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「革命旗を探せ」(2022年2月)

●2月1日/1st Feb
「まなざしの革命」が書店のどの棚に置かれているのかを観察すると興味深い。旭屋書店なんばシティ店では「ビジネス」に、ジュンク堂なんば店では、「時事評論」に、八重洲ブックセンターでは「日本現代思想」に、丸善丸の内ではなんと「デザイン」の棚に置かれていた。ということは良くも悪くもカテゴライズ出来ないということか。

多くの人は専門が決まっていて、その専門について書く。そしてその専門の棚に置けば読み手と大体マッチングされる。だが、それは一方でまなざしが固定化されることを進める。本当に大事なことは専門の棚には回収されるべきではないのだろう。ちなみに僕の本は誰が読んでも良い内容にしているし、誰にでも関係する。

だからどこに置かれても良いのだろうが、専門を読みたい人の目には留まらないだろう。タイトルからして何が書いてあるかさっぱり分からないからだ。自分とは関係ない本としてスルーする。多くの人はわかりやすいタイトルでないと目を留めることはない。

万が一、これが売れるようなことになれば、棚が変わるのだろうか。その反対に、棚を変えれば売れるのだろうか。棚を変えるには書店の目利きが多分に左右する。多くの書店員は毎日50冊も入る新刊本に目を通す時間はないのだが、その中には目利きの書店員がいるものだ。そこを信じたい。

有隣堂アトレ恵比寿では、哲学・思想でした。
有隣堂アトレ目黒では、「福祉資格」に!なぜ?
旭屋書店なんばシティ店はビジネス。
神保町の東京堂書店さんは「ビジネス読物」の棚か。面白いね。
三省堂神保町本店では「社会問題」の棚。なるほどね。
MARUZEN福岡では、景観工学コーナーでした。
広島ジュンク堂は社会。まわりに池上彰さんがいっぱい。
ジュンク堂明石店では「景観工学」でした

●2月1日/1st Feb
 旧正月の新月の晩に「まなざしの革命」のイベントを青山ブックセンターでさせてもらいました。来にくい時期にも関わらず、会場にも結果的に沢山の方がお越しになり、またウェビナーでも大勢の方に聞いて頂けたようで、心より感謝いたします。
 ディスプレイの設定で、スライドの表示がうまくいっていなかったり、来場者の質問音声が聞き取れなかったりと不具合があり、オンラインでご参加の方には不都合おかけいたしましたが、最後まで暖かく見守って頂き本当にありがとうございました。
 今回はちょっと実験的なイベントでもあり、最初と最後に本の朗読を入れたり、会場の空間演出をしたりと、演劇仕立てにしてみました。オンラインでは伝わらないのが残念ですが、会場でご覧になった方は、普通のトークとは少し違った手触りになったのではないかと思います。今回制作した「革命前夜」という映像の世界観を講演でも演出しむした。
 プレゼンも初卸のものなので、まだ小慣れてませんでしたが、今日は1章、2章を中心にお話ししたので、少し殺伐とした感じだったかもしれません。ただ今が革命的な状況であることが伝わればいいなと思っております。
 実は本一冊分を丸々ビジュアル化してスライドにしているので、また機会があればプレゼンやってもいいですが、前著の教訓からプレゼンすると読まない人が出てくるので、今回は封印しています。
 今夜は旧正月で新月の重なる日で、会場からの質問にもリラックスして答えることが出来たように思えます。ただ事前にTwitterで頂いていた質問にはお応え出来なかったことだけが悔やまれるので、そちらについては、また別の何らかの形でお応え出来ればと考えております。質問お寄せ頂いた方々にはお詫びと感謝をお伝えいたします。
 本がこの先どのように社会に受け止められるか分かりませんが、個人的にはひとまず新しい月の日に良いスタートが切れたのかなと思っています。支えて頂いた多くの方々に心より感謝いたします。

●2月2日/2nd Jan
 12月に「まなざしの革命放送」の公開収録させて頂いた生駒ビルヂングの生駒さんが、まだ6章までなのに嬉しい感想を寄せてくれました。本屋巡りをしていると、凄いプロモーションが展開されている本が山ほどあって、その中で僕のような名の知られていない者の本は埋もれてしまいがちですが、読者の方々が、一人一人寄せて頂ける感想が本当に頼もしいです。心より感謝。

●2月3日/3rd Feb
 反応薄いけど、まぁそんなものだと思っている。いくら大事なことが書いてあっても、手に取る人、読む人が少なければ、それは社会では無かったことになる。読んだ人の中では何かが残るのだろうが、それがすぐに言葉や行動に繋がらないということは、内容にそこまでチカラがないか、あるいは簡単に言葉に出来ないぐらい深く響いたかのどちらかだろう。
 昨日のイベントも同じで、聞いて頂いた方々の手応えは大きかったし、自分としても意味あること出来たかなとは思うが、それぞれがどう感じたかをすぐに言葉には出来ないのかもしれない。きっとこれから言葉にすることもなく時が過ぎていくだろう。人の反応というのはそんなものだと思っている。
 本当に心に響いたのであれば行動に移すだろうし、逆に言えば行動として表れなければ、その程度しか響いていないということなのだろう。どのように響いたのかは、僕の範疇ではないし、そのことに一喜一憂していると、こちらのメッセージが曇るので感知しない。ただ行動出来る人には敬意を感じる。
 本屋に行けば山ほど本が並んでいる。その中で本当に読むべき本がどれくらいあるのか分からないが、人が手に取る本は著名人の本か、タイトルから自分が得られるものがわかりやすい「役に立つ」ものだ。そういうものは目立つ場所に置かれるので、またそこに人々のまなざしはフォーカスされる。
 まさに本の中でも書いたように「人は自分が見たいものしか見ない」し、「人は多くの人が見ているものを見たがる」。そんな中で僕の本が目に留まることも、手に取られることも難しい。だから永遠に出会えないのだ。まさに資本主義の構造そのもので、人も金も意識も、集まるところにさらに集まる。
 その潮目が変わる兆しはあちこちに現れてはいるが、その流れを生み出すのは疑問を感じて、実際に行動する人々だ。僕自身の役割は疑問を与えることなのだが、それを受け取った人々が実際に行動するかどうかまでは分からない。多くの人は口では表明するが、行動するには至らないだろう。
 しかし、その中には気骨のある人が何人かは居るものだと信じている。僕の話を聞いて、今の社会に疑問を持ち、世間の流行りに流されず、自分の頭で熟考して、実際に行動に移す勇気のある人が。そんな人々は決して自分が何かを得たいという「利」だけでは動かない。
 今の社会の価値観から「離」れ、本当に大事なメッセージを今の世に届ける「理」を感じ、行動に移すだろう。そういう人々がまなざしの革命家であり、きっとそういう人々を通じて僕の本は拡まっていく。メディアや著名人や、資本の力や政治的な意図で拡まるメッセージよりもよほどチカラを持つのだろう。

●2月3日/3rd Jan
拙著「まなざしの革命」をお読みになった方が、書評をお書きになっているようなので、シェアさせて頂きます。こんなに熱く綴って頂き、心より感謝です。これまでも僕の本について語ってくれる方は、Amazonなどにはほとんどいませんが、こういう所にちゃんと読んで頂いている方がいることに救われます。心より感謝いたします。

●2月4日/4th Feb
松山の荒木さんが、拙著のご感想をお書き下さいました。気恥ずかしいですが、ストレートなご感想に素直に嬉しいです。心より感謝です!

