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【恋愛】幸せと死

雪林檎です。
今日も今日とて軽く恋バナしましょう。
*今回は、本当に暗くて軽率なことを書きます。タイトルを見てお察しかと思いますが、この手の話や安直に生死の話をすることが苦手な方は引き返すことをお勧めいたします。



一言

結局チョコレートって正義だと思います。


幸せな現状

以前にも記事を読んで下さった方からすれば相当今更なことを言いますが。雪林檎には現在彼氏のC君がいてくれています。

皆さんは、どういったときに幸せを感じるでしょうか。普段、幸せを感じているでしょうか。別にどうだからどう、ということではないのです。

雪林檎は、もちろん四苦八苦ありますが、人生生きているだけで辛いですが、それでもC君がいてくれるから幸せです。

もちろん、家族がいてくれて、友達がいてくれて、人並みの生活ができて、それら全てが幸せの理由です。もちろんわかっています。頭では。自分がどれくらい恵まれているかなんて、昔っからわかっています。頭では。
でも、軽率に「大変だ」と言って、軽率に「どうして」と悲観します。

まぁ、それ自体悪いことだとは思わないんですけど。不幸比べてって、キリもなければ生産性もありませんから。一時的なストレスの発散……にはなるんでしょうけど、それも一過性のものですよね。

話が少々逸れてしまいましたが。

なにがともあれ、雪林檎は今現在、間違いなく幸せです。ここからが本題です。恋愛とは程遠い話かもしれませんし、恵まれている奴の大惚気かもしれません。



永遠と変化を考える

「こんなに幸せでいいんだろうかと思う」
「幸せ過ぎて怖い」
「何か罰が当たるとか悪いことが起きるとかするんじゃないか」

皆さんは、多量の幸せを感じたときに、受け取ったときに、どう感じますか。上のようなことを、一回は考えたこと、頭がよぎったことがある人はいませんか。

雪林檎は、幸せであることが、怖くもあります。その先が、辛いものになるような気がするからです。
現状が最高だということは、その先が最高ではないことの裏返しとも言えます。もちろん、最高到達点が何度も来る可能性もありますが。

また、近年思うことは、変化は怖いということです。

楽しい変化も、嬉しい変化ももちろんあります。でも、現状が「良い」と思っていれば思っているほどに、変化は望まないものになります。来なくてもいいものになります。



突然の登場に思うかもしれません。でも、幸せを感じると死を考えるようになったのは、いつからだろう、と今書いていて思います。

最近、いや、少し前からでしょうか。思うんですよ。考えるんですよ。

「あぁ、今この瞬間、人生終わったらハイライトで終幕できるな」なんて。C君の顔を見ながらも。

冒頭でも書きましたが、人生って大変じゃないですか。この年齢の雪林檎がそうなんですから、生きていた皆さんは本当に凄いです。もちろん時代の最先端を走らされている、雪林檎よりも若い子たちも凄いで、偉いです。
未来の話をすると、雪林檎はC君とずっと一緒にいたい、平穏に過ごしたいと思います。思っています、現在進行形で。
でも、良くも悪くも、何でも諸行無常じゃないですか。つまりは何でもかんでも変わるじゃないですか。つまり、この些細に思える夢も、ちょっとやそっとじゃ叶わない……とは限りませんが、叶うか怖いじゃないですか。

それが、雪林檎は怖いです。焦燥感が辛いです。
早く叶え。確定しろ。そう思って生き急いでいる自覚があります。
この焦りが、C君の重荷にならないようにしないととは思っています。この焦りで、叶うものも叶わないようにしてはいけないと思っています。



想像

ここも暗い話ですが。「雪林檎が死んだらどうなるだろう」をよく想像します。特にC君のことを。

こんな風に仲良く順風満帆な状態で雪林檎がいなくなったら、C君は120%で悲しんでくれるな、とか。そっちの方が美味しいな、とか。仲が悪くならないうちにフェードアウトしてしまいたいな、とか。

だって、だって年配の方はみんな言うじゃないですか。悲しいことを。

夫婦になってからは大変だとか。愛はいずれ冷めるだとか。最初だけだとか。そのうち鬱陶しく思うだとか。

やめてくださいよ。聞きたくないですよ。怖いですよ。それ、脅しですよ?

謙遜することは日本人の良いところであり美徳かもしれませんが、幸せな情報も少しは流してくれないと、これからその道を通る人間は希望を失うんです。
正確な情報でちゃんと、飾らず卑下せず「幸せです」って言って下さいよ(誰に言っているんだか)。

大切にできるうちに大切なものを大切にしておかないと、大切だと伝えておかないといけない、と雪林檎は思いますよ。今までもこれからもずっとそう思っていますよ。



締めに言っておく

他人の皆さまに影響はないと思いますが、友達や家族、そして誰よりも彼氏のC君に見られたときのために書いておかないといけないと思うので、ここにしたためておきますが。

雪林檎は、どうせ死にません。

これは、いつもいつも思うことです。他人に対して「どうせさ」なんて思うことはありませんが、自分自身に対しては、思います。
「お前どうせそんなこと言ってさ」と。そんな度量も勇気もないんです、結局。だからマジョリティは生きている、とも思います。

これを読んで下さっている人の中に、現状辛い人や身近な人に何かがあった方がいたら気分を害されているかもしれませんし、身を案じろと思っているかもしれません。

でも、雪林檎は結局生きているんだろうと思います。

……近年、よく耳にするようになりましたかね。
今の若い子が言う「死にたい」は、「死にたい」んじゃない。「生きたくない」とか「何もしたくない」なんだって。
どうせ雪林檎もそうなんです。



ありがとうございます

今日はこれくらいにしましょうか。
それでは、またお会いできればと思います。

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