「それぞれの革命」(2021年10月)
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「それぞれの革命」(2021年10月)

Chikahiro Hanamura

●10月4日/4th Oct
本日、ようやく脱稿した。長い戦いだったが、結局19万5千字に及んだ。もう体力と能力の限界で、これ以上は今の自分からは出てこないだろう。
これが出版される頃に世の中がどうなっているのかはわからない。だからひょっとしたら読んだ友人の半分を失うかもしれないし、結果がどのように受け止められるのかはわからない。だが、力の限りを尽くして書いたので、どのような評価になっても甘んじて受け入れられそうだ。
結局僕らは、何かの問題が起こったとき、いつでも人や何かに原因を求めて、自分のせいではないと言いたがる。自分は被害者で、悪いのは相手であり、社会であり、システムだと指差すのだ。でも、そうやって指差すだけで自分に原因を求めなかったから、その結果として今の問題を受け取っているのではないか。
でも、もう被害者でいることはやめにしないか。それよりも自分のモノの見方をラディカルに変えた方がいいんじゃないか。巧みに騙そうとする者はいるが、騙されないように自分をしっかりするべきなんじゃないか。そのために知っておくべきことを一緒に確認しよう。そんなことをメッセージとして込めたつもりだ。
なぜか今回のテーマソングに結局なってしまった渡辺美里の「my revolution」を聴きながら、へぇー作曲って小室哲哉なんだーとか、これヴェイパーウェイブのムーブメントでは取り上げられてないので、シティポップではないのか、とか思いながら「おわりに」を書いていると、感極まって涙が出そうになる。まだまだ出版までにいくつもプロセスあるが、ひとまずピリオドを打てたことに心より感謝。

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●10月6日/6th Oct
執筆終わったら、押しのけていた仕事がなだれ込んで来る。建築デザイン案件の定例ミーティングが早速やってきて、現場で決めて行かねばならないことが山積み。半年前に提案した別案件の建築設計の仕事も連絡があり、綱渡りというか綺麗に順番にやってくる感じ。
人は死ぬまでの間に何かをしているわけだが、いつであっても、結局その時にできることは一つしかない。だから手を抜かずに欲をかかずに観察しながらその場その場を淡々とやるしかないのだな。

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●10月12日/12th Oct
図像学的な見方の話を来年一コマだけしたいと考えているので、ルネサンス以降の美術について学び直している。
作り手・描き手の目線に立ってみると当然だが、何を構図に登場させるのかは、周到に用意されて計算されている。だからどういうモノや背景がどういう意味を持つのかを知っていると、絵画の見方は格段に面白くなることを伝えたい。
さらに、そんな見方する人はほとんど居ないが、西洋絵画の図像学的な読み取りは、実は現代でもメディアや映画、エンタメの読み取りに使えることが多い。
そんな観点に加えて、西洋美術をジェンダーから捉える研究者の話をお聞きしていると、知らないことばかりで学びが多い。北方ルネサンスからマニエリスム、ロココあたりで活躍した女性画家には面白い人が結構いたんだなと勉強になる。
自分自身はルネサンス以降の美術の中で女性画家に着目したことはほとんどなかったので、まだまだ盲点ばかり。やはりどんなテーマでも別の視点を提示できるジェンダー研究というのは、あらゆるテーマに必要だと改めて感じる。

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●10月15日/15th Oct
世界各地で既に始まっているようだ。日本にもおそらく押し寄せるだろうが、どういう形になるのかはわからない。550日ほど静観してきたが、もう少ししたら口を開くタイミング。

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●10月17日/17th Oct
最終的には我々自身が証券化される布石が打たれたということか。なんてこと考えるんだろうね。いや、いかにも考えそうなことか

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●10月18日/18th Oct
実験的にポッドキャストを始めることにします。題して「まなざしの革命放送」と大それた名前をつけました。今回は準備と練習の回なので、あんまり意味あることは話してません。これから回を重ねる中で、少しずつ考えていることを共有していこうと思いますので、ゆるりと聞いてもらえれば嬉しいです。

●10月19日/19th Oct
「まなざしの革命放送」という、ポッドキャスト配信を始めました。昨日のは実験放送なので、本番ではありませんが、本日のVol.001は「見方が変わらない上司」というタイトルで、20分ぐらいゆるりと話してみます。
よく、「自分の上司は固定観念が強くて、なかなか見方を変えてくれない。どうすれば見方を変えれますか?」という質問を受け付けます。そんな時には一度「アウトキャスティング思考」で考えてみるのはどうでしょうかと答えることがあります。さて一体何のことでしょうか。

●10月22日/22th Oct
「まなざしの革命放送」
Vol.002世界の見方が変わる時
私たちが何かを見るとき、純粋に見ているのではなく、頭の中の想像や見解が混じっています。その見方が変われば現実そのものが大きく変わることがあります。

