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ダッチオーブンの哲学

アメリカに住んでいると年の瀬よりもクリスマス前が慌ただしくなる。特にうちは息子の誕生日がクリスマスイブなので、誕生日パーティとクリスマスが重なって何度もケーキやプレゼントを買う羽目になってしまう。といっても普段うちは慎ましい生活。年に1度だけちょっと買い物をして贅沢な気持ちになれるのでかわいいもんである。私はいつもあまり物ではなくて、みんなでどこかに行くイベントなどをプレゼントにしている。

今年は自分にキャストアイロンの鍋を買った。ダッチオーブンである。2クオートの小さめの赤いお鍋。明日のイブに作るスープにぴったり。今日はまず子ども用の唐揚げを揚げてみた。カリッと揚がって油も紙でしっかり取れるし、さっと洗った後もすぐピカピカ。うれしくて仕方ない。

コロナ禍以前は私はわりとこまめに料理をしていた。以前の方が子どもの世話や仕事が忙しかったはずなのに、なんでも一から食材を使って作っていた。なるべくプラスチックなどを使わずオーガニックのものだけを買ったり、料理法もなるべく健康的なものを心がけていた。友達もよく呼んだし、大量のご飯もよく作っていた。

それがコロナ禍になって全てどうでもよくなってしまったのである。

食べれるだけでありがたい。
生きているだけでもういいや。
みたいな。

お金を節約したいこともあって、あまり色々買ったりせずあるものを適当に食べるようになった。そしてコロナ禍が少し落ち着いてみんなが仕事場や学校に戻っていった後も、時間はたくさんあるのに料理したい気持ちは全く戻ってこなかった。

中学生だった子どもはコロナ禍で大変だったけれど、よく考えたら私自身も影響を受けていたんだと初めて気がつく。キャストアイロンの鍋を見ているうちに、そんな想いがふつふつ沸いてきたのだ。

これからはやりたいことをやろう。
いつも恐れていたことをやろう。
過去を振り返ってグジグジするのをやめよう。
作りたい料理のイメージが膨らんできた。
まずはパンを焼いてみたい!

お父さんが亡くなって1年半、いまだに悲しくて看取ってあげられなかったことを後悔することがあったけど、逆に言えばお父さんがいなくなったことで私は一つ自由になったんだと思えばいいんじゃないか。お父さんが自由にしてくれたんだと。新しい一歩を進みなさいって言ってくれているんだ。苦手なことや、できないことがあったとしても、怪我したり、病気したりしても、工夫して補正してそれなりに同じ方向を目指せばいいんじゃないか。

NYの舞踏ダンサーのEikoさんはこう書いていた。
“You can wait for a museum curator to knock on your door, or you can just go ahead and do it yourself. So I am choosing the latter, because I never waited for an important person to come; I’ve always shown our work”
(二つの選択がある。美術館のキュレーターが家のドアをノックしてくれるのを待つか、先に自分で作って持っていくか。私はいつも後者を選んだ。だって大切な人が来るのを待ったことなんて一度もないから。私はいつも自分の作品を見せてきた。)

これが私の作品です。
ヘタかもしれないけれどベストを尽くしてやりました。
人間なんてそんなものでいいんじゃないか。

唐揚げを揚げながら、足元にやってきた愛犬をぎゅーっと抱きしめてそう思った。笑

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