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「自分探し」のコツを考えよう

こんばんは、飛び亀です。

出会いと別れ、新たなる道への一歩。
人生の岐路である「春」を目の前にしている今、せっかくなので今回は「自分探し」について考えてみます。noteっぽいテーマですね(謎)

え、この時期に及んで自分探しをしてたら、春から新生活を迎えるには遅いって?
いいんじゃないですか、自分のペースで(無責任)

以下、「前書き」では自分探しについての心理学的な基礎知識をくっちゃべります。その後、記事名どおり「自分探しのコツ」を考えます、たぶん。そういう意味で、前書きは飛ばしても構いません!

さーて、どれだけ長くなるかな。

前書き1 自分探しは「アイデンティティ」探し

僕は「自分探し」とは「アイデンティティ獲得への模索」のことだと思っています。難しく言うとね。

「アイデンティティ(identity)」は「同一性」とか「身元」と訳されますが、心理学的な専門用語としては「自我同一性(自己同一性)」のことです。簡単に言えば「自分とは何者なのか」「これこそ自分であると言える何か」「自分らしさ」のことだとか言われています。E.H.エリクソンさんが使ったことで有名になった言葉です。

「自分探し」は、「本当の自分を見つけに行く」「自分らしさを探しに行く」ものだと思うので、小難しく言えば「アイデンティティ探し」と置き換えてもいいかなと考えています。

つまり、自分探しのゴール(目的)は「アイデンティティを達成すること」です。心理学的に言うと、ですね。そういう前提で、これから話を進めていきます。

前書き2 モラトリアムと早期完了

さて、先に出てきたエリクソンさんが推した言葉に「モラトリアム」というのがあります。これもアイデンティティと共に、そこそこ有名な言葉です。

「モラトリアム」というのは、まさに「自分探し期間」のことです。エリクソンは、「青年期」という時期はモラトリアムであり自分探しできる時代だとしました。確かに、皆さん自分探しをスタートさせるのは中学生~大学生にあたる年齢が多いかなという印象です。

ただし、エリクソンの言う「青年期」などの区分けには、明確な年齢基準はありません。むしろ、自分探しが始まったときこそが「青年期」の始まりだという考え方です。自分探しのスタートこそ、人間の心理的発達に大きな意味をもつステップアップだとしたのです。

つまり、モラトリアムという「自分探し期間」は人間の心理的な成長に欠かせないこと、とエリクソンさんは考えていました。

さて、後にJ.E.マーシャさんという方が、人の「自分探し状態」を4つに分けました。もちろん、モラトリアムもその中にあります。マーシャさんの言う「モラトリアム」を雑に解釈すると、「人が『自分とは何者なのか』を見つけられずに、もがき探している状態」です。「まさに今自分探し中です」という状態ですね。

残りの3つは、「アイデンティティ達成」「アイデンティティ拡散」「早期完了」です。1つずつ説明します。

アイデンティティ達成は、文字通り「模索の結果、アイデンティティを見つけた」状態、つまり「自分探し終わった、見つかった!」状態です。アイデンティティ拡散はその逆で、「探してない、アイデンティティもない」「自分が何者か知らない、考えてもいない」状態ですね。

もう1つ、「早期完了」ですが、これは「特に悩みも模索もしなかったけど、自分が何なのかは分かっている」状態です。「自分探しなんてしてないけど、やるべきことは分かっている」みたいな感じですね。語弊があるかもしれませんが、例えば「深く考えずに何かを盲信している状態」とかです。

つまり、モラトリアム(自分探し期間)を経ずにアイデンティティを見つけた「つもりになっている」状態です。一見しっかりした人に見えますが、マーシャさんいわく「何かあると脆い」そうです。まあイメージ湧きますね。

有名な学者さんたちいわく、「しっかり悩んで苦しんで自分を見つけろ」ということです。言われてみると厳しい話ですね。ただ、後で述べますが僕個人としては、自分探しにおいて「絶対に悩まなきゃいけない」「時間をかけなきゃいけない」わけじゃないと思っています。「○○すべき」は心理学的にあんまり良いものじゃないですし。

