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タバコのポイ捨てを注意したときの話


わたしは喫煙者だ。


今どき、タバコを吸うなんてダサいと思うし

これから書くことはもしかすると

誰かを傷つけることになるかもしれないから

書くか迷った。


でも、自分の中の「モヤモヤ」を消化したい気持ちと

自分勝手な「正しさ」を言葉にしたい気持ちが消えないから

表現には気をつけつつ、思っていることを素直に書きたい。



わたしはタバコを吸うけれど

タバコを外に捨てる人のことを心から軽蔑している。


過去に、わたしもポイ捨てをしてしまったことが

たぶん何度かあるけれど


心の中に「ドス黒い気持ち」を抱えたと記憶しているし

あってはならないことだと思う。



先日、友人と会ったときに

外で一緒にタバコを吸った。


わたしは足でタバコの火を消し、箱に戻す。

彼は携帯灰皿を持っていて、そこに消し入れた。


「足で消すのはどうなの?」とか

「そもそも外で吸うなよ」とか

いろんな意見がありそうだけれど


わたしの中ではここまではOKで

人に明らかな迷惑のかからない範囲でタバコを吸う分には

咎められたくない、と思っている。


そして、そのとき

わたしはとても安心した。


3年ぶりくらいに会う友人だったのだけれど

もし彼が「タバコを道端に捨てるような人」になっていたとしたら

わたしは彼を軽蔑していただろう。



そして同時に、思い出した出来事がある。



前職時代、タバコのポイ捨てをした同僚に注意をした。

それも一人ではない。

たぶん、3〜5人くらいに注意をした。


みんな「同僚」というか

年齢も社歴もわたしより若い人たちだったので

「後輩」という表現になるのかもしれない。


いずれにせよ、わたしは注意をした。

人によって言い方を変えた気もするが

「捨てんなよ」

「ちょっと、そういうのやめようよ」

そんな感じだったと思う。


人としてありえないと思ったし

「建設業を支えていくITベンチャー」の看板を背負っている社員たちが

排水溝にタバコを捨てていく神経が、まったく理解できなかった。


とはいえ、人なんて誰でも間違いを犯すし

「意識が足りませんでした」なんてことはあって当たり前なので

「もう・・・!」くらいで、わたしの中では終わっていた。



それから少し時間がたったとき

「おまえ、こわいって言われてるよ」

と同僚に告げられた。


それは別に、このタバコの注意がすべてではなくて

それ以上に、わたしがやらかしてしまった当たりの強さや

いろいろな良くないコミュニケーションの積み重ねが

原因だったと思っている。


ただ「タバコの注意の件」も具体例として

話には上がっていたようだった。


わたしは基本的に

「自分の見たもの以外、信じない」

という、サッカーのウッチーが大切にしているらしい言葉を

自分の信条としている。


だから、その「わたしへの批判」を聞いたとて

注意した後輩から直接聞いたわけではないし

話半分程度に受け止めていた。




途中から

「タバコの注意の話」と「職場で怖いと言われている」

という二つの話を進めてきたが

言いたいことはその先にある。


「二次情報(自分が直接、見聞きしていない話)には必要以上に影響されないようにする」

とはいえ、仕事で高いパフォーマンスを出すのであれば

一次情報オンリーでは遅すぎる。


信頼できる人からの二次情報であれば

ある程度は視野に入れて物事を進める方が、手っ取り早い。


わたしにそのことを伝えてきたのは信頼に足る人物だったので

「タバコのことも含めて、怖いに繋がるんだろうな…」

と解釈をした。


そして、普通に、悲しかった。


わたしが仕事上で厳しいことを言ったとか

言い方がきついとか

そういうことなら、いくらでも受け止める。


でも、タバコのことは違くないか?

それは、注意された人間が抱えるべき恥であり、言葉にすることじゃないのでは?


そして、その注意さえも集団の認識として「怖い」の中にまとめられていることが

心底、怖かった。



もしかすると、わたしが神経質なだけであって

ぜんぜん違う文脈があったのかもしれない。


だけど、それを確認する術も勇気もなく

自分の理想を会社を通して叶えたいと思っていたわたしの足を止めるには

十分な絶望感を与える出来事だった。




この出来事がすべてではないが

このあたりから、わたしの会社でのパフォーマンスは

徐々に下がっていった。


誤解されたくないのでしっかり書くけど

「会社が悪い」とか

「後輩がおかしい」とは

一切、思っていない。


後輩がタバコのポイ捨てをしたこと

「注意」が「怖い」に集約していったこと

ここに対しては、シンプルに「ないな」とは思う。


でも、わたしが勤めた前職の会社は

良い会社だし、良い人ばかりだ。

ポイ捨てをした彼らも、めちゃくちゃいいやつらだ。


この投稿で伝えたいのは、彼らへの批判ではなく

・人は非合理的な判断や行動をするものである

・集団になるとそれがさらに大きくなっていくこともある

・それを自分が「怖い」と感じ始めたら、適切に対応する必要がある

だいたい、そんなところ。


そして、わたしはおそらく平均以上にそういったことに対して敏感で

割り切れない性格を持っている。


そういうタイプの人間は、そういう人なりの社会や組織との関わり方があるから

自分がおかしい、なんて思っちゃいけないし

逆に周りがおかしい、とも思っちゃいけない。


そうやって孤立したり、悲観したり、敵対しても

絶対にいいことなんてない。


それを、この経験を通して学んだので

ちょっと長かったけど

文章にしてみました。




まぁ

シンプルに

ポイ捨てはやめような


いくつになってもさ

俺の周りには

誠実に生きる「かっこいい漢」だけがいてほしいし


好きな人を嫌いに思うことほど

つらいことはないからさ


それだけなんだ


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