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2024/3/1

 1人暮らしが始まってからもうすぐ7年目を迎えるが、今になってやっと家事をすることがたのしくなってきたように思う。社会人になってからの家事は、仕事という日中の大方を占めるものとの兼ね合いで空いた時間に行わなければいけない課題という感じで、わたしには寝る時間も趣味に費やす時間も必要なのに、そんな、家事に使う時間なんてないわということでだいぶサボってきた。もちろん、部屋が散らかってきたなとか、洗濯物がたまってきたなと思ったらそれ相応の対応をするが、そこに感情とかはない。しかし最近、日中の仕事と演劇の仕事、あとは趣味の時間の合間を縫って自分の生活のために掃除をしたり料理をしたりと、「整える」ために何かをするのがすごく楽しみで仕方ない。
 洗い物、よろこんでやります。ご飯、実家からもらった野菜とかで何かつくるぞ。掃除、たまにサボるけど前よりは綺麗な部屋を保てている。
 なんか、よい。
 おそらく、今年の2月に入るくらいから自発的にやりたいと思うことが沢山出てきた影響で、いろんなことに積極的に取り組むようになったのが生活にも反映されている。それと、環境を綺麗にしておく、使ったものを元の場所に戻しておくというのは作業効率が非常にいい。職場もそうだけど、決められた時間の中で、自分に振り分けられている仕事をこなすのはパズルゲームのようで楽しい。慣れが大きいだろう。生活も仕事も、2年間過ごしてきた中でいろんな成功・失敗のデータがとれて慣れてきたんだろう。自発的に何かをしていく、っていうフェーズに入ったのかと思うとこれまでの自分を一度ほめてあげたい気持ちになる。がんばっている。

 2024年のせのびの活動もぼちぼちとスタートし、会議やごはんが開催されている。せのびと活動を共にして5年くらい経つけれど、いろいろと変化してきたなあと思う。そんな中でふと思うのは、家族よりも、せのびの人たちとご飯を食べる時間の方が多いなあということ。「今週は帰ってくるのか」という祖母からの電話には「予定が入っているのでむり。でも野菜余っていたらちょうだい。」と答えることがほとんど。おばあさまいつもありがとう。家族とご飯を食べるのは数か月に1度実家に帰ったときと、年末年始くらい。しかも私は実家でかなり気ままに過ごさせてもらっているため、みんなとご飯を食べないで一人マイペースに台所に向かうので、その頃にはみんな食べ終わって各々の部屋に引き上げてしまっている。よって、家族みんなで食卓を囲むのは年にほんの数回しかない。時間の流れだ。
 その点、せのびのメンツとはしょっちゅう会っているし、会う度に「会議」という名のご飯会が開催されていると思う。稽古終わりに空いている飲食店なんてそう多くはないから、大抵お寿司か焼肉。夜遅くまでやっている飲食店に関してせのびの人たちは詳しくならざるを得ない。いつもご飯を食べながらずっと演劇の話をして、食べ終わってからも演劇の話をして、いる。その前の時間も稽古で演劇の話をしているのに、本当に話題が尽きない。へんなの。
 家族と旅行に行ったことはないが、せのびの人とはいろんなところに行って、現地の美味しいものをたらふく食べている。それも、へんなの、と思う。友達とも違うし、家族でもないし、仕事仲間ではあるけど日中の職場の人との関係性とも違う。後輩とか先輩とかとも違う。とても独特な関係性の中で、月に何度も会って、ああでもないこうでもないと言いながら笑ったり、話したり、たまにムッとしたり、まあ仕方ないかと思ってまた演劇の話をしたり、活動がなければ連絡を取らなかったりもする。
 いろんな共同体があって、演劇だけで見ても劇団やユニットによって関係性はきっと様々。わたしにとってせのびは「よく一緒にたのしくごはんを食べるひとたち」になりつつある。

 いまとても、やりたいことがたくさんあって時間と比例していない。どう考えたって時間が不足している。24時間ずっとフル稼働できる身体だったらもっとたくさんのことができるのに、どう頑張ってもこの身体は疲れるしお腹もすくし眠くなる。あとニキビもできる。今は右頬とこめかみの中間地点くらいに大きめのニキビができている。ビタミンCを摂ろうと心がけ、水も飲むようにしているのに、なんでニキビはできてしまうのか。生活において不摂生な部分があるのならば、肌に凹凸を作ろうとするのではなく「ここが不健康ですので野菜をたくさん食べてくださいね」って口で言えばいいじゃないか。まったく困ったものである。

 3月は予定がいろいろで、いろんなところへ飛び回りながら、文章を書き、日中の仕事をし、夏に向けて計画をしていく。いそがしくなりそうだ。
noteもSNSも漫才コンビの方も、やりたいことがある。周りの人と、たのしく、3月も過ごせたらいいなと思っている。

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