菅沼勇也【FMすぎなみプロジェクト代表】

杉並区でコミュニティラジオ局を開局すべく、YouTubeでラジオを配信し始めて4年目。…

菅沼勇也【FMすぎなみプロジェクト代表】

杉並区でコミュニティラジオ局を開局すべく、YouTubeでラジオを配信し始めて4年目。 なぜ杉並にラジオ局を立ち上げるのか?開局した先には何があるのか?「FMすぎなみ」が思い描く未来とは? FMすぎなみプロジェクト代表・菅沼勇也が「FMすぎなみ」に掲げた夢を書き綴ります。

最近の記事

私が杉並に来た理由④-鬱がくれたもの-

※本投稿を読む前に、「私が杉並に来た理由③」をご覧ください 2回自殺を図りました。 方法はあえて言いませんが、実行する前は無心で死ぬための道具を探していたと思います。 もはや、そこに感情はありません。 自殺を図った直後、祖母が見つけてくれました。 2回とも祖母が助けてくれたのです。 必死に私を助けようとする祖母の声、あの叫び声は一生忘れることはないでしょう。 自殺を図ったのは、2回とも祖母が家事をしている昼間の実家。 今、思えば、誰かに見つけてもらいたかったのか

    • 私が杉並に来た理由③-鬱のときの私-

      ※本投稿を読む前に、「私が杉並に来た理由②」をご覧ください 心療内科の診断はいたってシンプルでした。 医者「死にたいって思う気持ちはありますか?」 私「はい。」 医者「鬱ですね。精神安定剤だしておきますね。」 約5分の問診で鬱と診断され、初めて処方される精神安定剤と睡眠導入剤。 その時の私は、何かを思うわけでもなく、なすがままでした。 恐らく、高専を休学するタイミングからやんわりと鬱状態が続いていたのでしょう。 のちに短大の先生が言っていたのは、初めて学校見学に来た時

      • 私が杉並に来た理由②-鬱との出会い-

        ※本投稿を読む前に、前回の投稿「私が杉並に来た理由①」をご覧ください 地元の高専をやめて「東京立正短期大学」に進学したことが杉並との出会いでした。 観光や地域について学ぼうと進学した私ですが、当初は就職した後も杉並に残るつもりはありませんでした。 それは地元栃木県で観光に関わる仕事をしたいと考えていたからです。 また、杉並に来て間もないときから「東京は住む場所ではないな」と思っていたのも事実です。 私の実家は周囲に田んぼや林があるのどかな場所。 しかし、当時住んでいたの

        • 私が杉並に来た理由①-高専退学したら杉並にいた-

          私は栃木県上三川(かみのかわ)町出身です。 こんな初見では読めない場所の出身である私が、なぜ杉並に来たのかを今回はお話します。 私は地元の高専に通っていました。 中学卒業後から5年間通う高専ですが、私は4年生の後期に休学をします。 理由はさまざまありますが、簡単に言うと色々と抱え込んだことによるパンクです。 ただ、その休学が杉並と出会うきっかけにもなりました。 ちょうどその時、高専で学んでいる学問が本当に学びたい事なのかと疑問に感じていたのです。 私は休学中に学問の内容

        私が杉並に来た理由④-鬱がくれたもの-

          ラジオから区民の輪を広げたい

          これは、FMすぎなみが理念としている言葉です。 杉並にまつわるラジオ番組をYouTubeで配信し始めてから約3年半。 将来的に杉並区でコミュニティラジオ局を開設しようと、日々活動を続けています。 開始当初、私は杉並の情報をとにかく伝えたいと思っていました。 いわゆる、普通のコミュニティFMと変わりありません。 しかし今では、この言葉を理念に掲げている通り、「区民の輪」つまり杉並に関わる人たちを繋げたいと思っています。 そう思うようになったきっかけは、ある仲間の一言でし