「まなざしの革命」ハナムラチカヒロ著を読了。
良い本である。
今の時代こそ、一人でも多くの人に読んでいただきたいと思う。
ハナムラさんは、自分でも書いておられるようにアートとデザインの人である。ランドスケープやインスタレーションの作品は、それはそれは素晴らしい。縁あって大阪大学で一緒に働いていた時も、面白い思考と宇宙を愛する素晴らしい作品を作る人だと思っていたし、話していて気分の良い人だった。

そして、読み始めたら「えっ、思想の方に行くの?」という感じで面食らいながら、長さ(分厚さ)と密度にちょっと怯んだ。
装幀は鈴木成一さんである。ブックデザインにかかる前に全文読まれたそうだ。それが装幀に現れている。
真っ白な艶のある表紙に、本文1段組。
読み進めるごとに背筋が伸びて行った。
具体的なデザインの本ではないが、これは世界をデザインする「革命」である。そのための「まなざし」。
その内容がブックデザインに表れている。
これだけの「長文」を1段組で読み進めるには、精密な文字組みがなければ無理だ。

コンピュータとパンデミックのおかげで「デザイン界」も悩んでいる。いや、社会全体が悩んでいるからこそ、良いデザインが出てこない。
「常識・感染・平和・情報・広告・貨幣・管理・交流・解放」の9つのキーワードで考える私たちの「盲点」。とある
そうなのだ、「盲点」へ向けてのまなざしが、豊富な知識とピンポイントな解釈で展開されている。
経済も、社会も、情報も、まだまだ「まなざし」を変えれば、変えていける。「革命」という言葉で、「過激に変えてもらえる」と思うのは間違いだ。まずは、自分の足元から変えていけば、少しづつソフトに変えていける。
それこそ中島岳志さんの「おもいがけず利他」にあった「与格」でいけば「革命できちゃった」となっていくのが良いのだろう。

ハナムラさんは、2020年に時代の様相が変わったと書く。私も、2019年暮れから大阪を離れ、2020年から愛媛生活が始まった。
そして「地方」と呼ばれる山村や漁村を知った。そこにいる若者たちも。
ハナムラさんの「革命」は、若い人の間から起こりつつある。
それは「大都市」から見た「地方」ではなく、暮らしている「地方」からの生活提案だ。
「3つの<り>」(あえて漢字は書かない)を内子など愛媛の若者たちは始めようとしている。都会から来た人もいるし地元で育った人もいる。
パンデミックで「ソーシャルディスタンス」を強いられている今こそチャンスだ。「私たちが地球を救うのではなく、地球が私たちを救う」なのである。いっぱい良い言葉があったが、ネタバレするので、本をお読みください。
#まなざしの革命
#ハナムラチカヒロ

●2月5日/5th Feb
朝から今まで、修士論文の口頭試問。zoomでやるのは初めてなので、どうなるかと思ったが、意外といけるものだ。頭が論理モードなので少々疲れた。

●2月6日/6th Feb
 今は戦時中だという認識をどれくらいの人が持っているのだろうか。拙著「まなざしの革命」では「平和」という章を設けたが、これは元々「戦争」という章だった。「戦争」だと身近に感じる人が少ないのではないかと平和に変えたが、ここのところは戦争の方がリアルに迫る世になってきたように思える。
 戦争は国境で始まるものだけではない。国の中でも既に起こっている。それはSNSの中でも、芸能の中でも、たとえ平和を求めて起こすデモの中にも戦争の種は潜んでいる。戦争とは起こるものではなく、起こされるものだ。その認識を持たないと現代社会では翻弄される。そんなことを「平和」の章で書いた。
 自分の中にある小さな怒りの炎に、外から油が注がれる。それはわざと煽られていることに気づく必要がある。「まなざしの革命」を読んで、その時に理解し賛同していたとしても、自分は違うと慢心していると簡単に罠に引っかかってしまうだろう。
 拙著は単なる入り口に過ぎない。それを読んだ人がその後、どういう態度で生きるのが重要になるだろう。人間は簡単に罠に嵌まるので、常に自分に気づいていることが必要だ。

●2月6日/6th Feb
 「まなざしの革命」を読み終えた方は、謎解きとしてもう一度YouTubeの映像「革命前夜/the Night before our Revolutions」をご覧になると、映っているモノの中に色々と発見があるかと思います。読む前には意味が分からなかったものに気づくかもしれません。
 映像に映っている様々なモノは、本の中で出てくる何かを象徴していたり、説明していたりします。映像には映り込んでいないイメージ画像はInstagramのmnzs_no_kskumeiのアカウントで、順次上がっていきますので、そちらも是非。
 映像の中に本との関連を発見したり、意味に気づいたりした方は、またInstagramの方に書き込んで頂ければ、面白いかと。その他、色々と仕掛けを散りばめておりますので、それも合わせてお楽しみに下されば嬉しいです。

●2月7日/7th Feb
 「まなざしの革命」の試し読みとしてWirelessWireNewsで、各章の抜粋が掲載されております。今回は第二章から抜粋されており、いま皆さんが最も気になる話題かと思われます。

この箇所だけ読むと誤解があるかもしれませんが、もう少しその背景や根拠、そしてこの先に何が待っているのかなどをお知りになりたい方は、是非続きを本書でお読み頂ければ幸いです。

●2月9日/9th Feb
 拙著「まなざしの革命」の革命旗を立てる日々。丸善高島屋大阪店では「社会時事」、紀伊國屋本町本店では「哲学」、文教堂フェスティバルプラザ店では「文芸」、ジュンク堂大阪本店では「時事」に置かれていました。帯にランドスケープとか入っているんで、景観工学に置かれることがあるけど、書店員さんが本の内容を見てくれているか、プロフィールを見て判断しているか書店ごとによく分かる。

大阪ルクアのTSUTAYAでは、「社会」にありました。
グランフロント大阪の紀伊國屋は「現代思想(日本)」にあった。
ちなみに「まなざしのデザイン」はデザインコーナーに、「ヒューマンスケールを超えて」は宗教のコーナーにあった。
大阪のbook studioでは置いてなかったので、お願いしました。
Book1st梅田二階店でも表向けて置いてくれていました。革命旗をなびかせる。

紀伊國屋書店梅田店では「新刊・話題の本」と「日本思想」に、MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店でも「ビジネス」の話題書と、「その他社会問題」に置かれている。しかし書店の入口近くの棚に置いてもらえるのは本当に嬉しい!あと二週間もすると引き上げられる可能性もあるので、この間に読み始めた方々が、口にしてくれるようになることを期待。

今回、各書店に立てている革命旗はそれぞれの店の雰囲気や置かれている棚の特性などを考えて、その場で手書きのメッセージを添えている。おそらく孤立している革命家の卵が全国にいるので、その方々にあなたは一人ではないと訴えたい。

ジュンク堂書店三ノ宮店では「日本人論」と「都市論」の二つの棚に「まなざしの革命」が置かれていた。でも都市論の棚には「まなざしのデザイン」は無かった...都市論の方は完全にプロフィール見て置いてもらっているけど、日本人論に置かれるのは面白い。ここでも革命旗を二つ立てる。

紀伊國屋書店神戸阪急店では「まなざしの革命」は「哲学・思想」の棚に。書店員さんのお話を聞くと、この店ではこの棚に若い人が来るらしく、そこに届けたいとのこと。政治や時事評論の棚はあまり若い人が来ないらしく、ここで釣り糸垂れて待っていると仰っていた。全く僕もそう思うし、若い方にこそお読み頂きたい。革命旗の文言にも力が入る。

