見出し画像

【恋愛】あなたがいいから、ただ笑ってほしい

雪林檎です。
今日も今日とて軽く恋バナしましょう。



一言

ポケモン育成は時間が溶けます。


表情

皆さんは、どれくらい周囲の人の様子が気になるでしょうか。表情であったり態度であったり雰囲気であったり、様々な要素があるかと思います。

彼氏のC君と日常を過ごす中で、雪林檎は、思いの外C君の表情を気にかけていることがわかりました。そして思ったんです。C君に、ただただ笑っていてほしい、と。

雪林檎もそういう側面があるのでわかるのですが、C君は一日の中で様子がころころ変わる印象です。例えば、朝のほほんと起きたかと思ったらいつの間にか嫌な用事にメンタルがやられていたり、元気そうに見えると思ったらいつの間にかそうじゃなくなっていたり。ゲームをすればちょっとイライラすることもあります(笑)
逆にメンタルが落ちていそうなのに思いの外元気だったことも、なくはないですが少ない印象です。まぁ、こればっかりは本人も苦しんでいるのでなんとも言えませんが。

そういうわけで、雪林檎は割かしC君のことが気になってしまいます。思えば実家暮らしをしていたときも、周りの空気に影響を受けるので気にしていましたね、特に母の感情を(苦笑)



家の中の空気

これこそ、わかる人とわからない人とを分ける代表格と言っても良いかもしれません。雪林檎は、その場の空気が気になりますし、それによって居心地が悪くなります。だから、雪林檎のためにも、場の空気は軽く会ってほしいと常々思っています。まぁ、逆に、周りが「気まずい……」と思っている中で平然としていることもあるのですが。気まずさだけには鈍感な節があります。これは雪林檎自身も謎です。

その場の空気は重要ですが、別に雪林檎が何かパフォーマンスをするのでなければ、どうでもいいと思うところもあります。
雪林檎が飲食をするなら、そのお店の中で喧嘩が起きるようなことにはなってほしくないですが、行列にならんでいる段階でのそれなら、まぁ別に支障はないわけです。
雪林檎が討論をしなければいけないのなら、その班の中はピリピリしていてほしくないですが、見ているだけのパネラーの立場であれば一向に構いません。

そういう場合分けはある程度存在しますが、とりわけ、親しい間柄での集まりや、閉鎖空間での空気は、やはり和やかであってほしいものです。
そして、C君との共同生活は、その両方に属するわけですよ。



C君との日常

同棲状態になって半年が過ぎようとしている今日この頃ですね。なんだかんだで日は経つものです。すごい。

C君との日常は、良い意味で割と淡々と来ていると感じます。お話をしたり無言で作業をしたり、一緒に何かをしたり個別で何かをしたり。問題が出てくれば都度話し合って、やり方を見つけていく。そんな半年を過ごしてきたという感じです。

そんな中で、C君のメンタルが少々ダウンすることがしばしばありました。無論、雪林檎がそうなることもあるのでおあいこなのですが。
で、過去の記事でも書いたかもしれませんが、そのときに思うことはやっぱり歯痒さと悲しさです。

そして、最近改めて強く思うことは、C君には、へらへらと笑っていてほしい、ということです。難しく思いつめたり、嫌なことと葛藤したり、悲しい出来事が起きたりすることなく、ただただ、幸せでいてほしいということです。これは、半分は雪林檎自身のためのエゴかもしれませんが、それでもやっぱり笑っていてほしいですね。もちろん隣は雪林檎がいい、という我儘付きにはなっておりますが(笑)

別に、表面的に笑っていろと言いたいわけではないです。笑顔を作れ馬鹿野郎というわけでもないです。ちゃんと嬉しいと楽しいに囲まれていてほしいということです。

生きていれば、色々起こるのは当たり前ですし、それらを経て強くたくましくなっていく、それは事実だと思います。でも、過度にメンタルにダメージを負うようなことにはなってほしくないですし、C君が楽に生きてくれて、その隣に雪林檎がいられる、これが理想的なのかもしれないとは、思います。



現実的に書くと

ただ、そんなお花畑人生はそうそう得られるものではないですし、悲しいことも腹立たしいことも嫌なこともやってきます。これらを全部取り除けるような人生、あるいは取り除いてしまった人生は、むしろ退屈で無味乾燥じゃないかなと思います。光ー影の関係が代表的ですが、(大なり小なり)不幸があるから幸福があるわけです。「不幸」を知っているから「幸福」を見出せて、「幸福」と認識できるわけです。まぁ、本能的幸福(満腹=幸せ)というのは、生まれながらに備わっているものかもしれませんが……まぁそれも、「空腹」を知っているから生まれる幸福だと思うので。

いやいや、学問的な論争をしようってんじゃないんですよ。脱線しました、戻します。

なので、色々起こるので、C君には、それが重すぎないようにいてほしいと常々思うんです。雪林檎が力になれれば一番嬉しいですが、タイプが違うところも当然のようにあるので、助力できないことも多々あります。解決方法が違うんですよね。
そんな中でも、雪林檎が何かできるのであればしたいですし、そうでないのなら、C君が楽に解決してほしいと強く思います。簡単なことではないですが。



