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心臓を修理する(5) 心臓弁膜症治療日記

手術は無事成功し、翌朝麻酔から目覚めてから、回復への道のりが始まった。まずはICUでの経験から。

11月15日(水)朝 目覚め

手術の翌朝、麻酔から目覚めた。看護師さんにA4サイズのホワイトボードを見せられる。
 今日は11月15日(水)
 今日の予定 検査 リハビリ
と書いてある。この状態でリハビリ?と思ったが、後で聞いた話では意識がない時から手足を動かす程度のリハビリは実施していたとのことだ。

だんだん自分の状態がわかってくる。
気管内挿管が入ったまま。傷の痛みはほとんどないが、傷が寝間着に触れると敏感に感じる。首元からみぞおちの上まである傷にはテープが貼ってあるようだ。ベッドを水平にすると傷が引っ張られて不快感があるので、立ててもらう。

何かに固定されているように上半身が動かない。身体拘束に関する同意書にサインしているので縛られていても文句は言えないが、実際には体を固定するために潜り込むような柔らかいマットレスに寝かされていただけで、どこも固定されていなかった。それだけ体力がないのだ。床ずれを起こさないようにマッサージ器のようなローラーが定期的に体の下で動く。

下半身と左手はある程度動くが、右手が動かない。これも固定されていたわけではなく、無意識に点滴の管などに触れないようにおもりを取り付けられていただけだった。スマホくらいのサイズの金属の板をクッションで覆ったもの、これをマジックテープで手首に固定されただけで縛られているように動かせない。

静かになると、時計のような小さな金属音が聞こえる。機械弁の動作音らしい。気になって困るという人もいるようだが、しっかり働いていることがわかってうれしい。

幻覚と現実のはざまで

事前に「せん妄」についての説明があった。母が90代で入院した時に見ているのでよくわかる。数日の検査入院で認知症のような症状になった。麻酔や点滴の影響らしい。50代であればそこまで深刻にならないとのことだったが、それでも不思議な経験をした。

手術の翌日はまだ薬が効いていたらしく、半分眠っていたようだ。この時の記憶は主に音声だが、音と無関係な幻覚も見える。まるで病院のロビーにいるような、ありえない会話が聞こえていた。別にICUの隣に研修室?があって、外国人向けの日本語研修をやっている音声も聞こえてきた。もちろんありえない。面会者の会話や機械音などが別のものに聞こえたのだろう。この中で夕方頃だろうか、兄が看護師と話している声が聞こえていた。これだけは本物だったようだ。

もっと不思議なことに、15日の夜、15日の朝の分からリアルタイムで再放送を見せられた。朝、ホワイトボードを見せられるところからおかしな音声も兄の声も、幻覚の画像もまったく同じものが同じ順番で再生された。一度見ているから事前に何を見て何を聞くかがわかる。昼夜関係なく同じ処置が定期的に繰り返されるので昼間の経験が幻覚として再生されたのだろう。幻覚の中で、記憶にある画や音がそのまま再生されるので、この時はさすがに混乱した。朝と全く同じホワイトボードを見せられる幻覚を見て、看護師さんを呼んで「今日は本当に15日か」と筆談で書く。間違いなく15日との答え。その日の夜のうちなら看護師さんの答えも間違いではない。この会話も幻覚だったかどうかはわからない。認知機能が落ちた高齢者なら簡単にわからなくなってしまうだろう。

幻覚はどんなものだったか。フリー画像の中から、見たイメージに近いものを選んでみた。

幻覚その1 岩肌のようなイメージ、岩でできた小さな赤い部屋をよく見た
幻覚その2 不思議なテクスチャー、人の肌のクローズアップのようなものも見た

岩肌や、人の肌のクローズアップなどのテクスチャー的なイメージが多く、赤や茶系統の色が多かったように思う。見て不愉快でも怖くもないが、あまり喜んで見ていたいと思うようなものでもない。隣にもう1台ベッドがあって知らないお年寄りが寝ている幻覚も見た。もちろん幻覚だとすぐわかる。夢と違うのは、目をつぶるとすぐにはっきりした画像が現れ、記憶に残るところ。その分、幻覚だということはすぐにわかる。おかしい、見ていたくないと思えば目を開ければよい。

