哲学対話「聴く」の開催レポート
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哲学対話「聴く」の開催レポート

毎月第4土曜日にオンライン哲学対話を実施しています。今月は主催者の都合により第3土曜日の4月17日(土)に開催しました。その様子をレポートします。

哲学対話の概要

哲学対話とは「普段はあらためて考えない疑問」、「すぐには答えが見つからなそうな疑問」について、みんなで語りあって思考を深めていく場です。一人ひとりが自分の経験や考えを、自分のことばで表現することを大切にします。それをお互いに聴き、問いかけ合いながらともに考える場です。

哲学対話は、近年いろいろな所で行われています。当日集まった参加者から出してもらう「問い」について対話をする場合もあれば、主催者が事前にテーマや問いを決めて実施する場合もあります。我々の場合は大きなテーマだけを事前に決めておき、当日そのテーマに関連して「問い」を出し合って、選ばれた問いで対話をスタートするというやり方で行っています。

過去のテーマはそれぞれ「対話」、「時間」、「夢」、「言葉」、「弱さ」、「笑い」、「つながり」、「学ぶ」、「遊び」「信じる」「読む」「書く」など。13回目となる今回のテーマは「聴く」で、参加者は8名でした。


問いだし

冒頭に哲学対話の進め方とルールをお伝えし、各自テーマに関連した問いを出してもらいました。当日出された問いは以下のようなもの。

1 どうして話を聴いて欲しいと思ったり、対話を求めるのか。
2 聴くと対話の違いは…
3 黙って聞いてくれればいい、という姿勢についてどう思いますか?
4「聞く」「聴く」「傾聴」、他にどういう「きく」を思いつきますか?
5 能動的な聴き方って何でしょう?
6 「聞く」と「話す」は対角線上にあるのでしょうか?
7 どうなると「聴けた」と言えるのか?
8 経験が増えることと聴こうとすることはどう関連しているのか?
9 聞くというのは、音が入ったことを言うのか?音がなくても聞くと言えるのか?(上手い下手はあるか、音だけか、聴いて理解するまでか、時間が経ってもよいか)
10「聴く」ことのもつものは何か?
11 聴いてもらうことは何をうむのか?
12 自分の話が話したことについて、相手がどの様な状態になった時、聞いてもらったと思えるか


問いを出し合ったあと、1つずつ順番に、どうしてその問いで考えてみたいと思ったか、「問いの背景」についてコメントをしていただきました。

同じテーマでも、人によって様々な捉え方があるということが、この問いだしの時点で見えてきます。そうか、そんな風にとらえているんだな、自分はどうだろうか、などと、この時点ですでに哲学対話は始まっています

また、背景を共有した上で、同じことを問うているものについては合体し、その後投票をしてもらいました。

その結果、11.「聴いてもらうことは何をうむのか?」が選ばれ、その問いから対話をスタートしました。


当日の対話の流れ(発言の一部)

まずは問いを出してくれた方が、具体的な体験を共有してくれました。その上で、各自が発言をしていきます。

・相手が聴いてくれたと思ったとき、その人は何をしていたか?というと、その場から離れずに、うん、はあ、頷きなどの反応があり、考えている様子や表情が見えて、その上で、自分が言ったことに対して何かしらの話や反応が出てくる。スマホを見ていたり、トイレに行ってしまったりということはない。

・その場合、ペットでもその場にいて反応があれば、聴いてくれたといえるのか?

・考えている様子があった後に、自分が言ったことに対して何かしらの「言葉」が出てきたときに「届いているなあ」とか「ちゃんと聴いてもらえた」と思うので、ペットとは違うかもしれない。

・逆に自分が聴いていて、「聴いてもらえてよかった」と言われたときに何をしていたんだろう?と考えると、うんうん、そうかーしか言ってなかったし、何かを考えたりはしていなかった。

・自分も発言するときに言葉が見つかりにくいことがある。その間、相手を待たせてしまうのがいやで「やっぱりいいです」となることが多い。相手が、言葉が見つかるまで待ってくれると思える人だと、安心して自分のなかの言葉を探せる。その「待ってもらえているという安心感」は、聴いてもらえたと思うために大事なのではないか。

・子どもが何かあったときに、どうしたら話してくれるのかと思っていたときに、知り合いが「雰囲気をつくれば話してくれるもんだよ」と言っていたが、どういう雰囲気をつくれば話してくれるものなのか?

