置いて、もう帰ることにしました。「家に帰ろう」、わたしはそう言いました。

 玄関に着くと、郵便物を取り出して、わたしは寒い家に入りました。小さなワンルームの家でした。わたしはそこに簡易ベッドを置いて寝ていたのです。寒気がして、ストーブを焚きました。わたしは郵便の束を手にとって、見ました。すると最初に目に入ったのが、シャーロンのささやかなクリスマス貯金だったのです。「シャーロン・ローズ・ブランハム様」宛の80セントでした。またこのサイクルの繰り返しです。

 わたしは猟区管理人をしていました。手を伸ばし、ピストルを取り、ホルスターから出して言いました。
「主よ、もう耐えられません。わたしは、わたしはもう死にます。あまりに苦しいのです。」

 撃鉄を引くと、銃口を頭に突きつけて、暗い部屋の寝床のうえに跪きました。
「天にまします我らが父よ、御名が讃えられますように。御国が来ますように、御心が…」
そう言いながら、わたしは引き金をめいっぱい引きました。
「…天でなされるように、地でもなされますように。われわれの日毎の糧をお与えください。」
しかし何の反応もありませんでした。

 わたしは考えました。
「おお、神様、あなたはわたしをばらばらに引き裂こうとするのですか。わたしがなにをしたというのです。死なせてさえもらえないのですか。」

 わたしが銃を投げ捨てると、玉が出て部屋を打ち抜きました。
「神様、どうしてわたしはここから死んで逃れられないのですか。もうこれ以上耐えられません。どうにかしてください。」
そしてわたしは崩れ落ち、古くて汚い小さな寝台の上で声をあげて泣き出しました。

 きっとわたしは眠ってしまったのでしょう。わたしは眠ってしまったのか、どうなのかわからないのです。わたしはいつも西部に憧れていました。西部のひとが被っているような帽子に憧れていたのです。わたしの父は若いころブロンコ乗りをしていました。そしてわたしはああいう帽子をずっと欲しがっていたのです。それが昨日、デモス・シャカリアン兄弟が、わたしの初めてのウェスタンハットを買ってくれたのですよ。

 気づくとわたしは、「荷馬車の車輪が壊れてる、こっちの農場は売りに出てる」という歌を歌いながら、草原を歩いていました。すこし進むと、わたしは車輪が壊れた幌馬車に通りかかりました。昔の開拓者が使ったような、大きな幌馬車です。もちろんそれはわたしの壊れかけた家族を象徴するのです。近づいてみると、そこには二十歳くらいでしょうか、若くてとても綺麗な女の子が立っていました。白い流れるような髪と青い目をして、白い服を着ていました。わたしは彼女をみると、
「ご機嫌いかが?」と言って通り過ぎました。

彼女は言いました、
「パパ、こんにちは。」
わたしは振り向くと言いました、
「パパだなんてどういうことだい。お嬢さん、あなたはぼくとほとんど同じくらいの年じゃないですか。どうして父親であれるものか。」
「パパはここかどこかまだわかってないのよ。」
「どういう意味だい?」
「ここは天国よ。地上ではわたし、パパの小さなシャーロンだったの。」
「そんな。シャーロンちゃん、きみはちっちゃな赤ちゃんだったじゃないか。」
「パパ、ここではちっちゃな赤ちゃんは、もうちっちゃな赤ちゃんじゃないんだわ。わたしたちは不死の体だもの。年老いもしなければ、成長することもないのよ。」
「まったく、シャーロンちゃん、きみは綺麗な若いご婦人になってしまって。」
「ママが待っているわ。」
彼女は言いました。
「どこで?」
「上にある新しいお家よ。」
「新しいお家だって?」
わたしは言いました。ブランハム一家は貧しい放浪者で、家など持たないのです。
「シャーロンちゃん、パパは家なんて一度も持ったことがないんだよ。」
「でもここには家があるのよ、パパ。」

 おお、赤ちゃんじみていると思われるかもしれませんが、わたしの胸を打つものがあるんです。(編集者注:ブランハム兄弟が泣き出した。)