幻覚と幻聴は全くシンクロしていなかった。深夜、面会者などいないはずなのに、少し離れた場所から「看護師さん呼びますか」という中年女性の細い声が何度も聞こえてきた。「完全看護」などという言葉はだいぶ前に死語になっているが、今時昭和の中頃まであった「付添婦」がいるわけもない。目を開ければ聞こえなくなる。病院が怪談の宝庫になるはずである。

15-16日(木)気管内挿管はつらいよ

気管に管が入っていると声が出せず、つらい。「痛いですか?」と聞かれても「かゆい」と答えることはできないのである。意思が伝えられず、イライラする。筆談用のメモを持ってきてくれるが、自分でも読めない字しか書けない。指差しで会話できるパッドのようなものがあるとよいのだが。
この管から人工呼吸器につながっている。メンテナンスで呼吸器を外されたときに一瞬息が詰まり、か細い自発呼吸が始まった。やはり効果はあるらしい。

管が入っていると、痰を吸引する必要がある。これがつらい。気管の奥まで吸引用の管を入れられるので当然むせる。咳が傷に響いて苦しい。これが2-3時間おきに昼夜関係なく繰り返される。必要なことなのだが、まるで拷問である。早ければ手術の翌朝には管を外せるとのことだったが、呼吸の状態の回復が遅く、24時間余計に入れることになった。結局10回ほど余分に吸引された。

16日夜8時、やっと気管の管が抜かれる。すぐに声が出ない。理学療法士立ち合いでベッドを起こして起き上がる。やっとベッドから背中が離れ、自力で起きる。理学療法士さんによれば、これができれば問題ないとのことだった。

生き返って最初の水を飲む。少しのどが痛いが一口飲む。実はこの日、何もなければ仕事関係の旅行で長野県の温泉に行くはずだった。ほかの連中は飲んでうまいものを食っているところだったはずだが、この水のほうがおいしかったかもしれない。生き返った連絡をしたかったが手段がない。しばらくすると声を出せるようになったが、ひどいガラガラ声。声が元に戻ったのは退院した後だった。人工呼吸器の代わりに酸素マスクをかけられる。自分でも呼吸が細いことがわかる。

痰の吸引は本当につらかった。管を抜いた後、何人もの看護師さんがのしかかってきて口を開けようとする幻覚に悩まされた。暗い中に高感度カメラの画像のような緑色の看護師さんの姿が浮かんでくるのである。
幻覚なので目を開ければ消える。タイミングによっては目を開けた時に本物の看護師さんと目が合うことも。本物の彼女は静かに機材のチェックをしている。もちろん区別はつく。昼夜関係なくお世話してくれるのに、こんな幻覚を見てしまって申し訳ない気持ち。

幻覚を見ては目を開けてしまい、眠れないので睡眠導入剤を希望する。医師に確認してくれたが、呼吸に影響があるので簡単には出せないという。

教訓その1:終末期の延命措置は拒否しよう

気管内挿管は本当に不快でつらい。声が出せないので意思を伝えられない。手術や肺炎の治療など、生還するために必要なときはともかく、良くなる見込みのない終末期にこのような苦痛を与えるべきではない。親が1分でも長く生きていてほしいというのは子供のエゴでしかない。それで死に目に会えたとしても親は「ありがとう」の一言も伝えられないのである。
私はすでに両親を送ったが、延命治療は嫌だと聞いていたので拒否でサインした。二人とも死に目には会えなかったが、自分で気管内挿管を経験してみてこの判断は正解だったと思う。このことは親子で確認しておくことをお勧めする。

17日(金) 回復へ

管が抜けて落ち着くと周りの様子がわかってくる。機械が多いので一人分のスペースは病棟より広い。ナースセンターに向き合っていて前のカーテンは基本開いている。看護師さんの人数は多い。患者一人に一人以上充てられているようだ。大学病院の看護師さんは若い人が多い。みんなマスクをしているので見分けがつきにくい。

すぐに点滴に代わって食事が始まる。1日目はおかゆだったがおかずは普通通り。まともにお箸を持てない。指が動かず、力も入らない。3日寝たきりになっただけでこんなになってしまうものか。半分しか食べられない。
飲み薬も処方される。7種類、10錠くらいある。怖くて最初は1錠ずつしか飲めない。錠剤をつまむのにも苦労する。
翌日には普通食に、ペースが早い。食事中は酸素マスクの代わりに鼻にチューブがつながる。このチューブが邪魔なのと、ゴムのにおいがきつくて味覚がおかしくなって食欲がなくなる。ただでさえおいしくないのに・・・。半分くらいしか食べられない。