・自分が「聴いてもらえてよかった」と言われたときは、ただ向き合って、表情を見ていた。それが「待っています」という態度になっていたかもしれない。その間、相手の苦しいような気持ちが感じられた。

・聴く上で空気を出して待つのは大事なこと。話すときは、話す側が伝える努力をすることも必要。

・聞いてもらえるという安心感があるのは、事前に信頼関係が出来ていたからではないか?

・そもそも聴いてもらうことで、何を求めるのか?何によって満足という状態になるのか?

・安心や安堵は、聴いてもらうための前提ではないか。それ以外に聴いてもらうことが何をうむのかというのが、今日の問いではないか?

・そもそも、聴いてもらったことによってどういった到達点を得たいかというのは1人ひとり違う。会話の後に求めている内面の状態が違うのではないか?

・自分がずっと求めている対話とは?と考えてみると、問いを深めるだけとか、共感を得るだけだとむなしさを感じる。問題解決やアクションを起こすことを必要としている。

・聴いてもらったという感覚について、ただただ聴くという傾聴をしてもらっても、聴いてもらっていると思えない。

・本当にその人の思いを受け止められるような志や姿勢があると、共感だけでなく、解決するために何かを起こす方向に行くんじゃないか。次につながっていくような、アクションが起こることが前提じゃないと、ちゃんと聴けないんじゃないか。

・ただ共感だけして聴かれるのはいやだ。自分のなかから何らかの気づきが出てくるのが理想。

・相手に何を期待するのか?ということではないか。それは聴いてもらう相手を選択することでもある。

・目的や期待がなくとも、始まる対話というのはあるのではないか?全然話そうと思っていないことが、自然に言葉になって出てきて、深く聴いてもらえたと思うようなときもある。

・本当に切実な問題について話せる場がないと、アクションが起きない。そうでないとむなしさしか感じない。

・それは、他者とかその場に期待して委ねているということで、自分からその場に対して働きかけるということはないのか?

・自分から伝えて、その場にいる人の心を動かすということでは不足している部分があるかもしれないが、本質的には話す内容の切実さがわかるくらいの知性と志を求めている。

・目的や期待がなく始まる対話は、日本では少なくなっているのでは。忙しすぎるし、集う場がないというのもある。

・話す側の納得感が大事なんじゃないか?自分が励まされるとき、自分が話している言葉によって触発されているんじゃないか。


2時間の対話を終えて

個人が体験した具体的な内容は上記に書いていませんが、最初に共有してくださった事例が非常によい例になっていて、各自が「自分が聴いてもらったと思ったとき」や「聴いているときに何をしていたか」ということを考えやすかったのではないかと思います。

知識としての「聴くときにすべきこと」を聞いていても何かしっくりきませが、実際の体験から導きだされた「聴いていたときにしていたこと」の方が、「生きた知恵」に感じられるような気がします。

パンパンと、テンポよく、問いを投げ合うような哲学対話の場もありますが、やはりそれぞれの方の、その人のならではの体験を聞くことが重要だなと改めて思いました。

今回、話が進んでいくにつれて、参加しているそれぞれの方が「聴いてもらうことに求めている何か」を持っていることがわかってきました。いわゆる目的や期待、ゴールのようなものです。

その何かについて、もっとお互いの背景を聴きあった上で、そこから抽出できるものを探っていくと、よりよい哲学対話になるのかもしれません。

ですが、2時間のなかでそこまで行うのは時間的に難しいもの。哲学対話の場は、あくまでも「他者とともに、自分のなかにある問いを掘り下げていく」場であり、「他者との違いの中に発見や気づきがあると気づく」ような場ではないかと改めて思いました。

そこから先は日常のなかで、それぞれの方が自分なりに、問い、考え、身近な人と対話をしながら探究していくことで、2時間の対話が、その何倍も何十倍も、有意義な機会になるのではないかと思っていますが、どうでしょうか。

次回開催の予定

次回は5月22日(土)10:00~12:00の予定です。テーマは検討中です。募集開始したらお知らせします。こちらのサイトおよびfacebookページに掲載します。



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大前みどり

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対話ファシリテーター、ワークショップデザイナー。考えたこと、体験したこと、学んだこと、記憶の断片の記録。