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戦争は巨大なビジネス

今年に入り、にわかに「戦争」がリアルに感じられる局面に入ってきた。未だ遠くの国で起こる惨事だという認識を持っているかもしれないが、もう既に着々と準備は進められていると見ていいだろう。

それは情報操作、価値観の刷り込みが浸透したままでの我々の日々の小さな選択や一人ひとりの意思表明、そして何より「関心の低さ」よって徐々に導かれてきた。

少し長いが今一度、拙著「まなざしの革命」の第三章「平和」から以下に引用する。この章は元々「戦争」というタイトルだったが、自分ごとに思えないのではないかという意見もあり「平和」に変えた。

以下の引用は戦争の力学だけしか取り上げていないので、平和に向けて我々が何をすればいいのかを読み取るのは難しいが、もし何か感じるところがあるならば、この章全体を是非読んで頂きたい。きっとあなたのまなざしに革命が起こるはずだ。

以下、「まなざしの革命」第三章「平和」より

「戦争が始まる表の理由には、国際的な秩序と平和を乱す国に対する集団安全保障という大義が掲げられる。だがその正義や大義の陰で戦争が企まれる理由はたった一つだ。それは、「利益」である。その利益とは国家にとってのものではない。「戦争屋」にとっての利益である。

戦争では真の問題からまなざしをそらすために、権利や平等といった美しい言葉が並べられるが、それによって利益を手にする人々は社会では巧みに隠されている。だからこそ、戦争が一体誰によって仕掛けられているのかという見方が必要になる。戦争とは巨大なビジネスなのである。

(中略)

ちなみに2020年以降でも各国の軍事費は増大している。パンデミック下の2020年では世界最大の軍事力を誇るアメリカの軍事費は、およそ84兆円、全世界での軍事費を全て合わせると約214兆円となった。

これは実際にミサイルを打ち合うような交戦時ではなく、平時にかかる軍の維持費である。戦闘員の人件費や訓練費、兵器の開発・調達費、弾薬や燃料の備蓄費用など、防衛に備えるために使われる私たちの税金は膨大だ。これが戦時になれば、この維持費に加えて戦費が必要になる。

経済的観点から戦争を見ると、基本的には軍隊は何かを生産しているわけではなく、消費する一方の存在である。だから毎年5兆円以上を投資したとしても、それが回収されることはなく、掛け捨ての保険のようにその大半が失われていく。

資産として残るのは兵器であるが、これも常に新しい軍備を維持するには定期的に購入し直さねばならない。だから、兵器を商品にしたビジネスをする軍需産業は、定期的に商品を使ってもらわねばならないという理屈になる。

それに一度購入した兵器の維持費も、ものすごい額だ。防衛省の試算では米国政府を窓口にしたFMS(対外有償軍事援助)で購入した兵器の維持費だけで.廃棄されるまでの20〜30年間に2.7兆円以上が必要であるという。何もせずとも、これだけのお金がかかる。

(中略)

戦争が始まれば平時とは比べ物にならないくらいの戦費が必要になる。実際に歴史上、どの戦争にも莫大な資金が投じられてきた。日本が近代化以降に経験した戦争では、日清戦争で約2.3億円の戦費が投じられ、それは当時の日本のGDPの約17%に相当する額だという。

日露戦争の戦費は約18億円で、当時のGDPの約60%にも上る。これが太平洋戦争となると、とんでもない額に跳ね上がり、その戦費総額は約2千億円となる。当時のGDPは228億円なので、実にGDPの約880%に上るお金が戦争に費やされたことになる。

(中略)

国の指導者の多くは、国防や国家としての主権を保持するために、軍事力が必要であることと同時に、戦争はマネー・ゲームであることを理解している。だから怒りにまかせて戦争をするわけではない。実際に前線で命をかけねばならない軍隊も、決して戦争がしたいとは思っていない。

だが、さまざまな力学で戦争せざるをえない状況に追い込まれていく。圧力をかけて戦争をさせてたがるのは誰なのか。脅しや甘い話に乗って、利用されるのは誰なのか。そんな事情を知らずに、チープに掲げられた反戦論を信じて正義を煽られるのは誰なのか。それを冷静に見つめるまなざしが増えることが、本当の戦争の抑止力になるずだ。」

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