本を読もうとしたが、軽い雑誌なのに1ページも読むと疲れてしまう。脳が大量の血液を必要とするからだろう。それだけの余力がないらしい。幸い、体は寝ていても勝手に回復する。余計なことはせずに心肺の回復にすべてのエネルギーを注ぎ込むことにする。今は休むのが仕事のようである。

しゃべれるようになって最初の回診、教授から学生まで大勢で付いてくる、いわゆる「大名行列」。主治医から、「あの状態で2-3ヶ月放っておいたら心不全になってましたよ」と言われ、ぞっとする。精密検査をさぼったら会社で倒れて救急車か、自宅で孤独死だっただろう。

教訓その1 健診で指示された精密検査は必ず受けよう

ここからは高度医療の実力を実感することになった。

事前の説明にあった通り、いろいろなものがつながっている。タイトル写真のようなシリンジポンプが何台も置かれ、複雑な配管がつながっている。腹にはガーゼが固定され、その下からパイプが2本出ている。出血の状態を見るドレーンパイプというらしい。長いパイプの先は小型の分析装置につながっている。尿管にも管がつながり、尿はバッグに貯められる。心電計が胸に、酸素飽和度のセンサーが指に付けられている。モニターは頭の上なので見えない。

こうして測定された値が管理される。
モニターに表示される心拍数などには上下限の範囲が指定され、外れると警報が鳴る。ナースセンターでモニターできる。
自動でモニターできない体温や血圧などは人力で検査する。尿のバッグをからにするときに、看護師さんがメスシリンダーで尿の量を測っている。数時間おきに血液検査、口が作ってあるので痛くない。小さな注射器に取って目の前の機械に入れてボタンを押すだけで分析されて、すぐに結果が出るようだ。血糖値も、糖尿病の患者さんが使っているのと同じポケット型の機械で測定する。高い時はインシュリン注射が待っている。

ベッドに体重計が仕込んであるらしく、体重も管理される。数日おきに移動式のレントゲンが部屋まで来て胸部レントゲンの撮影、異様な形の機械で子供が怖がらないようにするためか、漫画が書いてある。ようは数時間おきに健康診断をやっているようなものである。

点滴の隣にお弁当箱くらいの機械が下げられている。外付けのペースメーカーで、出血や不整脈が起きないように心拍や血圧を低めにコントロールしている。この機械のツマミを動かすと血圧や心拍が簡単に変わる。ちょっと怖い。ドイツ製のようだ。5日目に点検の技師さんが電池を交換した。パナソニックの9Vの角型電池だった。この電池で心臓が動いていたかと思うと何とも言えない。

そして酸素吸入、通常の空気の酸素濃度は20%もないが、80%という高濃度酸素を毎時50リットル噴き出させる。圧縮が低いエンジンにフルブーストのスーパーチャージャーを付けるようなものか。強い風が当たるように感じる。普通の酸素のホースは直径1センチくらいの細いものだが、掃除機のホースのようなものがつながっている。大量の高濃度酸素を噴き出しているところでリチウムイオン電池の充電など考えられない。スマホなどを持ち込めないはずである。

全ての数値が理想的な範囲に入るように酸素、薬や機械で制御して、手術で衰えた心臓と肺を楽に動かしてやって、残った体力を回復に注ぎ込んで早く回復させるということらしい。

看護師さんの仕事は、電子機器の設定を確認して測定結果をパソコンに打ち込むのがメインのようだ。まるでエンジニアのよう。数字を見て薬などを調整するので手一杯という感じだが、もう少し人間のほうを見てほしい感じも正直する。
ベテランの理学療法士さんが「顔色が良くなりましたね」と言ってくれたのがうれしい。ハイテク機器がない時代に教育を受けたからこそ気付けるのだろう。

この治療のおかげか、毎日少しずつできることが増えてくる。手伝ってもらわないと身動き一つできなかったのが、自力で動ける範囲が増えてくる。本を読む気力も出てきた。ラジオを聞きたいが、窓がなさそうである。実際には窓はあるものの隣の建物が迫っていて全く陽が入らないという。ラジオの受信はあきらめる。

