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哲学対話「信じる」の開催レポート

毎月第4土曜日にオンライン哲学対話を実施しています。もともとは麹町にある事務所で対面式で実施していたのですが、コロナ禍での休止を経て、オンラインに切り替えました。オンラインならではの良さがあるので、しばらくこの形で続けていきたいと思っています。

哲学対話の概要

哲学対話は、近年いろいろな所で行われています。当日集まった参加者から出してもらう「問い」について対話をする場合もあれば、主催者が事前にテーマや問いを決めて実施する場合もあります。

我々の場合は大きなテーマだけを事前に決めておき、当日そのテーマに関連して「問い」を出し合って、選ばれた問いで対話をスタートするというやり方で行っています。過去のテーマはそれぞれ「対話」、「時間」、「夢」、「言葉」、「弱さ」、「笑い」、「つながり」、「学ぶ」、「遊び」など。
10回目となる今回のテーマは「信じる」で、参加者は10名。

問いだし

冒頭に哲学対話の進め方とルールをお伝えし、各自テーマに関連した問いを出してもらいました。当日出された問いは以下のようなもの。

1 信じることで得られること&信じることの危険
(4. 信じたほうがいいものと、疑ったほうがいいもの→ 1に統合)
2 「信じる・信じない」を判断するときの基準とは?
3 絶対はあると思いますか?
5 信じた結果、裏切りにあったときの当初の「信じてた」とは、どういう行為といえるか?
6 主張することは、信じてることなのか?
7 人に騙されてしまう人がいる。なぜ騙されるのか? なぜインチキや嘘を信じてしまうのか?
8 信用と何が違うのか?
9 信じられる相手はいらっしゃいますか?
10 自分を信じることと、自分勝手はなにが違うのか?
11 「誰かを信じる」「信頼する」とはどういうことか?
12 他人を信じるに際して、信頼する、信用するをどう使い分けているのか。
13 信じるふりをするのはいつか?
14 信じることがない人は居るか?
15 「信じる」ことは、自分に何をもたらすか?
16 目に見えないもの(たとえば「時間」とか)があるとなぜ信じられるのか?
17 あなたの信じたいものって、なんですか?
18 信じることがかわるとは?
19 最低限の信じてることとは何か?

1つ1つ順番に、どうしてその問いで考えてみたいと思ったか、「問いの背景」についてコメントをしていただきました。

同じテーマでも、人によって様々な捉え方があるということが、この問いだしの時点で見えてきます。そうか、そんな風にとらえているんだな、自分はどうだろうか、などと、この時点ですでに哲学対話は始まっているのです。

これらの問いの中から、投票で「目に見えないもの(たとえば「時間」とか)があるとなぜ信じられるのか?」が選ばれ、その問いで対話をスタートしました。

当日の対話の流れ(発言の一部)

当日は手元で手書きのメモを取りながら参加しています。そのため、すべての発言ではなく、部分部分の切り出しとなってしまいますが、参加した方の振り返りや、興味を持ってくださった方に哲学対話の雰囲気を感じていただくために、時系列でご紹介します。

・実体のないもの、「神様」とか、「時間」をあると思っているのはなんでなんだろう?

・実体のないものを確認する手立てのひとつとして、ルールでそれをあることにする。その上で、観察をしていて変化を感じたときに、たとえば時間だったら老化という形で、個々のなかで「ある」というように形づくられていくのでは?

・哲学も触れないものだし、見えないものだけれど、それって正しいのか?

・化学や物理には、水が低いところに流れるように「絶対」がある。人間の心の移り変わりに絶対はあるのか?

・Zoomで100人くらいの人が参加している場だと、本当にそこに人がいるかいないかがわからない。いると信じるしかない。

・「信じる」というのは、時間の流れの中で「信じられる」と思って固められたものだから、この先もそうだろうと思うのではないか。

・例えば、お金の価値って、数字は印刷してあるけど、価値それ自体は見えない。周りがそうしているから、経験則として信じたほうが都合がいいというのはある。

・見えるものから推論をして、バーチャルなものはあると仮定しないとつくれない世界。イメージを共有することで実体が与えられていくのではないか。

・お金とか、チケットとか、日本人は信じやすい傾向があるのではないか。例えば、今の世の中が全部嘘だったら?

