哲学対話「つながり」の開催レポート
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哲学対話「つながり」の開催レポート

先日実施したオンライン哲学対話の様子をレポートする。いつもはfacebookにあげているのだが、今回は長くなったのでfacebookだと読みにくいだろうと思い、noteに。

哲学対話の概要

哲学対話は、近年いろいろな所で行われているが、事前にテーマを決めずに当日参加者から出してもらった「問い」について対話をする場合もあれば、主催者がテーマとしての問いを事前に決めて実施する場合もある。

我々が行う際は、大きなテーマだけを事前に決めておき、当日そのテーマに関連してみんなで話したい「問い」を出し合って、そのなかから選ばれた問いで対話をスタートするというやり方で行っている(今のところは)。過去のテーマはそれぞれ「対話」、「時間」、「夢」、「言葉」、「弱さ」、「笑い」など。

7回目となる今回のテーマは「つながり」。参加者は10名。13名予定だったが、3名は欠席となった。

問いだし

冒頭に哲学対話の進め方とルールをお伝えし、各自テーマに関連した問いを出してもらう。当日出された問いは以下のようなもの。同じテーマでも様々な切り口で考えられるということが、この問いだしから見えてくる。

1. つながりには何が必要か
2. 「つながり」は選べるのか
3. 不本意なつながりとは?
4. 人、モノ、動物、いろいろなつながりが、制限なく続くと何が変わるのか?
5. つながっているとつながっていないは何が違うのか?
6. つながりは、分離を前提にしているが、実際には、つながってしまっているのではないか?
7. つながりの質は何が決めるのか
8. つながりの絶ちかたとは?
9. つながりは、自分だけで作っていけるものか
10. オンライン上と対面での繋がりは別物か
11. つながりは在るものか、創るものか
12. 人はつながりを絶って生きていけるのか
13.「つながり」は相手とどの様なやりとりができていることを言うか
14. つながっていないものはなにか?
15. つなげるにはどうしたらよいか
16. たまたまと、つながりとの違いは何か
17. つながっていたり、つながっていなかったりはつながりか


問いだけを読んでもその背景がわからないことも多い。1つひとつの問いについて、それを出した人に、なぜその問いで話したいと思うのかを簡単に話をしてもらうのだが、実はこの時点でもう対話は始まっている。人それぞれの考えが立ち現れてくるからだ。

その後、投票をして問いを1つ選ぶのだが、毎回票が割れる。それも人それぞれ見ているものや考えていることが違うので当然のこと。今回も同数で決選投票となった。最終的に決まったのは、

「つながりは在るものか、創るものか」

という問いで、そこから対話をスタートした。
当日の参加者の発言のメモをもとに、簡単に流れを追ってみる(全部をメモっているわけではないので、部分部分であることをご了承ください)。

当日の対話の流れ

●震災で被災してバラバラになったときに、孤立化しないということを大事に「つなぐ」ということをしてきた。だが、つなぎ続けるには労力がいる。「つながり続けなければいけないんじゃないか」と思っていることに気づいた。そんなにがんばんなきゃいけないことなのかなという葛藤がある。

〇冠婚葬祭や年賀状など、それって本当に必要なの?と思うことがある。やらないとどう思われるかな?と考えつつ、減らしている。

●いろんな種類のつながりがあって、何をとるのか優先順位があるんじゃないか。

〇震災以前と震災以後でつながりを整理したというのはある。

●どういうレベルのつながりなのか?というのもある。非常時は、物資と情報につながる必要がある。そう考えると、人間関係も、物資と情報との兼ね合いでつながっている部分があるんじゃないか。人間関係もわりと、物質的なつながりなんじゃないか。そう考えると、自分はどう選択していくべきか?ということと、主体的につながりをつくっていけるものなのか?と思う。

〇つながりはあるものか、つくるものかという問いで考えると、つながるのはコストがかかる。だから変な話、自分にメリットがあるというか、自利的につながることを考える。どういう目的やねらいを持ってつながりをつくるのか?

●つながりについてのわからなさがあって、自分が決めるつながりと、世間が要請するつながり(孤立させまいとするような)、自分自身とつながるということもあるんじゃないか。自分を取り戻すというような。

〇震災のあと盛んに「絆」という表現が使われていたが、もともと絆って「枷」の意味がある。そういう意味を知っていて使っているのか。

●復興支援などで実務的につながるということもある。アメリカの支援部隊のように、必要な支援を終えたらいなくなるような。つながりというと心のつながりと思われがちだけど、実務的なつながりもある。それでも日本はまだまだ少ないが。

〇ネットニュースなんかは、アルゴリズムで自分の傾向にあうものを配信されている。そうやって、ITの力で情報へつながれているということも思う。

●つながりというと、人の心や態度にいきがちだけど、例えばアリがあんな風に隊列を組んで歩くのはもともと組み込まれた本能だから。人間が社会をつくる動物だとしたとき、その生き物としての行動を規定しているものとして、理性のコントロールなども含め、どんな力が働いているんだろう?ローカリティもある。アメリカと日本のザリガニが違うように、種がもともと持っている性質、本能という観点からみると人間の場合どうなんだろう?

