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最初の参宮橋の夜から6年。再度インタビューのワークショップへ

新宿駅から小田急線の各駅停車に乗り、2つ目の駅が参宮橋だ。明治神宮の3つの入口の1つ、西参道へはこの駅から行ける。

だが私にとっては、参宮橋と言えば「オリセン」。何度も通ったオリンピックセンター。

電車から降りてホームの階段を上り、通路を通って反対ホームにある改札を出ると道幅の細い商店街になっている。その商店街を左方向に歩いていくと「オリンピックセンター」の看板が、ぼーっとしていると見落としそうなほどひっそりと見えてくる。そこを左に曲がって少し進むと、踏切にぶつかる。平日の朝などはこの踏切でとんでもない足止めを食うことがあるので、その分も計算に入れないといけない。

踏切を無事に渡ると、広めの通りに出る。歩道橋で反対側に渡りしばらく真っ直ぐ進むと、左手にオリセンの正門がある。守衛さんに挨拶をして敷地に入ると、いきなり2~3階分の階段。夏の暑いときなどはこれが地味にきつい。上っていくと不思議な形状をしたカラフルな建物が見えてくる。

オリセンは、1964年の東京オリンピック選手村の跡地に建てられた、青少年向けの教育研修施設だ。広大で自然豊かな敷地内に研修棟や宿泊棟がいくつも建っている。

青少年団体だけでなく、一般の企業やサークルなどでも利用できる。会社員時代に、企業研修で初めて訪れてから、オリセンには数えきれないほど通った。企業研修やオフサイトミーティングの他、表現アートセラピーで毎年のように訪れた。その他、脳の右側で描けのワークショップ、演劇ワークショップや、もう忘れている数々の講座にも。

何度も訪れた中で一番印象深かったのが、西村佳哲さんが実施した「インタビューの教室」だ。3日間の講座に申し込んだのが、2013年のことだった。

(※ちなみに、このあと長いです。5000字くらいあります)


話はいきなりそれるが、2011年の東日本大震災後の4月、西村佳哲さんの『かかわり方の学び方』という本を使って読書会をした。その際、著者ゲストとしてお越しいただけないかと、西村さんにいきなりメールで図々しい依頼をしたことがある。

当時はまったく面識がなかったのだが、著者を招いての読書会をそれまでに何度も開催してきた経験から、ダメ元で依頼をしてみたのだった。読者の声を聞いてみたいと快く受け入れてくれる方もたまにいる。

その際、西村さんは丁寧に断りの理由を送ってくれた。

本は読む人のものだと思っているので、とくにその本をめぐってめいめいが語り合う場なら、集まった人たちで語り合うのが一番いいと思うんです。

僕がお話をうかがってゆくと、下手するとそれぞれの受け取り方・認識・ご理解への「補足・微修正」のようなことをしてしまいかねないので。

前に一度参加して、自分的に「難しい」と思ったので、以後は読書会への著者参画は控えているんです。ご理解いただけると幸いです。
良い会になること、お祈りしています。

みなさんにも、ここに書いたこと、そのまま伝えていただけると嬉しいです。充実した時間になるといいですね。:-)


このことを当日しっかり参加者の方にお伝えしたお陰もあって、読書会はとても充実したものになった。

その後、西村さんのリビングワールドが主催されている6日間や8日間の「インタビューのワークショップ」や「非構成的エンカウンターグループ」に申し込んだものの、当時は仕事が尋常じゃない量だったので、毎回泣く泣くキャンセルをしてきた。何度かキャンセルをしてご迷惑をかけた中で、唯一参加できたのが2013年の「インタビューの教室」だった。


GW中に、2日間の講座をして、その後間をあけて3日目を実施するという予定になっていて、やっとご本人にお会いして学べる!と当日は楽しみに、弾むように会場に向かった。参加者も5人と少数で、これはじっくり学べる!と気持ちも盛り上がった。

だがフタを開けてみると、講座の内容はなんだかしっくりこないというか、引っかかってばかりだった。当時のノートを処分してしまったので具体的に思い出せないのだが、他の参加者の方とのメールのやりとりでこんなことを自分は書いていた。

