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「自分らしくいられる範囲の狭さ」が生きづらさに繋がる

7月頭からリゾートバイトで働いている
岐阜県高山市のホテル(旅館)だ

1日8時間、週5勤務が基本で、それプラス残業があったり、週6勤務になったりする
ひとまずここまで体調を崩すこともなく、持続可能な働き方ができている

フルタイムの職についたことがなかったので、今が人生で一番働いていることになる
自分にこの生活ができるか不安だったが、周りの方々が優しく、仕事も慣れてきたので無理なく続けられている



ただ、ではこのまま働き続けて日本で生きていくイメージが持てるかというと、それはやっぱりどうしても難しい

自分には、来年8月からカナダの専門学校に行く予定がある
そこで保育士の資格を取得し、そのまま現地で就職して移住に繋げる予定だ

この計画があるから、この一年は稼ぐことに注力しようと思い、バリバリ働いている
今の生活に正面から打ち込めているのは、来年からの生活があるからだ

日本という社会には長所が多い
治安がとてもよく、医療体制が優れていて、美味しいものに困らない

なのになぜ、私には日本で生きていくビジョンを描けないのだろう
その理由を解明し、言語化しようとずっと試みている

現時点では、その理由の一番大きなものは日本における人間関係だと考えている
それは主に、年齢による上下関係である

年齢という要素は、日本に生きて人と関わる限り常に付きまとう
人に出会うとお互いの年齢を確認し、どちらが敬語を使うかを確認する

その結果、同い年を除けば、人との間には上下関係ができる
年上が目上で、年下が目下だ

日本に生きるということは、この上下関係の連鎖の中で生きるということだと思っている

上下関係の連鎖

自分はこの5月までカナダにいたのだが、カナダでは年齢という要素が重要でなかった
出会ったばかりの人に年齢を聞くのは失礼に当たることさえもあり、年齢や性別、人種を気にせず、1人の人間として他人を捉えるのが普通だった

そういう社会における人間関係は、横一列のものだったと感じる
互いに権利を侵害せず、リスペクトを持って関わるものだった

横一列の関係

さて、この二つの人間関係を比較する上で「自分らしくいられる範囲」について考えたい
私は、日本の人間関係の中で自分らしくいられるのは、以下の範囲だけだと感じている

自分と同じ地位

この範囲では、私は自分らしくいられる
喜怒哀楽を隠さずに、話したいことを話すことができる

人によっては「以下の範囲なら自分らしくいられるよ」という人もいるだろう

自分と同じかそれ以下の地位

だが私は、自分の言動によって下の人の立場を抑圧してしまうことに罪悪感を覚える
なので、目下の人に対して一方的に自分らしく振る舞うことができない

一方、カナダの人間関係ではどうかというと、すべての範囲において自分らしくいることができた
強いて言えば、他人の権利を侵害しないようには注意を払っていた

他人の権利を侵害しなければOK

二つを見比べると、自分らしくいられる範囲の差は歴然だ

自分らしくいられる範囲の差

この、日本における自分らしくいられる範囲の狭さが、生きづらさや息苦しさに直結しているように感じる
カナダではとにかく解放感が強く、常にのびのびと過ごし、人と関わることができていた

左の社会で生き続けて生涯を終えるのは、自分にとっては苦痛だし、生きる意味を見出せないことになる可能性が高い
これが、日本で生きるビジョンを持てない理由ではないかと思う



自分が感じる違和感や息苦しさを解明し言語化することに努めてきた
最近は画像を用いて視覚化することで、より万人に理解してもらいやすい形にできているのではないかと感じている



また考えたことがあったら書くよ

またね
読んでくれてありがとう



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