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ハナムラチカヒロ『まなざしの革命/世界の見方は変えられる』

☆mediopos2636  2022.2.3

「最も見えていないのは自分の見方である」
その視点からはじめる

「まなざしの革命」のためだ

じぶんのいまの「まなざし」を
「あたりまえ」「常識」「正しい」とし
疑っていないとき
あるいは
その「まなざし」の存在さえ意識化できないとき
そこにこそ「盲点」がある

じぶんの顔を直接見ることができないように
じぶんの「まなざし」を問い直すことはむずかしい

多くのばあいじぶんの顔を見るまえに
じぶんの「まなざし」に照らされた世界を見て
そこに問題を見つけてその原因を
「社会が間違っており、政治が間違っており、
人々が間違っているからだと主張する」

そして「間違えている社会に対して、
間違えていない自分がいる。」
「間違えている相手を正さねばならない」
とすることになりがちだ

ハナムラチカヒロ『まなざしの革命』は
「まなざし」を変えることを提言する

大げさな提言のようだが
ここで論じられていることは
あえて言挙げする必要さえないような
明白すぎるにもかかわらず最重要な視点でもある

加えて重要なことは
世の中にはそうした「まなざしの革命」など
起こってほしくない存在がいるということだ
しかもそうした存在は「悪」の顔ではなく
善意に満ちた顔で現れていたりもする

そして実のところ
私たちがみずからの自由において
欲し恐れ動機づけていると思っていることそのものが
「気づかない間に自分の意図の外側から計画」されていたりもする
いわゆる広告やマーケティングによって
商品への欲望が作り出され動機を植えつけられもするように

そうした自分の「まなざし」の「盲点」となり
ときに刷り込まれてしまっているかもしれない思いこみを知るために
本書では「常識」「感染」「平和」「情報」「広告」「貨幣」
「管理」「交流」「解放」という9つのキーワードから
現代社会を読み解いていこうとする

それぞれのキーワードにおけるポイントを
以下に引用しておいたが
基本となるのは
「世界を変革させる代わりに、
私たちがまず自分を変革すること」
つまり「自分のまなざしに革命を起こすこと」である

そうすることで世界は違った相貌のもとに現れる

■ハナムラチカヒロ『まなざしの革命/世界の見方は変えられる』
 (河出書房新社 2022/1)

(「はじめに」より)

「多くの市民は善良であり、心根が悪いわけではない。そして多くの有識者や企業の経営者は聡明であり、決して頭が悪いわけではない。誰もが日々、どうすればこの社会を良くできるだろうかと考え、努力を重ねている。それなのに、なぜ世界は一向に良くならず、ますますおかしな方向に進むように見えるのだろうか。特に2020年のパンデミック以降、先行きが見えない社会状況に誰もが不安に思い、うまくいかない現状に誰もが憤っている。あちこちで聞こえるのはこの社会が間違っており、政治が間違っており、人々が間違っているからだと主張する声だ。間違えている社会に対して、間違えていない自分がいる。そして間違えている相手を正さねばならない。誰もがそう思いたい気持ちはわかるが、それは本当にそうなのだろうかと立ち止まってみたくなる。」

「私たちは何かの物事を見る際に、単に事実だけを見ているわけではない。私たちにはすでに見解や立場があって、その色眼鏡を通して見ていることが多い。そして、多くの人は自分が色眼鏡をかけていることには気づかず、その色眼鏡の存在が無意識になったまま、眺めている出来事を「現実」だと思い込んでいるのだ。
 だが、その色眼鏡を外したり、取り替えると、同じ物事に対して違う現実が現れてくることがある。」

「私たちが最も見えていないのは自分の見方である。私たちは自分が当たり前だと思うものは問題にしない。それどころかその存在にすら気づかないことがある。そしてその盲点を生み出すのは、自分が間違っていないという思い込みである。だがその盲点の存在に一度気づいてしまった瞬間、まなざしに革命が起こる。今まで見えてなかったことが急に違って見え、物事の見方が反転するのである。自分のこれまでの見方を知ったときの衝撃は大きい。急に状況が見え始め、文字通り世界の見方が変わってしまう。そのまなざしの革命は社会を変えるよりも大きな力を持っているのだ。いや、実際に社会すら変えてしまい、本当の革命すら起こる。だから今こそ変えねばならないのは、社会ではなく私たちのまなざしなのではないか。私たちは世界を変えることはできないが、世界の見方は変えられる
 だが一方で、私たちのこれまでの見方が変わってほしくない人々もこの世界にはいる。そんな人々は私たちのまなざしに革命など起こってほしくないのだ。だから私たちがある方向を向くように、あえて極端な見解を助長し、不安や恐怖を煽り、欲望を焚きつけて、誘惑する。そうやって私たちの目にわざと色眼鏡をかけようとする意図がこの世界にはある。それは決して悪意という形では近づいてこない。とても善良なフリをして近づいてくる上、私たちは間違っていないと甘い声で囁くのである。(・・・)私たちが善意で行うことが、望んでいたことと正反対の結果を生むのは、そんな悪意と無関係ではない。だからこそ、私たちの世界の見方が外から変えられるプロセスを私たち自身が知っておく必要がある。」

