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特別支援学級から通常学級に完全移行した私のお話

こんにちは😊

今日は私の中学校生活はどんな感じだったか、通常学級にいた中学2,3年生の2年間で起こった出来事や心境などを語っていこうと思います。

小学校6年間、そして中学1年生の頃は特別支援学級で主に過ごしてきましたが、中学2年生からは完全に通常学級のみで学校生活をおくってきました。

中々に濃かった気がします。

ぜひご覧いただけると嬉しいです!


順調と不安と救い

特別支援学級を卒業し、向かえた100%通常学級の1日目

ありがたいことに元々仲が良かった子が同じクラスに結構いて安心しました。
特別支援学級ロスもなく毎日楽しかったです。

通常学級に移行して初めての定期試験も、5教科中3教科が90点台でした。
好調な滑り出しです。

中学1年生の時は特別支援学級だったため、なんかみんなより遅れているのかなという感覚がありました。

だからこそ人一倍頑張らなきゃという思いで学業をやり通すことができました。

もちろんね、不安もあったんですよ。やっていけるのかなって。
特別支援学級から通常学級って本当に大丈夫かなって…
劣等感がとにかくすごくて…

順調にみえますが、私は常にみんなより後ろの位置にいるような感覚で、光が見えず絶望を感じたこともあります。

そんなときに出会ったのが、でんぱ組.incさんのW.W.Dという曲。

その中に「マイナスからのスタート舐めんな」っていう歌詞があって。
この歌詞にものすごく救われたんです。

マイナスからのスタートっていう言葉はかなり響きました。

小学生の頃にいじめも受け、中学1年生の頃も馬鹿にされた経験もあったから、そういう人たちにはもちろん、特別支援学級に在籍していたということに劣等感や不安を感じていた自分も含め見返してやりたいという気持ちが強くなりました。

そのおかげで頑張ろう!!!と前向きに頑張ることができました。
そしてこの曲に、歌詞に、救われました。



私がリーダー…!?

それから2学期になり、新たな生徒会執行部の募集がありました。

私には生徒会の適性なんてこれっぽっちもないと思っていたので、その時はめっちゃ他人事でした。

しかし、ある時に担任の先生に呼ばれまして、こう言われました。

「生徒会、やってみない?」

え?と思いましたし、飲み込むのに時間がかかりました。

どうやら話を聞くに、私が特別支援学級に入っていた頃を知っている先生方も私を推薦してくださっていたみたいで、驚きました。

特別支援学級という過去を特にネガティブに捉えずに、提案してくださったことが嬉しかったです。

もちろん、すぐに決断できるわけもなく少し時間を貰いました。

ですが、せっかくいただいたチャンスを捨ててしまうと後悔しちゃうんじゃないかなって思って…

やらない後悔よりやって後悔っていう言葉もありますが、とにかく挑戦できるならしてみたいと思い、了承の返事をしました。

そこから1年間美化委員会の委員長として、そして生徒会執行部の一員として活動することとなりました。


訪れた不安

生徒会の活動も始まり、学年末テストも近づいてた頃が一番、病んじゃってた時期なんじゃないかなと思います。

生徒会にいる子はみんな明るくって、積極的で、リーダーシップもあって、私とは正反対の子だらけでした。

周りとも比較して自分は…ってずっと卑下していたような気がします。

クラスもまぁまぁ荒れていて、ストレスがどんどん溜まっていきました。

学年末の試験も思うようにいかずに、落ち込んでたりと、とにかくネガティブでした。

中学生の頃に毎日提出物として書いていた日記を見返していたらこんなページが見つかりました。

真面目な性格な上にほぼ毎日日記の宿題は欄を埋めて提出していた私。
この日ばかりは厳しかったようで、絵(?)みたいなのを描いて欄を埋めていますね。

限界が近づいていて心のどこかで先生に助けを求めていたのかもしれません。

こんな日記を書いてしまった私に先生はこう返してくださったんです。

「ごめんだけど、なんかうれしかった」

私自身、遠慮してしまう性格で、先生と仲良くなるなんて無理でしょという考えの人です。だから、当時の担任の先生にもかなり遠慮してしまってたんです。

だからこそ素を出してしまった自分にこう返してくださった先生に救われました。

たまには素を出してみてもいいかもなと思えるようになって気持ちが楽になりました。



高校入試という難関ポイント

中学3年生になって担任の先生も変わって、そこから半年後に生徒会の活動が終了し、本格的に進路と向き合う時期に、私は第一志望としてある公立の高校を思い浮かべていて、担任の先生との面談でそれを伝えました。

