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魂の居場所はどこにある?

さて、「私の勝負曲」というお題だが、これを挙げておきたいところ。

それが”Stranger in Paradise”

直訳すると『天国の異邦人』となる。

ボロディンの歌劇『イーゴリ公』より『韃靼人の踊り』が原曲。

京都、万福寺でのサラ・ブライトマンのライブ映像が最高。

なぜか・・・
私自身、何か特定の宗教を信奉しているとは言えないが、
その死後の世界、天国か地獄かの二択というものではなく、
現世の写し世ではないかと思っているところ。
宗教によっては天国と地獄の間に中有界を置くところもあるし。

つまり、人間が現世に生まれながらにして決して公平ではないように
あの世もまたそうした無数の階層からなるのではないかと思えてならない。

だから、天国(と呼べる場所)へ行ってそこで満足するのかと言えば果たして如何に?
という疑念が沸き起こり、
そこでまた新たに不満抱えるのではないか。
天国とは言えそこも試練の場ではないか。
あるいは天国にさえも居場所を見つけられず彷徨い歩くのではないか・・・

そう、『楽園の異邦人』と化すことを危惧していたり。

世界にはまだまだ貧困にあえぐ土地もあれば戦乱の渦中にある場所も多い。
海峡ひとつ隔てたすぐ隣の国さえもそう。
それを「地上における地獄界」だとすれば今の日本はじめ欧米の先進各国は天国と言えるでしょう。
その「地上の天国」に於いてもその住人が決してあらゆる満足を得られているとは限りません。
北欧の高福祉国家が決して人の心を満たしきれず高い自殺率を持っているように。

だから・・・
そんな「地上の天国」において居場所を探して彷徨っている自分。
夜が明けないのではないか?このまま目覚めることないのではないか?
といった念に苛まれ、夜明けを待って眠りに付くことが度々ある。
死を期待する自分と、死を恐れる自分が同居しているげっそり

話は変わるが・・・・
前世を占ったとき、中国東北部、ロシア沿海州あたりに身を置いていたらしき占断結果だった。
おそらくは遊牧民。砂漠かツンドラを渡り歩く存在。

そしてまたあるときには、大航海時代、どこかの海を渡り歩いて交易で身を立てていたらしい。
先に挙げた”Strenger in Paradise”
その原曲はボロディンの歌劇「イーゴリ公」の「ダッタン人の踊り」
やはり渡り歩くものを描いているもの。
そう言えば昔から、渤海、韃靼といった言葉に郷愁に近いものを感じていた。
その前世の記憶ゆえのことだろうか・・・

これまで同じ占いでこれまで繰り返した転生を辿ると、
地域、時代の差こそあれ早世することが多かった様子。
今生もまた、20代半ばにして生命の危機があった。
しかし切り抜けた。現代の医療と保険制度のおかげだ。
今生きているのは今の世に、今の地に生まれたがゆえのこと。
だから、今の私は既に天命を終えた余生を送っているだけの存在なのだろうか?
あるいは逆にこれまで現世で果たせなかった何かを遺すチャンスなのだろうか。
もし天命を果たしたならこれまでの経験の何かがそれのはず。
しかしそれらしき記憶はない。
つまり、その答えはまだ見つからないし。その気配すら見出せないまま日々過ごしている。
やはり彷徨ったままだ。
まだまだ迎えは来ないし、来る気配もない。
しかし、残された時間は刻々と減っていることを身体、精神あらゆる部分から教えられている。

現世においてなすべきこと。
それはこの世における最後の瞬間を迎えるまでに私自身の魂の居場所をしっかりと見据えておくことでしょうか。
次なる世において確たる自分の立ち居地を得るために・・・

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