 考えていればいるほど、いろいろなことを思い出してくるものです。シャーロンがわたしに、「ここには家があるのよ」と言ったのでした。そう、わたしはあちらに家を持っているのです。いつの日か、そこにいくことでしょう。

 シャーロンが言いました、
「お兄ちゃんのビリー・ポールはどこにいるの?」
「ついさっきブロイ夫人のところに預けてきたばかりだよ。」
「ママがパパに会いたがってるわ。」

 振り返ってみると、そこには大きくて立派な宮殿がいくつも並んでおり、神の栄光がそれを包んでいました。そして天使の合唱隊が、「我が家、すてきな我が家」と歌っているのを聞きました。長い階段を、わたしは力の限り走るようにして登って行きました。玄関にたどり着くと、白い衣装に、長い黒髪を背中に垂らしたホープが、そこに立っていました。いつも仕事から疲れて帰ってきたわたしを迎えるときにしてくれていたように、ホープは腕をあげてわたしを出迎えてくれました。わたしは彼女の手を取ると、言いました。

「ああ、ホープ、さっきあそこでシャーロンを見つけたよ。シャーロンは綺麗な女の子になったじゃないか。そう思わないかい?」
「そうですとも、ビル。」
ホープは言いました。
「ビル」
彼女はわたしに腕を回して、肩のあたりを撫でながらこう言いました。
「わたしとシャーロンのことはもう心配しないでちょうだい。」
「でも、ホープ、そうせずにはいられないんだ。」
「いまではシャーロンもわたしも、あなたよりずっと良い暮らしをしているのよ。わたしたちのことは気に病まないでちょうだい。約束してくれる?」
「ホープ、きみとシャーロンがいなくて、ぼくは本当に孤独なんだ。ビリーはきみを求めていつも泣いているしね。あの子はどうしたらいいのかわからないよ。」
「すぐに大丈夫になるわ、ビル。どうか心配しないと、約束してちょうだい。」
そしてホープは言いました、
「お座りになりません?」
あたりを見回すと、そこには大きく立派な椅子がありました。

 椅子を買おうとしたときのことは、よく覚えています。さあ、そろそろ話もまとめに入りましょう。ある時、椅子を一脚買おうとしたのです。わたしたちが持っていたのは、古いありふれた朝食用の木の椅子だけでした。座席も木でできているのです。それしかなかったので、わたしたちはいつもその椅子を使っていました。あるとき座席が後ろに下がるああいう椅子、なんというのでしたっけ、安楽椅子というのを手にいれる機会があったのです。それは17ドルして、3ドルの前払い金を払えば、それから毎週1ドルずつ払えばいいという仕組みでした。わたしたちはその椅子を手に入れたのです。一日中働いて、夜中まで街頭やどこでも説教をして、帰ってきてからあの椅子に座る心地良さといえば…。

 そしてある日のこと、わたしはローンの支払いに遅れてしまいました。払えなかったのです。幾日も幾日もして、ついにわたしの椅子は差し押さえられてしまいました。その夜のことはいつまでも忘れません。ホープはわたしのためにチェリーパイを焼いてくれました。可哀想なホープ、彼女はわたしががっかりするだろうとわかっていたのです。夕飯のあとで、わたしは訊きました。

「今晩はなにか特別なことでもあるのかい?」
「あのね、近所の男の子たちにあなたの釣り用にミミズを掘ってもらったのよ。ちょっと川まで行って一緒に釣りをしてこないこと?」
「それもいいけれど…」

 するとホープは泣き出してしまいました。わたしは何かがおかしいのに気付きました。差し押さえの予告状をもらっていたので、予感はしていたのです。一週間1ドルの支払いが、わたしたちんは出来なかったのです。どうしても払えなかったのです。ホープがわたしに抱きつきました。わたしが扉のところにいって見てみると、わたしの椅子は無くなっていました。