先生は私にある一言を言ったのです。

「君がこの高校に受かったらレジェンドだね」

特別支援学級に在籍していた子が公立の高校を志望することさえ珍しいのに、私が志望している高校は偏差値が50くらいある高校で。

たいしたことない偏差値の値に聞こえるかもしれませんが、少なくとも私の高校では特別支援学級に1年でも在籍していた子が偏差値50くらいの高校を受験したという事例すらなかったから先生もこの言葉が出てきたのかなと思います。

特別支援学級に在籍している間は、A,B,Cや5,4,3,2,1といった成績の評価、つまり内申点を付けてもらうことができないのです。なんたって通常学級の子たちとやっていることが違うわけですから、評価しようがないのでしょう。

私は中学1年生の時のみ特別支援学級に在籍していたので、1年分の内申点がないわけです。これが高校入試にどう影響するのかが定かではなく、完全に高校にゆだねなければなりません。

すごくこの決断をするのが不安でしたが、親はありがたいことに私の意見を尊重してくれました。

しっかり頑張ろう。自分のレベルより少し上の学校で頑張りたい、公立の学校に行って親孝行をしたいという思いが強くなりました

こうして私の決意は固まり、受験との戦いが始まりました。



一歩踏み出した勇気

受験勉強にあたって滑り止めとして私立の高校を選びました。

ありがたいことに、学校長推薦をもらうことができたので、併願可の特待生入試で私立高校を受験し、合格したことで、入学金と授業料1/3が免除になりました。

これにより心置きなく目標としている公立高校を目指すことができました。

気持ちの面で書かせていただきますと、

まず生徒会を経験していたことが受験において自信につながりました。
中1の内申点がない時点で無謀ではないかとやけになることもあったのですが、その分中2,3の経験値で勝負できたので、改めて生徒会を経験できてよかったです。

塾に通いながら頑張りました。

もちろん不安もありましたが

「不安になったり緊張したりするのは努力したからだよ」

この言葉をかけてもらうことで、前向きにとらえることもできました。

先生方も「どこ目指すの?」とか「頑張って!」とか声かけてくださる方が多かったです。

親にも私の進む道に関して反対されたことは1度もありません。

本当に寛容すぎる両親です。私を信じていてくれたから。

改めて出会いに恵まれています。これが一番大きい原動力になってくれた気がします。



結果はいかに

高校入試が終わって、卒業式後に合否がわかります。

直接高校に行って合否を見に行きました。

あの光景を鮮明に覚えています。
なんなら入試をしていた時より鮮明に。

ありました。私の受験番号が、右端の方に。
母と一緒に見に行ったのですが、ほぼ同時くらいに見つけました。

すごくうれしかったです。けどね、感動からか、終始ずっと泣いていました。帰りの車でもずっと泣いていました。

やったよ。わたしやったよ。

もうね、余韻が抜けなかったんですよ。

あの高校受験の出来事は鮮明すぎて受験番号未だにちゃんと覚えています(笑)

高校に入学した後も半年くらい高校のクラスの名簿に私の名前が載っているのをいるのを見るたびに感銘を受けていました(笑)

本当に壮絶だけどいい思い出です。



あとがき

今回は私の特別支援学級から通常学級に移行した中学校生活をお伝えしました。

少しでも誰かの勇気につながれば幸いです。

これからも特別支援学級に関することをお伝えしていきます。

たまに自分の書きたくなったことも書きます。

少しでも特別支援学級経験者に対する偏見が減りますように。
悩みに寄り添うことができますように。

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読んでくださりありがとうございました😊

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