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私が杉並に来た理由②-鬱との出会い-

※本投稿を読む前に、前回の投稿「私が杉並に来た理由①」をご覧ください

地元の高専をやめて「東京立正短期大学」に進学したことが杉並との出会いでした。

観光や地域について学ぼうと進学した私ですが、当初は就職した後も杉並に残るつもりはありませんでした。
それは地元栃木県で観光に関わる仕事をしたいと考えていたからです。

また、杉並に来て間もないときから「東京は住む場所ではないな」と思っていたのも事実です。
私の実家は周囲に田んぼや林があるのどかな場所。
しかし、当時住んでいたのは、杉並区堀ノ内の環七通り沿いのワンルームアパート。
周りは建物だらけ、夜も車の音がうるさく、部屋は狭い…。
東京に住むことに嫌気が指していた私は、地元栃木で活躍することを夢見ていたのです。

東京に進学してからは、とにかく忙しい日々でした。
進学するときに両親と揉めたことで学費がもらえなかったため、奨学金を学費に当て生活費はバイトをして稼いでいました。
方南町にあるマクドナルドで、平日は3日各7時間、加えて日曜日の昼に4時間、毎週25時間働くというルーティーンです。

また、2年後には真っ当に働けるように様々な資格にも挑戦しました。
実は、国内旅行の商品を販売できる資格や旅行添乗員ができる資格も持っているんです。
今では使いどころがありませんが…。

加えて、空いた時間には観光や地域について熱心に研究調査に取り組む日々。
自分で言うのもなんですが、真面目な学生でした。
でも、その真面目さは高専をやめたことを何とか取り返そうとする再起の念と、両親に迷惑をかけてしまったという申し訳なさが引き起こした行動だったのです。

上京して1年が経とうとする頃、私は成人式を迎えました。
久しぶりに中学時代の同級生や恩師たちと会うことになったのです。

私は、中学時代にあまり日の目を見ることはありませんでした。
勉強はそこそこ頑張っていたものの、いじられキャラの補欠選手。
正直、あまりいい気持ちではありません。
私は「同級生たちを見返したい」「同級生たちよりも薔薇色の人生を過ごしたい」、そんな思いで高専以降の学生生活を送ってきました。

しかし、成人式では、そんな想いを打ち崩されるのです。

同級生と話をすれば、煌びやかな大学生活を送る話、真面目に仕事を取り組む話が耳に入ってきます。
中学時代、ちゃらんぽらんに見えた奴らが真っ当に頑張っている。
私は、彼らに対する羨ましさを通り越して、自身に対する嫌悪感を感じていました。

恩師と話をすると「高専をやめるなんてもったいない」などと言われました。
あの時の自分の判断が間違っていたんだと思うようになるのです。

数日後、私は布団から起き上がれなくなっていました。
「今すぐ死にたい」、鬱だったのです。



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