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個人的面白さの行方(2021/02/16更新)

2020/06/19追記
初対面の人に「あなたの好きな分野は?」と聞かれたことがありました。「通っている学校は?」の次にその質問だったので、一気に好感を持ったのを覚えています。

それまで、出身地や経歴などを初対面で尋ねられることは多くても、好きな分野を問われた経験はなかったので、とびきり嬉しかったのです。

学生になって、好きな分野を自己紹介にしていいんだって気づきました。
教科書指定5教科から離れて、初めて自分が選んできたものをプロフィールにしていいんだと思えました。
名前も性別も出身地も家族も生まれてくる時代も選べなかったけど、ある程度学問は選ぶことができて幸福です。
だから、ってわけじゃないけど、自分の関心領域がだいたいのプロフィールになればいいなって、思います。


2019/5/30

いずれ書くことになる2万字程度の論文に向けて、好奇心の足跡を残す。随時更新予定。7月頭に関心領域の発表があるため、その準備としても。2万字のテーマは未確定だけど社会学関連にはなりそう。
もしもおすすめの本やイベント、情報などあれば教えてくださると幸いです!

多分、更新はゆったりだったり、止まることもあるんだけど、まあそれはそれで。八月になったら新しくしようかな。

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2019/5/30以前より

日記、ブログ、Twitterなど、個人が発信していくもの、文章が気になる
なぜ発信するのか、どのように書くのか、自己表現のあり方、メディア
2017年には日記を公開すること、些細な日々の生活を知らせることに対する抵抗が強くあったものの、現在その感情は和らいでいる→自意識過剰がおさまりつつあるのか
2018年に一日自分史セミナーに参加→人生のふりかえり、その捉え方の変化面白い
インタビューをすることが楽しい、人に対する興味
人の大好きなもの、趣味に対する好奇心、「どうして好きになったのか」→きっかけが知りたい、きっかけを知ることで自分もその趣味を好きになる足がかりに
私が知らない世界を持つ人が面白い

触れた本📚
「日常生活の探求」
「自己語りの社会学」おもしろい、読み進めたいところ

ちょっと気になる💡
随筆、エッセイ、清少納言、日記のように物語を書く人、作者と書き物との距離、架空の登場人物に語らせる
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2019/5/31

自分史冊子作成の会社のチラシに、80万かけて作るプランが示されていることが改めて面白く思われる。対象者はお金が有り余っていると想定されているからか。私の金銭感覚とはだいぶ異なる。

新年の1月始まり、新年度の4月始まりの手帳のほかに秋から始まる手帳が売られていることも面白い。使いかけをやめて新しく買い替える人が多いそう。
友達と話していて、ビジネスと手帳類の関係にも関心が広がった。早く手帳類図書室に行きたい。あわよくば取材したい。

私はハッシュタグをつけるのを毎度ためらう。なぜだろうか、自己顕示欲が関係してる?

ちょっと気になる💡
会話分析、実際に口に出して話す時と自分でテキストにするときのズレ、脚本と役者の発語の関係

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2019/6/4

文章を公開するハードルはいかにして生まれるか
人に伝えることで自分に返ってくること、人に見せなくてもよいものを公開する恥ずかしさを超える、恥ずかしさはなぜ生まれるのか、上手くなってから見せたいという気持ち
質問に答えたことで気づいた自分の変化→言語化する効果

数人で集まると、会話に合いの手は入れられるけど自分に目線が集中すると焦る→会話の中心となって堂々と話せる人はどのようにしているのか

インタビューでは聞かれるから、自分のことを話しやすいのでは。自分で書く文章だと自己語りがより意識的?

自分語りが非難されるTwitterのリプ→「聞かれてもないのに」ということ?
秘めれば花というような日本の風潮もある?
奥ゆかしさはなぜよい?

