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要求探索の話

ある人の出した「要求」や「目的」に対してすぐさま実現手段を考えるのではなく、「それは何故か」という問いを繰り返して「真の要求」「真の目的」を見定め、それらを実現するための手段を考える、というのは極めてまっとうな手順である。

しかし困ったことに、その人が必ずしも真の要求や真の目的を自覚しているとは限らない。むしろ正確に認識していなかったり、そもそも考えたことがない、というのが普通ではないだろうか。また、それらを正確に認識していたとしても他人に開示したくない、という場合もままある。

さらには、たとえ答えることができたとしてもそれはその場しのぎの「嘘の要求」「嘘の目的」であることもある。

そのような状況下で、いかにして「意味のある」真の要求を探索しうるか。

個々人の真の要求は一人ひとりの価値観と密接に結びついている。しかし価値観を直接問うても適切な回答を引き出すことはできないであろう。

であるならば、むしろ価値観を無理に言語化しようとせずに、個別具体的なものごとに対する選好性の探索にあえて留めること、つまり価値観の内包ではなく外延を記述することが、個々人の真の要求を引き出すための有効な方法なのではないだろうか。

もちろん価値観や真の要求を「取り扱い可能」にするためには、どこかで内包的なラベリングをせざるをえない。それは具体的には、外延を手がかりに帰納的に内包を推測するというプロセスになる。しかしそれはあくまでも暫定的な内包であり、常に外延を参照する回路が開かれているべきであり、それらの間の絶えざる往復運動によって内包を再確認し、更新し続けることが必要であろう。

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