見出し画像

ある日曜日のお昼のこと

眠かった。人の話を聞き続けていると言葉がほどけて、意味をなさない音の流れになる。何か音がしているのはわかるが、プールに潜っているときのようにわんわんと響くだけで聞き取れない。

「じゃあ、午前中はここまでにして、1時半までお昼休みです」

意味のまとまりが突然耳に飛び込んできた。

ペンケースとノートをリュックにしまい、研修室を出た。
マスクをし続けるのがつらい。どこかマスクを外せる場所に行きたい。

近くのVELOCEに入った。店内で本を読もうかどうかと迷ったが、朝に買ったサンドイッチがリュックに入っている。

「ブレンドのM、持ち帰りで。Suicaでお願いします」

スマホをかざそうとすると、

「すいません。使えないんです」

「あ、そうなんですか」

リュックを下ろし、財布から小銭を出して払う。

「袋にお入れしますか?」

「そのままで大丈夫です」

VELOCEを出て、近くの眼鏡屋の前にあるベンチに腰掛ける。どこか公園のようなところはないかとGoogleマップで調べると、近くに2つあるようだ。一番近くの公園に向かう。

地図で見て想像したより小さい公園だった。すべり台のそばのベンチに座る。ちょうど背後の木の日陰になっている。コーヒーの紙コップを脇に置き、リュックを下ろした。

「ふーっ」と鼻から長い息を吐き、足を前に投げ出す。鳩が寄ってくる。足を動かすと鳩はびくっとして後ずさる。じっとしているとまた寄ってくる。餌をもらえると思っているのだろうか。ニューバランスのスニーカーの周りを、4羽の鳩が頭を上下させ地面をつつきながら歩いている。足を手前にズズーッと引き寄せると、鳩は驚いたように走って逃げた。

正面のベンチに若いお母さんと小さい女の子が座った。コンビニの袋から何かを出して食べている。左側に見えるベンチには、黒っぽい服を着た男性が膝を立てて寝ている。黒い傘をさして上半身を隠していた。

25mプールを2つ並べたくらいの正方形に近い公園は、ぐるーっと木で取り囲まれていて、その4辺のあちこちにベンチが並んでいる。空いているベンチはまだまだあるから、しばらく座っていても大丈夫だろう。右側に見える背の高い木は何の木だろうか。目をこらして見るとイチョウの葉の形のようだ。となりのトトロに出てきそうなほど大きな木だ。木のそばのベンチには若いカップルが座っている。

青いTシャツを着た小さい男の子とお母さんが公園に入ってきた。カップルの隣のベンチに腰をおろし、袋から何かを取り出して食べ始める。マクドナルドだ。男の子は、その顔よりも大きく見えるカップを持ってストローから飲み物を飲んでいる。

目の前にすべり台がある。鮮やかなオレンジに塗られている。右手にはブランコが2台あり、こちらは赤。左側にはゆらゆらと揺れる遊具が2台。乗り物に見たててあるらしく、「bike」と「airplane」と書かれている。遊具で遊んでいる子供はいない。鳩がまた近寄ってくる。

背もたれに寄りかかりぼんやりと空や木々を眺める。日曜日の1時前。この知らない場所で何をしているんだろうか。どうして公園のベンチにこんな風に座っているんだろうか。私はどこに向かっているんだろうか。また深く長い息を吐き、コーヒーを一口啜る。

正面のベンチに座っていた女の子がブランコに向かって走り出した。ピンクとブルーのタータンチェック柄のワンピースに、ピンクのソックス、ピンクの靴。3歳ぐらいだろうか、肩くらいまでの髪が走りながら軽やかに揺れている。女の子を追いかけるように、若いお母さんも荷物を持ってベビーカーを押しながらブランコに向かう。

イチョウの木のそばの青いTシャツの男の子に目をやると、ちょうどハンバーガーにかぶりつこうとしていた。バーガーを包んでいた紙で顔が全部隠れる。

寝ている男性はさっきからまったく動いていないようだ。そのベンチのそばには電話ボックスと時計、水飲み場、そして公園の出入り口がある。時計はちょうど1時を指していた。

