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一次創作の義務感

創作活動が趣味だと打ち明けると高確率でどんなものを作っているのか見せるように要求される。
手持ちが二次創作しかないと詰む。
体裁のために一次創作をやっとく必要があるかな……と考えることがある。
一次創作は難しい。モチベーションが続かないし、普段している二次のエッセンスが意図せず混入することがある。頑張って完成させても興味を持ってもらえない。その労力は二次に回したい。
SNSを見たらたくさん創作をしている人がいるのにどうしているのだろうと思う。
私はそもそも創作活動をしていることを表に出さないようにしていた。仕事のコミュニティなど、はっきりと線を引いた中で人間関係を構築するようにした。
しかしながら長い余暇時間を手に入れ、制作に打ち込んているとき、多くの人から働いていないときは何をしているのか聞かれる。
寝ている、家事をしている、散歩に行っているなどギリギリのラインで嘘をついて創作を隠している。
下手に活動していることを明かしたら作品を見せるよう要求されるどころか、新人賞云々の話題にもつながる。賞を目指さないことへの罪悪感や劣等感と戦わないといけない。私はこれらの話題全般が嫌いだ。
一次創作をする余裕ができたらまた変わるのだろうか。
下手に一本作ってしまったら、次回作の進捗も聞かれるかもしれないから一次は沼だと思う。
リアルの知人たちも、ネットの人たちみたいに私の創作に興味を持たないでほしい。あるふりすらしないでほしい。

そうして人生の貴重な時間を用いて完成するのが二次ばかりで虚しくならないのか?
世の中の二次クリエイターはどう感じているのだろう。
私はかつて作家になるのが夢だったから、一作くらい一次の代表作がほしい。作る気力が湧いたら作りたい。

二次だって広い目で見れば、多くの人から見向きもされないものだ。そんなものを黙々と作っていて虚しくならないのか。
たまに立ち止まって考えるが、答えは出ないのでいつも有耶無耶にしている。
二次創作へ打ち込むことへの虚無感、一次創作への劣等感が襲ってくる。
私が承認欲求満たされまくりの売れっ子になったら解消できるのだろうか。
なりたい。誰かちやほやしてくれ。私は逆境を乗り越えて現在も創作を続けているサバイバーなのだ。
二次創作や同人誌の文化がどうこう御高説を垂れるなら、有象無象の作り手に目を向けろ。声のでかい人はやる順番を間違えている。創作から人を遠ざけようとする人に厳しくしてほしい。
私は今日も頑張っている。進捗が今一つでも頑張っている。
だから書き手を名乗るくらい許してくれ。

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