「あの椅子を覚えてる、ビル?」
ホープは言いました。
「もちろん覚えているよ、ホープ。」
「そのことを考えていたんでしょう?」
「ああ。」
「この椅子は差し押さえられないわ。もう支払いが済んでいるんだから。ちょっと座ってくださいな。あなたにお話ししたいのよ。」
「ホープ、ぼくは訳がわからないよ。」
「約束してちょうだい、ビル。もう心配しないって約束してちょうだい。あなたはもう戻るのよ。心配しないって約束してちょうだい。」
「できないよ、ホープ。」

するとわたしは暗い部屋のなかに戻っていました。あたりを見回すと、ホープの腕をわたしを包んでいるのを感じました。

「ホープ、きみもこの部屋にいるのかい?」
ホープはわたしを撫でながら、言いました、
「わたしに約束してくれるでしょう、ビル? もう心配しないって約束してちょうだい。」
「約束するよ。」
わたしは言いました。

 それから二三回ホープはわたしを軽くたたくと、彼女はいなくなってしまいました。わたしは飛び上がって電気をつけ、そこら中を見回しましたが、ホープはいません。しかしホープはすぐさっき部屋を出て行ったのです。ホープはいなくなったのではなく、いまも生きているのです。彼女はクリスチャンでしたから。

 
 あるときビリーとわたしは、その母親と妹の墓に小さな花を供えに行きました。イースターの朝のことでした。まだ幼いビリーは泣き出して、こういうのです。

「パパ、ママはこのしたにいるのね。」
「坊や、そうじゃないよ。ママはこの下にいるんじゃない。きみの妹だってこの下にはいないよ。たしかにここに葬ったけれども、遠く海の向こうには、開いた墓があって、そこでイエスさまがよみがえられたんだ。いつの日か、イエスさまが来て、ママと妹を連れて来てくださるんだよ。」

 友たちよ、わたしは今日もまだ戦場にいます。おお、これ以上は語れません…。(編集者注:ブランハム兄弟が泣き出した。)

 神様の祝福がみなさんの上にありますように。さあ、すこしのあいだこうべを垂れて祈りましょう。

 おお、主よ、何度もこんなことがありました。主よ、物事は簡単に成るものだと、ひとびとは考えたがるものです。しかしイエスが来られてすべての悲しみを拭き去ってくださる素晴らしい日が訪れるのです。天なる父よ、どうかわたしたちを備えてくださいますよう、お祈りします。

 あの朝わたしはホープの頬にキスして、また会うことを最後に約束しました。ホープが柱のところに立って、わたしの名前を叫び続けていてくれることを信じます。わたしはあれからずっと約束を守って生きてきました。主よ、世界中のいろんな場所で、わたしは福音を伝えようと努力してきました。わたしは年老い、疲れてきました。わたしはもう疲れ切ってしまいました。いつの日か、わたしがこの聖書を閉じる最後の日が来ることでしょう。神様、わたしが約束に忠実でいられるようにしてください。あなたの恵みがわたしのまわりにあり続けますように。主よ、わたしがこの世のことに目を向けることなく、向こう側のことのために生きることができますように。わたしが正直であれますように。わたしは楽な人生を生きたいのではありません。キリストは苦しみながら死んだのです。そしてみんなそういうふうにして死んでいったのです。わたしは簡単な道を望みません。真実なる主よ、正直なことを言わせてください。ひとびとがわたしを愛してくれ、わたしが彼らをあなたの元に導けるようにしてください。そしていつの日か、すべてが終わり、わたしたちが常緑の木々のもとに集うとき、彼女の手をとって共に歩き、ここアンジェルス・テンプルのひとたちに紹介できたら、と願うのです。きっと素晴らしい時になることでしょう。

 あなたの憐れみがわたしたちひとりひとりの上にありますように。ここにいるひとたちのなかには、あなたを知らないひとさえいるかもしれません。そのひとたちにも、彼方の海の向こう側に誰か愛するひとがいるに違いありません。もしかれらが約束を果たせていないとしたら、どうかいま果たすことができるようにしてください、主よ。

