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アドバイスを求められても、しない

先日の投稿で相手の話をロクに聞かずにアドバイスをするのは、「追い越し運転」と書きましたが、わかっていても、ついやってしまうことってあるものです。

よくあるのは、奥さんのぼやきに対して旦那さんが「だったら~すればいいじゃん」という例のアレ。わかってても、つい条件反射でやってしまうのですよね、きっと。

上司が部下に対して。
親が子に対して。

同じような状況、ありますよね。

これを繰り返していると、される側は、もはやその人に話をすることさえ、諦めてしまうような関係にまっしぐらです。

直接的なアドバイスの形をとっていなくても、結果的にアドバイス的になってしまうこともあります。

提案、体験談なんかがまさにそう。

「~してみたらどうかしら?」

「~なんかどう?いいらしいわよ」

「私は~したら、そういうのがなくなったよ」

「知り合いが~したらよかったって言ってたよ」

ちょっと表現が変わるだけで、言われた方からしたら全部アドバイスですよね。

こういうことは、自分のほうが知識も経験もあって、物事をわかっていると(無意識に)思っている立場の人がやってしまいがちなのではないでしょうか。

もしくは、そんな風にポジションをとっていなくても、少しでも相手の役に立ちたいという気持ちからの人もいるだろうし、ただ単に自分がいろいろ知っている、経験してると思われたいという、承認欲求の場合もあるかもしれません。

これらの全部が全部悪いといいたいわけではなく、タイミングが重要で、求められても言わないで、しばらく待つくらいが適切なんじゃないかと思っています。

ただ、言いたくなっちゃう人の気持ちはすご~くわかる。
私もよくやっちゃうから笑。

これはもうクイズみたいなものではないかと思ってます。

「日本で3番目に高い山は?」

「奥穂高岳と間ノ岳!」

知ってたら、つい言っちゃうのと同じようなものです。
反射的に出ちゃう。

だからこそ、すごーく気をつけなくてはいけない。

誰かが「~なので、どうしたらいいかなーって思ってるんです」とか「~で困っていて、どうしたらいいでしょうか?」と表現上は言ったとしても、とにかく、文字通り受け取ってはいけない!と心に銘じる

一番大切なのは、
「どうしたらいいかなーって思ってるんだ」
というその人をそのまんま受け止めること

表現(話の中身)を受け止めるのではなく、相手の状態を受け止めること。

オープンダイアローグの日本での推進に取り組まれている精神科医の斎藤環先生は、「アドバイスは相手の否定であり、不毛だ」とおっしゃっていました。

例えば、ひきこもりの生徒さんがいて、なぜアドバイスをしてはいけないか?というと、当事者の力を奪うことになるからだそうです。

アドバイスをするということは、相手の現状を否定すること。
その否定によって、自発性、主体性が奪われていってしまう。

そういうことをしっかり心に留めておく必要がありそうです。

アドバイスに関連して、最近「そうそう、そうだよ!」と膝を打ちまくったのが佐渡島さんのこちらの投稿。

佐渡島さんは、NHKのプロフェッショナルにも登場したことのある編集者さんですが、こちらの↓本を読んでこの記事を書かれています。

※関係ないですが、この本の著者の仲山さんは私が2009年に独立したときの、超恩人の方です。これはまたいつか自分語りをするときにでも。

以下、noteからの引用です。部分部分を抜き出しています。

”教えたくなるのは、知識が中途半端に少ないときだと思います。そういうときって、持っている知識を全部出したがる。逆に知識が多い人は「全部は教えられない」と悟っているから、相手の準備ができたときに必要なことを伝える感じになります。”
このフレーズをみて、僕は頭をガツンとされた気分だった。
どうやったら作品が面白くなるのか。それを先輩から学んだり、本から吸収したら、すぐに作家に伝えていた。
振り返ると、知識を話すタイミングは、僕がその知識を得た時で、相手に必要な時ではなかった。
必要なことは、整理された知識を手渡すことではなかった。体験をしてもらい、適切なタイミングで知識が渡されると「自分ごと化」する。
求めている人が、知識を受け取ると、飲み込みが早い。自分ごととして咀嚼し、アウトプットにすぐに反映される。
大切なのは、必要最低限の知識しか伝えないで、求められるまでひたすらに待つことだったのだ。知識も同様で、どんなにマンガに関する正しい知識をまとめても、相手がそれを求めていなかったら何の役にも立たない。まずは、相手の状態を知る。そして、相手を見て、知識が伝わるタイミングで、伝わることだけを言う。

私も頭をガツンとされた気分になりました。

ああ、なんかやっちゃってる、私も
なんなら、ものすごく情報を詰め込んでぎゅうぎゅうにして渡そうとしちゃうことある。その方が参加者の方にとってコスパがいいだろうと思ってることもあった。

一方で。
このnoteの記事を教えてくれたうっちーは、昨年末のインタビューワークショップでご一緒したのですが、そのワークショップ主宰の西村佳哲さんはまさに、「参加者たちの様子を観察して、必要なときに必要なことを伝える」ということを体現してくれていました。

だから、このnoteの内容が、教えられる側の自分事として、「本当にそうだなー」と染み入るようによくわかる。

西村さんがつくる場では、待っていてもらえる。安心して自分で気づいてつかんでいくことができる。学びというよりは、純粋に体験をするので、深く身体に刻まれる。それは、理解をするからではなくて、その体験そのものを生きる、から

このところの一連の、「聴く」に関する投稿は、西村さんのインタビューワークショップで出てきた話が、たくさん盛り込まれています。でも決して、ワークショップの内容をコピーして紹介しているわけではありません。

自分が産業カウンセラーの講座に行き始めた頃からこれまでの13年くらいの間に「聴く」に関する自分の体験や実践、考えたことや疑問、難しいなーと思うことなどが積もっていて、年末のワークショップの体験の中で、一回全部ガラガラポンをしました。

で、そのときの体験を持って帰ってきて、ただ今自分の中で絶賛発酵中!という感じになっています。

今はだいたい2か月くらい寝かせたところですが、まだまだこれから熟成していく過程です。自分という樽の中にはまだたくさん、「聴く」の智慧のタネが眠っています。

それをぼーっと寝かしているだけでなく、自分ごととして咀嚼し、行動としてアウトプットに反映できるよう、こうしてせっせと言葉を連ねている次第です。

なかなか言葉にならないのは、すぐに言葉にすると、質感がするっと抜け落ちてしまうので、それを防ぐ意味もありますが。


西村さんのワークショップ、5月開催分が今募集中のようです。時間とお金の許す方は、人生で一度この体験をしておくと、豊かな「聴く」生活を送れると思います。こんな機会がずっとあるわけではない(かもしれない)ので、はやいうちにどうぞ。

インタビューのワークショップ 2020・新緑の遠野編

私はカウンセリング、セラピー、Tグループ、エンカウンターとか、ものすごーくいろんなところに参加してきたけれど、少なくともこのワークショップが、一番深く「聴く」を体験できました。それ以来私にとって西村さんは「聴くの仙人」になっています。


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