お父さんに連れられて、女の子2人と男の子1人が公園に入ってきた。3人の子たちは公園を斜めにつっきって、まっすぐブランコに走っていった。

すぐ後にお母さんと2人の男の子。その子たちはすべり台にまっすぐ走る。続いて、お父さんと男の子。またまたすべり台に向かう。

一瞬にして、違う場所にいるかのようににぎやかになった。鳩はいつの間にかいなくなっていた。

子どもたちが遊んでいるすぐそばのベンチに、中年の女(私)が一人座っている。この状況はかなり怪しまれるのではないかと思い、リュックからサンドイッチを取り出した。朝、駅の近くで買った手作りサンドイッチだ。チキン竜田サンドと卵サンドが一つずつ入っている。卵サンドの具がたっぷりではみ出していた。お昼休みにランチをしているだけですよという雰囲気を醸しながら、意識してゆっくり食べる。

イチョウのそばに座っていたカップルが席を立ち公園の出口に向かった。入れ代わりに中学生くらいの女の子が2人入ってきて、空いたベンチに座った。

遊んでいる子供たちは一瞬も止まることがない。常に揺れている。走っている。跳ねている。ブランコからすべり台へのちょっとの移動でも必ず走る。シュタタタタッと小さなスニーカーで砂を蹴る音が響く。

一通り遊具で遊んで飽きたのか、何人かの男の子が地面のアリをつまんでいる。落ちていた棒を拾って水たまりを叩いて水しぶきを上げている。そのうち両手をつっこんでバシャバシャしだす。「もう、やめてよ~」と離れて見ていたお母さんが叫んでいる。

青いTシャツの男の子は、まだ食べている。今度はポテトの袋を手に持って小さな手でポテトを口に運んでいる。女子中学生は、ひとつのスマホを2人でのぞき込んでいる。ベンチの黒い服の男性はそこだけ異空間のように身動きせず寝ている。


お父さんと一緒に、男の子が4人、公園に入ってきた。おそろいの服を着た2人が二組。同じ服を着ていても背の大きさが違うので、二組の兄弟だろう。その子たちもブランコに向かって駆け出した。そう、お出かけのときにおそろいの服を着せておくと、見つけやすくて楽なんだよね。うちもそうだった。後から、お母さんとおじいちゃんらしき人も公園に入ってきた。

どの子どもと、どの大人が親子なのかわからないくらい人が増えていた。

「パパ~、宇宙船やって~」と一番大きい子が叫んでいる。お父さんがブランコを押し、水平になるんじゃないかというくらいまでブランコを揺らす。じいじらしき人がその姿をスマホのカメラにおさめている。

公園中で遊びが進行し、賑やかさがマックスになったようだ。舞台であれば出演者全員登場といった感じだ。一瞬も止まることのない子どもたち。叫ぶママ。子供の様子を見ながらも、ついついスマホを見てしまうパパ。

公園という舞台。自分は観客席から目の前の劇を見ている。彼らの目には観客の私がまるで映っていないかのように、公園時間が流れていく。

青いTシャツの男の子がやっと食べ終わったようで、すべり台に向けて(私が座っていた方向に)、満面の笑顔でトテトテと走ってきた。全身がうれしそうだ。

時計を見ると1時15分になっていた。残っていたコーヒーを飲み干し、立ち上がってリュックをしょった。舞台を横切るようにして、公園を後にした。

研修室に戻る途中、またVELOCEに寄った。

「これ、捨ててもらっていいですか」

店内にゴミ箱が見当たらなかったので、近づいてきてくれた店員さんに紙コップを渡した。

歩いていると、子供たちが小さかったときのことが次々に湧き上がってきた。

当時住んでいたマンションの目の前が公園だった。公園で遊んだあと、彼らの小さなスニーカーの中はいつもジャリジャリしていた。玄関も廊下も砂だらけだった。洗濯をしようとズボンのポケットを確認すると、石、葉っぱ、拾ったゴミ。なんでこんなものをとあきれるものばかり。白い壁には汚れた手形。スニーカーを洗おうとバケツにつけると驚くほどの泥水に。

そういう「まったくもう」と思っていたことは全部、子供たちが元気に生きていることの証だった。どれだけ欲してももう戻らない「特別な、何気ない時間」だった。

さっきまでいた公園の子供たちの声が、耳の奥からまた聞こえてくる気がした。

サポートいただけたら跳ねて喜びます!そしてその分は、喜びの連鎖が続くように他のクリエイターのサポートに使わせていただきます!