以下いきさつやメモ✍️
この前、参加した自分史セミナーの感想などの発表をした。発表後、「受講の前後で変化はありましたか?」と質問された。正直、結局のところキリのいい年齢までに自分史を完成させることはなかったので、あんまり変化はないと思っていたが、わずかな変化としては二つほど。言語化してなかっただけで、案外影響はあったのかもしれない。

一つは、セミナー受講者とペアで人生のあるシーンを聞き合うワークを通して、年代の違いによる面白さはあまり触れてこなかったとわかったこと。自分史セミナーには定年後の方々ばかりいたので、図らずも世代間交流に。
人間はどんな人も面白いものだけど、今まで同世代と話すことが多かったから、その中でも自分との違いが大きい人の話を聞きたがってきた。けど、異世代だと、どんな人も過ごしてきた時間が明らかに自分と違うので、知りたいことが増えるという感じ。
ペアワークの相手は戦争のことを話してくれたから、より一層興味深かった。やっぱり私は本で読むより実際に聞いていく方が好きだな。

世代間交流に関連して、親から子への語りだけでなく、子から親への語りがもっとこの世に増えるといいよね、双方向であるべきなのだから、という意見があった。ふむふむ。

二つ目は、セミナーとは直接関係ないけれど、自分しか読まない文章は書く気がなくなってきた、ということ。
最初は自分史を完成させて、一人でにまにまして振り返るつもりだった。けど、なんだかあんまりそうしたところで面白くないだろうなー。それで人に読んでもらいたいならweb上が便利という考えへ。

自意識の荒療治的に文章を公開してきて少し経った頃から、きっと人の反応をもらう楽しさというのを覚えたんだと思う。うわ、この文章をあの人が読んだんだーっていうぞわぞわした感覚とか、その人目線で読み返す時間とか、知らない喜びだった。
自分史も当初の私のように自分だけに秘めておく人は少なく、セミナーでもコミュニケーションのきっかけになることや子どもが親の人生を知りたがっていることが強調されてた。親に読ませたら感動して泣いちゃうわよ、と教えてくれた受講者もいたし。

あとどんどん、今の私を記録することが本にまとめることよりも大事そうに思えたからだっけ。人生の捉え方はその時によって変わっていくから、今の考えを記録できるのは今しかない気がする。というか、いつまでも頑固に昔の捉え方を引きずりたくないので、人生を楽しむためならいくらでも都合のいい解釈をするし、していきたいな。

ちょっと気になる💡
感情ノート、若者の人生史、自意識、振り返りたいという感情、自意識過剰の改善、自意識過剰の反対とは

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2019/7/29

べてるの家という言葉を3回ほど違う媒体で見聞きした。北海道はかつて、身近な地域だったけど、全然知らなかった。行きたかったな。行きたいな。1回目は当事者研究会で。2回目は論文のための文献で。3回目はツイッターで流れてきた本の写真から。もう、これは、お告げかもしれない。関連した本を読もう。当事者研究をもっと知りたい。どういう経緯でやり方が洗練されてったのか、ワークショップ的な面からも見れるし、これから私が携わることになるはずの場にもつながる。ああ、ありがとう。

3回というのが結構大きくて、この前も平田オリザの「わかりあえないことから」を読んだ。全く課題と関係ない本を7月に読むのは珍しい。しかも借りずに2時間くらい図書館で読んでた。やっぱり見聞きする3回目が来た時に、今のタイミングだ!って思ったから読んだ。読書後は私の知りたいことはある一点だし、もっと掘り下げて欲しい、と思ったけど、ヒントを得られたのでよかった。しかも、後々発表とか企画書とかで大いに役立った。ありがとう。

英語に興味が薄れてたけど、継続して点のつく勉強がしたくなってきたこともあって、勉強を始めることにした。かつて英語教師を目指してたけど、当時からの学力の低下が著しい。まあいい。高校の恩師も「人と話したい時は話せばいい。そういう時期だから。勉強なんていつでもできる」って落ちこぼれを実感した大学はじめの頃言ってくれたし。勉強したいと思うのだから今がベストなのだろう。夏、継続して色々なことをやっていきたいな。論文のこともそうだし、創作のことも、勉強も。

ちょっと気になる💡
手帳類収集家さんに会いたい。脚本の書き方、話し合いについて、稽古場のあり方。当事者研究と自助会。フィクションと実話の融合。ノートの使い方。

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2020/4/13

数回、手帳類収集家さんにお会いし、手帳の読み会にも参加させてもらった。図書室で読んでいた時とは違い、書き手に対する想像が働くようになった。じっくり読むということが大事なのだろう。図書室では焦って漁りすぎた。

noteでの日記をほぼ毎日続け、3ヶ月ぐらい行った。一ヶ月毎日更新することを達成し、noteからバッジをもらい、ホクホク。

4月頭から、家にいることが増えたのと、言語化することへのつらさ、ものを考えることのしんどさにぶち当たり、noteでの更新をやめる。代わりに昔からやっていた紙のノートへの記入をする。最初は馴染みのシャーペン一本で書いていたが、飽きたのと、元気が出ないので色鉛筆を使って文字ではない何かを残すように。
色は救い。

