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「アタッチメントの安心感」は幸福感に必須だと思う

今日もDAISOで買い出しをした

あれだけの商品が全部100円って凄すぎる
小さめのゴミ箱も100円だった

スーパーでもドンキでも、100円のものはなかなか売っていない
100円って相当攻めた価格設定よ?

あれで利益が出てるんだから凄い
…人件費が安いのか?



昨日のブログに書いた、「年齢による上下関係」と「アタッチメントの安心感」との関係はけっこう大事なポイントだと思う

幸せに生きていくのに必要な要素は複数ある
健康とお金は正直必須だろう

その中で、精神面で一番必要なのが「アタッチメントの安心感」でないかと思う
下に、昨日のブログに書いた説明を引用する

アタッチメントとは、こどもが不安になったときに、親(または養育者)にくっつきにいく行動のことだ
これが受け入れられると、こどもは安心し、外の世界へ自分から探索に行けるようになる

逆にこの行動が受け入れられないと、こどもは安心することができず、不安に囚われたままになってしまう
また、自分から外の世界に出ていけなくなってしまう

昨日のブログより

年齢による上下関係が社会にあると、親子の関係においては親が優位になる
すると、親にはこどもの感情や意思を尊重するモチベーションが生まれにくい

したがって、こどものアタッチメント行動は受け入れられないケースが増える
するとこどもは不安を抱えたまま成長していく

これ、実際に日本で起こってきたことじゃないかなぁ

カナダで印象的だったのは、他のあらゆる国の人に比べ、日本人がおどおどして見えたことだ
これは英語力とはまた別で、日本人が「シャイ」と形容される所以だなと思った

深掘りしていくと、根っこの部分にある安心感の強さが違うのかなと思った
日本人からはその安心感の存在を感じなかった

断定はできないが、これがアタッチメントの安心感不足であり、その原因が年齢による上下関係にあるのかもしれない

安心感が足りないとどうなるかというと、何かに依存する
対象は他の人かもしれないし、何らかの趣味かもしれない

日本では、目上の人が目下の人に依存することにより、安心感不足を紛らわせている面があるのではないか
それが行き過ぎるとハラスメントなどの形を取るのではないか

アタッチメントの安心感不足は、紛らわせることはできても、何かに依存して埋め合わせるのは不可能だと考える

自分の場合は、数年前に対策を立て、それが功を奏して徐々に改善してきた

そんなわけで、私はアタッチメントの安心感が幸福感に必須のものだと考えている

今の日本は、それを持つのに適した環境になっていない
これは日本社会の抱える課題だと考えている

今後カナダに移住するとしても、現地のこどもが安心感を持って育っていけるよう、方法を考えていきたい



じゃまたね
読んでくれてありがとう



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