ジュンク堂書店三ノ宮駅前店では「まなざしの革命」は「日本論」の棚に。隣には「時事評論」「経済評論」ご並ぶ。今回面白いのは、日本論や日本現代思想に入ることがあること。日本を意識したわけではないのだが、そうなるのか。日本を転覆する気はまるでないのだが、ここにも革命旗を立てる。

●2月9日/9th Feb
 おやじキャンプ飯でもブレイク中の映画監督の馬杉さんが、拙著「まなざしの革命」を読了されたとのことで、書き込んでくれました。いつも「まなざしの革命放送」もお聴き頂いていたようで、また再開して欲しいという声もお寄せ頂き、とても嬉しいです。こうして再開の声をお寄せ頂けると、また始めようかなという気になりますー。ある程度、本が読まれた頃合いを見て、シーズン2では何か対話型とかも交えてもいいかなとか。いずれにしても、本当にありがとうございますー。

●2月9日/9th Feb
 1日に回れる限界があるが、これで大阪-神戸の13店舗、東京の10店舗に「まなざしの革命」の革命旗が立つことになる。今回はコロナ禍の中で全国講演が難しいので、各書店を地道に回り、書店員さんの声を聞きながら、ポップの文言をその場で書いている。
 僕の本は出来るだけ書店で買ってもらいたいと思っているのだ。Amazonは便利だけど、街で頑張っている書店の利益には全くならないし、実は出版社としても赤字になることがあるという。書店での本との出会いはとても大事だ。だがこんなに沢山ある本の中で何を読んで良いのか多くの人は分からない。
 各書店では最大で50冊ぐらいの本が毎日のように入ってくる。書店員さんは売り場を工夫して、求めている人に適切な本を届けたいと思っているが、そんな膨大な量をさばくには限界がある。書店員さん達だって売れれば何でもいいというわけではないのだ。
 書かれている内容は読むまで分からない以上、名前が知られている人の本を手に取りがちな中、書店員さんも出来るだけ意味のある本とお客さんをマッチングしたいと思っている。だからその後押しをしたいと思い、書店巡りをする。
 この社会の現状をどう考えていいか分からない中で、ヒントをみんな求めている。だから僕の本を読んで、少し自由になれる人が増えるといいなと、切に願っている。だが、僕自身の力不足でそれは全然届かない。自分がもっと著名で、お金を持っていてマーケティングに注力できるくらいチカラがあればといつも思う。
 自分に無いものを見つめるよりも、自分に出来ることを見つめる方が大切だ。今、自分に出来るのはこうして書店員さんの声を聞きながら、メッセージを直接届けることぐらいなのだが、それでも全国の書店を回れないのが歯痒い。
 だからもし僕の本をお読みになった方々や、放送をお聞きになった方々で、内容に共感してくれる想いがあるのならば、どうか助けて欲しい。革命旗が立っている本屋には僕が書いた全部違ったメッセージがある。本を読んでほしい身近な方に、革命旗の立つ本屋さんを是非進めてもらえれば嬉しく思う。
 そして拙くても、まとまっていなくても、整理がついていなくても、いい。自分の言葉で本のメッセージを是非伝えてもらえれば嬉しい。全てを理解していなくても、心が動いた部分を素直に表現すれば、きっとあなたの言葉は誰かに伝わるはずだ。
 一人一人の出来ることは限られている。でも一人一人から始めなければ何も動かない。本の最後の「解放」の章にもメッセージとして込めたが、皆さんは無力ではない。それぞれが自らのまなざしの革命家になる可能性を秘めているのだから。

こんな動きが始まっている...。


「まなざしの革命」を探せ。各地域で起これば面白いな。どの棚にあるのかも含めてレポートして下されば嬉しいー

●2月10日/10th Feb
 明日の午前11時ごろから、友人でもある神戸の藤井淳史さんがしているスタンドFMの番組に出演します。ここのところ「まなざしの革命」の話ばかりだったので、明日は本当に馬鹿話だけしようと思ってます。多分あんまり意味のない話しかしないと思うので、関心ある方が居られるか分かりませんが、もし暇なら聴いて下さいませー。

●2月11日/11th Feb
 スタンドFMのライブ放送終わった。藤子不二雄の話とか、アニメとか音楽とか、呪術とか刀削麺とか、普段の講演とか自分のポッドキャストでは全く話さないようなことをいっぱい話した。
聞き手がいるとやはり、普段話さないようなことがひきだされるな。まなざしの革命とは全く関係ない馬鹿話ばっかりだったけど、こういう話もたまにはやってもいいのかなーとか。誰のためにもならないかも知れないけど...。ともかく藤井さんありがとうございました。

●2月11日/11th Feb
 来週の観光学術学会のシンポジウム「観光と倫理」での発表と論文に格闘する日々。それが終われば3月の国立地球研とフランスの研究機関との国際シンポジウム「the Arts of Living with Nature」での発表がある。どちらもオンラインというのが残念だが、仕方あるまい。

●2月12日/12th Feb
今、観光学術学会のために書き進めている「まなざしの倫理」という論文は、拙著「まなざしの革命」の第七章の補足のようなものになりそうだ。分量的には一章分くらいなのだが、観光と倫理という一見関係なさそうなテーマから掘り下げている。
 何だか終わった本の続きを書いているようで奇妙な感じだが、自分の中ではまだまだ書きたいことがあることを発見する。おそらくそれは自分が今感じている社会への危機感に対して、あまりに周りの危機感が薄い状況があるからなのだろう。
 このギャップに気づかないぐらい感覚が鈍化している状況が生まれたこの30年の享楽主義の恐ろしさに改めて震え上がる。まるでミラン・クンデラの言う「悪魔の笑い」が聞こえてきそうである。
 本でも書いたが、私たちの世代の愚かな選択によって私たち自身がその結果を受け取るだけなら良いのだが、次の世代に結果を受け渡すことになる。観光だアートだ、エンタメだクリエイティブだ、自己表現だ、と楽しいことに興じるのも良いのだが、その間に何が進んでいくのかを後ほど知っても因果の流れは変わらないかもしれない。

●2月13日/13th Feb
 テレビも持っていないし、オリンピックには興味を感じないので全く見ていないが、選手不正の情報には思うところが色々とある。 「まなざしの革命」を自分ごととして読んだ人は、簡単に拳を振り上げないとは思うのだが、裏では様々な力学が働いているので、簡単に判断下せないことは理解できるだろう。
 一応、第四章の「情報」では読み方を書いてはおいたが、情報とは何層にもなっている。事実は何かを見ることも大事だが、「情報が出る」ことも事実の一つとして見ることも大事だと。なぜその情報が出るのか、誰が利を得るのか。それを辿るとそう単純ではないことが見えてくるかもしれない。

●2月13日/13th Feb
 Facebookを早く閉じたいと思っているが、本のこともあり、なかなかタイミングが難しい。メッセンジャーもあまり使いたくないので、出来るだけメールでのやり取りに移行して、友達申請の時の受け付けくらいにシフトしたい。そんな中でたくさん来ている友達申請にはメッセージがないものが沢山あって、受付けていいものか判断しづらい状況がある。出来れば一言下されば助かります。

