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『映画大好きポンポさん3』――明確に語られるキャラクターのパーソナリティ

こんばんは、飛び亀です。

というわけで今回は、ポンポさん3の感想です。

本作のネタバレ前提……いや、ポンポさんシリーズ全体のネタバレ前提記事になると思います。なぜならポンポさん3は、ポンポさん1・2、フランちゃん、カーナちゃん、オムニバスというシリーズ5作を踏まえての作品だからです。全部読んでからじゃないと読めないのが3の欠点。

「そもそも映画大好きポンポさんってなんだ?」という方は、こんな駄文を眺めていないで、下記より1を読みに行ってください。そしてまもなく公開の映画を見に行ってください。

ちなみに未読者向けのポンポさん紹介記事はこちら

以下、記事内の画像(と上のトップ画像)は全て「映画大好きポンポさん3」からです。

ポンポさん3 オールスターズ

買った日(正確には届いた日)、つまり発売日当日に2回読みました。

今までのポンポさんシリーズって、どれもまさに映画を見たような感覚になって、読後は「ほーっ」って感じでしばらく余韻に浸るんですよね。(まあ2とフランちゃんは同時購入だったので続けて読んだんですが)

今回は決して浅いという意味ではなくエンタメ感があったので、もうずっと読んでて楽しかったんですよね。だからこそ「最終作」なんだって、作者の後書きを見るまでもなくそう感じる内容で。だからこそ、またすぐに読み返したくなった。つまり、この世界観にずっと浸っていたいという感想が第一です。

ポンポさん本編について、1は言うまでもなく原点となる名作。2は作品内でも言われてる通り「ジーンくんVSポンポさん」をテーマにして、ジーンくんの覚醒を描いたわけです。ここまで面白くて心に残るものを描いておいて、正直3はどうなるのか想像もできていませんでした。

それがこんな、1・2はもちろん外伝も全てを伏線にして、まさに完成形を描いてくるとは。まあ、オムニバスは発売時期も含めて3の踏み台になるだろうことは分かっていたけれども。

何がすごいって「3での新キャラ」と言えるのは、オムニバスで先行出演して伏線だけ張ってたマズルカちゃんだけなんですよ。モブ(ニャカデミー主演男優賞の人ほか)はともかくとして、あとは全員、今までの作品で活躍してきた人たち勢揃い。

女優勢はナタリーちゃん、ミスティアさん、フランちゃん、カーナちゃんと、それぞれ1・2と外伝で全員主役級だった人たち。もう何の心配もない期待できる女優さんたちです。マーティンさんも相変わらずで、もはや便利屋。そして外伝で哀愁を漂わせ続けていたマスター。彼は変わらぬ彼の立場のまま、本当に活躍してしまう。コルベット監督もウェズさんもマーリンさんもキャロルさんも変わらず超有能。というか、マズルカちゃんもオムニバスで示唆されたとおりの天才なので、活躍に関しては約束されたとおり。じゃあ期待通りでつまらないかといえばそんなはずはなく、期待通りなのが楽しかったり期待以上だったりするわけです。

期待通りで面白いってのは、どういう理屈なんだろう。もちろん、期待以下じゃダメだから、期待に沿うってのは嬉しいことだ。そのうえで、「やっぱりそうだよね!」という期待通りのカッコよさを改めて見せつけてくれるミスティアさんとか。「やっぱりそうだよね♥(はぁと)」というキャラとしての立ち位置を改めて明確にしてくるナタリーちゃんとか。フランちゃんカーナちゃんは初めてジーン監督の下での映画出演になって、ちょっと思い通りにいってない場面もあったり。再確認とちょっとの外しが混ざってるから、期待通りでも面白いのかな。

そういう意味では「映画を奪われて学校に通って牙を抜かれるポンポさん」とか、「名優たちを監督できる立場になって「最高だ!」とか言っちゃうジーンくん」とか、ホントの主役2人が序盤で一旦落とされてるのって、期待通りじゃない意外性の演出かもしれないね。中盤で全てをやり直したジーンくんに対して、ペーターゼンさんは「覚醒した」とおっしゃってるけど、ずっとジーンくんを見てきた(特に2を読んだ)読者からすれば「やっと元に戻った」に過ぎないかなと。取った賞を考えると史上最高だから、結果としては覚醒なんだろうけど。あと、巨匠ペーターゼンさんを振り回したのも覚醒なのかもしれない。

