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魔女の宅急便 才能についての物語

宮崎駿が監督をつとめたスタジオジブリ制作の第4作目となる「魔女の宅急便」

その前には、風の谷のナウシカ、天空の城ラピュタ、そしてとなりのトトロ。興行成績は右肩下がりとなり、ここは、という場面で生まれた「空を飛ぶ少女」の物語。


あらすじ

主人公のキキは13歳の少女。魔女の家系に生まれ、母のコキリと父のオキノの元で大切に育てられる。

魔女として生きることを決めたものは、13歳の春の満月の夜に親元を離れ、魔女の住んでいない町で1年間修行をする古いシキタリがあった。

物語は、キキが父親のラジオで天気予報を聞いているところから始まる。今夜が絶好の満月だと知ったキキは急いで支度を始め、父や母もそれを支援する。

海に浮かぶ町コリコに心を決めたキキは、自分の唯一の才能「空を飛ぶこと」を活かし、空飛ぶ宅急便屋さんを始める。

その中で、グーチョキパン店のおソノや、画家学生のウルスラ、空に憧れるトンボと出会い、物語は進んで行く。


物語の骨になっている「才能」


魔女の宅急便の中で好きなシーンや台詞は山ほどあるが、今回はキキの才能との向き合い方に焦点を絞って書いてみようと思う。

まず、キキにとっての才能「空を飛ぶ」ことについて書きたい。


※細かい内容はぜひ映画をご覧ください


映画後半で、魔法の力が弱まり唯一の才能である飛ぶ能力を失ってしまったキキが、森の中の小屋で画家学生のウルスラとやり取りをする場面がある。

魔法ってさ、呪文を唱えるんじゃないんだね。
うん、血で飛ぶんだって。
魔女の血か。いいね。私、そういうの好きよ。魔女の血(キキ)、絵描きの血(ウルスラ、宮崎駿)、パン職人の血(おソノ)。神様か誰かがくれた力なんだよね。おかげで苦労もするけどさ。

この血、という表現は、人間だれでも生まれたときから持っているものをさしている。

キキにとって、飛ぶことは特別なことではなく、物心ついたときから持っていた(魔女の家系で親から授かった)無意識の才能だった。


トンボとの出会いがキキを変える


親元を離れ、新しい町に降り立ったとき、空を飛ぶこと(空飛ぶ魔女や人力飛行自転車や飛行船)に強烈な憧れを持つ少年トンボと出会う。

キキは、新しい町で社会人として働き、飛ぶこと(宅急便屋)が仕事として成立し賃金が発生する過程で、飛ぶことを意識的に行うようになる。

ーーー

仕事も順調に進み、町の環境にも慣れ始めるキキだが、同時にトンボや同世代の少年少女と自分との違いに気づき始める。おんぼろの車を乗り回し、着飾った女の子たちが男の子とダンスパーティーに出かける様子などをみてキキの中に、自分を客観的に見る目が生まれる。それでも、唯一の才能である飛ぶことがキキの心支えていたが、

衝撃の敵があらわれる、あの飛行船だ。トンボが興味を抱くのはキキだけではなく、空を飛ぶ飛行船も対象になる。社会的に飛ぶことという枠で判断されたキキの才能はあまりにも小さく、ひ弱なものに感じただろう。

キキにとって飛ぶということの意味が分からなくなりかけたと同時に、魔法の力が弱まり、飛べなくなってしまう。


キキを変えるもう一人のキキ、ウルスラ


キキの仕事中のミス(贈り物紛失事件)に遭遇したウルスラが、キキを訪ね、一緒に森の中の小屋で一晩を過ごすシーンがある。

そういう時はジタバタするしかないよ。描いて、描いて、描きまくる
でも、やっぱり飛べなかったら?
描くのをやめる。散歩したり、景色を見たり、昼寝したり、何もしない。そのうちに急に描きたくなるんだよ

これは、過去にウルスラ(画家として生きて行くことを決めた少女)が体験した、スランプからの脱出方法なのだと思う。


キキにとって飛ぶこととは何なのか


物語終盤に、仕事のクライアントからケーキの贈り物をもらい、自分の仕事で新しい人と人の関係を築くことができたキキは、テレビの生中継でトンボが飛行船にかっさらわれる様子を目撃する。

以前のキキなら何も考えず、ひらりと飛んでいって助けにいけたはずだが、いまはもうできない。汗をかき、息をきらしながら走り、トンボの元へ急ぐキキ。

明らかに、飛べない自分にはどうすることもできないと思ったキキは、近くの掃除屋のおじいさんに頼み、デッキブラシを借りる。

この場面のキキの表情は、故郷のまちを旅立つときの意気揚々とした幼い少女ではなく、トンボを助けるために飛ぶ決意をした凛とした大人の女性の顔として描かれている。

以前のように、簡単には飛べず、新しい箒もいうことを聞かないが、それでも必死に飛ぶことに挑戦するキキ。

最終的にトンボを間一髪のところで救済したキキの元には、相棒のジジが駆け寄るが、以前のようには話せない。

エンディングでキキはデッキブラシにまたがって飛び、トンボや友人とも関係を深めている様子が描かれている。

キキは、ただただ持ち合わせた才能として飛ぶことを、社会に出て他者との関係の中で《自分にとって飛ぶこととは何か》を考え、スランプから脱出した。

最後にキキは、両親に宛てた手紙でこう綴っている。

落ち込む事もあるけれど、私この町が好きです。

落ち込む事=飛ぶことで巻きおこる事件、スランプ

この町=飛ぶことを軸に生きる私


キキは、飛ぶことを生きていくための軸として受け入れ、スランプに陥っても考えていくことを選んだ。


魔女の宅急便は

親元を離れて、旅立ちの時に持っていたもの

①母親の箒②父親のラジオ③もうひとりの自分である話す猫

を手放し、自分の才能に向き合い、ひとりの人間として歩き出すまでの物語だと考える。

恐らく画家として生きると決めたウルスラも、キキのように描くことが不意にできなくなり、何故描くのかを悩み、乗り越えてきたのだろう。

自ら飛ぶこと、描くこと、を選んだ彼女たちならばきっとこの後も、と思わせてくれる映画だ。


※参考

ジブリの教科書5 魔女の宅急便


#ジブリ #魔女の宅急便 #宮崎駿 #才能


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