ステップ・アンド・フューチャー

本当に大切なものは失ってから気づく、とはよく言ったものだ。

早く会いたい、と言ってくれる友人たちのメッセージに頬をゆるませながら、ぐっと伸びをする。ここ数週間、ほとんど家から出ていない。

外出自粛は余裕だなんて、少々見くびっていたようだ。たっぷり寝て好きな時間に起き、読みたい本を読みつくす日々。特に駆り立てられるような用事はなく、むしろスケジュール帳にはどんどん二重線が増えていく。

自称インドア派の私には、願ってもない日々だ。中学時代の夏休みを思い出す。徹底して予定を入れず、2週間家から出ないなんて当たり前。自室に引きこもり、ベットに寝そべって本を読んでいる時間が1番の幸せだった。

そんな私が、まさかこんな風になるなんて。運動しないからか、だるさを感じる体。だんだんと塞ぎ込んでくる心。日光が健康にいいというのは本当らしい。

私もずいぶんと変わったものだ。体育なんて中高で1番嫌いな科目だったのに、今は動きたくて仕方がない。クラシック音楽のCDを引っ張り出し、何年も踊っていなかったバレエのポーズをとってみた。ぐっと体が伸びる感覚が心地よい。あぁ、私、踊るのが好きだったな。なんで辞めちゃったんだっけ。思い出せない。理由なんてきっと些細なことだったんだろう。長い間、ひとつの事を極めるのは想像以上の努力を要する。でもそれを壊してしまうのは、いつだって取るに足らないちっぽけな言い訳だ。言い訳という小さな亀裂が入った塔は地道にメンテナンスを続けないと、やがて取り返しのつかない結末を迎える。

体のおもむくままにステップを踏む。現役時代はあんなに軽やかに動けたのに、今は自分の体が自分のものじゃないみたい。腕ってこんなに重かったっけ。足なんてまるで、油を差されていないロボットのようだ。学校に上がる前の小さい時からずっと踊っていたから、「踊れない」という感覚は新鮮だった。

そう、これもそうだったな。辞めたあと、ものすごく後悔した。もう一度踊りたい、次は絶対に続けるからと泣いて両親に懇願したが、その願いは聞き入れられることはなかった。幼稚園のときにバレエと出会い、バレエとともに成長してきた私にとって「踊らない」生活は、辞めるまで想像もつかないものだった。

音楽を止め、軽くストレッチをする。いつのまにかだるさは消え、爽快な気分だ。椅子の上に足を乗せ、腿の裏をゆっくり伸ばす。運動後の心地よい疲れを堪能しながらふと、取り戻すのには遅くない、と自分の内側に小さな炎がつくのを感じた。

もう大人になったんだから、自分の望みは自分で叶えてあげなくちゃ。辞めたことを後悔して、あのまま踊り続けている友だちを羨んだりしていても何も始まらない。大人になって両親の庇護から抜けたかわりに、自分の希望の責任も自分が一手に引き受けたのだ。いつまでもメソメソ子ども気分でいるのは、もうやめにしなきゃ。踊りたいなら、また始めてみればいい。私は、自分のために望みを叶えてあげる力を持っている。

家に閉じこもっているのも飽きてきた頃だったけど、これは自分と向き合うチャンスだったのかもな。友だちにも会えなくて会話する相手がいないんだから、自分と会話するしかない。私は何が好きなの?何がしたいの?毎日忙しく、流れるように過ぎ去っていく日々。内なる自分の話し声は、街の喧騒にかき消されてしまう。今まで無視していてごめんね。今日からはいっぱい聞いてあげよう。見つからない夢も定まらない目標も、その子がきっと、教えてくれるから。