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佃典彦さんの戯曲セミナーの記録@座・高円寺

現代の時代劇、『半沢直樹』を毎週見ています。歌舞伎俳優さんたちだけでなく、知る人ぞ知る演劇界の大物が続々と起用されていることでも話題になっていますね。

なかでも、半沢の行動を妨害し続けたものの、最後に土下座をして詫びることになった審査部次長・曾根崎を演じた佃典彦さんが一番の注目の的ではないでしょうか。「“土下座の曾根崎”は名古屋演劇界の重鎮だった!」と、ネットニュースにもなっています。

劇作家・演出家でもある佃典彦さんは、“演劇界の芥川賞”といわれる岸田國士戯曲賞を獲っていることでも知られています。演劇界の方々は「半沢直樹」にそんな重鎮が登場してザワついていたようです。実をいうと私も、『半沢直樹』を見ていてびっくりしたうちの1人です。

というのは、2年前、日本劇作家協会主催の「戯曲セミナー」に通っていたのですが、そこで佃典彦さんの講義を受けていたからです。「戯曲セミナー」は、座・高円寺という劇場の地下のスタジオに、50人くらいの受講生がびっちり入り、30回の講義を受けます。渡辺えりさんや平田オリザさんなど、錚々たる方々が講師です。

どの講師の方も、情熱とユーモアにあふれ、ベテランの戯曲家さんですから話す言葉も洗練されていて、無駄がなく、時間に比して内容が濃くて濃くて。毎回お腹いっぱいになって帰った覚えがあります。その中の講師のお1人が、佃典彦さんでした。

『半沢直樹』を見ていて佃さんが登場したとき、髪型が大きく違っていたのですぐにご本人とは気づかなかったのですが、どこかで見たことがあるような・・・と思っていて。

ニュースを見て「言われてみればたしかに!」と思い出しました。佃さんはドラマの中の感じとは違って、お話されるときは飄々としてマイペースな印象でした。お話の内容はすっかり失念していたので、過去のノートを探して見返してみました。

前半は当時、座・高円寺で公演中の宮沢賢治原作の「フランドン農学校の豚」の上演台本を佃さんが書かれたとのことで、その話について。後半は佃さんならではの戯曲の書き方について。最後に質疑応答の時間でした。

自分の記憶の再生のためにも、noteに残しておこうと思います。
以下、当時のノートをもとに、後半を部分的に再現しますが、佃さんの発言そのままではなく、私の解釈が多分に含まれています。

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芝居を書き始めたときは、セミナーとかがなかったので、自己流で好きなように書いてきているだけだった。

戯曲を書くときは、「いつ・どこ・だれ」の3つを決めるだけ(ワンシチュエーションの場合)。

「いつ」は、時代、季節、時間、天気、記念日(クリスマス、お正月、卒業式、お葬式、大晦日、誕生日、結婚記念日など)など。台本を書く上で非常に助けてくれる項目になる。あとは、登場人物の生理的時間(ねむたい、お腹が空いている、登場人物がどういう状態の時間になっているのか)も大切。

「どこ」に関して、世の中に場所というのは3つしかない。たくさん人がいる場所、そこそこ人がいる場所、ほとんど人がいない場所。一番芝居にしやすいのは、「そこそこ人がいる場所」で、俗に言うセミパブリックな場所。喫茶店、会議室、病院のロビーなど。たくさん人がいる場所は芝居にしにくい。ほとんど人がいない場所は、南極、廃墟、家の中、真夜中の踏切、駐輪場、ビルの屋上など。僕は人がほとんどいなさそうなところを好んで書いてきた。

「だれ」というのは、自分の場合は劇団をやっているのでいつも決まっていることが多い(出るやつが決まっている)。なので、こいつに何をさせようとか、この俳優とこの俳優をぶつけたらどうなるかとか、見たいものの興味で書くことが多い。逆に言うと、何もあてがない上で登場人物を書いたことがない。基本的には、どんな人物かという絵を描いて、最初に人数を決めておいたほうがいい。じゃないと、次から次へと出せちゃうし、交換できちゃうし、そうするとだんだん台本が書けなくなる。

書くときはまず「上演するんだ」と決める。そして出る人を決めて、その上で、この人たちがどんなことしたらおもしろそうかなあということが浮かんでくると、「いつ」と「どこ」は決まってくる。具体的な誰かを、5人なら5人と決めて、この人たちがどこにいたらおもしろいか?季節はいつにしましょう?どんな格好してたらいいかな?時間は?天気は?春の3月とかだと記念日を使える。卒業式とか転勤とか転校とか。

