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10年越しの気付き

祖母が亡くなったあと、思うような創作活動ができなくなった。
noteも書きたいことがまとまらずイマイチな記事を量産している。
そんなときにこちらの記事に出会いとても救われた。
最短でも半年は辛い。半年は耐えないといけないと心に刻んだ。しかしあくまでも最短だ。半年で回復する保証はない。
周りの人を見ても喪失ストレスに年単位で苦しんでいる人がいる。
私もそうなるかもしれない。
私から見たその人たちの話をしたい。




1/2 同人作家のWさん


Wさんは字書きだ。とても筆が早く、年に5冊ほど厚い本を出していた。本の合間に無配やpixiv投稿用などの原稿も書き精力的に活動されていた。
知り合ったジャンルが斜陽化すると一次創作に手を出し、そちらでもバリバリ新刊を出していた。
Wさんは実家でご両親と暮らしていた。ご兄弟とは近距離別居されているとのことだった。
ある朝、突然Wさんのお母さんが亡くなった。W  さんは悲しみに暮れるも、葬儀や手続きなどで忙しくされていた。そしてお父さんとの二人暮らしが始まり、それまでお母さんがやっていた仕事を一人で担うようになった。
別居しているご兄弟と揉めて精神的に参っていることが窺えた。
その後、職場でもトラブルがあったそうだが、Wさんは真っ直ぐに生き続けた。
その代わり創作の発表がピタリと止んだ。原稿の息抜きに原稿をする方だったのに一文字も書いていないようだった。
大きなストレスを受け、家庭環境も変わればそれまでと同じ生活をするのは難しいだろう。
間違いなくお母さんの存在はWさんの執筆を支えていた。心の拠り所でもあったのだろう。親子仲がよかっただけに喪失ストレスが大きかったのだとSNSの1フォロワーでも推測できた。
祖母を亡くして落ち込んでいるときにWさんのことを思い出して、両親のときはどんなに辛くなるのだろうと怖くなった。絶対に半年では済まないだろうと思った。
祖母のために帰省した際に母からこれまでの毒親行為(主に教育虐待)について謝罪があった。私は到底両親を許せはしないが少し蟠りを解消することができた。そのせいで情が湧いた。
祖母を介護していた伯母は悲しんではいるものの、やりきった感を感じさせた。私も両親のために何かを精一杯やれたらちゃんと送り出してやれるのだろうか。
祖母は持病がありその悪化で亡くなった。Wさんのお母さんは本当に突然死だった。
喪失ストレスはそれまでの経過や故人との関わり方で変動するのだろう。私は両親と決着をつけて後悔のない別れをしたい。何年先になるかわからないが、突然死だけはしないでほしいと願うばかりだ。
Wさんはその後、一人の読者として某漫画を楽しみ、熱く語り布教活動をするなどしてオタク活動に復帰した。創作はしなくても好きなものを持ち続け、好きな気持ちを表現している。
今季はドラマにハマっており、実況TLが始まるたびに元気そうでよかったと感じる。
わかっている。悲しみを抱えながら元気そうに振る舞っているのだと。私はWさんがどこかで生きていてくれることだけを望んでいる。欲を言えば次回作が読みたいが、それは贅沢だとわかっている。
もう書かないんですか?なんて質問は口が裂けてもできない。Wさんがまた書きたいと思える日が来ることを願うしかできない。それまで生存確認ができるだけ私は幸せなのだ。



2/2 部活の先輩

大学1年生だった頃、私は同期のXとリレー形式の連載を考えていた。それにY先輩が興味を持ってくれ、3人でやろうという話がまとまっていた。
第一走者は私が任命された。初稿に手を付け始めた頃、Y先輩の同期であるZ先輩が自殺するというショッキングな出来事があった。
Z先輩は死をテーマにした作品をたくさん作っていた。自殺の原因は就活がうまくいかないことと遺書に書いてあったそうだ。
部活全体に悲しいムードが漂った。葬儀には部長が代表で出席し、他の部員はZ先輩宛の手紙を書いて部長に託していたような気がする。
Z先輩の訃報以来、Y先輩が部活に顔を出さなくなった。
安否を気にしていると、他の先輩から「Yは生きている。後追いをするような人ではない。Zと仲が良かったからショックが大きいのだと思う。そっとしておいてほしい」と言われた。そのため食堂等で見かけても声をかけないようにした。それでもY先輩の目撃情報は私とXには救いで、耳にするたび喜び合った。
私もXもZ先輩とは交流が薄く、ただ亡くなったのを残念に思うだけだった。
結局、連載は2人でやることになった。私たちはY先輩がいないことを心細く感じながらも最善を尽くした。
結局Y先輩は(私たちが知る限りで)一度も部活に顔を出すことなく在籍自体も曖昧になった。そのまま4年生になったが、学部で卒業したのか院に進学されたのか誰もわからなかった。
食堂での目撃情報から生存だけは確認されていた。私たちの連載を読んでくれていたのかもわからない。Y先輩は部活と距離を取り続けた。
Y先輩の同期の先輩も部活を引退され、気軽に声をかけづらくなった。私もXも深追いしないことを決めた。
今朝、唐突にY先輩のことを思い出して記事を書こうと思った。
振り返るとのこの頃の私は人の死に対する理解が浅かった。Z先輩の死もまるで実感がなく、Y先輩や他の先輩に対しても「喪失を経験した人に対する模範的な態度」を取っていた。自分の知りうる最善を尽くしてお悔やみムードに「参加」していた。
Y先輩がどんなに辛かったか想像もできなかった。まず大学3-4年生の忙しさも知らない1年生だから「大変なんだろう」と呪文のように繰り返していた。
大学を卒業したいまなら想像ができる。ゼミも就活も悲しみに暮れるのを待ってはくれない。辛くても立ち向かわなければならない。それなら部活は疎かになるだろう。Y先輩は自分を守るために、人生の最良の選択を取るために部活を去ったのだ。
Y先輩のその後を知らないのでなんとも言えないが、たまには創作の楽しさを思い出していてくれたら嬉しい。(学生時代のメンバーでなくても)気の合う友人がそばにいてくれたらいい。そう思わずにはいられない。



プロではないから創作活動は人生のおまけでしかない。大きな悲しみに出会った際の防御反応として切り捨てられるのは仕方のないことだ。
身内でもない第三者が無理強いをするのは以ての外だ。
WさんにもY先輩にも、創作に参加してほしい気持ちはあった。しかしそれを表明しなかった過去の自分を私は褒めたい。
いま、創作をやりたくてもできなくなってしまって思う。もしあのとき誤った選択をしていたら私にはもっとひどいものが返ってきていただろう。
半年経つまであと2ヶ月ある。2ヶ月後の私がいまより前進していることを願う。

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