ところで余談ですが、完全に個人的な印象として「昔の人(近代、近世以前の人)は早期完了が多かったんじゃないか」と思っています。一部の階級の人はともかく、大多数の民は生まれたときから身分が決まっていて、能力と関係なく就ける仕事も限られている。そんな時代には、「自分は農民だ」「自分は武家の生まれだから…」と、自分探しも何もなくレールの上を生きていった人間が大半だったのではないかと思っています。(たぶんそれでも生きる上では問題ない時代だったのでしょう)

もちろんこれは現代にも残っている部分はあります。しかし、情報化社会の中で選択の余地が大きい今、仮にレールが敷かれていてもそれ以外の生き方が見えてしまう。自分はこの生き方でいいのか。そういう悩みが生まれるのは必然とも言える世の中です。エリクソンやマーシャの時代からさらに経った21世紀、令和の今。自分探しは人類にとって避けることのできないテーマの1つになっています。(なお、マーシャさんはまだご存命です)

自分探しの過程は自分だけのもの

さてさてそういうわけで、何らかの形で「自分探し」を行うことは人間の心の成長や安定面でとっても大事なことなんだと、前書きでエリクソンさん、マーシャさんの言葉を借りてお話ししました。

ただ、自分探しの形は本当に人によってまちまちです。ここに来て即丸投げするようで恐縮ですが、これだけは前提として覚えておいてください。苦しいくらい悩んで自分を見つけるのも良し、楽しく過ごしていたらいつの間にか自分が見つかっていたも良し。まず第一に、結果として自分探しが納得できるゴールにたどり着ければいいのです。

んん、結果より過程が大事?
そうです、その通り。そこがミソです。

過程の良い悪いはあるでしょう。
本当に大事なことは、自分探しが良い過程だったと自分自身で思えることです。最終的に、ですね。

もちろん、後から振り返れば「もっとサッと見つかったのに」という軽い後悔(反省?)くらいはあるかもしれません。ただ、やっぱり回り道で得られるものもありますから、「なんだかんだ自分を見つけられたから良し」と思える過程を踏めたかどうか。たぶん、そう思えたときこそが、アイデンティティ達成=自分を見つけられたときなのだと思います。

もうちょっと回りくどく言うと、「自分探しの過程も含めて自分」だと思います。自分探しの過程さえ自分のものになる。そうすると、自分が見えてくる。自分が見つかってくる。

もっと言うと、「自分探し」って本当は探しものではありません。
「自分創り」なんだと思っています。

過去と今と未来を繋ぐ「自分の物語」

ちょっと何言ってるか分からないと思うので、学者さんの論を僕なりに持ち出して、僕の意見とくっつけて説明します。(引用の仕方としてはクソアウトです)

これはナラティヴ・アプローチとか社会構成主義という学者さんたちが述べていることなのですが、人には「自己物語」というのがあるといいます。そしてアイデンティティ達成(自分探しの達成)とは、「自分についての物語を創り語れること」だと言うのです。

自分についての物語を創作する。
具体的には「私には今までこういうことがあって、だから今こういう人間なんだ」という物語。

もちろん、これは自分の中で「納得感」のある物語になります。納得できてピンとくるマイ・ストーリーを自分の中に創り、あるいは他人に語る。自分探しとはそういうものなんだというのです。他人から押し付けられた自己像を語るだけでは、先に述べた「早期完了」でしかありません。自分の物語を自分で創り上げることこそが、自分探しそのものなのです。

具体的には、どうしたらそんな自己物語を創れるのでしょうか。

まず第一に、過去のエピソードと現在の自分を繋げることです。幼少期の自分を振り返り、現在の自分との繋がりを探します。同じと言える部分があれば、まさに文字通りの「自己同一性(アイデンティティ)」というやつです。もちろんまるっきり同じでなくても、「昔はこうだった」「こういうことがあった」「だから変わって、今はこうなった」という繋がり、一貫性があれば同一性と言えるでしょう。