そういうわけで、3は今までのキャラクターたちが次々と大活躍していくお話――ふさわしい表現か分からないけど、オールスターものだと思います。だからこそ、本当に終始ワクワクしながら読めて、また読み返したくなった。

もちろん、みんな活躍してハッピーエンド、ではない。優しく見えるポンポさんワールドの影に流れる毒、というか呪いが最後の最後にニヤッと描かれて終わるのも小気味よいですね。創作の呪い。呪いもまた幸せであると。

語られる登場人物のパーソナリティ

さて、期待通りor以上で面白いオールスターものを描けるってのは、やっぱり各キャラクターを大事にしてるからだと思うんですよね。これは、色々他の方の感想を読んでても、シリーズ通して出てくる話。1の頃から言われてたと思います。キャラクターたちに一貫性がある。それは「ブレがない」というよりは、「ブレることにもストーリー性がある」ということだと僕は思っています。

そもそも、ポンポさんに登場するキャラクターたちは、にゃーにゃー言ったりポキュポキュ歩いたりそもそも天才少女だったり、パッと見て記号的な部分が目立ったりするんですよね。ところが、キャラクターの内面は全ッ然まったく記号的じゃないんです。みんな結構多面性があって、こういうときはこういう子だけど、ああいう場面ではああいうこと言い出す、みたいなのが多い。そこが個人的には人間味があって、すごく好きです。

まあつまり、作者さんはキャラクターの内面までよっぽど考えて作っているんだなと思うわけですが、今作は特にそれが表立って描かれているなという印象があります。象徴的なのは、次のようなセリフです。

マズルカ「ジーン監督とミスティアさん… どこか似てるよね」
  ――映画大好きポンポさん3より

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「どこが?」なんて、ナタリーちゃんみたいに思っちゃう読者は、ここのシーンまで来るといないのでしょう。確かに普段の言動は全く異なるけど、どこかが似ているのは違いない。

こういうキャラクターのパーソナリティ(人格、性格)について堂々と言及し、比較する描写が今作は多いなと感じます。せっかくのオールスターだから、そうやって明確な区分けや類似を描きたくなったのか、なんとなくなのか。理由は分かりませんが……(これまでの作品について各キャラ考察をする記事を思い出しました。その記事を作者もRTしたりしてたので、なんか面白いですね)

というわけで、ここからはキャラクターのパーソナリティに直接言及している場面を取り上げて見ていこうと思います。

ジーンとナタリーの対比

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中盤のある場面。映画の見方について、ジーンくんは理詰めで考え、各シーンに理屈を求めている。けれどもナタリーちゃんは感覚的に、持ち前の感受性で映画を見ているから本質を掴めている。ジーンくんはそう評します。

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具体的な場面がこれ。2人の映画鑑賞、萌える。

ジーンくんとナタリーちゃんが対比される、それも比喩的ではなく明確に語られるのは、1で「女優の目が死んでてどうすんのよっ!」とポンポさんがツッコんで以来でしょうか。ジーンくんの目は死んでいますが、ナタリーちゃんの目は死んでいません。女優なので。

そのうえで、ジーンくんが割と理屈型ナタリーちゃんが感覚型なのは、シリーズ読者としては火を見るより明らかでしたが、ここで明言されたわけです。

この単純な分類で思い出すのは、とても古いものですがユングの類型論でしょうか。ユングは、人間を「外向―内向」の2タイプ「思考―感情」「直観―感覚」の4タイプの組み合わせ、つまり8タイプに分類しました。よく「あのキャラクターは外向・感情型だ」なんて創作上の人物にも当てはめられるのを聞きます。(ただ実際のところ、後者4タイプは「どれか1つのみ」という考え方ではないようです。「思考」に次いで「直観」とか、「感覚」に次いで「思考」とか、2つくらい表立ってくる場合もあるし、裏側を発展させることもできる。らしいですよ)