例えばの未来

書くのも憚られるくらいですが、例えばの話です。例えば、例えばお互いの様子が気になり過ぎて、それに疲れてしまって破局とか。お互いに疲弊し合って距離を置いた方がいいという結論に至るとか。

そういうことには、なりたくないんです、絶対に。それが、雪林檎が日々怖いことなんです。

そういう結論に至ってほしくないから、重い彼女だと感じると怖く不安になります。逆も然りです。

どうにか、どうにか平穏に、このままストレートに一緒にいられる未来にたどり着いてほしいと思ってやみません。ある種の焦りかもしれません。

まぁ、それを実現するためにも、日々重く考えないことは重要だと考えています。多分、長く続いている人って、深く考えてないんですよね。大事な軸や鉄則はある。でもそれだけ。大事なところを間違えなければ、あとは特に考えずに、そしたら気付いたらゴール(?)にいた、ということだと思うんですよ。毎日重々しく考えていたら疲れちゃいますもんね(笑)

だから、雪林檎とC君のことも、ある程度は流れに身を任せていることも大事かな、と思っています。悪いルートシミュレートは得意です。雪林檎は自然とやってしまいます。でも、それに縛られたら本末転倒なんです。嫌なことを避けるためのシミュレートのはずなのに、それに囚われて目の前壊していたら駄目ですよね。これは、胸に留めるようにしています。



長く一緒にいるということ

これはC君に限った話ではないのですが、長く一緒にいると、色々あると思います。色んな面も見えてくることでしょう。それは意識的に見た結果かもしれませんし、ふと見えたことかもしれませんし、ある日突然目について認識したことかもしれません。

C君との間にも、「この部分、将来障害になったりしないかな」とか「将来老いたときにこういうところが悪いように作用するようになったら嫌だな」とか思うことはあります。それは、C君の悪い部分を考えるというニュアンスではなく、単純に、あらゆるところを悪くしたらどうなってしまうかというシミュレーションをしているような感じなのですが。

悪いところと良いところは表裏一体であるように、良いところと悪いところも紙一重だと思うんですよ。優しい人は、将来その優しさで他人の事情に深入りし過ぎて、必要ないのに自分が苦しむようなことになるかもしれません。
自分を強く持っている人は、将来年を取ったら頑固と言われる大人になっているかもしれない。
柔軟だと思えた人は、ずっと一緒にいた結果拘りがない故に意思決定を全部相手に任せる人に思えてくるかもしれない。その結果自分が疲れて来るかもしれない。

こういうことは、万事あると思うんですよ。だから、例えば(少し話は飛びますが)結婚は気合、というのも腑に落ちるんですよ。
誰と付き合っても、誰と一緒になっても、上の現象と可能性がある以上、誰とだって何かしら悶着はあるもんだと思っています。だから、パートナーを選ぶ上で大事なことは、別にそれらを除去することではなく、どの障害なら大丈夫か、その人とならそういうことを一緒に乗り越えていこうと思えるか、そして最後には「この人と一緒にいる」という覚悟だと思うんです。結婚においての責任はまぁ、当事者同士に対してというより社会に対してという気がしますが、覚悟というのは、そういうことではないかなと思うんですよね。
あ、もちろん酒癖の悪さ・ギャンブルでの多額の借金・暴力等は論外ですよ。直ちに覚悟なんか捨てて逃げて下さい、と言いたいところです。



余談:真顔苦手

男子が苦手だということは、以前も書いているかと思います。このアカウントでは古い記事になっているでしょうかね。

雪林檎は、男子が苦手です。これは以前からそうです。もう一生そうだろうと思っていますし、それでいいやとも思っています。別にそれほど支障はないので。話せないとか、体が震えてしまうとか、そういうことではないので。

ただ、やっぱり苦手です。まずもって、怖いです。言葉が強いことを中心に、言動が怖いです。何を言ってくるか、何を思っているのか読みにくいです。

男女の前に、いち人間である。

雪林檎は、この言葉と考え方が結構嫌いです。いや、同じ人間だけど、やっぱり何もかも違うように思えてなりません。少なくとも雪林檎にこの境界を越えられる日は一生来ないと思っています。だって、やっぱりやっぱり違いますもん。根本的な原理は一緒だとしても、表象してくる諸々が全然違いますもん。それが、苦手の原因なんですもん。

そういうわけで、その延長線上に、真顔が苦手ということがあります。不思議なことに言いますか、理不尽なことにと言いますか、女子だと怖さはあまりないんですよ。でも、男子の真顔は、やっぱり怖いですし、何か怒っている可能性が女子よりも高いように思えてしまいます。要するに、どんなに理屈で、頭で「怒っていないだろう」とわかっていても、受け取り方・見え方としては、怒っているように感じてしまう確率が女子よりも高い、ということです(ん?要せているか???)。

だから、C君の真顔も若干怖い、ということなのですが、四六時中、表情筋に神経をすり減らされてもむしろ困るので、ここで言及するに留めておきたいと思います(笑)



ありがとうございます

今日はこれくらいにしましょうか。
それでは、またお会いできればと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?