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DUBと日本語ラップ

レゲエとヒップホップには無数の共通点がある。それぞれの音楽が生まれた背景、精神性、音楽を取り巻くコミュニティと流通網など、様々な部分でレゲエとヒップホップは重なるものがあるが、レゲエから派生したDUBもヒップホップとの関係性は深く、その相性は抜群だ。

日本でのDUBとヒップホップの関係性は他国とは違った特殊な繋がりがあるように見える。自分がDUBとヒップホップにほぼ同時期に魅了されたのも、この二つを同時にプレイするDJが当時は多く、同じように紹介され扱われていたからだ。

1994年に発表されたDJ Krushの1stアルバム『Krush』に収録されている「On the Dub-ble」には日本で最初のDUBバンドとされるMUTE BEATのこだま和文が参加しており、2001年に発表された6thアルバム『Zen』収録の「Day's End」で再び共演している。DJ Krushが切り開いたアブストラクト・ヒップホップ/インストルメンタル・ヒップホップの細部にDUBからの影響(ビートとベースの隙間、エフェクト処理など)を見つけ出すことができ、この二つのジャンルが合わさることで機能性は増すのが早い段階で証明されている。

DJ Krush以前にも、Major Forceの作品にはヒップホップ、ハウスにDUBの要素を交えており、サウンドシステム/ベースミュージック・カルチャーの土台を作り上げたといえるThe Wild Bunchの主要メンバーDJ Miloをフィーチャーした12"レコードをMajor Forceはリリースしている。Major Forceの作品は80年代にニューウェーブを経由してDUBとヒップホップを体験している世代の強みが表れてる。

DJ KrushとMajor Forceがアシッド・ジャズ/トリップホップに共鳴していたように彼等はアメリカよりもイギリスの感性に近いものがあるが、彼等がMo'Waxを通じてイギリスのダンスミュージック・シーンに受け入れられたのにはDUBのエッセンスが混入していたのも大きかったのかもしれない。

日本語ラップという括りの中にもDUBを取り入れた楽曲は少なくない。

国内でDUBとヒップホップを繋げた重要な存在として真っ先に挙げられるのがSilent PoetsとAudio Activeである。
Silent Poetsは美しいストリングスを用いたクラシカルなメロディとタイトなビートとベース、そこにDUBの手法を巧みに落とし込んだ唯一無二のDUBスタイルを提示し、広範囲にDUBという音楽を届けた功績がある。1999年に発表されたHibahihi(NIPPS)とSilent Poetsの共作『001』はDUBとヒップホップ双方の歴史に残る名作といえる。

HibahihiのクレイジーなリリックとラップがDUBの根本的な狂気性とがマッチしており、もう本当に素晴らしい狂いっぷりである。同時期、DUBとヒップホップを混ぜ合わせたオルタナティブなラップでアンダーグラウンド・シーンを揺るがしていたRoots Manuvaも『001』にリミックスで参加しているのだが、このリミックスも狂っていて最高だ。

ロックなテイストが強まったアルバム『Return Of The Red I』やAIR(車谷浩司)とのコラボレーション作『Spawn』でメジャーフィールドでも活躍していたAudio Activeが2000年にリリースした12"レコード『Happers EP』は革命的であった。

『Happers EP』収録の「スクリュードライマー」にはTHA BLUE HERBのBoss The MCをフィーチャリングされており、この曲はDUBヘッズとアンダーグラウンド・ヒップホップヘッズの心を完璧に射抜いた最強のクラシックだ。『Happers EP』は発売後すぐに売り切れ、このレコードを求めてレコードショップを何件も何件を探したのを鮮明に覚えている。THA BLUE HERBがヒップホップ・シーンを超えて多ジャンルのリスナーに広がっていったのにはAudio Activeとの共演も大きかったのではないだろうか。

Audio ActiveはHAPPERS ALL STARSというイベントを企画しており、2000年9月に開催されたHAPPERS ALL STARSにはAudio Active、Dry & Heavy、DJ Yas、1945、そしてTHA BLUE HERBが出演。当時の自分はAudio ActiveとDry & Heavyに夢中なDUBヘッズで日本語ラップは殆ど聴いたことが無かったのだが、DJ Yasが雷家族周辺の12"レコードをトリッキーにプレイしていたのに衝撃を受け、この日以降日本語ラップにも興味を持つようになった。

DJ KrushがTHA BLUE HERBのレコードをプレイしていたので彼等の存在は知っていたが、音源は聴いたことがなくライブを先に体験したのだが、当時の自分(15歳)にはTHA BLUE HERBの強烈なリリシズムによるサイケデリアを理解できなかったのと、会場に充満していた煙の副流煙によって具合が悪くなってしまいライブ会場を途中退場してしまった。この日はDry & Heavyの内田直之がTHE BLUE HERBのライブPAを行っていたのもあり、DUBとヒップホップがライブでガッツリと組み合わさる貴重な瞬間であったのだが、それを楽しめなかったのが悔やまれる。