これに当てはめれば、確かにジーンくんは内向・思考型が優位でしょう。ただジーンくんは映画監督として、その場での思いつきが強いタイプです。この点は思考型というよりは直観型(ひらめき型)な気もするんですよね。いやもしかしたら、現場の空気感を読み取って判断する感覚型かもしれない。そうすると、ユング的には直観型と真逆になる。というか、僕がジーンくんに対して一番違和感があるのは、2でも3でも感情をきめ細やかに捉えた映画を得意とする男なんですよね、この人。とても内向・思考型なんていう単純な人物像では拾いきれない。

まあ本人はセリフの通り、自身を内向・思考型だと思っているのでしょう。しかし創作にかけては自分を壊す男ですから、ちゃんと感情を感情のままに捉えることもできている。映画作りとなれば、「理屈っぽい」とかいうちゃちな「自分らしさ」を崩し、全方位のアンテナを全開にできるんだろうなと思います。ジーンくんの天才的な面でもあり、キャラクターの深さでもあります。

一方のナタリーちゃん、外向的で感情的な姿が3では特に見受けられます。みんなとコミュニケーションとって、好き嫌いに振り回されて。やっぱり、こういうタイプ論まんまのキャラって記号的? いや、ナタリーちゃんも違う。やっぱり彼女には1での礎がある。地元でどんなに馬鹿にされても、ブルーカラーのバイトに明け暮れても、女優になる夢を諦めなかった。彼女の生い立ちはわりあいジーンくんに似てるんですよね。(そんなこと今言ったら怒りそうだけど)

その頑固さを鑑みると、内向性も相当に高いと思うんですよ、ナタリーちゃんは。ジーンくんの言うとおり感受性も強いから、感覚型の要素も少なからず持っていると思います。

ちなみに女優勢の中で外向性が一番高いのはフランちゃんかなぁ、僕の感覚では。

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特にデビュー前のフランちゃんは流されやすい子だったからね。スターとしての目標も、「私を見てくれた皆さんの心の中に暖かな光を宿すことが出来る」こと。悪口じゃないけど、みんな私を見て!なのはブレないから、明確に外を向いてると思うのよね。

もちろん、「私を輝かせるため」に自分と向き合って(企画を書いて)る時間がたくさんあるのだろうし、相応の内向性も持ってるとは思います。やっぱり彼女も創作に携わる人間ですから。

女優たちのまとう光

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ポンポさん3終盤近く。
マズルカちゃんの目(カメラ)で見た女優たちの比較です。
まあこれは、比喩的な表現しかされてないけど……

4人のパーソナリティをオーラみたいなもので例えていますね。こればっかりは詳しく語りようがないのですが、とにかく4人の色が、雰囲気が伝わってくる表現だと思います。どんな女優なのか、どんな人間なのか何となく伝わってきますね。

この中で言えば、不思議なのはカーナちゃんですよ。
個人的には、「カーナちゃん」のときは絶対虹色なんかじゃなかったと思うんです。あの作品での彼女は、烈火のような真紅か、あるいは何をしてでも目標を達成してやるという執念の紫?(髪の色)

それがくるくる変わる虹色。カメレオンのような女優になったのでしょうか。いや実際には、執念であらゆる色に合わせてくる恐ろしい女優なんでしょうね。すげーよ、ほんと。

ジーンとミスティア/ジーンとカーナ

それぞれ似ているそうです。

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1枚目は先程も出しましたが、3の終盤から。2枚目は3の表紙裏おまけマンガから。
マズルカいわく、ジーンくんとミスティアさんはどこか似てる。
ポンポさんいわく、カーナちゃんとジーンくんは本質的なところが似てる。

表面的には、ストイックさが似ているんでしょうね。目標のためなら、自身の犠牲を厭わないところ。パーソナリティ的には達成動機(achievement motive)が高く、逆に他の基礎欲求や社会向性を削っているという感じ?
(勉強がてら検索してみたら、達成動機って企業の人材採用系で好まれているワードになっているんですね。クソが)

ただ彼ら/彼女らの達成動機ってのは、「向上心」みたいなキレイに見えるものじゃなくて、もっとこう、前節で書いたような「執念」ですよね。いったい何に対する執念が、この人たちのモチベーションを高く高く縛り続けているのか。映画作りへの執念、自分をただ美しく表現することへの執念、自分の居場所への執念。なぜそんな執念が生まれてきたのでしょう。

