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年齢による上下関係は、人々がアタッチメントの安心感を育むのを阻害する

昨日、『「ヒリヒリした空気」がない日本は素晴らしい』というブログを書いた

治安の良さは日本が世界で最も優れている点の一つだ
自分の行ったカナダも治安のいい国だと言われるが、ホームレスの間にドラッグが蔓延しており、通行人にいつ危害が加えられてもおかしくない状況になってしまっている

自分はカナダへの移住を検討しているが、日本の治安の良さを諦めてでも移住するべきか、正直悩むところだ



日本の治安の良さは、移民の少なさから来ていると思う

言語の壁が低ければ、就職に困ることは少ないし、政府からの支援も届きやすい
また、儒教的な考え方に基づく国民の統制も取れていると思う

外国人が入国しにくければ、薬物の蔓延も防ぎやすいだろう
日本ではまだ大麻の取り締まりが機能している

一方、自分は日本の目上・目下の人間関係に生きづらさを覚えるところがある

カナダは平等を重視するため、目上・目下の関係を日常生活の中で感じることがほぼなかった
のびのびと過ごすことができ、気持ちの面で開放的になることができた

この平等の感覚は自分にとって大事だ
幸せに生きていくために欠かせないと考えており、そのために移住さえ検討している



「不平等だが治安のいい社会」と「平等だが治安の悪い社会」
どちらが良いかは悩ましいところだ

そもそも、上下関係はあっても問題ないのではないか、とも考えた

自分の考えでは、男女差別ないし男女格差は論外だ
性別は生まれ持ったもので、変えられないからだ

だが、年齢による上下関係は許容可能かもしれない
長い目で見れば、人は誰しも歳を取るので、ある意味平等だ

男女格差さえ解消されれば、目上・目下の関係は残っても問題ないだろうか…

今回自分は、やはり問題だと考えた
なぜなら、人々が「アタッチメントの安心感」を持ちにくくなるからだ

アタッチメントとは、こどもが不安になったときに、親(または養育者)にくっつきにいく行動のことだ
これが受け入れられると、こどもは安心し、外の世界へ自分から探索に行けるようになる

逆にこの行動が受け入れられないと、こどもは安心することができず、不安に囚われたままになってしまう
また、自分から外の世界に出ていけなくなってしまう

自分は後者のパターンで、親にアタッチメント行動をうまく受け入れてもらえなかった
これは親と自分の感受性の高さの違いに起因したかもしれない

自分はそのまま成人するまで常に不安を抱えていて、自分から行動を起こすのが苦手だった
不安の原因がアタッチメントにあるかもしれないとわかってからは、対策を探し、最終的に自分で編み出した方法が功を奏した

具体的には「心の中にイマジナリーの親友を持つ」というものだ
詳細は下のブログに書いた

このアタッチメントの安心感は、幸せに生きる上で欠かせないものだと自分は考えている
無い状態とある状態を自分で比較した上での結論だ

アタッチメントの安心感が無いと、人は常に不安を抱えることになり、親(養育者)以外の何かに依存して不安を紛らわせざるを得なくなる
他の人かもしれないし、物や娯楽かもしれないが、どの方法でも真に安心感を得るのは厳しい

さて、親がこどものアタッチメント行動を受け入れ、こどもが安心感を得られるようにするには、親にこどもの気持ちを尊重してもらう必要がある
だが、年齢による上下関係があると、むしろその逆、こどもが親の気持ちを慮る関係になりやすい

親には、年下であるこどもの気持ちを尊重する理由がない
世間でもこどもより大人が優先され、こどもの気持ちは抑圧される

そうなるとこどもは不安を抱えたまま成長していく
自分は、この状態でこどもが幸せに生きていくのは難しいと考えている

したがって、たとえ男女格差が解消されたとしても、年齢による上下関係を社会に残すのは望ましくない、というのが自分の意見だ
「不平等だが治安のいい社会」と「平等だが治安の悪い社会」では、後者の方が人が幸せになれる可能性が高いと考えた



次は「平等だが治安の悪い社会」を良くしていく方法を考える必要がある

ホームレスの間で薬物が蔓延する問題は、カナダ以外にもアメリカ、イギリス、フランスなどで共通して見られる
社会の多様化、移民の増加はどの国でも避けられないため、解決策を考えるする必要がある



じゃまたね
読んでくれてありがとう



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