インタビューの教室でのことは、私自身もよく理解しきれていないのですが、違和感や居心地の悪さというのは、これまでの自分がつくってきてしまった透明な壁のようなものに気づくきっかけでもあるので、自分なりにもう少し味わってみたいと思います。


2日目の講座が終わった後に、西村さんと参加者で懇親会があった。最初はなごやかな雰囲気だったが、そこで西村さん式のインタビューのやり方についての質問をしていたら話が終わらなくなった。納得いかない様子の私を見かねたのか、その日もオリセンに泊まる予定だった西村さんは、オリセンの外のベンチで、私のいちゃもんのような話を聞き続けてくれた。

今思うと恥ずかしい限りなのだが、自分なりに身につけてきたインタビューのやり方がよいと当時は自分で思ってしまっていたので、それが鎧になってしまい、その場でうまくアンラーニングできなかったのだろう。

だが悲しいかな、そのときはその自分の状態に気づけず、西村さんの言葉を素直に受け取れないまま、「本当にそうなのかなあ?」とずっと疑いながら聞いているような状態になっていたのだった。

その後、3日目は8月に実施されたが、違うことで忙しくなってしまい欠席をした。その体験が、自分の中で「リタイアした感」となって残り、その後もずっとひっかかることになった。

西村さんの本にはとても感銘を受けた。西村さんが紹介していた本も、かなり手にとったし、共感することも多かった。なので、そんな人の提案するインタビューの学びの時間を、ちゃんと完了したいという気持ちはどんどん大きくなる一方だった。


そして2019年のクリスマス、清里の清泉寮での5泊6日のインタビューのワークショップに、やっと参加することができた。6年前の経験があるから、同じことを繰り返さないようにしようと自分に言い聞かせていた。「とにかく素直に受け取って、素直にやってみよう」と。それでも最初はまだまだ鎧が脱げなくて、気持ち的には脱落しそうになった。

3日目のお昼前のことだ。
ペアインタビューに入る前に、デモで西村さんが話し手としてご自分の体験を語った。「飼い猫の死」に関する話だった。眉間にしわを寄せながら語っている西村さんの姿を見て、私も泣きそうになった。自分の飼っていた猫が目の前で息を引き取った瞬間をありありと思い出したからだ。

そして、そのまま他の参加者の方とのペアインタビューに入った。西村さんの猫の話の影響を受けていたので、自分も猫の話をし始めたのだが、話をし始めてすぐ、深いところからぐっとこみ上げてくるものがあり、言葉をつげなくなってしまった。仕方がないので全く違う話題にし、涙が引っ込んでからまた猫の話をしようとすると、またぐっと込み上げてきて言葉を発することができないという状態になった。

不思議だった。
猫の死を引きずっているわけではなかった。たしかにもっとああしてあげればよかったと後悔することはたくさんあったが、しかたのないこともあると何年かかけて悲しみは癒えていたと思っていた。そのときどうしてそんなにも嗚咽が込み上げるのか、自分でもわからなかった。

そのあと、西村さんの提案で、西村さんが聞き手になり、みんなの前で私が話をすることになった。さっきのペアインタビューのときと同じ話をまたしてください、と言われた。

私は、猫の話をしようとすると嗚咽が込み上げてきて話せなくなるということを西村さんに話した。そして、そこまで言って、またまったく同じ状態になった。言葉がつげなくなってしまうのだ。

私が「こみ上げてくるもの」を目にハンカチをあてながら泣くことでアースしている間、その場には沈黙が相当長く続いた。が、西村さんはその沈黙の時間に、じっとよりそい待っていてくれた。あとで録音を聞き返してみると、かなり長い沈黙が2回あった。

その2回の沈黙を通して、私の深いところに閉じ込められていた悲しみや後悔が ―― それは猫を失ったときのことだけでなく、生きてきたなかで感じた様々な悲しみや後悔がこんがらがっている状態だったのだろう ――すっと少しほぐれたような状態になった。