(休憩10分)

〇つながりの種類や質の話がいくつか出てきた。血縁、社会的なつながり(仕事など)、地域のつながり、利己的・物質的なつながり(利益が一致するような)、志や理念のつながり、心のつながり、自分や自然とのつながり、など。そういう人が何かとつながるとき、その人の脳のなかのニューロンは実はつながっていなくて、そこでは物質をやりとりしている。問いだしでも出ていたがつながりにおける「やりとり」という観点ではどうだろうか?

●情報とのつながりというのは気になる。

〇つながりって、どこを意識するか?の問題で、どう働きかけるか次第なんじゃないか。「うまく使う」ことができている状態のことをつながりというんじゃないか。

●自分で選択してつながっていく場合と、強制的につながれてしまう場合もある。

〇情報やニューロンの話を聞いて思ったのが、こうしてオンラインでつながって対話をしているといっても、色の情報と音波、電磁波にいったんデジタル化されたものを見て聞いているわけで、そう考えるとつながるというのは、情報とつながると言えるんじゃないか。

●情報を受け入れたい人がつながりたい人だとしたら、結局自分自身がどうなのか?という問題になる。

〇情報を取捨選択するということは、情報の意味づけでもある。たとえば、ある交差点にたまたまそのときいる人同士はつながっているとは思わないが、哲学対話に参加している人は自分からつながってきている。そう考えると、つながるというのは「関心がある」「見出す」ことじゃないか。

●つながりという言葉を聞くと、ふれている感覚がある。例えば満員電車でとなりの人とくっついているときは、ふれているのではなく接しているだけ。

〇つながるというのは、自分が確定されているということなのかな。つながることに積極的でないときを考えると、自己認識があまりできていない気がする。

●つながりというテーマで、今日だけでも、つながる、つなぐ、つながり続ける、つながっている、つなげられるというように表現が使い分けられている。「つながりは在るものか、創るものか」という問いに戻ると、「つながり」というと「ある」もので、「つなぐ」というと「創る」ものに感じられる。「つながり続ける」には何らかの努力や意識が必要で、「つながっている」というのは物質的なものも含め状態を表していて、「つなげられる」というと強制されているように感じる。そう考えると、「つながり」という何らかのものがあるというよりは、たんに自分の認識があるのではないか。自分がどう認識しているか次第で、それに気づいていることが重要なのではないか。

〇自分の認識に加えて、社会を見て、その構造の中のどこに自分はいるんだろう?と考えて、社会の認識をした上で自分を位置づけることができること、そういう構図を頭の中に意識として持っていることが大事じゃないか。

●自分とつながるって表現が不思議。自分と自分じゃない何かがあるということ?元々みんな、すべてのものはつながってしまっているんじゃないか。

〇自分とつながろう、と思ってつながるっていうのはなんか違うような気がしていて、自己分析をしているときなどに自分のことについて考えていると自分とつながっているという感じがする。

●そう考えると、すでにある状態としてはあらゆるものはつながっているんだけど、でも各々はそのことを意識していないから、何かしらに意識を向けた瞬間につながりが認識されるとも考えられる。つまり、意識を向ける行為が「つなぐ」ということなのかな。ラジオの周波数を合わせるみたいに。

〇意識を向けていなくても、飛び込んでくることで認識するものもある。それはつながりではない気がする。

(時間が来てここで終了)

2時間の対話を終えて

2時間で充分に話し切れたというわけではないが、哲学対話の時間が終わっても、引き続きもやもやしていることについて考えたくなったり、誰かと話したくなったりするということが哲学対話の醍醐味でもある。

今回は、バラバラに出された視点が、時間が経つにつれてつながっていくような感じがした。それとともに、そこに参加している人同士が「共に考える」という体験を通して、つながっていったように感じた。おそらく、哲学対話そのものが、つながりをつくっていくプロセスになっているのだろう。ここでいうつながりは、「人同士のつながり」だけでなく、「考えと考えのつながり」でもあり、「まだ知らない世界とのつながり」でもあり、「まだ知らない自分とのつながり」でもあるのではないだろうか。

***

次回のテーマは「学ぶ」で、9月26日(土)10:00~12:00に開催です。参加費は無料です。他の人の脳を借りて考える楽しさを、ぜひ味わいにいらしてみてください。


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大前みどり

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対話ファシリテーター、ワークショップデザイナー。考えたこと、体験したこと、学んだこと、記憶の断片の記録。