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雨の朝、青山で、あなたを

昨年の12月の土曜日、朝から小雨が降る日のことだった。私は地下鉄の表参道の駅から、ある建物に向かっていた。申し込んでいた講座が10時からで、表参道の駅についたのは9時半くらい。アプリで調べると会場は駅から歩いて12分くらいの距離にある。

雨は、降っているのかやんでいるのかわからないくらいの状態だった。クセ毛の私は、湿気で髪の毛が縮れるのがいやだったので、念のためずっと傘をさして歩いた。セブンイレブンで買った、ワンプッシュで開く黒の折り畳み傘だ。

その日はすでに疲れていた。12月に入って連日外出が続いていた。今日は家でゆっくりしたいなと思いながら、重い体にムチ打って出かけたのだ。普段(アベレージ)の元気度が67%くらいだとしたらその日は25%を下回って、心の赤ランプが点滅していた。

休日の朝だからか青山の街は想像以上に静かだった。近くには根津美術館や岡本太郎記念館、ブルーノートがあるが、道を歩いている人も車もまばらだ。私は街並みを見るともなく見ながらゆっくり歩いていた。足が重かったのもあるが、静かな街の空気がなんだか気持ちよかったのだ。都心でもこういうところだったら案外静かなんだな。マンションも結構並んでいる。でも高いだろうな……。

すーっと、一人の男性が私を追い抜いていった。決して急いでいるようには見えなかったが、一瞬どきっとしたのは、その男性が和服を着ていたからだ。鼠色というのか、よく男性が来ていそうな色の着物に、藍色の着物地でできた襟巻のようなものを巻いている。そしてウェーブの大きな特徴的なクセ毛を、総髪(昔の武士のようなポニーテールみたいな髪型)に結んでいた。耳の上は刈り上げてある(ツーブロック?)

「又吉さんだ……」

顔をしっかり見たわけではないから、本人かどうかわからない。着物と髪型だけ。だけどその人の歩く姿や醸している雰囲気に、強く目を引き付けられた。そういうのをきっとオーラと人はいうのだろう。

しばらくその人の後ろをついて歩く格好になった。背は大きくないが、肩幅は結構がっちりしていて背中が大きく見えた。傘はささずに、まっすぐ前を見て歩いていた。足元は下駄か草履、雪駄、ブーツ?だったか。そこだけ記憶が不確かだ。歩いている後ろ姿を結構じいっと見つめていたというのに、何をはいていたのか思い出せない。

私はその頃、遅ればせながら又吉さんの『火花』を読んで、Netflixで『火花』のドラマと映画を両方見て、そのどれもで感動した直後だった。だから純粋に声をかけて何かを言いたくなった。でも、話しかけられる方からしたら、そんなのただの迷惑でしかないだろう。そんなことをもわもわと考えながらそのまま一定の距離をあけて後ろを歩いた。

少しして、男性は右に曲がり、どこかのビルに入っていった。私はそのまま真っ直ぐ進み、研修会場に向かった。赤ランプは消え、少しだけ元気メーターが上がった気がした。

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今、又吉直樹さんの『東京百景』を読んでいる。「東京での想い出を、その折々の風景にゆだねて書いてみたいと思った」という、東京の地名や風景にちなんだエッセイ集だ。『火花』や『劇場』で描かれた当時のことがつぶさに書かれている。このタイトルには、太宰の『東京八景』が頭にあったという。

まだまだ読み始めたばかりだが、自分自身も様々な記憶や妄想を刺激される。そして読みながら、自分もこんなふうに風景にからめて何かを書いてみたいなという気になった。かといって、そこまで東京の風景に関する思い出があるのか。ないかもしれない。でも、書けば思い出すかもしれない。

そこでふと思ったのが「あ」から始まるタイトル、「い」から始まるタイトルと、日ごとにタイトルの出だしにちょっとした縛りを入れてみようということだ。ただ漠然と思い出すよりも、ゆるい縛りがある中での方が思い出しやすいのではないか。サーチ範囲を狭めるということだ。しかも51音に、濁音、半濁音、拗音を合わせれば結構な数の記事が書けるんじゃないか。ただし、街の名前じゃなくても、店の名前でも、形容詞でも、苦し紛れの感嘆詞使いでもいいことにする。

ひとまずやってみて、続きそうだったら続ければいいというスタンスで軽く始めてみる。

今日は「あ」。

だから、「あ」から思い出した風景とちょっとした出来事を書いた。明日か、来週か、いつになるかはわからないが、次は「い」もしくは「か」を書いてみよう。大々的にやるという宣言はせず、こっそり自分の心の中で「連載」と思って書く。一通り書けたときに、さも最初からシリーズとして続けていたかのように、それらしく並べようと思っている。そのことを考えると、少しわくわくする。


追記:
又吉さんとのんさんの『東京百景』文庫化記念朗読

「池尻大橋の小さな部屋」の朗読は素敵だった。『劇場』そのまんまだな。

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