●2月13日/13th Feb
#まなざしの革命を探せ

この週末はあんまり回れなかったが、西宮市の書店を巡り革命旗を立てる。ブックファースト阪急西宮ガーデンズ店は「建築デザイン」の棚にあった。革命旗を渡しながら、「おそらくこの棚だと売れないと思うので、あちらの棚がいいと思いますよ」と書店員さんにお伝えする。
ジュンク堂書店西宮店では「海外時事・社会問題」の棚にあった。「ファクトフルネス」の近くにあったので、棚としては間違っていないと。まぁ「まなざしの革命」はどちらかと言うと"フェイクフルネス"なのだけど...と心の中で思いながら革命旗を書店員さんにお渡しする。棚の上に取り付けて頂き感謝。


阪急ブックファースト西宮店は阪急の駅構内にある小さな書店。だが聞くと一冊あると言うので、棚に行くとない。在庫有となっているので、書店員さんと結構探したけど見つからなかった。ということは売れたのか...。ここはまだ革命旗は立たず。
くまざわ書店コロワ甲子園店では調べてもらうと一冊あるというので、「時事・教養書・新刊」の棚へ。しかし一向に見つからず。書店員さんと一緒に探すも見つからないので、おそらく売れた...と信じたい。 革命旗を立てさせてくれると仰ったので、女児の遊戯コーナーを陣取って、メッセージを書く。本はなくとも革命旗だけ。
旭屋書店ララポート甲子園店では見つけられなかったので書店員さんに聞くと、在庫有に。あるとすればこの棚だけど...と言いながら向かうも見つからず。また書店員さんと一緒に探していたけどない。 ん?このパターンさっきと同じだぞと思いながらも、書店員さんが調べてくれたら、おそらくどなたかが注文してそのままお引取りになっていったので棚には入らなかったらしい。 このパターンもさっきと同じか。ということはどなたかお近くの革命家が密かにご購入してくれたのかと。革命旗は立たなかったが感謝。
Book1stエビスタ西宮店でも見つからないので、断念して書店員さんに尋ねると、「政治・社会」の棚へご案内頂いた。 目を凝らすと一冊だけ背表紙を向けて置かれていた。他の本屋でよく一緒に並べられている別の著者の本は面向いていたので、やっぱり著名人は違うな...と心の中で呟く。 ここは一冊だけなので革命旗は立たず。残念。でも一冊ある。
くまざわ書店あまがさき店では、入ってすぐの「社会問題・新刊・話題書」の一番目立つところに平置きになっていた。 平置きされていて1冊しかないので、それなりに売れているのだと思いたい。ここは直接行っていなくて近くの革命家からのご報告なので、いまだ革命旗は立たず。近々行かねば。
奈良でも工作員がまなざしの革命を探せゲームをしてくれていた。心より感謝。2月中くらいはまだ平置きされている所があるので革命旗が立てれそうだが、売れなければ棚に引っ込むので、見つけるのが大変そう...。

この2週間で40軒ほどの書店をめぐる。書店ごと、都市ごとにいろんな特徴が見えてきて、おもしろくなってきた。この週末は奈良を中心に。ここでも『まなざしの革命』が置かれている棚は社会、ビジネス、哲学‥と、書店員さんの苦労がうかがえる。
◎ジュンク堂書店奈良店 社会問題
◎啓林堂書店学園前店 ビジネス新刊
◎啓林堂書店奈良店 宗教
◎喜久屋書店大和郡山店 社会学
◎啓林堂書店生駒店 ノンフィクション
◎奈良蔦屋書店 哲学

●2月13日/13th Feb
 弁護士の樽本さんが、「まなざしの革命」の素晴らしい書評を書いて下さいました。ここにも書いて下さってますが、本書には答えらしきものは全く書いていないので、巷で言われるノウハウや、それっぽい答えが知りたい方は、おそらく肩透かしを喰らうと思います。
 でも、考えるきっかけが欲しい方や、自分で答えを探すヒントが欲しい方、これでいいのかと確認したい方なんかは、きっとご共感頂けるはずです。あと最初から答えを持っている人はおそらく素直に読めないと思えます。そんなこの本の狙いを的確に表現して下さり心より感謝です。樽本さんはまなざしの革命放送の方も毎回睡眠導入剤のようにお聴き頂いており、刊行記念イベントの時も気持ちよさそうに導入されておられました。

●2月14日/14th Feb
WirelessWireNewsに拙著「まなざしの革命」の第三章「平和」から抜粋した論考がアップされました。多くの方々は監視管理社会の何が問題なのかにピンとのないかもしれませんが、この論考で少しイメージしてもらえれば幸いです。

●2月15日/15th Feb
#まなざしの革命を探せ
を実践してくれている方が居て感激!革命旗を立てにいかねば。
皆さんもお近くの書店で発見したら、是非ハッシュタグをつけてご報告頂ければ嬉しいです!ついでにどの棚かもご確認下さいー

●2月16日/16th Feb
知らない間に、拙著「まなざしの革命」のAmazonでのレビューが4件に!存じ上げている方もおられれば、存じ上げない方もおられますが、心より感謝いたします。「まなざしのデザイン」のレビューの方もアップデートして頂いた方も居られ、かたじけなさに涙こぼるる...。

●2月17日/17th Feb
岡山のカフェmaimaiの内田さんが、本の書評を書いてくださいました。本当にありがとうございました。本というメディアの良いところは、独りで読んでもらえるということですが、読んだ後にも一人の人間の言葉として一人称で語って頂けることをとても嬉しく思います。どんな言葉であっても、それはその人にしか言えないことであり、僕の本を読んだことで、その言葉が紡がれるのは得難いと思っています。わざわざこうして感じたことを言葉にして共有頂けることに、感謝致します。

Toru Uchida
まなざしの革命
ハナムラチカヒロ

「王様は裸だ」と言った少年のように、
「それでも地球は動く」と言った老人のように、
この本は真実を語っているのかもしれない。
だが真実は入れ替わる。
時代や場所、真実はそれを見つめる
『まなざし』によって入れ替わるのだ。
水平線の太陽を見て
ある者は朝日が昇ると言い
ある者は夕日が沈むと言う。
「まなざし』の方向によって
世界は始まり、終わる。
大切なことは
僕達がどの『まなざし』を選ぶか
である。
いきなり話は飛ぶのだが、
この本と同時に『チ。』という
マンガを読んでいた。
かつて、歴史上にあった事実として、
世界中の人がひとつの大きな嘘を
常識として信じていた。
『宇宙は、全能の神が創った
「地球」を中心に回っていると。』
だがごくわずかな人間が違和感を感じ、真理を求め、独自の『まなざし』で真実に辿りつく。
だがその真実は、常識を覆し、世界の平和を乱してしまうと畏れられ抹殺されてしまう。
「地」の真実は、多くの「血」を流しながら
人間の真理を求める欲望「知」によって秘密裏に伝染してゆくというマンガである。
この2つの本は、それぞれ全く別のベクトルから、今という時代を読み解こうとしているように思える。
今、つまり2022年。
コロナウイルスによる世界的なパンデミックは現在進行形であり、なんらかの違和感を覚える人は、少なからずいるのではないだろうか。
この本の著者であるハナムラさんや、
僕やあなたのように。
『まなざしの革命』はその違和感を検証し、
どういった流れで、何が起こっているのか、これからどうなるのかを、
ある『まなざし』から語っていく。
それは、ある人にとっては荒唐無稽な都市伝説であり、ある人にとっては世界の本当の姿である。
僕達が信じている常識は
真実では無いかもしれない。
ではなぜそんな常識が拡まっているのか。
もし現状に違和感を感じるのなら
自分で調べて知り、
自分の『まなざし』で見つめ、
自分の真実を選ぶべきだ。
僕達は自らの『まなざし』で未来を選ばなくてはいけない。
それが僕達に残された唯一の武器なのだ。
それがつまり、我々の『まなざしの革命』である。
追伸
ここまで書いて
かつて同じ文章を
同じ想いで書いていたことを思い出す。
それは岡山のライブハウス、ペパーランドの能勢伊勢雄氏による2019年のレクチャーに寄せた文章である。
https://www.facebook.com/100001903193693/posts/3632291840177553/?d=n

