見出し画像

若者の側から主張していく

21時過ぎまで個別指導塾の授業があった
終わって色々済ませると23時過ぎ、という生活が戻ってきた



最近も色々考えた
結論だけ書くと「若者はもっと主張するべきだ」というものだ

日本には目上の人を敬う文化がある
儒教の影響だ

敬う分にはいいが、それによって目上から目下への人権侵害が許容されるのが許し難い
また、目下の人が萎縮することで、幸福度が下がるし生産性も落ちる

もともとの儒教は、ただ「目上の人に従え」と説いていたわけではない
目上の人も善い存在であろうと努力せねばならず、それができなければ立場を追われることになる、と説いていた

だが、江戸時代に徳川将軍家が儒教を日本に取り入れる際、この「目上の人も善くあるべき」という部分を取り除いてしまった
その方が将軍家による支配に都合がいいからだ

そんなわけで、ただ目上の人に従う文化が日本に定着した
そして、それは今でも社会に息づいている

だが、今の時代に、「目上の人に一方的に従うべき」というルールの根拠になるものはあるだろうか
調べた限り、無い

ただ、江戸時代の日本式の儒教が残ってしまっただけのようだ
目上の人の言うことを「はい、はい」と聞き続けて

日本式の儒教は、メリットよりデメリットの方が大きいと私は考えている

江戸時代は、戦乱の世が終わったばかりで、何が何でも武将たちを押さえ込む必要があった
そのためには上下関係を重んじる倫理が必要だったのも理解できる

だが、すっかり平和になった現代の世では、デメリットが大きい
先述のように、目下の人が萎縮して幸福度が下がるし、生産性も落ちる



この文化を変えようとする場合、何ができるか
それは「若者の側から主張する」ということだと思う

これは、日本式の儒教においてはルール違反だ
だが、そのルールを正当化する根拠は今の時代にはない

きちんと声を上げれば、目上の人たちの中から、その声に耳を傾けようとする人が現れるだろう
その人たちとの相互作用を通じ、若者の主張を実現していくべきだ

そうして初めて、若者が幸せになり、全体で見てもより生産性の高い社会が作れると思う

私自身も、上の考えに至ったことで「主張していいんだ」と思えるようになった
それにより、これまでよりも堂々と振る舞えるようになった



若者の側から主張していく
これを意識して人と関わっていきたい



じゃまたね
読んでくれてありがとう



(なんでも送ってね)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?