哲学対話「配慮と遠慮」の開催レポート
毎月第4土曜日にオンライン哲学対話を実施しています。10月22日(土)に開催した際の様子をレポートします。
哲学対話の概要
哲学対話とは「普段はあらためて考えない疑問」、「すぐには答えが見つからなそうな疑問」について、みんなで語りあって思考を深めていく場です。過去のテーマはこれまで「対話」、「時間」、「夢」、「言葉」、「弱さ」、「笑い」、「つながり」、「学ぶ」、「遊び」、「信じる」、「読む」、「書く」、「聴く」、「楽しさ」、「無駄」、「不安」、「記憶」、「努力」、「考える」、「協調」、「変化」、「労働」、「プレゼント」、「味わう」、「ハマる」、「共感」、「旅」、「役に立つ」、「自尊感情」、「ほめる」、「本音と建前」、「違和感」など。
33回目となる今回のテーマは「配慮と遠慮」で、参加者は10名でした。
チェックイン
音声確認の意味も含め、①ニックネーム、②今の気分、を一人ずつ話していただきました。テーマに関することを軽く話していただくことも多いのですが、今回も人数がいつもより多かったので簡単なチェックインで始めました。
前半(フリートーク)
前半は、「配慮と遠慮」というテーマに関して思うことを出し合いました。以前は最初に問いを立てる時間をとっていましたが、最近はテーマについて思うことを自由に話してから問いを立て、後半にその問いについて話すというやり方で進めています。今回は、下記のような観点が出されました。
・どちらにも「慮」がついている。「慮」というのはおもんぱかる、考えをめぐらすことで、「配慮」は「配る」という字から、公平性が含まれているのではないか。特に、多くの人のことや不利な立場の人のことを考えるという意味があるのではないか。「遠慮」は自分はNOというとき、お誘いを断るときに使っているが、「遠い」という字に照らすと、自分の本当の考えを遠くにやっているという意味になるのではないか。ただ、もともとは「遠くのことまで考える」という意味だったのではないか。
・遠慮は自分を犠牲にする。配慮は相手のことを中心に考える。二項対立ではなく、同時に起こりうる。視点が違う。
・配慮は何かをしようとすることで、遠慮は何かをしないこと。
・何かをやらないという配慮もある。例えば電車の優先席が空いているときにそこに座らないとか。ただそれが配慮でそうしているのか、本当は座りたいのに遠慮をしているのか、外から見ていると同じ行動なのでわからないし、自分の中でもよくわからない。
・遠慮は自分の心、思いをその場から遠ざけて遠くに置くこと。
・遠慮しますというのは丁寧な断り方だけど遠慮しますと言われた方はあまりいい気はしない。自分が参加したくないという気持ちを押し出したくないときに使う表現。
・遠慮はオブラートに包んで伝えるときに使う。
・配慮は立場の強い人が使う表現で、遠慮は自己否定的、自分を弱い立場に置く表現。例えば、会社が社員に配慮する。社員が会社に遠慮する。
・例えば飲み会でから揚げが1つ残っているとき、そのからあげを「遠慮のかたまり」というが「配慮のかたまり」という表現は聞いたことがない。お互いにどうぞどうぞと譲り合うのはまどろっこしいけど好き。来日した海外の友人との間にはそういうことは起こらない。ただ日本に住んで10年くらいたつと遠慮のかたまりをするようになる。10年の間に何が起こっているのか?
・下の立場で言いたいことややりたいことを言えないことが遠慮、目的を達成したいときは配慮もしつつ遠慮もしている。配慮をしているときは何かをしてあげている感じになっている。
・飲み会を遠慮するとき、他の予定を優先したいというときと私はその場にふさわしくないというときがあって同じ遠慮を使う。
問い決め
前半のフリートークのやり取りを踏まえて、後半深めていく問いをいくつか提案していただきました。
今回は、出された問いの文章がパッと見て理解しにくかったので、なぜそれを問いたいのかを伺ったあと、言い回しを修正していただく時間も取りました。出された問いは以下のようなものです。
・謙遜と遠慮の関係は?
・遠慮は、本当に自己否定的なのか?
(自己犠牲/否定的=相手重視 or 自分を守る=自分重視)
・配慮と遠慮を同時にしている場面は?
・受け手が不快に感じる配慮や遠慮はどのようなものだろうか?
・配慮、遠慮は本当にプラスになっているのか?
投票で選ばれたのは「配慮と遠慮を同時にしている場面は?」という問い。
ここでいったん休憩をはさみました。
後半(対話)
後半は選ばれた問いを入り口に対話をスタート。
・飲み会に誘われて断るときの例で考えると
①行きたくない
②行きたいけど別の事情で行けない
③自分がその場にふさわしくないので遠慮する
というパターンがあって、①の場合は「遠慮する」という表現を使うけどこれはニセ遠慮ではないか。
②の行きたいけど行けないというのは、例えば家に帰って妻の手伝いをするなどというとき、その別の人に配慮していると考えられる。
③の場合が、遠慮と配慮を同時にしていると言えるのではないか。
・会社で、用事があって早く帰りたい人がいるときその人に配慮することはあるが、早く帰る人が仕事を遠慮するとは言わない。本当に同時に発生するのか?
・いやだから断るときの遠慮と、本当に遠慮しているときの遠慮と、2つの遠慮についてごちゃまぜに話されている。
・別の例で、自分が幹事で食事会をしたとき、行きたいお店のうち2つが多数決で同数になった。そのとき自分が行きたいと思うお店を選ぶことを遠慮して、もう1つの方のお店を選ぶという配慮をした。
・そのとき、もし自分の行きたいお店を選んでいたら遠慮はせず配慮だけしたと言えるのか?
・断るための方便としての遠慮と、遠慮をしている行為・状態の遠慮がある。
・日本語の使い方としての遠慮と、自分の心の話としての遠慮ではないか?
・①自分の気持ちの中で思いを巡らしている段階での遠慮
②相手に伝えるコミュニケーション段階での遠慮
と2段階になっているのではないか?
2時間の対話を終えて
後半は配慮と遠慮が両立している例について話していたものの、遠慮という表現の意味がいくつか並行して話されており、交わっているような交わっていないような感じが残りました。発言を理解するのに集中していたので、あまりメモも取れていません。
抽象度が高いまま話すとよくわからないか、わかった気になりやすいのに対し、具体的な例をもとに話すと、今度は例の詳細を細かく確認していく必要があったりします。具体と抽象を行きつ戻りつしながら話せるのがよい哲学対話だと以前某先生がおっしゃっていましたが、その行きつ戻りつの舵取りがまた難しいなあと思う時間でした。
11月の開催予定
■11月16日(水)10:00~12:00
オンライン哲学対話#34:テーマ「成長」
私たちはどんな時に「成長」を感じるのか?「成長」って何がどうなることなのか?考えていきます。
■11月26日(土)10:00~12:00
オンライン哲学対話#35:テーマ「鈍感」
「鈍感」ってどういうことなのか?良い面悪い面があるのか?考えていきます。