コロナウイルスによるパンデミックが起こる以前に能勢伊勢雄氏は鬼気迫る勢いで、
『世界は崩壊し、選択肢の無い時代がやってくる。我々は選択する自由を死守しなくてはならない』と語った。
そのイベントに対するアンサーとして
能勢さんからアドバイスを受けつつ
ラストをこう綴った。
希望的観測かもしれないが、『選択肢』は僕とあなたの手の中に、まだきっと、ある。
選択する自由が無くなることは死を意味する。
それはつまり時代の、文化の終わりだ。
カウンターカルチャーの炎を絶やしてはならない。
世界の終末の彼方に。
カオスとノイズの煙りの中に。
今はまだ未完成な未来の欠片が共鳴している。
僕達はまだ選択すべき未来を諦めてはならない。
コロナウイルス以前の2019年に
能勢伊勢雄氏が音楽とレクチャーで
体感的に伝えていたメッセージを、
コロナウイルス以後の2022年に
ハナムラチカヒロ氏が言葉を使い
本という形で言語化した。
ぼくにはそう思えてならないのだ。
能勢さんが教えてくれた言葉がある。
『アーティストの感受性というものは素晴らしいもので、本物の音楽は、少し先の時代を感じさせてくれるんですよ』
きっと2人は同じ『まなざし』で世界を見ているに違いない。
さてそれでは僕も自分の『まなざし』を選び、信じることにしよう。
自らの革命として、
自由であるために。
#まなざしの革命
#ハナムラチカヒロ
#能勢伊勢雄
#チ

●2月18日/18th Feb
ある言語の中に、「それ」を表す言葉がない時には可能性が二つ考えられる。「それ」についての概念が存在しないか、あるいは「それ」が言葉にする必要がないくらい当たり前かのどちらかである。言葉の不在を以て、概念の欠如を指摘することは愚かな判断かもしれない。
 ネイティブアメリカンのポタワトミ語には英語のpleaseにあたる言葉がないという。それは概念が欠如しているからではなく、人に何かをお願いするときは丁重であることが当たり前だからだという。言葉がないことは野蛮の証ではなく、その逆のこともあるのだ。

●2月18日/18th Feb
WirelessWireNewsに拙著「まなざしの革命」の第5章「広告」からの抜粋が掲載されました。まだお読みになっておられない方は試し読みとしてどうぞ。この広告の章はマーケティングに関するとても基本的な事を書いていますが、なぜか学生さんから評価される章みたいです。

●2月18日/18th Feb
明日、観光学術学会の第9回研究集会での「観光とエシックス―様々な探究の可能性」というシンポジウムにて発表します。最近の学会は全てオンラインになってしまったので、プレゼンテーションの加減が難しくて苦手なのだが、良い面は遠隔地の人でも参加できること。明日は「まなざしの倫理」という話で、風景異化論から観光と倫理のあり方について考えてみようと思います。

●2月19日/19th Feb
ポッドキャストで10月から1月まで配信していた「まなざしの革命放送」を再開して欲しいという声が結構聞こえてくる。本のために始めたが、読み終えた方からも聞こえるので、もう少し話を聞きたいということだろうか。なのでYouTubeの概要欄もポッドキャストの情報を前に出す。

●2月19日/19th Feb
観光学術学会のシンポジウム終了。慣れないオンラインでの発表としては、まずまずだったかと。観光は「倫理」というテーマではこれまで語られてこなかったので、その面では全般的に有意義な場であったのではないかと。

観光倫理学は応用倫理学の一形態であり、わざわざ定義するほどのことがあるのかという問題提起自体は的を得ているが、観光を機に倫理へ導かれる可能性は残されているとは思う。

他者の他者性の議論と、近代科学的な同一性に改修されないことは重要な視点である一方、他者の自己性、自己の他者性について目を向けるきっかけとして観光が役に立つ側面があることをハナムラからは指摘しておいた。

個人的には、ジョン・アーリーの第一のまなざし、マキャーネルの第二のまなざしに対して、ハナムラから第三のまなざしを一応提示できたことも成果だったのではないかと。あとは論文としてまとめていく作業あるが、ちょっと時間取らねばね。

●2月19日/19th Feb
#まなざしの革命を探せ
ブックファースト大阪店に「まなざしの革命」が入荷されていたので、革命旗を立ててきた!ここでは「リーダーシップ」の棚に置かれていた。JR大阪駅下りてすぐのところにある本屋なので、お立ち寄り下さいー

●2月19日/19th Feb
拙著「まなざしの革命」の「交流」の章でも書いたが、パンデミックでこれまでの流れが全て反対に向かっている。正しいとされる人々ほど間違っていて、頭がいいとされる人ほど愚かになる。
知識人ほど物事が見えていなくて、庶民の方がよほど知的だ。イケてる人ほどイケてなくて、優しく見える人ほど優しくない。意味ある仕事する人ほど収入が低く、高収入な仕事ほど意味がない。常識的な人ほど非常識で、センスいいとされることほど、ダサい。
 全て反対に進んでいくのに、それに気づかない人たちが上から的外れな批判や指摘をする。だが革命が起ころうとしている中で、いつまで偉そうに出来るのだろうか。

●2月20日/20th Feb
また一つ歳を重ねる節目を迎えました。今年はSNSから少し身を離そうと考えておりましたが、沢山の方々から誕生日のお祝いの言葉を頂き、こうして繋がりが持てる喜びも得難いものだと噛み締めております。

誕生日にあたって沢山の方々から投稿だけでなくメッセンジャーでもお言葉頂きました。誕生日のお祝いを頂きました皆さまに、この場で心より御礼申し上げます。今しばらくは新刊本のこともあり、ここで続けている発信も、いずれは移行するよう考えておりまして、特にメッセンジャーでの個人的なやりとりについてはこれから控えることになりそうです。
 ただ、タイムラインの投稿では何らかの形で繋がりは続けれるように少し考えられればとも思います。徐々にTwitterの方が投稿が多くなるとは思われますが、今後ともどうぞよろしくお願い致します。ここから先は個人的な一年の振り返りと抱負のメモになります。お読み下さると何か得られるものがあればと願っておりますが、特にご関心ない方やお忙しい方は、どうぞ捨て置いて下さいませ。生きとし生けるものが幸せでありますように。

2022年2月20日
ハナムラチカヒロ拝

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人生の後半に入り、父親が亡くなった年齢がすぐにそこまで近づいている。そう考えるといつまで自分の生がこの先あるのかはリアルに分からない状況で、いつ死んでも良いように日々を充実させる生き方が出来ているのかが問われる。心情としては、この歳まで生きることが出来たので全く悔いはない。母を残して去ることは出来ないが、子供も居ないし、ひっそりと死んでもそれほど迷惑にはならないので気は楽だ。
 ただ、まだこの世界に自分が役立てることがいくつかあるようには感じているのと、子供たち、つまりその先の人々が、出来るだけ貪瞋痴の苦しみから解放される道筋を示すためにまだ出来ることがあるようには思っている。特に今は観念的な意味ではなく、時代が大きく急変するタイミングを迎えている。これまで水面化で動いてきた理不尽な世界の仕組みが、いよいよ表面に堂々と現れ、その中で混沌と大きな不安が渦巻いている。
 だがそんな時には、同時に陰陽反転が起こる状況が生まれる。これまでの正解が正解でなくなる。世の理が正反対に動き始める中で、チャンスも訪れるが、多くの人がどちらに行けばいいのか迷うだろう。そんな時だからこそ、自分はこちらを選ぶという態度を、力強く見せることも大事なような気がしている。言葉や概念としては先日上梓した本の中でも示したし、これまでのいくつかの作品の中でもその方向性は既に示してきた。

