「幸せになる方法」をこれ以上考える必要がなくなった
「幸せになった」ということは「幸せになる方法をこれ以上考える必要がなくなった」ということか
二十歳から今まで、幸せに生きられるようになることを目標に生きてきた
あらゆることを試して、学んで、うまくいったものを残してきた
結局、一番効いたのはアタッチメントについて学んだことだ
そのための対策を打ち、安心感を持てるようになって、生きるのが楽しくなった
今は将来も見えるようになり、目立った懸念事項もない
やることをやっていけば幸せに生きられそうだ
こうなって、逆に、生きるモチベーションがなくなってしまった
これから何のために生きたらいいのかわからなくなってしまった
でも、「幸せになったということは、幸せになるために頭を使わなくてよくなったということか」と気づいた
今後は脳のリソースを別のことに割けるのだ
「幸せになる方法を探すこと」は最も重要なタスクだったので、バックグラウンドでCPUを使うような感覚で常に考えていた
それがなくなったら、興味を持ったことにより頭を使えるかもしれない
意識しないと、これまで通り、無意識の部分を「幸せになる方法探し」に使ってしまうと思う
意識的に、興味のあることに頭を割くようにしてみよう
まだわからないことが多い
引き続き、今後の生き方を探していく
じゃまたね
読んでくれてありがとう
(なんでも送ってね)
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