カーナちゃんは、初登場した前前作ではむしろ達成動機の極めて低い子でした。しかし、前作冒頭からいきなりキャラ変していて、執念の塊みたいな女の子として一作を走り抜けました。その変化の原因は、前作で描かれていました(万が一読んでない人は読んでね)。執念で自分の居場所を取り返したカーナちゃんですが、今作3でも頑張り続けています。そうしないとまた居場所を失うと分かっているからでしょう。

ジーンくんも多少過去が示されているので、カーナちゃんとは執念の大元が似ているのかもしれないと思います。一方ミスティアさんは過去が謎なので、彼女の狂気じみた執念がどこから生まれているのかも謎です。しかし、発生源が分からなくても、ジーンくんもミスティアさんも「表現すること」への執念なのは間違いない。

じゃあジーンくんを省いて、ミスティアさんとカーナちゃんは似ていると言えるのでしょうか。ここまで書いたことを踏まえると似ているはずなんですが……。カーナちゃんは「自分の居場所を確保すること」への執念は明らかですが、「演技(女優であること)」そのものへの執念の強さはあるのかないのか。あの身を削るような反復練習は、演技のためにやっているのか、それとも演技を飛び越えて居場所づくりのためにやっているのか。練習(手段)→演技(目的)≒居場所づくり(目的)なのか。練習(手段)→演技(手段)→居場所づくり(目的)なのか。前者、つまり演技(女優であること)も目的化していると、思うんですけどね。前作を読むと。
まあどちらにしろ、居場所=フランちゃんがスター女優であり続けるのは間違いないので、カーナちゃんにとっても居場所=スター女優ということで重ねて捉えていいでしょう。

最近カーナちゃんを語りすぎるきらいがありますが、ちなみにジーンくんとミスティアさんについては「表現すること」への執念、これは明確に手段と目的が重なってます。

次もジーンくんの話。

ジーンくんの能力

彼が死んだ目をしていて、社会不適合者で、だからこそ創作に向いているというのは1でポンポさんが述べた名言です。では、具体的に彼のもつ何が彼を社会不適合に導いてしまったのか。そして彼のもつ何が映画を作らせているのか。これまでも何となく察することはできましたが、3ではジーンくんの「能力」が明確に描かれました。

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ともに3の終盤より。
彼の能力の1つは「視野の狭さ」、もう1つは「処理速度の遅さ」だという話。

この2つの能力は、一般論として社会適応に向いていないものです。視野を広くしましょうとは言われても、視野を狭くしましょうとは言われません。処理速度なんて速いほうが良いに決まっています。

ところが彼は「視野が狭いぶん、その1点に集中して全力を注げる」と、一般的能力論をひっくり返してきます。いわゆるリフレーミング、短所を長所に捉え直して活かしたわけです。
さらに「処理速度が遅いから、繰り返し繰り返し何度も映画を見てメモを取ってたら、映画極まってた」と。こちらは自身の苦手を補うスキルによって、余りある成果を得たということです。追いつかないから諦めようとか、スピード上げる練習を重ねようとかじゃなくて、「わからないなら何回も見ればいい、覚えられないならメモを取ればいい」の理論です。(それができる環境が現実にも当たり前に欲しいですね)

結果、彼は社会的にも認められるとんでもない創作力を手にするわけです。が、ジーンくん自身は自分が「センス」も「才能」も持っていないことに感謝していると言います。先述の通り、一般論としての社会適応力という意味ではセンスも才能もありません。しかし本質的に「視野の狭さ」は「視野の広さ」と対を成す才能ですよね。処理速度の遅さも、結果的に大量の映画を頭に詰め込むというとんでもないスキルを生み出しました。カバースキルという意味では、左利きの人が右利きに矯正されて両利きになる(=左利き、右利きを超える)が同じような例かな。(左利きが悪いという意味ではないです)

マズルカちゃんに聞かれて、ジーンくんは自身のことを「社会にまだ出ていないかも」と語ります。いわゆる「社会に出る」というのは、社会適応を求められるという意味です。マズルカママの言うとおり、社会に出るなら社会に求められるスキルが必要です。個々人の才能にも「社会適応力」という物差しによる優劣が付きます。その尺度において0点0点0点のジーンくんですが、こと映画制作の……いや映画監督の尺度において彼のもつ能力は100点100点100点なのです。