紙のノートは理性的というより感情よりなので、安心する。毎日更新しなければならない、という制約もない。

まあ、noteでこうして更新を続けてみて、しんどくなるということがわかったのは実験としてよかった。論文のネタにできたらいいな。


アートセラピーに関する本を借りた。初めて聞く言葉だが、非常に興味深い。自分が好きなものたちの根底にあった共通点を見出した。もっと深掘りしていきたい。

言語化することと、瞑想の関係性を考えたい。
言語化しすぎると、とってもしんどい。本で読んだ、「自分を見つめすぎる病」というのがぴったりくるほど、noteで日記を書きすぎた。
言語化は心を深掘りしていく行為になるけど、瞑想はそもそも溢れ出るものを鎮める行為でそれぞれ一長一短がある。
時々、深掘りすればするほど悪化する感情の渦があって、そういう時は思考のシャットダウンの方が向いている。

ちょっと気になる💡

瞑想。日記の有害さ。夢日記で気が狂うという噂。日記の良い面悪い面。ジャーナリング。書く瞑想。風呂場での瞑想。日常生活の瞑想。
瞑想の歴史。マインドフルネス。精神科や心療内科での治療。認知行動療法。園芸療法。

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2020/6/19

感情や思考を書き出すことについての調べ物は進んでます。
ノリノリで論文流し読みできるから好きなんだと思う。自分のことを考えてるわけでもあるし。

でも、とにかく名前が多い。自己啓発の冊数だけ名前があるのかな、ってレベルで思考整理のやり方と名称がある。
名前が一つ見つかるだけで、いくつもの体験談や本が検索されてって、お、奥深え〜〜〜ってなっている。
でもあまり感情をメインで書きましょう!というのは少なくて、エクスプレッシブライティングぐらいしかない。
あまりまとめている人がいないからそれだけでも価値を生み出せたらいいのだけど。

4月の段階ではアートセラピーにはまっていて、色鉛筆で日記を描くことにはまっていたけど、今はシャーペンで書くのに戻った。感情が荒ぶったり言語化がしんどくなったら色鉛筆ちゃんに活躍してもらいましょ。

言語化ということでいうと、今は書きたいことがいっぱいあるけど、なんか外に発信できないなーって感じ。メモ欄が1000を超えそうだ。大変。
スマホのメモアプリを愛用していたけど、ツイッターで自分を深堀りできた成功体験から、スレッド形式のslackを用い出した。めちゃ便利。なんで今までこれを使ってこなかったんだろ?

人に見せる時に、わかりやすくしないとなーというのが、とにかく発信や公開を踏みとどまらせているのだろうと思う。
たぶん、当初は
自意識過剰改善→文章公開!→公開できるようになったけど、読まれない文章を公開している自分とは?→読みやすい文章を書くべし!
そういう流れがあるのだろうと思う。
推敲をきちんと重ねて、読み手に優しい文章をば。

わかっちゃいる、のに、なんかただ、できないな。
相手に主張したいことなんてそうそうないぜ私は。
でも「読み手を無視したものってダメ」だってさ、「自己満足だ」ってさ、「だって受け手があっての作品でしょう?」
そんなの誰も言っちゃいないけど、言ってきやしないけど。
ぜんぶ自意識過剰だからな。
たぶんPRが下手で、だから迷走してぺしゃんこなんだと思う。
でもおおっぴらに言うのも恥ずかしくて、言った上で反応がなかったらダメージでかいから、こっそり意地でやっている。
どうせ読まないでしょ、だから無法地帯でいいよねドッカーン💥って、荒々しいもの書いたって自滅するだけでしょ。

