見出し画像

人間関係は運次第なのか

こんばんは、飛び亀です。
大変遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。

今回は、人間関係の悩みってどうしたらいいんだろうと、大雑把に考えます。

前文

月も末になって年始の挨拶を入れたものの、この記事は昨年の秋から記事名だけつけて放置していたものでした。下書きもないまま放置していたので、供養させていただきます。

あと、その前に。
ウェブ上の見やすい文章づくりの一環として、改行を多めに挟んだりしているわけですが、個人的には3~5行くらい一切の改行のない文章で綴っているnoteの方が読みやすいんですよね、結局のところ。もちろん、文そのものは短く区切ってあるのが良文だと思いますけど……

ネット上でダラダラ文章を書き始めた十数年前から、これはずっと悩んでいることです。文ごとに改行する。それどころか、3行くらい空ける。ブログの世界ではそれが当たり前になっていて、追随はしたものの、なんか合わないなとも思っていました。

そんなわけで試しに今回は、改行を少し減らして文章の塊を投下していってみますー。

人間関係ってなに

「仲がいいよ」「話したくもないよ」「なんだか居心地が悪いよ」「あいつとあいつは犬猿の仲だよ」みたいに、自分と周りの人との関係性、あるいは周りにいる人たち同士の関係性。それが人間関係だと思いますが、自分を中心に全ての人間関係がネットワーク上に繋がっているってことは稀で、基本的には学校や職場など「どこどこにおける人間関係」っていう見方をするものだと思います。

これが前提であって、もしかして全部頭の中で繋げて重く捉えてしまっている人がいるとしたら、そこから見直しができればいいのではないかとも思います。家庭と学校と職場の人間関係は、仮に全てで問題が起こっていたとしても、全て別枠です。

もう1つ思うのは、そもそも「人間関係」というワードを出してくる場合はネガティブな意味合いが強い。「うちのクラスの人間関係ってさー」「私の会社の人間関係がね……」なんて話題は、もうだいたい悪い方に傾いています。仲がいいなら仲がいいって一言で済みますからね。あとは、相手方の環境を質問するときくらいです。「そっちのクラスの人間関係どう?」「御社の人間関係は良好でしょうか?」なんて。聞かないけど。

つまり、良好な関係性にあるときって、あんまり「人間関係」を意識しないもんじゃないかなと思います。ついでに、自分のコミュ力というか、人間関係能力(形成力と維持力)もそんなに気になりません。たぶん。やっぱり上手く行っていないときにこそ、環境も自分の力も気になるものです。

……というのは、僕の経験から思ったことです。自分の選択で、ここ数年は本当に年単位でいろいろな職場に身を置いています。その中で「本当に他の人と合わないな」と思った職場で初めて、「人間関係の悪さ」と「自分の人間関係能力の無さ」を感じました。それも1ヶ所ではないですけど。

子どもの頃から学生時代、そして社会人数年間は(色々と嫌な目には合ってきたものの)誰かしら仲の良い人たちがそれぞれの場所にいました。それだけで「人間関係に悩む」ことは長らくなかった。「○○という特定人物に困る」ことは多々ありましたが、例えば「クラスでの人間関係に悩む」みたいに広がることは確かなかったはずです。

だから、コミュ力の無さを感じること自体は常日頃あったものの、「人間関係そのものは何とか作っていける人間だ」と自己評価しておりました。でも、特定の職場において上手く仲良くなれないどころか、どんどん職場の人たちに嫌われているように感じたとき、その自己評価が間違っていたと思ったのです。

人間関係が悪くなる原因はなに

結論から言えば、今の僕個人としては「運」だと思っています。(だからそういう記事タイトルになっています)

たまたま僕の場合は、連続して別の環境で人間関係が悪くなることはありませんでした。一方、何回か人間関係を悪くしたことで、特定のタイプの人たちとは上手くいかないことがあると気付きました。

そして僕はこう考えています。
「たまたまそういうタイプの相手が子ども時代や学生時代に居なかっただけ」「たまたまそういうタイプの相手と、職場(や学校)という狭い環境で協働することになっただけ」