(第一章「常識」より)

「いつの時代であっても、変わることなく正しい常識など存在しない。何が当たり前であり、何が正解なのかは状況や見方によって変化するからだ。何が起こるかわからないこの世界では絶対的なものはなく、常に変化して「無常」に移ろうことだけが普遍的に正しいと言える。だから私たちは常識ではなく常に正しい認識はないという「無常識」こそ本来が拠り所にすべきだ。
 そのために私たちはこれまで自分の常識を培ってきたプロセスへもう一度立ち戻る必要がある。(・・・)そうやって、時代の流れの中でそのときに正しいことと間違っていることを見極める努力が必要になる。「多くの人の当たり前が正しい」ではなく、「正しいことが多くの人の当たり前」であるべきだ。」

(第二章「感染」より)

「ウイルスへの恐怖が終わっても、また違うものに対して私たちは恐怖を抱く。そうやって常に恐怖に囚われる私たちにはいつまでも平和が訪れないだろう。そして私たちを恐怖で支配しようと企む力は、世界が平和に見えるときから水面下でうごめいている。私たちが気づかない間に、世界はもうとっくに戦争へと突入しているのかもしれない。」

(第三章「平和」より)

「戦争は、私たちの内側からやってくる。だから私たちに必要なのは、外に囲いを築くことではない。心の内側からやってくる脅威に対して囲いを築くことである。気を抜けばすぐに戦争状態になる私たちの心に、常にまなざしを向けて、見張っておかねばならない。外部の条件によって得られる平和ではなく、自分自身で内側に平和を生み出せるようになること。どんな状況であっても、その時、その場で安全委穏やかでいられること。それはとても難しいが、私たちの心の中が平和であるときに、本当の意味で私たちは戦争を放棄することができるのである。」

(第四章「情報」より)

「私たちに最も必要なのは「情報は単なる情報でしかない」と正しく見る見方である。現代はあらゆる情報が、新聞やテレビ、ウェブサイトやSNSなどのメディアを通じて複合的にやってくる時代である。また誰もがある特定の見方で情報を切り取り、発信できる時代なのだ。そんな世界では、これまで以上に絶対的な真実などありえない。情報に固執することも、情報を遮断することも、情報に過剰な価値判断をすることも見方を曇らせてしまう。情報は情報に過ぎない。そうやって離れて眺めることが正しい理解であり、情報に溢れる社会の中で生きる最も賢い態度だろう。情報とは私たちがその場で必要な行動を判断する上での単なる材料であり、情報だけが私たちが何かを判断する唯一の拠り所ではないのだから。」

(第五章「広告」より)

「広報やマーケティングで培われた心理を誘導するさまざまな手法は、ビジネスに用いられるときには欲望が煽られるが、戦争に用いられるときには恐怖や正義感が煽られる。マーケティングの用語には軍事用語が多いのは決して偶然ではない。」

「情報の多くは「偶然を装って」やってくることも意識する必要がある。あくまで偶然に起こった出来事であるように見えるほど、そのメッセージを無意識に深く受け入れてしまうものだ。計画は計画されたものである、と悟られると効力を失う。だから計画されていることそのものが伏せられる。(・・・)計画する側はそのようなプロセスを踏まえている。」
「私たちが今、最も興味や関心があることは一体何なのだろうか。そして私たちが今、最も心配し不安に思うことが一体何なのだろうか。そして、何よりも、私たちは「なぜ」そのように思うようになってしまったのだろうか。
 私たちはなぜそれを欲し、なぜそれを恐れるのか。その自分自身の動機について、私たちは無自覚である。だが私たちの行動の動機が、気づかない間に自分の意図の外側から計画されていない保証はどこにもないのだ。」

(第六章「貨幣」より)

「働くこと、食べること、眠ること、楽しむこと、悲しむこと、笑うこと、学ぶこと、傷つくこと。そんな私たちの人生は数字には置き換わらない。その当たり前のことにまなざしを向けずにシステムだけを置き換えても、結局は誰かの人生を搾取したり、自分の人生を無駄にするだけだ。システム以前に私たちが置き換えねばならないのは、自分の中での価値に対するまなざしである。その上で、どのようなシステムを選択するのかが重要になるのではないか。」

(第七章「管理」より)

「いつの時代も社会の中心にあるのは、人々をどのように管理するのかという問題である。二十世紀の世界では、人々を管理する政治経済のシステムは、「ファシズム」「共産主義」「資本主義」の三つの選択肢のどれが最良なのかを巡り争っていた。」