・全部嘘というのはありえること。この先もこのままいくんじゃないかとある程度思えることが「信じる」ではないか。

・今さわれるものは「本物っぽい」と思って生きている。そういう経験の積み重ねで生きていくのかなと思う。

・貨幣は、紙は見えるが、価値は見えない。だけど、ある程度価値を推察できるから信頼を感じている。これが思想などになると、人の中に宿っているものだから信じるしかない。

・この世界が全部嘘だったとしてというとき、その「全部嘘」ということを信じられる理由は?

・地球の自転や公転は、自分の目で見たわけじゃないけれど信じている。過去の歴史なども、実際にその時代に生きていたわけじゃないのにそういうことがあったと信じている。なんで信じられるんだろう?

・経験が短いのに「絶対」と言ってしまうことははずかしいこと。真実を調べずに信じることが、信じられない。

・ある特定の場面だったら「絶対」はあるかもしれない。なぜそう思いたがるかというと、その方がラクだから。事実のぶつけ合いで事実が作られていく。

・「信じる」のなかにも、納得して信じる場合と、納得しなくても信じる場合がある。言い換えると、信じられるから信じる場合と、信じたいから信じる場合がある。

・この世界が全部嘘だったとして、だからどうなのか?われわれはフィクションを受け入れて生きている。この世界で生きていく以上は受け入れて生きていく必要があるのでは。

・コロナ禍でも、最初はどうなるんだろうと不安だったけれど、「3密を避ける」と言われ出してから少し落ち着いた部分があるのでは。マスクをしておけば怒られないとか、「基準」を信じると落ち着くというのはある。それが目に見えないものであっても。

・人そのものは信じる対象ではなく、人の行為を信じる。人そのものではなく、その人の言葉、行為のそれぞれに対して信じる/信じないがある。

・人を信じるっていうのは、勝手に信じているだけなんじゃないか。勝手にイメージを作り上げているだけなんじゃないか。

・人を信じるに加えて、自分を信じるっていうのはどういうこと?

・どうなるかの計算がたつ状態のことじゃないか。

・計算が立たない、初めてのことは信じられないのか?安心するために信じることもあるんじゃないか?これまでの土台のもとに信じるときと、前提を信じないとやってられないというときもある。

・自分のよりどころとして信じているものと、その土台をもとに今後どうかというのを信じる、があるのではないか。

・土台、経験をもとに信じる/信じないを判断しているんじゃないか。

・例えば、マスクをしていれば大丈夫ということを「信じたい」という思いがあるから、信じるんじゃないか?

・土台がゆらぐからこそ何かを信じたくなるんじゃないか。流動する世界のなかで、流れの中にアンカー(錨)をおろすことが「信じる」ではないか。

・コロナに関していえば、権威は信用する。自分たちよりはわかっているだろうと思って信じる。だが、権威はもろいものでもある。

・科学者Aと科学者Bが異なることを主張することがある。どちらもが、自分の説を信じている。そういうとき一般人はどうすればいいのか?

・信じるは盲目的なものがあって、絶対はない。裏切られたときのコストを計算して信じることもある。

・疑い得るものだからこそ信じることができる。疑い得ないものはそもそも、信じるうんぬんの話にならない。

・信じるには、ゼロかイチかじゃなく、グラデーションがあるんじゃないか。100%信じているというより、80%信じて20%疑うとか、そういうのが当たり前にあるんじゃないか。それでも、何か物事を進めるときに、選択をする拠り所として、信じるかどうかを考えるんじゃないか。

・自分の考えを信じるためには、人と対話をしたい。


2時間の対話を終えて

「信じる」というテーマがとても大きなものなので、2時間の対話で十分に深く考えられるわけではありませんが、それでも参加者それぞれの視座からの「信じる」についての考えが共有されていくことで、全体として「信じる」という穴をみんなで掘っていくような体験となりました。

私たちが行っている哲学対話では、問いについての「答えらしきもの」を出すことはそこまで重視していません。問いから始まって、場で共有されるそれぞれ異なる背景を持った個々人の考えが、相互に影響を与え合いながら生まれてくる「何か」を重視しています。

その「何か」は、もしかしたら人それぞれ異なるものかもしれません。でも根本的には、底の方でつながっていると思うのです。そのつながっているものが、1人ひとりの位置や見方からでは異なって見えるという違いのような気がしています。

哲学対話の時間はいつも、ご一緒したみなさんとともに旅をしたような気分になります。これからもそんな旅を楽しんで行きたいと思っています。


次回開催の予定

12月はお休みします。

1月のテーマは「読む」で、1月23日(土)10:00~12:00<開催予定>です。他の人の脳を借りて考える楽しさを、ぜひ味わいにいらしてみてください。募集開始後にあらためてお知らせします。



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