 だが、より明確な答えについては、この先で示さねばならない。それは観念的なことだけではなく、思想、技術、表現、生活の上で極めて具体的なことだ。自分の中ではそれは定まってきている。言葉や言葉ではない表現が生まれてくるための原因が自分の中にないと、それは全くリアリティを持たない。だから自分はまだ、そのための準備が必要だと思っている。先日上梓した「まなざしの革命」で、言論の方は一つ仕事をやり終えた。この3月で10年携わった社会人大学院での教育を終え、統合した新大学の新しい部局へと移る。そして春から秋にかけて、これまでの数年間注力してきた大きな建築/ランドスケープ/アートの作品が竣工する。大きな仕事だったが、概ね良い仕事として世に送り出せるので、それもやり終えることになる。
 そういう意味では、自分にとって今年は物理的な俗世において様々な仕事が終わる節目でもある。だが一つの生命として、物理を超えた理の中での節目は少し先だ。そこまで自分の肉体が保つ保証はない。
 誕生日というのは太陽と地球の関係から生まれる一つの節目だ。あと365回の昼と夜でまた一つの節目を迎える。それは生命の山場であるが、それを無事に越すことが出来れば、もう2回その節目を通り越し霊的な節目がやってくる。そこまでに自分には準備せねばならないことがある。だから今年からは本当に自分にとって必要なことに専念していきたい。自分には時間が残されておらずタイムリミットは近づいているからだ。

この革命的な世界の状況の中で、こちらから人に呼びかける試みは始まった。それに対して人々がどのような応答をするのかは分からない。革命とは個人の中にしかないし、それは人に強要するものではない。だが自分の呼びかけが、誰か一人のまなざしでも開くことが出来るのであれば、それは無駄ではなかったのかも知れない。次は人だけに呼びかけるのではなく、あらゆる生命に呼びかけるステージに入る。どうか世界が穏やかで聡明でありますように。そして生きとし生ける全てのものが幸せでありますように。小さき一つの生命から願いを込めて。

2022年2月20日
ハナムラチカヒロ

●2月22日/22nd Feb
#まなざしの革命を探せ
#紀伊國屋書店アリオ鳳店
#丸善高島屋堺店

 堺方面に拙著「まなざしの革命」があるとのことで、鳳と堺東まで出かける。紀伊國屋書店アリオ鳳店では「社会・政治」の棚に、堺東駅前の高島屋の中にある丸善では「時事評論」の棚にそれぞれ置いて頂いていた。
 紀伊國屋書店では店長にご対応頂き、色々と話し込んだが、ここ最近入荷した中では、どの棚に置くのか一番悩んだ本だったと苦労話を聞く。辺境の地までよくお越し下さいましたと仰っておられたが、本学の学生もここでバイトしているらしく親近感を覚える。どちらにも無事に革命旗が立つ。こうしてそれぞれの街の革命家に呼びかけ、身を以てインターローカリズムの実践を試す。

#まなざしの革命を探せ
#くまざわ書店阿倍野店
#ジュンク堂書店近鉄あべのハルカス店
#ジュンク堂書店上本町店

続いて大阪の天王寺から上町台地あたりの書店へ。くまざわ書店阿倍野店では「ノンフィクション」の棚、ジュンク堂書店の近鉄あべのハルカス店では「その他社会問題」、上本町店では「社会時事・マスコミ」にそれぞれ置いて頂いていた。
 特にくまざわ書店阿倍野店では、店の入口近くの一番良い棚に面見せで置いてくれていて感動した。革命旗にメッセージを書きながら、三浦店長と話し込んでしまい、本好きの面白い人だなと思っていたら、後程、阪大で僕が教えていた頃に文学部の学生で在籍しておられたことが判明。
 鷲田先生の講義も受けておられていたらしく、かなり近い所に居たのかと、再び盛り上がる。今回書店巡りしながら感じたのは、くまざわ書店はかなり店長の感性と裁量によるセレクションに工夫があり、いい本屋だなということ。書店同士でセレクションの妙を競い合っている部分もあり、本屋の中のカルチャーが見えてくる。いずれも無事に革命旗が立つが、ジュンク堂書店上本町店だけは入荷が一冊なので革命旗がすぐに下されるかも。

#まなざしの革命を探せ
#田村書店千里中央店

吹田市は千里中央の田村書店では「新刊・話題書」の棚に平置きしてもらってました。こちらでも手書きメッセージを入れた革命旗が立つ。このメッセージは店舗に訪れて、どんな棚に置かれてどんな書店員さんとお話ししたのかによって文言をその場で考えて書いている。だから一点一点違うメッセージが書かれており、一つとして同じのはないという作品。

#まなざしの革命を探せ
#紀伊國屋書店高槻阪急店
#ジュンク堂書店松坂屋高槻店

高槻まで足を伸ばして書店に革命旗を立てる。紀伊國屋書店高槻阪急店では「思想・哲学」の棚に、ジュンク堂書店松坂屋高槻店では「社会時事」の棚に、それぞれ置かれていた。
高槻は駅前に大きな百貨店が二つあり、どちらも大きな本屋が二つ。ジュンク堂書店さんでは、概ね社会時事や時事評論の棚に置かれる稽古があることが分かってきた。それぞれの書店の考え方が見えてくる。
高槻の革命家に届くように、革命旗を高らかに掲げる。書店員さんも、まて入荷しておきますと力強い言葉をくれた。とても頼もしい。

#まなざしの革命を探せ
#くまざわ書店四条烏丸店
#大垣書店京都本店
#大垣書店三条烏丸店
#丸善京都本店

 京都では5店周り3店に革命旗が立つ。先日、くまざわ書店阿倍野店の三浦店長から、四条烏丸店の佐々木店長のセレクションは凄いとお聞きしていたので訪ねていく。それほど大きな店舗ではないのに、拙著「まなざしの革命」も「時事・政治・新刊・話題書」の棚にちゃんと平置きされていた。
 流石と思い見渡すと、確かに本のセレクションやレイアウトが絶妙。つい買いたくなる置き方が工夫されている。書店員さんと話してメッセージを買いていると、佐々木店長が戻られてご挨拶する。
 その反対に、駅を挟んで反対側にある大きな店舗の大垣書店京都本店には「まなざしの革命」は一冊も置かれていなかった。流通の関係か書店の考え方なのかは分からなかったが、前著「まなざしのデザイン」は置かれていたので、デザイン系に寄っているのかと。ここは入荷もしてもらえないようなので残念ながら革命旗が立たず。
 しかし同じ大垣書店の三条烏丸店では、「まなざしの革命」がレジ前の廊下の一番目立つ所に平積みされていたので、書店員さんに話して革命旗を立ててもらう。凄く丁寧に応対して頂き、同じ書店でも印象が全く異なる。
 最後に丸善京都本店ではまたもや「景観工学」の棚に置かれていたので、書店員さんに「ここでは厳しいかも...」と話して、棚が移動となる。プロフィールの呪縛と肩書問題は常に付き纏うが、流石に景観工学では売れないと思う。
 結局「時事評論」の棚におさまり、またもやファクトフルネスや池上彰さん、岸田首相などの近くに入る。まさに四面楚歌な感じだが革命なので良いかと思いながら、勝手に納得する。大垣書店京都本店以外は全てに革命旗が立つ。京都は他にも行きたいところがあったが、タイムアップだったので、また後日改めてかな。

