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他人の非認知能力は伸ばせないから、他人のために生きても仕方がない

今日の午前中に考えたことを、雑多にまとめていく



自分のために生きられなかった人は、他人のために生きるしかなくなってしまうのかもしれない



他人の非認知能力を伸ばすことが難しいなら
自分にできることは、自分の非認知能力を伸ばしながら生きることだけだ

厳密に言えば、自分の非認知能力でさえ、意識的に伸ばすのは難しいので
好きなことに熱中しながら、勝手に伸びる非認知能力を携えて生きていくしかない



自分は自分のために、他人は他人のために生きるとき
他者に対しては何をする必要があるのだろう

礼儀を重んじ、敬意を表する必要はあるだろう
礼儀には、相手に積極的に敬意を表するものと、あえて相手から距離を取るものがある

すべきことはこれだけか?



これらに加えて、相手との関係が特殊なとき
たとえば、自分が相手に教育をするような立場のときは?

非認知能力が、本人が人生に熱中している時に伸びるとするなら
それを支援する意味で、本人が生きていくのに必要なことを教える、ということはすべきかも

要は、学校で教わるのはそういうことなんだろうな
また、日々のふるまいについても、何も知らずに生きていくのは難しい

そういったことを教えるのは、本人の利益にかなう
ただ、それをすることが、その人が自身の生き方を決定するのを阻害してはならないと思う



・礼儀を重んじる
・相手が自身の人生を生きるのに必要なことを教える

これらに加えて、他者との間ですることはあるか?

自分が自分の人生を生きるために、他者に要求をすることはあるな
マイルドに言うなら、提案か

これがしたい!とか、これを一緒にしよう!とか
このあたりは伝えたい



これで全部な気がするけど、どうかな
他者との間ですること

・礼儀を重んじる
・相手が自身の人生を生きるのに必要なことを教える
・自分のしたいことを伝える

あとは、自分が自分のために生き、他者が他者のために生きる
それで十分かも



午前中に考えたことをざっくりまとめた
「自分は自分のために生き、他者は他者のために生きる」というのは、自分にとってはパラダイムシフトだ

当然、そういった言説は知っていたし、理解できていたつもりだったけど
「他人の非認知能力は伸ばせない」という学びが大きくて、それなら他人のために生きても仕方ないな、と納得した

今後も引き続き考えて、妥当性を検証していこうと思う



じゃまたね
読んでくれてありがとう



(よければなんでも送ってね)

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