「半年ROMってろ」

こういうことを公開する文章では考えてしまうから、公開する意味を問うてしまうから、
ノートに書くのが好きなのでした。
研究しちゃうくらい好きなのでした。

あー私はROM専の方がいいかな。一周しちゃったなあ。


ちょっと気になる💡
伝えるとは?→ブログの評論。推敲のやり方。編集者の目線。

心理関連→手紙を書く療法。夢分析。〇〇療法の一覧。アートセラピーの本場とは。ファシリテーターの極意。ドーパミンの出し方。

自己啓発関連→自己啓発本の人気と社会情勢。自己啓発本の元祖。ノートに書く系の自己啓発の元祖。エッセイ漫画の書き方。

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2021/02/16

2万字程度の論文をほとんど書き上げました。校正して修正、が永遠にあるようで、気が遠くなりそうです。それでもだんだんと満足のいく、見事な(?)論文となってきましたぞ。

テーマは某感染症の流行下での日記。
当初はコの字も出したくなかったけれど、受け入れました。いやはやおもろいでっせ。日記は面白い!!!
論文を読んでくださる方々の質問に対して、まあまあスラスラと説明ができるのが嬉しいです。自分は広く浅く学問をする学部にいるので、なんら専門となるものを身につけられないかと思っていたけれど、日記に関しては人より知識を持っているみたい。やったぜ。
日記は本当に果てしなく面白い。論文がうまくいかなくて、日記も嫌いになったけれど、やっぱり研究として面白い。それに論文がうまくいかなかったのは感染症のことを触れるのに必要となる調査が少ないことが大きな原因だったし。日記は悪くないね、万歳。

そうして、去年末ごろに気がついたのですが、私の関心領域の軸となるものがわかりました。私の関心領域は、
「言葉とこころ」
にあるようです!

今まで私は、日本語文法、演劇、心理学、国語科教育の講義や演習を取ってきた。それは場当たり的に、その年の興味に応じて取ってきたものだった。

けれどふりかえってみれば、一貫しているのは「言葉とこころ」に関する興味!!!

文法への情熱は、自分が言葉を操る時の脳みそを言語化したい、仕組みをわかりたい、ということだったのだけど、突き詰めれば「言葉とこころ」である。こころがどのように形容詞や助詞を選んでいるのか、あるいはその逆、その文法を使うのにはどんなこころがあるのか。
それらの法則となるものを知りたいのだ。
文法万歳!!!
英文法から始まり、古文法で惹きこまれ、日本語文法で完全に虜になった文法学習!!!!研究してえよお!!!!日本語教師になりてえなあ!!!もっと日本語文法について学びたいぜ!!!!
こないだは、名詞化する助詞「〜み」についてのレポートを書いたけれど、興奮が止まらなかった。若者言葉の「死にたみ」「つらみ」「しんどみ」などの「〜み」に問題の外在化が関係しているかもしれないと思ったら、面白くて鼻血出ちゃいそうだった。謎解きみたいで面白いのよ。

演劇もそう。台詞から込められた感情を読み解いて演じる。あるいは感情を示すのに効果的な台詞を考える。

心理学はストレートにこころ。そしてそれを表す言葉たち。こころの動きに名前をつけて、考えていく。こころの動きに法則性を見つける。楽しい楽しい。

国語科教育では、国語を教えることについて学ぶ。様々な文学作品の主人公のこころを教員は言葉を使って説明したり理解させたりする。
もちろん、古典では古文法もあるし、それは現代での文法の祖先として、言葉とこころの関係を紐解くのに役に立つ。自分が使ってる助動詞に、平安時代の化石が紛れてたりすると面白い。

グダグダと数年過ごしてしまったと思う日もあるけれど、確実にこれらのことには少し詳しくなっている。そう思うとなんとかよかったって言える。

あと論文書いてて思ったけど、言葉に対して神経質になりすぎるから、私はものを書くのを本業としてはダメだな!多分頭の血管が切れてしまう。
紙になるのなら一層完璧主義が強まる。でも言葉も校正も好きよ。

どうわ〜〜〜!!!やはり好きな分野について書けるのは楽しいですな!!!!
日記の論文は皆様のご協力のおかげでとてもよく育っております。かわい子ちゃんです。聡明で利発でとってもいい子です。これからさらに寝癖などを直してあげます。

っしゃあと一踏ん張り!


つくることへ生かしてゆきます お花の写真をどうぞ