 まだこうべを垂れているままですが、わたしはこの立派で巨大な集会場を見て思うのです。この中で、「ブランハム兄弟、わたしも愛するひとたちに会いたいのです。彼方の川の向こう側に、わたしの大事なひとがいるのです」というひとは幾人いますかね。もしかしたら、また会おうと約束をしたのかもしれません。もしかしたら、あの日墓場でお母さんにさよならを言ったとき、妹に、お父さんに、それとも誰かに墓場でさよならを言ったとき、もう一度会おうと約束をしたのではありませんか。それなのに、まだ準備ができていないのではありませんか。そろそろ準備する時だとは思いませんか。

 泣いてしまったりして、申し訳ありませんでした。でも、おお、どれだけの犠牲が払われたか、みなさんは知らないのです。これさえもわたしの人生の一部に過ぎないのですから。

 このなかでどれだけのひとが、立ち上がってここに来て祈り、「大切なひとに会いたいのです」と言うでしょうか。席から出てきて、こちらにいらっしゃい。まだ準備をしたことのない方、こちらにいらっしゃい。あなたに神の祝福がありますように。ここに黒人のおじいさんがやってくるのが見えます、他のひとたちもです。二階席のみなさんも、こちらまで出ていらっしゃい。祈りに覚えて欲しいみなさんは、どうか立ち上がってください。そうそう。さあ、その足で立ち上がって。そう、それでいい。「向こう側に父がいるのです、母が、大切なひとが向こう側にいるのです。彼らに会いに行きたいのです。平和のうちに再会したいのです」、そう思う人はみな、どこにいようがお立ちなさい。会場のどこにいようとも、その足で立ってごらんなさい。立ち上がって、「わたしは受け入れます」というのです。

 ご婦人に神の祝福がありますように。後ろのみなさんにも、祝福がありますように。上のみなさんにも、祝福を。あなたに神の祝福がありますように。そうです。二階席のみなさんに、主の祝福がありますように。さあ、みなさんどこにおられようとも、聖霊がわたしたちの心を砕こうと働いておられるいま、立ち上がって祈りの言葉を唱えましょう。いまの教会に必要なのは、砕かれることです。わたしたちは陶工の手に身を任せるべきなのです。わたしたちのお堅い自家製神学では、うまくいかないことだってあるでしょう。わたしたちに必要なのは、古臭くっても、砕かれること、心からの悔い改め、神に心を許すこと。みなさん立ち上がってくださったでしょうか。ではこうべを垂れて祈りましょう。

 おお、主よ、イエスを死から蘇らせ、わたしたちを信仰によって義としてくださったお方よ。主よ、あなたに祈ります。立ち上がっていまあなたを受け入れようとしているひとたちに、どうか赦しが与えられますように。そして、おお主よ、彼らがあなたを救い主として、そして王として、恋人として受け入れることができますように。きっと彼らにも彼方に、ママやパパが待っているのです。ひとつだけ確かなのは、救い主が待っておられることです。彼らの罪が赦され、その不正が無に帰されますように。子羊の血によって、彼らの魂が洗い清められますように。そしてこれからいつまでも平和のうちに暮らすことができますように。

 そしていつか、これらすべてのことが終わる輝ける日に、わたしたちがあなたの家に集って、欠けるもののない家族として、向こう側で待つ大切なひとたちと再会することができますように。あなたに委ねます。「あなたは全き平安をもち、心ざしの堅固なものを守られる」という通りです。主よ、あなたに願います。あなたにすべてを任せて、あなたの子である主イエスの御名によって祈ります、アーメン。

 神様の祝福がありますように。立っておられるみなさんは、すぐに数分でスタッフがそばに行くと思います。さて、プレイヤーカードが欲しい方は…。ビリー、ジーンとレオはどこに行ったのかい? 裏にいるって? 彼らが数分以内にプレイヤーカードを配るはずです。祈り終えたらみなさんはお帰りになって結構です。プレーヤーカードが配られるはずです。病人のためにわたしたちは少しの間祈るつもりです。いいですか、兄弟たち…?



ブランハム兄弟の墓。彼は1965年に亡くなった。   訳者撮影。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?