咳がひどい。つぶれた肺を戻す作用でもあるので咳をするのは悪いことではないという。ハートホルダーのレバーを締め上げてはいるが、一度咳をすると疲れ切ってしまう。咳とともに痰も出る。また吸引されてはかなわないので必死に自力で切る。

17(金)-18日(土) ICUの日々

ICUは結構壮絶な空間である。基本動かせない24時間管理が必要な人が入るところで、肺炎の患者さんが多い。あの痰の吸引を受けている音があちらこちらから聞こえてきてこちらまで苦しくなる。急変して緊急の措置を受けて回復する人がいれば亡くなる人もいる。隣のベッドの若い患者さんが朝早く亡くなった。呼ばれた家族の嘆きを聞きながら思わずもらい泣き。こんな還暦のオヤジが治っているというのに・・・。せっかく大手術で生かしてくれたのだから、彼の分まで大事に生きてやろうと思う。面会時間外の深夜や早朝に家族が来るとよくないことが起きたと思うしかない。ドラマで有名になったコード・ブルー(急変時の非常招集)のアナウンスも1度あった。
看護師さんは笑顔を見せてくれるが、患者さんが亡くなっても気にしない冷静さもある。いちいち感情移入していては持たないのだろう。ここではタフでないと勤まらない。こちらの神経が参ってしまいそうなので、耳栓をもらってやっと眠れる。

たまたま一般病棟に戻る患者さんが多かったこともあるが、緊急以外の手術がない週末は運ばれて来る患者さんも少なく、ICUに静かな時が流れる。看護師さんとたわいのない世間話で時間をつぶす。コロナの時の大変だった話や医療系ドラマのロケがあった話など。まともに話ができる患者さんが少ないのでこうした会話も気晴らしになるらしい。

土曜日の午後、状態が良くなったので、ICUの奥にある個室に移る。広い静かな部屋。個室といっても特別料金はないそうだ。ここには窓があってきれいな夕日が見える。ラジオが聴けるかと思ったが医療電子機器のノイズで受信できなかった。兄が面会に来る。のんびり世間話で過ごす。たまっている郵便物の回収を依頼する。

ベッドの横にモニターがあるので自分の心拍や呼吸の波形など見て過ごす。アラームが頻繁に鳴るのでうるさい。黄色の点滅なのでたいしたことはないと考えて無視する。姿勢の変化などで値が変動してしまう項目があるとのこと。看護師さんが近くにいるときはリモコンで止めてくれる。夜はうるさいのでスリープモードにしてくれる。

一度だけ短時間の不整脈があって警報が鳴り、赤ランプがついた。異常波形はメモリーされて呼び出せるようになっているようで、警報で呼ばれた看護師さんが確認していた。10波の間、パルス幅が半分になっている。手術の後ではお約束で発生するので頻発しなければ心配ないとのこと。

個室に移ってやっと静かに寝られる。相変わらず幻覚が見えるが、だいぶ頻度が減ったようだ。

11月19日(日) リハビリのはじまり

出血があった関係もあって本格的なリハビリの開始が遅れていたが、今日から始まる。ベッドから立ち上がる練習。まだ平らにしたベッドから自力で体を起こすのがきつい。ベッドの柵をつかんで必死の思いでやっと起き上がる。起き上がって床に足をつく。日曜日で理学療法士さんが休みなので、看護師さんの手を借りてやっと立ち上がる。まだふらふらする。体の向きを変えて車いすに乗る。
午後、部屋の中のトイレを使うために同じように立ち上がる。今度は一人でできた。早い人はICUの中で歩行練習するというが、何とか初期段階をクリアした。この日、翌朝に一般病棟に移ることを告げられる。

まだ酸素がつながっているが、濃度と供給量はだいぶ下げられた。
出血が収まったので腹のドレーンパイプが外される。パイプを抜いて糸で縛る処置。これで二つ目の管が抜けた。測定器がない一般病棟では使わない首のカテーテルも1本抜かれる。少しずつ楽になる。おいしいわけではないが食欲が出てきて、そろそろ食事を完食できるようになる。

こうしてICUでの日々が終わった。二度とごめんだが得難い体験ではあった。結局手術後1週間でICUから出られた。考えてみれば早い。ハイテク機器がない時代は回復に2-3ヶ月かかったという。

一般病棟に移ってからの日々については次回。










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