何かに気づいたとか、何かが解決したとか、そういう意識や思考や言葉の上でのことではなく、身体に空気が通ったような、水が流れたような、そういう感じになった。

その体験のおかげで自分にとっての「聴く」のイメージが変わった。言葉を発していない間、深い部分で何かが動いている自分のその状態そのものを聴いてもらえた、という実感を持てた気がした。


さらに、合宿の5日目。
他の参加者の方とペアインタビューをしていたときにも不思議な体験をした。

最終日を前にして、私はとにかくただただ目の前の人を感じながら聴こうとしていた。本当にシンプルにただそこにいて、ただ目の前の人に集中するということ。こうして書くと簡単だが、たいがいいつも、頭の中に何かが浮かんでいたり、なんらかの考えを保留しながら聞いていることが多かったのだ。

そのときは不思議なことに、その人が話している内容はよくわからないままながら、その人が話しているその場面の同じフィールドにいるような、一緒にその体験をしているような感覚になった。

言葉だと「その人を感じる」としか言えないのだが、海に浮かんでいるような、自分がなくなるというか、自分から自由になるような解放される感じだった。同時に、今まで自分は人の話の「内容」を聞くことしかできていなかったのかも、とちょっと愕然とした。

合宿中は、他にもハッとするできごとがいくつもあった。
どれも6年前の参宮橋のオリセンでは体験できなかったことだった。

西村さんのおかげでもあるし、一緒にその場を過ごした他の参加者の方々のおかげでもある。

だが、何より思うのは、そのときにやっと自分が受け入れられる(学びほぐしができる)タイミングが来たという、啐啄同機だったのだなあということだ。

啐啄同機(さいたくどうき)とは、卵が孵化するときは、卵の中のヒナが殻を自分のくちばしで破ろうとし、また親鳥も外からその殻を破ろうとする、そのタイミングがピタッと一致するからこそ、ヒナ鳥はこの世に生を受けて外の世界に出ることができる、という禅語です。ヒナが殻を内から破ろうとするのが、また親鳥が殻を外から破ろうとするのが早すぎても遅すぎてもいけない、その絶妙な自然の摂理の時を「啐啄同機」というわけです。
(致知出版社WEBサイトより)


そのときの経験の重さはなかなかのもので、年末に帰宅してからもしばらくずっと身体に残っていた。その経験を言葉にしたいと2月の終わりから始めたnoteで何度も書こうと試みつつ、まだ部分的にしか書けていない。書く力が足りないのもあるし、思いがつまりすぎているのもあるし。


さすがに半年たって体感は薄れてきてはいるが、それでもまだ言い表しにくい深い体験だったなあと、今でも思う。


合宿の初日に、参加者が自由に記入するために配られたノートが今も手元にある。


西村さんの話したことのメモや、合間合間に個人で記入したことなど、結構密に記録してある。

「日常に戻ってからも、ノートを開くとそのときの空間が立ち現れるように」

「ノートの中には、そのときの自分、そのときの自分が捕まえたコトバ、起こったことがある。ノートを開けばまた会える」

「コミュニケーションは他者だけでなく、時間軸上の、今の自分とは違う自分とのやり取りが大切。だから、後から振り返ってまた新たに書き込みながら、ノートの中の自分と対話してほしい」

と西村さんは言っていた。

いまでもパラッと開くとその6日間の自分の「ゆらぎ」「とまどい」「思い」なんかが、ノートから声をあげる。

だからこそ、いつでも見返せるはずなのに、気軽には開けないノートだ。

そういう意味でこのノートには、ワークショップの6日間だけの記録ではなく、最初に西村さんの本を手にしたときからの10年分の自分の変化が、つまっていると言えるかもしれない。自分にとっての、貴重な歩みと変化の過程が。

今日書いたことは、私の側のナラティブであって、西村さんから見たら私は大勢いた参加者の中の一人にしか過ぎないだろう。

でも私にとっては結構重大な出来事で、その最初の転機が参宮橋のオリセンだったという、今日はそんな話なのでした。


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さて。
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