#まなざしの革命を探せ

ということで、まだまだ行けてないが、それでも主要な書店はかれこれ50店舗は周っただろうか。それぞれ訪れて書店員さんと直接話して、その場でメッセージを考えて全て違う文言を書いていく。その革命旗が書店同士を超えて結ばれていく。そんなインターローカリズム実践。
 おそらくこんなカタチで書店を巡る著者はいないだろうと思われる。著名人だったり、資金力があったり、出版社が膨大な発行部数を出している人は、本を売るために多分こんな苦労しないのだろう。だが僕はそこには恵まれていないので、別の形で努力する。
 これは一つのパフォーマンス作品でもあり、革命運動の表現でもある。本が平置きされているこの時期にしか出来ないインスタレーション作品だ。そして同時に、本屋を巡りながら欲しかった本や気になる本を購入する。置いてもらっているだけでなく、出来るだけ本屋で買って売上にも貢献したい。 
 こうしてSNSで呟けば、僕の本を知っていてもまだ買っていない人がそこで買ってくれるかもしれない。それに本屋の宣伝にもなるし、その本屋の近くにいる人ならメッセージを覗きに行くかもしれない。
 別の書店で「まなざしの革命」を見つけたらご報告してくれる人も出てきたし、ハッシュタグでどの棚にあったか発信してくれる人も出てきた。こうやって内容や活動に賛同してくれた方々が地道に拡めてくださるほうが、資金の力で派手なマスプロモーションするよりも、この「まなざしの革命」にとっては余程意味があると感じる。同士たちよ是非、この革命と社会彫刻に参加されたし。

●2月23日/23rd Feb
東京江戸川区の本屋「読書のすすめ」さんが、「自己超越セット」パート2というコンピレーションで、拙著「まなざしの革命」も含めて下さった。書店員の小川さんとはご縁があって、刊行イベントにもお越し頂き、とても良い出会いだったが、もう既に20冊以上も拙著を販売して頂いており驚嘆する。

このyoutube映像に「読書のすすめ」の清水店長が出てくるが、拝見して僕は感動してしまった。これぞ書店があるべき姿で、社会的に書店が果たさねばならない役割を完全に理解されて実践されておられる。詩人のウンベルト・サバはイタリアのトリエステに書店を構えていた。僕は2017年にその書店を訪れて、サバの遺産を引き継いだ店長と話した事があるが、書店が社会的に果たすべき役割を熱く語っていたことを覚えている。この清水店長の語り口に同じものを感じ、日本でもこんな人が居て、こんな書店があるのかと少し希望を見出した。

今、世界我々が想像していることを遥かに上回る狂気が現実化しようとしている。「まなざしの革命」で具体的にそれを書くのを避けたのは、抽象度を上げないと対象物に囚われてしまうからだ。僕の本を読んだ後に、世界をもう一度眺めて欲しい。ニュース、権威、もっともらしい理論、著名人、正当性があるように見えること。それらをもう一度見直してほしい。きっと出来事が違って見えるはずだ。結局は、我々ができることは、何を差し置いても自分の実践でしかない。これまでの常識や通説、安易なメソッドや理屈や技術、キラキラした希望や夢や能力向上、安易な平和や平等や公平、持続可能の罠にはまらないように、自分を奮い立たせて欲しい。革命は一人一人の中にしかないのだから。

●2月23日/23rd Feb
拙著「まなざしの革命」の使い方だが、樽本さんがコメント下さったように、色んな物事に当てはめて欲しい。戦争のニュースには第3章、経済や金融では第6章など、それぞれ当てはまるものがあるはずだ。

具体的な場所や出来事を本の中で書くのを避けたのは、抽象度を上げないと対象物に囚われてしまうからだ。対象物はどんどん変わるので、こちらがしっかりしておかないとまなざしが簡単に囚われるだろう。今、世界では我々が想像していることを遥かに上回る狂気が現実化しようとしている。

僕の本を読んだ後に、世界をもう一度眺めて欲しい。ニュース、権威、もっともらしい理論、著名人、正当性があるように見えること。それらをもう一度見直してほしい。きっと出来事が違って見えるはずだ。

結局は、我々ができることは、何を差し置いても自分のまなざしの革命の実践でしかない。これまでの常識や通説、安易なメソッドや理屈や技術、キラキラした希望や夢や能力向上、安易な平和や平等や公平、持続可能の罠にはまらないように、自分を奮い立たせて欲しい。革命は一人一人の中にしかないのだから。

●2月24日/24th Feb
言葉を紡がなくても、歌をうたわなくても、生きているということ、それ自体が「メッセージになる」ことだ。誰であっても、何をしていてもそれは自分だけが発することのできるメッセージだ。

自分は誰かの代わりのメッセージになっていないだろうか。誰かに代弁してもらって、自分のメッセージを生きることを怠っていないだろうか。誰かのまなざしの前でだけメッセージになろうとしていないだろうか。

メッセージとは受け取る者がいるから発するのではなく、発せられるから受け取ることができる。だから自分がちゃんと自分だけのメッセージを生きているのかが大切だ。本当の倫理とはそこからしか立ち現れてこない。

●2月24日/24th Feb
ウクライナとロシアのニュースが駆け巡るので、一応、拙著「まなざしの革命」の第3章「平和」の章から上げておく。その次の第4章「情報」も参考にされたし。

●2月25日/25th Feb
ウクライナに意識が集まる中、私たちは今見ているのが「情報」であることを忘れがちだ。情報というのは誰かが情報化したものであり、そこには必ず立場・解釈・主張が裏側にある。それに加えて我々の認知には落とし穴がたくさんあることも思い出したい。画像は拙著「まなざしの革命」の第4章「情報」より。

安易に正誤善悪が論じられがちだが、論じる方々は一体何を知っているというのだろうか。単純な力学で世界は動いているわけではない上、知らない間に自分自身も何かの役割を担ってしまっていることには思い至らないのだろうか。

ウェブマガジンからの依頼で、緊急で論考を上げることにしました。おそらく明日にでもwirelesswirenewsにアップされると思います。基本的には「まなざしの革命」の第3章と第4章から抜粋したものを再編集した論考ですが、今のロシアとウクライナの話を重ねると少しはリアリティが持てるのではないかと思います。ただ「まなざしの革命」の中でも、その論考でも具体的な情報は一切書いておりません。


 僕は仕事柄、おそらく皆さんよりもかなり色んな情報は知っていますし、それ以前に色んな補助線も持っています。普通にニュースを見ていても何のことか分からないことまで理解は出来るつもりです。それでも、実際は何が起こっているのかは想像と考察によるところが大きいので、迂闊に何かの結論を出すことなどできないと思っています。
 しかしおそらくそれほど情報も持たず、考察の深さもないと思われる方々が、ニュースだけ見て簡単に結論づけて、SNSやマスメディアで発信されることに対しては、非常に危機感を覚えております。一体プーチンやロシア、ウクライナの何をご存知というのでしょうか。世界は我々が考えている以上に複雑な力学で動いていることを知れば、そんな短絡的に答えは出せないはずです。
 そうならない注意書きとして本を上梓したつもりですが、読んだ方も読まれてない方も同じように自分は冷静に見れていると思われて、慎重さを欠いているとすれば残念で仕方ありません。