こんな当たり前のことを書くものでもないと思いますが、当たり前のことを書いたほうが文章は分かりやすいですね、前節と比べると。

ポンポさんとは

ジーンくんと女優たちという主人公たちが、以上のように色々とパーソナリティ面にツッコまれている。そんな作品が3です。

もうひとり、大切なキャラクターがいます。いや、大切なキャラはひとりじゃないけど。でも一番重要なのが、もちろんポンポさんです。彼女のパーソナリティ、どうなのでしょう。

実は、彼女に関してはパーソナリティそのものに言及される場面が3ではほぼ見当たりません。そもそも単純に「ポンポさんって○○な人だよね」って、横並び以上の目線で言えるような人物が作中にあんまりいません。じいちゃんは「ポンポはすげぇ」しか言わないし。マー姉さんとキャロル姉さんが割とポンポさんとは対等ですが、そういう話は3じゃなくてオムニバスやフランちゃんあたりでしてたかも。今回は割愛。そもそもポンポさんの内面に一番スポットがあたったのは2ですね。あそこでポンポさんの内面にも大きな変化がありました。

ただ3を読んでいても、ポンポさんのパーソナリティの安定性を読み取れます。ポンポさんって本質は尖り狂っているんですが、一方で作中トップレベルに良識あるキャラなんですよね。その圧倒的尖り感と良識ぶってる余裕の両立が面白くて、またそこが頼りになる。

例えばポンポさんは、開幕じいちゃんに会社を乗っ取られ、学校に通えと言われるわけです。学校に通ったポンポさんは、ポンポさんらしい皮肉(「不自由な現実に従属できる量産型の人間を生み出していくわけか」)を吐きつつ、社会勉強として普通に学校生活を楽しむことにしました。ほんとに友達とお弁当広げて談笑したり。後にじいちゃんに、学校もまあまあ楽しかったと言ったり。

あんまりポンポさんの世界観に毒されると、このあたりのポンポさんの言動は全部皮肉かと思ってしまうところもあります。しかし、個人的には文面通り、ほんとにそこそこ奴隷生活……じゃなくて学校生活を楽しめたんだと思うんですよね。彼女にはそれくらいの心の余裕があって、素直に映画以外の人生を認められる。もしかしたら2での変化も遠因かもしれませんが、僕はそう感じました。

とにかくポンポさんは否定をしない。いやよく目の前の相手を否定してるかもしれませんが、目のキラキラした人たちも、学校生活も、娯楽映画も、商品としての映画も、カーナちゃんの機械のような練習も、否定はしないんです。私はこう思うが、お前がどう思おうがそれは構わん。ただ、もし私と同じ意見なら、お前を必ず成功させてやる。そういう上司なんですよね。

そういう上司が、ほんとに学校に通うような年齢だったことが今回一番の驚きなんですけどね。見た目お子さんなだけだと思ってた。女優一同どころか、下手すりゃマズルカとかと同年代なのか?

もちろんポンポさんの魅力は、そういう「余裕」に加えて、ちゃんと「尖ってる」ところにもあります。マズルカを発掘してしまったポンポさんが、「映画を撮らないポンポさんなんて、そんなのただのポンポさんじゃないの!」と学校の呪いを脱して暴れ始めるところは超ワクワクしました。

3でのポンポさん、パーソナリティの明言はないものの、また違う環境での一面を見られたワクワクは大きかったです。



序盤に書いた「キャラクターたちが記号的じゃなくて多面的」って意味、多少分かっていただけたでしょうか。

そういうキャラクターたちが「社会の呪いに生きるか、創作の呪いに生きるか」みたいな世界観……じゃなくて、普通に全員「創作の呪い」を選んで生きている世界観、それがポンポさんシリーズです。

一旦読んでしまうと、(創作とはまた違いますけど)これくらいの長文を書きたくなる。

次は映画が明日から。
なんと描き下ろし漫画がついてくるとか。
1週目に前編、2週目に後編を配るそうです。

最近の映画の売り方が見え透いているところは正直悲しいですが、何せ「映画大好きポンポさん」ですから、その内容90分には期待してます。


また何か記事書いてたら面白かったって話だね、たぶん。

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