「世界平和や人類の友愛は素晴らしい理念だが、もっともらしいフレーズで規模を拡大させる誘惑に注意せねばならない。小さな範囲の平和を維持できず、隣人を慈しむことができないのに、大きな範囲でそれを達成できるはずはないからだ。結果として協力する範囲が大きくなったとしても、自らを管理するのは自らであるべきだ。そのためには、自分の管理の範囲を超えた大きなシステムを構築したり、それらに過度に依存するべきではないだろう。
 それよりも私たちが世界規模で共有するのは管理やシステムではなく、智恵やアイデアではないか。それは共有しても贈与しても減ることはない。本当に誰もに必要なことは独占して取引するのではなく、無償で共有すべきであろう。それが本当の意味でのCooperation(協力)になるかもしれない。」
「社会がどうなろうと、自らの態度を管理できれていれば、私たちはこの先、不安から解放されって生を全うすることができるだろう。大切なのは世直しではなく、自分のまなざしの方向をしっかりと管理することなのである。」

(第八章「交流」より)

「これまでは便利さや快適さを常に求め、私たちの欲を回転させてきた。同時に不安と不満足を膨らませながら、貧富の格差の拡大に加担してきた。加速する消費と生産のサイクルに時間もエネルギーも搾取され消耗し、身心の健康にも地球の他の生命にも負担をかけるような文化と文明であった。
 しかし一方で、このパンデミックをきっかけに私たちは新しい道へ踏み出すこともできる。(・・・)困難な状況にあっても感情的に反応するのではなく、智恵を分け合い、人々と協力すること。そんな文明を育むことを選択すれば、きっと私たちは数々の問題から解放されるだろう。」

(第九章「解放」より)

「私たち一人一人の誰もが今の社会の理不尽さに加担することや、過度に何かを恐れることから離れること。離れた場所から冷静に物事を見つめて、そのときに正しいことをすること。そして自分だけではなく周りの生命の利益と幸せを考えること。日常の生活の中で淡々rと自分のすべきことを行うこと。どんな問題が起きても恐れずに協力し合い、そのときその場を明るく乗り切って生きていくこと。そうした当たり前のことをする方が、拳を振り上げて起こす革命よりも、大きな力を持つのではないか。
「世界を変革させる代わりに、私たちがまず自分を変革すること。自分のまなざしに革命を起こすこと。私たち自らがそれぞれ自分のまなざしの革命家になること。それこそが真の解放の第一歩である。それを受け入れたときにはじめて私たちは、自分がそれほど弱い存在でも無力な存在でもないことが見えてくるはずだ。」

【目次】

◉はじめに

◉第一章 常識――正体不明の必需品
誰もが同じ方向を向いたとき/風景異化論から捉えたパンデミック/固定化するまなざし/常識の正体/常識のつくられ方/多数決の罠/非常識と罪/民主主義の非常事態

◉第二章 感染――誰がパンデミックをつくったのか
パンデミック宣言を巡る疑問/新型コロナウイルスの特殊性/COVID-19は危険なのか/数字の信頼性/誰が得するのか/もしパンデミックを計画するなら/混乱から分断へ/そして焦点はワクチンへ/接種を巡る4つのスタンス/本当の感染とは

◉第三章 平和――壮大な騙し合いの時期
ハイブリッド戦争の時代/平時の騙し合い/誰もが平和を望むのに/敵と味方という図式/戦争は巨大なビジネス/陰謀論は受け入れられない/真実を反転させる呪文/国家と国家の争い/兵器は皮膚の下へ/平和の順番

◉第四章 情報――ファクトかフェイクか
二人のドナルド・トランプ/フェイクニュースはどちらか/メディアの見取図/SNSは自由に発信できる場か/あらゆる情報はすでに演出されている/ディープフェイクを見破れるのか/情報は情報である

◉第五章 広告――偶然は計画される
選択の落とし穴/偶然の仕掛け/見たいものだけが見える窓/本当にそれが欲しかったのか/欲望を創造する技術/進化するマーケティング/広告・広報・宣伝/マーケティングと戦争

◉第六章 貨幣――すべてを数字に変える魔法
人生の価格/そしてお金が中心になった/通貨は誰が発行するのか/数字しか持っていない/お金が増える魔法の仕組み/借金するほど増えるお金/利子という悪魔/貨幣の拡大と想像力の消費/問題は数字ではない

◉第七章 管理――次の社会に向けた選択
「怒り」と「欲」による管理/再び、パンデミックを計画するなら/「無知」のデジタル社会主義 対抗するまなざし/寄り添うことを見つめると/「より良く」か「バランス」か/「コントロール」か「協力」か

◉第八章 交流――インターローカリズムの時代へ
流れる方向が変わる/外への拡がりが止まる/内に引き込まれる世界/足元に戻ってくる/国家主義の高まり/大都市集中から地域分散へ/「ない」ことが強みになる/インターローカリズムへ

◉第九章 解放――「利」と「理」と「離」
選ぶことに疲れ果てた私たち/リセットされる国民国家/何から解放されるのか/私たちの見方に原因がある/三つの「り」のまなざし/誰もがこの社会から離れるとき

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