●2月25日/25th Feb
戦争が良くないものであるのは言うまでもない話だ。だが戦争というものがどういう力学で動いているのかについて、あまりに我々は知らなさすぎるのではないか。知らない間に自分も戦争の参加者になっていることも。

軍事衝突が起こった時に戦争が始まるのではなく、常に戦争は水面化で起こっている。それは戦地で起こっているのではなく、この画面の中で起こっていて、我々が何かの情報を安易にシェアし、何かの結論を決め込み拳を振り上げる度、戦争に部分的にでも加担していることになるのだ。

多くの人は自分は大丈夫で、自分は絡め取られていないと思っている。だがそれが危険であることを僕の本を読んだ人は理解しているはずなので、冷静に事態を見つめていることを願う。

●2月25日/25th Feb
 一つだけ覚えておいた方が良いのは、皆がこぞって同じ方向にまなざしを向ける時に、社会には盲点が生まれているということ。その盲点を生み出すことに自分が加担させられている可能性については、意識し過ぎても足りないくらいだ。
 あまり詳しい話はこんな場では出来ないが、表に出るニュースなどというのは、見方を知らないとほとんど何かの判断材料にはならない。
諜報のことを知らない民間人は情報を掴んでいるのではなく「掴まされている」。そのことすら意識してないのが通常の状態なのに、正誤善悪が語れるはずがないのは明らかだ。
 少なくとも自分が何も知らないで、何かを結論づけて善悪を語っている可能性があり、それが何かの思惑の範疇にあるかもしれないことぐらいは、意識しておいた方が良いだろう。
 「まなざしの革命」で具体的な情報ではなく、見方の話に終始したのは、自分に理解できない世界があることだけでも伝わればとの思いだ。簡単に何かを判断して、善悪を決めて拳を振り上げることが、事態を悪化させることを理解して欲しかったのだ。
 諜報機関の連中でも誤情報掴んで命取りになるような世界がある。民間人がマスメディアの情報だけで何かを語ったり、SNSの情報で裏側を知った気になることなど、最初から織り込み済みな世界だ。何重にもまなざしの向く方向はデザインされている。

●2月26日/26th Feb
「関西・21世紀社会科の会」という高校の社会科の先生の集まりで、今度「まなざしの革命の教室」という場が年度末に設けられることになった。高校の社会科というのは、教育の要の一つだと思うし、社会科の先生にこそ拙著「まなざしの革命」を是非お読み頂きたいと思っている。

大学で教えていてよく思うことは、大学に入る段階では既に思考や価値観が固まってしまっている学生が多いことだ。大人が設定した既存のルールの中で勝つこと。社会の中で誰かに煽られた価値観の中で、ステータスを高めること。そんなこれまでの世界の仕組みの中で自分の運用をしていくマインドは、大学に来た段階ですでに固まってしまっていることが多い。

確かに社会は複雑な力学で動いているし、どうしようもないくらい愚かな人たちがルールを作っている現状に僕自身も絶望感は抱いている。しかしどこかでその状況を変えれる可能性があるとすれば、それはなるべく早い段階でこの社会のおかしな仕組みに気づいて、その土俵に乗らない選択を模索する力を養うことだ。

そのためには、まず我々大人が正気を取り戻さねばならないだろう。パンデミック以降の社会では正気を取り戻した大人達が増えている。学生達と真摯に対話するためにも、まず我々教師からまなざしに革命を起こす必要がある。そんな意味ある会になることを願ってシェアする。

●2月26日/26th Feb
「私たちは地球を愛している。」そのことに異論を唱える人は居ないだろう。では「地球は私たちを愛しているのか?」この問いにはどう答えるだろうか。
 二つ目の問いが突きつけられたとき、私たちは一つ目の問いすらも本当だったのかどうかが問われる。私たちは本当に地球を愛しているのだろうか。愛していると思い込んでいるだけか、あるいは自分勝手な歪んだ愛を押しつけているだけではないだろうかと。
 もし私たちが地球を愛しているのならば、なぜ地球を地球を守ることをビジネスにするのだろうか。そうしながら一方で、地球を傷めつけることをなぜ私たちは正当化するのだろうか。 
 地球は私たちに金銭を要求することはないし、取引を持ちかけることもない。地球は自分の生命が潰えるまで、私たちを愛そうとするだろう。自分たちが「持続可能」でいるために地球を守ろうという私たちとは正反対だ。 
 愛は取引ではなく、条件次第で与えたりやめたりするものではない。持続可能かどうかなど問うこともなく、ただ与え続ける一方だ。それが私たちに出来るだろうか。

「私たちは地球を愛している」と唱えればヒーローになれる時代だ。誰もが軽々しくそれを口にするが、本当にそうなのかは自ら問いかける必要がある。再来週のフランスとの国際シンポジウムでは、「ガーデンとしての地球」がテーマだ。前著の「ヒューマンスケールを超えて」では、宗教という観点からそのことに迫ったが、今回は庭という視座から地球環境の問題が私たちのまなざしにあるというメッセージを考え始めている。

●2月28日/28th Feb
ウクライナやロシアの問題だけではなく戦争全般において、そこにどのような盲点や落とし穴があるのかを、ブログに整理した。拙著「まなざしの革命」からの抜粋と再編集だが、情報に溢れるこの時代のご参考にしてもらえれば幸い。

●2月28日/28th Feb
ここ数日のウクライナとロシアを巡って急激に拡散する情報に危機感を覚え、拙著「まなざしの革命」の一部から緊急で整理した。金曜日に論考整理したが、アップされるまでのこの土日の間に、既に多くの人のまなざしがある方向に導かれているように感じる。基本的に我々の元にやってくる情報というのはニュートラルではなく、それによって世論が導かれる。

特に戦争というのは、表で見えていること自体に様々なトラップが仕掛けられているもだ。平和を願う心は大事ですが、我々が簡単に拳を振り上げてしまいそうになるものほど冷静に捉える必要がある。

多くの人は、僕が一体何を問題視しているのかが理解できないのだと思う。例え「まなざしの革命」を読み切ったとしても、問題の背景について前提となる知識や情報を持っていないと、単なる「大事な話」で終わってしまうだろう。
自分で調べることが重要だ。答えを誰かに教えてもらおうとすると、色んな情報に翻弄されることになる。一方で調べれば調べるほど色んな情報が出てきて見方が分からなくなることは覚悟せねばならない。
 だがそう単純な力学で動いているわけではないことは理解できるかもしれない。それを理解すると、迂闊に結論を出すことを控えるようになるはずだ。正しく見るポイントは情報を「信じない」こと。それはどんな情報であっても同じだ。情報は単なる情報に過ぎない。そして我々が今論じていることは、全て情報に基づいている。
 そして現代の戦争とは情報を操作することから始まる。その操作とは我々が考えているよりもっと前に始まっている。前提条件から疑わねば理解できないだろう。基本的にはメディアから流れてくる情報は何らかの立場のもとに抽出され、主張が含ませられている。プロパガンダとはプロパガンダであることがバレると効果がないので、巧みにそれは見えないように装われているのだ。だから意識せずにメディアの情報をシェアすること自体が、プロパガンダに少なからず加担していることになることには注意すべきだ。我々の受け取っている情報がどういう勢力の影響下にりあるのかを意識するべきなのだろう。


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