●10月23日/23th Oct
社会人大学院の修士論文中間発表日の前半。ほとんど初見で内容掴んで、的確なアドバイスを返さねばならないので、とても疲れる1日。のはずだが、なぜか論理的、分析的な思考をしているときの方が妄想が少なくて、普段よりも楽な感じもあるのが不思議。
論理的なだけで良い枠組みで語るのと、ある程度理解促したり、楽しませなくてはいけない枠組みで語るのとでは、ちょっとセッティングが違う。後者は自分の感情を使わないといけないので、終わると疲れる。

●10月24日/24th Oct
新聞とテレビでの報道は概ね正反対に読めば、輪郭が見えてくる。ある情報が取り上げられ、あるトーンで報じられるのは、その情報にフォーカスさせて、そのトーンとして受け取ってほしい人々がいるということ。次の本ではその辺りはある程度詳し目に書いたつもり。
大学での研究や学会の論文が虚しいのは、社会で共有されていることを前提にして進めざるを得ないからだ。特に日本は前提を崩す革命的な見方に対しては寛容さがない。本質的なことは言えないのならば衰退していくだけだろうとは思う。

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●10月25日/25th Oct
現場が内装、外装ともに随分と仕上がってきた。後は一番の難所である中央の空間の素材実験、前室の現象演出、ランドスケープの下草植栽の選定という課題があるが、イメージ通りに進んでいるのではないかと。

●10月26日/26th Oct
まなざしの革命放送
Vol.003社会から排除されてしまう条件
誰もが自分は常識的だと思っています。ですが、常識とは何なのかについては誰も理解していないのではないでしょうか。非常識であれば社会から排除されてしまいますが、自分の考えが常識か非常識かをどうやって知ることが出来るのでしょうか。

●10月27日/27th Oct
インフレとデフレの定義自体が巧妙にミスリードされているから気づきにくいのだが、そもそもの定義を素直に考えれば、あれだけ赤字国債出してたらハイパーインフレになるのは必然だろう。貨幣については丸々一章分を使って書いたが、放送でもどこかで触れるか。

●10月28日/28th Oct
多くの人が「常識」に関心が無いのは、自分が常識を備えていると思っているからなのだろう。でも気がつけば自分の常識がとんでもない非常識になっていることもある。自分の中で何が常識になっているのかを確かめることなく生きていると、後で慌てふためくことになるかもしれない。

●10月29日/29th Oct
今日の革命放送では、今週末の衆院選の前にもう一度、法治国家や民主主義とは何だったのかを確認してみようと思います。国の前提となる憲法や統治のあり方が、パンデミックによって例外状態が生まれたことで、変わろうとしているのではないでしょうか。
そもそも三権分立って成立しているのか。この緊急事態によって民主主義のあり方がどう変わるのか。政府と憲法の関係はどうだったのか。なかなかSNSでは言うのは難しいですが、とても基本的なことを改めて考えてみたいと思います。
まなざしの革命放送
Vol.004
パンデミックと民主主義
・SNSの限界
・三権分立
・政府と憲法
・緊急事態と常識

●10月30日/30th Oct
期日前投票に行ってきた。国民主権などという言葉が形骸化しているのは、誰もが気づいている。入れたい議員などいなくて、まともな政策を立てている政党などないかもしれない。それでも一応、法治国家と民主主義という枠組みの中で国民が唯一行使できる権利が投票だ。
多くの人は選挙権や投票権は当たり前にあるものだと思っている。だが僕自身は20代半ばまで投票権などなかった。日本に生まれ、日本で育ち、普通に税金を納めていても、自分の自由に関わる法律を定める代表を選出する権利などなかった。つまり国民ではなかったのだ。
三権分立の中で我々が唯一行使できる権利が「立法府」である国会議員を選出することだ。今回は「司法府」の最高裁判官の国民審査権を行使できるが、「行政府」は我々に決めることは出来ない。立法府の第一政党から行政府の長である内閣が、なぜか自動的に決まる仕組みがとられており、実質は二権分立となっている。
それに加えて、昨日の「まなざしの革命放送」でも話したが、このパンデミックで世界は「例外状態」へ移行し、通常のガバナンスが機能しない状況に入っている。この選挙の結果も、その後に何が起こるかも筋書き通りに進んでいく算段が見え隠れする。形骸化した投票だけで我々が国民としての主権を行使できるとは思えないが、国民とは誰で主権とは何かを考える時間として投票という行為は有効なのではないか。

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Chikahiro Hanamura
大学准教授として研究するかたわら、デザインや美術などの芸術表現、映画や舞台などでのパフォーマンス表現も行う。