エッセイ l 感情を食べる

1月9日。父親も仕事に出かけて、家の雰囲気はさっぱりいつも通りの日常に戻った。私は学校へ向かうために家を出る。久しぶりに友達に会えることに、気分が踊った。

 電車に乗ると、荷物を抱えた御老人がたくさんいらっしゃった。友達と楽しそうに話す彼/彼女らを余所目に、私は空いている席に腰を下ろす。不意に鼻を掠めたおばあちゃん家の匂いに、とうに過ぎ去ったはずの正月の気分になった。正月を、食べたような気がして、私は喉を鳴らした。
 私の家では、1日に父方の実家に、2日に母方の実家に帰省する。挨拶をして、お年玉をもらって、従兄弟たちと遊ぶ。
 その後食べる夕御飯では、毎年同じものが食卓に並ぶのだ。1日がすき焼きで、2日目が唐揚げとローストビーフである。すき焼きでは普段はあまり食べられない良い肉を使っているので、我先にと箸を進める。唐揚げは祖母が作ってくれるのだが、とても絶品で兄弟全員の好物だ。
 今年は、母親が流行病に罹患してずっと家ですごしていたので、なんとなく正月の気分になりきれずにいた。
 夕御飯には今まで通りにすき焼きや唐揚げ、ローストビーフが食卓に置かれたが、例年に比べるとゴムの塊のようなものを食べている気分になった。

 食べものは感情の味がする。薄暗い中ひとりで食べるカレーは味気ない灰色で作業のように口に運ぶし、友達と炬燵に入りながら囲む鍋は暖かい木漏れ日を食べている気分になる。
 親戚みんなで食べるすき焼きや唐揚げは、
てんてんと輝く太陽の味がした。

 食べることは生きることである。
 振り返りたいと思えるような人生を送るためにも、美味しい感情を私は食べたい。

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