生理的時間は?おなかぺこぺこにする?などを決めてから、人物の関係性を、姉妹、友達、ライバル、生みの親と育ての親とか決めて、初めて会ったのか、前から知っているのかとか、そういうことも決めていく。

さらに、それぞれの人物の目的・欲求をはっきりさせる。このとき、舞台に不在の登場人物の設定がしっかりしていればいるほど、登場人物の台詞も出てくるし、行動もとれる。岸田國士の「紙風船」を読んでみるといい。夫婦二人の日曜日の話で、不在の登場人物で「川上さん」が出てくるけど、不在の登場人物の目的、欲求が伝わってくる。


書く上で一番大事なことは、その世界はもうあるということ。

最初にタイトルやあらすじ、キャッチコピーを考えるけど、これは地面から見えている部分。劇作家は何もないところから作り上げるのではなく、もうすでにある世界をこつこつ発掘していく作業。ただ世界を掘り出していくだけ。その人物にはだんながいて、どんな学校を出たのか、今パートにいってるのか、それを掘り出すだけ。

ティラノザウルスだと思って発掘したら、ステゴザウルスだったということはよくある。いざ掘り出す(書き始める)と、こんな話のはずだったけど、書いてみたらこんなことになりました、となる場合もある。それは力が足りないんじゃなくて、それが埋まってたということだから、僕のせいじゃない。

台本とか戯曲を書き始めて、「書けなくなって途中でやめちゃいました」はぜったいダメ。書き出したら、何がなんでも最後まで書かないとダメ。考えて書き出した時点で、その世界はもうあるから、それを途中でやめちゃうなんて、そんなジェノサイドは許されない。芝居は書き始めたら何がなんでも最後まで書いてください。それがおもしろかろうがおもしろくなかろうがどうでもいい。だってそれが埋まってるんだから。

書き始める前はおもしろいものが描けるかわからないので不安にはなる。締め切りが決まっているし、前の方がおもしろかったと言われるのはよくあること。だけど、「おもしろくないんじゃないか」とかいう思いがいちばんの敵。おもしろくなくたっていいんだから。だってそれが埋まってたんだから、しょうがない。

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この後、受講生に紙を配り、質問を記入してもらって集めたものに、片っ端から佃さんが答えていくという時間がありました。結構な量なのでそれは省略しますが、1つだけ。「なぜそんなに教えてくれるの?」という質問に対して。

教習所と一緒で、方法を伝えても、それを聞いた人がそのままそれをやって同じようにはならない。咀嚼するのはそれぞれ。今日はちゃんと技術とか核心を話してると思う。出し惜しみをしてないと思う」と答えられたこと。

この、佃さんの言われていることは、佃さんだけが言っていることではないと思います。同じようなことを言っている人は私が知っているだけでも何人もいる。

でも。
「方法を伝えても、それを聞いた人がそのままそれをやって同じようにはならない」というのは、本当にその通りだと思います。何かを書くときは必ずその人が出てきてしまうものだから。そして、そもそもその前に、「行動の壁」がありますしね(よく言われているのは、「100人いたら、70人は行動しない、25人は1回は行動する、5人が継続する」ということ)。

加えて。
「誰が言うか」によっても、その言葉が持つインパクトや伝わり方はまったく違うだろうと思っています。

世界を掘り出すこと。
書き始めた世界を虐殺しないこと。
この2つは、しっかりと私の奥深くにまで届いて根付いています。それは佃さんの言葉だから。有名な戯曲家だからではなく、本当にそうやって掘り続けた人の言葉だから。

この「世界を掘り出す」ということは、ずっと前から自分でも思っていて、自分がこの人生で経験することは、そうやって掘り出すために必要な経験だと受け止めています。

2年前、いくつかのクリエイティブ系のコースに通っていっぱいいっぱいになってしまい、十分に学んだり書いたりができなかったのですが、今日、久々に昔のノートを見返してみて、埋まったままの学びがたくさんあるなあということを再発見しました。だいぶ宝の持ち腐れ状態……。

でも、当時の自分よりは今の自分の方が、理解の幅や書くに対する姿勢は育っているだろうから。当時のことを思いかえしつつ、学んだことをもっと深く理解した上で、2年越し、3年越し、10年越しになったとしても、自分の書くに活かしていきたいなあと思います。どんな風に活かせるかはまだよくわからないけれど。

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