出会いは一期一会であり、時の運です。
合わないタイプの人間がいるときはいるし、いないときはいない。

もちろん、「合わないタイプがたくさんいる!」って方も居られるのだと思います。だから自分が悪い、自分の人間関係能力が悪いと。確かに、人によって「どれだけの人に受け入れられる」タイプかは異なります。そこが平等じゃないのは事実です。多くの人に嫌われやすい性格は、あるのかもしれません。でも、全人類に嫌われる性格はありません。

だから、合わない人と鉢合わせしないで済むような環境、受け入れてくれる人と一緒に居られる環境はあると思います。そこは運次第なんです。そういうのって長く限られた環境にいると気付かないものです。

人間関係が悪いときはどうしたらいいのか

結論、人間関係が悪いときの対処方法は、その環境から抜け出すことだと思います。

とはいえ、巷には人間関係能力を改善するスキルやらアレコレが蔓延っています。心理学も、そこに関連する研究成果をたくさん挙げている気がします。専門家に相談すると、心理学のスキルを武器に「あなたが変わりましょう」という方向に持っていかれることもあるかもしれません。

ただ、どうなんでしょう。個人的には今の心理学を学んだカウンセラーさんなら、「逃げましょう」「環境を変えましょう」って言うことがどんどん増えていくのではないかと勝手に思っています。子ども時代ならともかく、よほどのことがないと大人は急には変わらないですから。

むしろ環境を変えた後になって、「あのときはああすれば良かったな」と変化が現れるものです。人間は余裕が生まれると意欲が湧き、変わったりします。人間関係が悪いときなんて露ほどの意欲も湧かないですから。遅きに失しているかもしれませんが、その変化は次の人間関係に対する免疫にはなると思います。

それでも人間関係の能力について語るとすれば、なんの出典もありませんが、先に述べたとおり「関係形成」の能力と「関係維持」の能力があると思います。

関係形成には、「積極的」関係形成能力と「受動的」関係形成能力があると思います。相反するような表現をしましたが、僕はこれは両極にあるのではなく、別軸で捉えるべき能力だと思います。自分から話しかけて友達や仲間を作る「積極的」能力と、人から引き入れられる「受動的」能力です。両方高い人もいるし、片方だけの人もいますし、どっちも低い人もいます。伸ばすなら、どちらか片方で十分だと思います。

「積極的」能力を伸ばすなら「話す」スキルを身に付け、「受動的」能力を伸ばすなら「聞く」スキルを身に付ければいいんじゃないでしょうか。大雑把な話ですが。

問題は「関係維持」の方です。よっぽど独善的で悪印象を与える初対面を見せたり、話しかけちゃいけないオーラを放っていたりしたならスタートのつまづき(関係形成の失敗)ですが、そうでもない限りは正直「関係維持」の失敗じゃないでしょうか。初対面から、どんどん関係性が悪くなる。あるいは一時的には仲良くやれていたのに、何がきっかけか次第に仲が悪くなっていく。そういうやつです。

でも、関係維持を上手くやる方法って、相手によって違うと思うんです。「積極的」にかかわるべきなのか、「受動的」にかかわるべきなのか。それだけでなく、もっと別軸のコミュニケーション調整も必要になります。単純に仕事失敗するだけで嫌われることもあるかもしれないし、飲み会断ったら嫌われることもあるかもしれない。

だから一言で言えば、「その相手を見立てる力」が最低限必要です。相手を見誤って地雷を踏めば嫌われ、人間関係がうまくいきません。お分かりの通り、言葉にすれば短いですが、これほど難しいことはありません。

もう一つ、「自分の地雷を踏まれないこと」も必要でしょう。こればっかりは、ほぼほぼ相手依存としか言いようがない。自分にできることは、ただただ心を広くもつことしかありません。心を広くもつコツは、大局的に、一歩引いて日々を生きることです。でも、そんなの日々できるわけがありません。


……そういうことを考えていくと結論、「運次第」だから無理なら諦めて環境を変えよう、と思うわけです。あんまり自分にも相手にも責を負わせるものじゃないと思います。合わないものは合わない。

今は、学校でさえ「みんなで仲良く」を本気でやる方針は減ってきていると思います。本当に合わない子同士を仲良くさせようなんて、とんだお笑いです。

もちろん、嫌な相手にもある程度の「大人の対応」をできる自己制動は必要だと思いますけど。それも「ときどき」だからできるものだと思います。四六時中それを求められる環境なら、一旦離れるのがベストなのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?