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楽しく過ごしていると不安を覚える

今日も全休だった
最近は自分の時間の使い方を模索している

まず「家にいる理由がなければ外に出る」というルールを定めた
理由は、家にいるとつい座ってしまい、腰が痛くなるからだ

そしてもう一つ
自分はそもそも、家の中より外で過ごす方が好きだ

歩いてもいいし、出先で座って趣味や作業をしてもいい
どちらにしても外の方が開放感があり、作業にも集中できる

毎日外に出るというのは自分にとってご褒美だ
思い切ってそれをルールにし、より自分が楽しめる生き方をしていきたい



外に出て歩いていたら止まらなくなり、2時間かけてダウンタウンに行った
コストコのカフェでポテトとフライドチキンを食べた

まだ遊び足りず、中華系スーパーでタピオカミルクティーを買った
それからバスに乗り、Granville Islandという観光地に行った

流石に疲れて眠くなり、観光客の集うベンチで仮眠を取った(カバン等は固定した)
20分では足りず、2回分の40分も寝た

さて、ここで一日を振り返って気づいたことがある
それは「楽しく過ごしていると不安を覚える」ということだ

これは奇妙だ
今日やらないと困る作業があるわけではないし、お金をたくさん使ったわけでもない(タピオカは買ったけど)

それなのに、自分が楽しむことに不安を覚えるのはなぜか
生物の一個体としておかしくないか

考えていくと、この感覚は「夏休みの宿題」の感覚に似ていることがわかった
昔から夏休みは、宿題が気掛かりで思いっきり遊べないものだった

ただ、生きていく上で、思いっきり楽しめないというのは足枷になる
解消したい

学生時代を思い返すと、当時はまだアタッチメントの安心感を得られておらず、周りからの期待に応えることやいい成績を出すことでのみ自分に価値を感じられていた
その状況は、宿題をやらなければ自分の価値が脅かされるため、不安になるのも頷ける

だが今は違う
アタッチメントについて学び、自分の心の中に「親友」を持つことで安心感を得られるようになった

夏休みの宿題について、今の「親友」だったらなんと言うだろうか

「やらなくてもいいけど、やらないと何かと面倒だから、まあやっときなよ」
「不安を感じる必要はないよ、嫌なら一緒にやろう」と言いそうだ

こういうふうに関わってくれる人がいれば、不安を感じる必要はない
ただ淡々と進めればいいだけだ

さて、現在の自分が抱える「楽しい時に感じる不安」も、「自分の課題を疎かにしている」と感じるところから来ているかもしれない

だとすれば、こちらも「親友」を支えにすればいいのだと思う
そこに不安を感じる必要はなく、ただ淡々と課題を進めていけばいい

課題は課題でこなしつつ、一方で思いっきり遊ぶことにも不安を感じる必要はない
昔と違って安心感は得られており、それを頼りにすればいい



今日は他にも考えたのだが、長くなってしまったのでここまでにする
明日以降、別のトピックでまた書くかもしれない



じゃまたね
読んでくれてありがとう



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