次に、エピソードが足りなければ今から創りに行くことです。いわゆる世間一般の「自分探し」は、このステップを指している気がします。色々新しいことにチャレンジしてみたり、旅に出てみたり。大事なのは、そのチャレンジや旅、出会いによって新しいエピソード(自分史)が生まれることです。

しかし、仮にそれで新しい自分の一面を見つけたとしても、その新しい自分=自分探しの答えではありません。見つけた自分の新しい一面が、エピソードとして自分の物語にキレイにハマること。「今まではこうだった。でもチャレンジしてこうなった!」とストーリー化することが自分探しでは重要なのだと思います。

そこのハマり感がないと、新しい自分と今までの自分の間に溝ができて浮いてしまいます。これは、どちらかというと早期完了に近い状態じゃないかな。大事なのは繋がるかどうか、一貫性です。

逆に言えば、物語として自分なりに納得し、繋がっていれば、結論は1つでなくても良いのです。例えば、「外では仮面を被って生きている自分、家では全然違う自分」を良しとして生きている人も結構いると思います。八方美人を自分の中に不満なく落とし込める物語が、その人なりに完成しているからです。八方美人も悪いだけじゃないですからね。

最後に、物語を未来に繋げることも大切じゃないかと思います。「今までこんなことがあった。だから、今の自分は○○だ。だから、これから□□していきたい」。自分探しの結論は「自分は何がしたいのか」に至ることが多いと思います。数々のエピソードから今の自分が創られていることに気付くと、自然と物語の続きは浮かぶものかもしれません。自分探しとキャリアプランはセットですね。

そういうわけで、僕が思う自分探し(自分創り)のコツは「過去と今と未来を繋ぐ自分の物語を語ること」です。そのために、自分について省みる様々なエピソードを集めていくことです。そのエピソードは、まず過去の自分を振り返って見つけること。そして、今行動を起こしてエピソードを生み出していくこと。こうして集まったエピソードを束ねた先に、いったいどんな自分が見えるでしょうか。

これを頭の中でできる人もいますし、誰か身近な人に喋っているうちに見つける人もいます。僕は割と頭の中で自己完結させました(笑)が、語りの効果を考えたら、人に向けて話した方がより発展的でしょうね。ナラティヴ・アプローチというのもそういうもので、語り語られる相互作用が意味を成してうんたらかんたら。

後書き 自分探しは終わらない

本当はね、僕自身がどういうエピソードを経て自分という物語を創作したのかを例に挙げて語るべきなのでしょう。文章としても読まれるnoteとしても。でも恥ずかしいからね。

さて、この自分探しですが、先に述べたエリクソンさんやマーシャさんは「青年期」に行われる一大イベントだと考えていたようです。ところが、今は「一生を通して繰り返し行われるもの」だと考えられています。単純な話、人生で自分探しは一度とは限らない、ということです。若い頃に自分探しがきちんと終わっていても、自分の物語が納得行くように創作されていたとしても、です。

人生は長く、いろいろな原因で大きな変化を余儀なくされることがあります。また、小さな変化も度々起こります。そうした中で、今の自分、自己物語では対応しきれないことがあるのです。僕自身、最初の自分探しから何十年と経っているわけではありませんが、「続・自分探し」が必要だと思い当たるフシがなんぼでもあります。というか、たぶん何回か「続・自分探し」をしています。

また、実は創り上げたはずの自分物語のジャンルが偏りすぎていて対応できなくなることもあります。書き換えではなく、追加です。分かりやすく言えば「友人関係編」はできていたけど「恋愛編」ができていなかった。「趣味編」ができていても「仕事編」ができていなかった。みたいな。特に仕事なんて、働き始めないとわかりませんからね。「自分物語・補遺」を考える羽目になる人は多いのではないでしょうか。どうでしょうか。もちろん、追加に伴って既存の自分を多少書き換える羽目になることもままあります。

そうやって、人間ある程度自己固めをしつつも、凝り固まらずに柔軟にアイデンティティを書き直せることも大切みたいです。自分探しは完結しません。必要に応じて何度でも始まるんだ、ということを心の片隅に置いておいたらいいかな、と思います。


原稿用紙13枚分とちょっとでしたー。

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