Audio Actibveとの共演以降、THA BLUE HERBはDUBの要素を自分達の音楽に取り入れ、DUBとヒップホップのドープな独自配合を行う。THA BLUE HERBはヒップホップとDUBが持っているタイトでタフなビートとベースにディープ・ハウス、サイケデリック・ロック、エレクトロニカの断片を塗し、彼等だけが作れる言葉と音による壮大なサイケデリアを生み出した。
THA BLUE HERBのトラックメイカーであるO.N.O.はDUBの手法を新たに解釈し、自身のソロワークやTHA BLUE HERBの楽曲に反映させ、彼が全トラックを作ったYOU THE ROCKのアルバム『Will Never Die』にもそれは活かされている。

2000年12月に開催されたHAPPERS ALL STARSにはAudio Active、Dry & Heavy、DJ Baku、Shing02が出演。この日はDry & HeavyとShing02が「My Nation」を披露。翌年、Dry & Heavy Meets Shing02として12"レコード『My Nation』、同曲をShing02とTerracotta Troupe XGNDでアレンジした『My Nation (Moja Nacija)』を発表。今作以降、Shing02はDUBに接近していきアルバム『400』にはDry & Heavyの秋本武士が数曲で参加。2002年のFuji Rockには秋本武士のバンドTHE HEAVY MANNERSをバックバンドに迎えてライブを披露する。

Dry & Heavyの秋本武士はストイックにレゲエ/DUBに向き合いながらヒップホップに強く共鳴していた。Goth-Tradと結成したユニットRebel Familiaのアルバム『Solidarity』にはIll-BosstinoとShing02をフィーチャーし、THE HEAVY MANNERSのアルバムにはShing02、Killer-Bong、RUMIが参加。再始動後のDry & HeavyにはKiller-Bong、BABA、Fortune DがMCとしてライブをサポートし、OMSBはDry & Heavyにリミックスを提供している。BLACK SMOKERのサイトで公開されている秋本武士のインタビューではShing02との邂逅など、当時の貴重な話が語られた必見の内容である。

THA BLUE HERBとShing02はアンダーグラウンド・ヒップホップの二大巨頭であり、90年代後半から00年代前半に人気となっていたアブストラクト・ヒップホップを象徴するアーティストであった。彼等を通じてDUBにのめり込んでいったリスナーもいるだろう。
DUBとアンダーグラウンド/アブストラクト・ヒップホップは快楽主義の喫煙者達から特に支持されていたと思うが、オーバーグラウンドな音楽へのフラストレーションを抱えた人々、音楽の実験精神を愛するマニアな人々など、既存の音楽表現に退屈さを感じていた人々も魅了した。DUBは精神性で語られることが多いが、当時はアーティストもDJもリスナーもDUBという手法/表現を選ぶ時点で何かに対して反発しようとしていたような気がする。

振り返れば、『001』と『Happers EP』がリリースされた前後は日本のDUB史における重要な作品が立て続けに発表されていた。

V.A.『Temple Of Dub』(1999年)
Audio Active『aLteRED I』(1999年)
Silent Poets『To Come』(1999年)、
Dry & Heavy『Full Contact』(2000年)
こだま和文『Stars』(2000年)
Little Tempo『Kedaco Sounds』(2001年)
KTU『What's 8appen?』(2001年)
Indopepsychics『Rand~ / Phasor~』(2001年)

90年代は世界的にDUBがムーブメントでもあった。1995年にMad ProfessorがMassive AttackのアルバムをDUB化させた『No Protection』が大ヒットを記録。翌年はPrimal ScreamとAdrian Sherwoodの共作シングル『The Big Man and the Scream Team Meet the Barmy Army Uptown』がリリースされ、Primal ScreamもDUBアルバム『Echo Dek』を発表する。1998年にはAsian Dub Foundationの2ndアルバム『Rafi's Revenge』がリリースされ、DUBというワードはメジャーフィールドに浸透していった。同時期アンダーグラウンドのダンスミュージック・シーンではDUBを拡大解釈した実験作やヒップホップを融合させた革命的な作品が放たれていた。

Scorn『Evanescence』(1994年)
V.A.『Crooklyn Dub Consortium - Certified Dope Vol. 1』(1995年)
Techno Animal『Re-Entry』(1995年)
Spectre『The Illness』(1995年)
Badawi『Bedouin Sound Clash』(1996年)
Rhythm & Sound with Tikiman『Never Tell You』(1996年)
Godflesh『Love And Hate In Dub』(1997年)
Two Lone Swordsmen『Stay Down』(1998年)
Leftfield『Rhythm And Stealth』(1999年)

日本にもDUBのムーブメントは巻き起こり、2000年初頭は音楽雑誌でDUBというワードを頻繁に見かけ、本質を無視した流行化というのを始めて目にして自分はなんとも不思議な気持ちになっていた。

一方、その本質を捉え挑戦を恐れない素晴らしい作品も生まれている。日本語ラップ・シーンに欠かせないDJ Yasはミニアルバム『Angler Fish』で内田直之をエンジニアに迎え、DELIとHI-Dをフィーチャーした表題曲「Angler Fish」のDUBミックスも収録。2007年にはインストルメンタル作『Dub & Beats』でDUBとヒップホップの可能性を深堀している。

そして、日本のヒップホップ/DUB史において不屈の名作であるTHINK TANKのアルバム『BLACK SMOKER』が2002年に発表。デュレイ、リバーブといった表面的なものじゃないDUBの本質を感覚的に捉えたKiller-BongのプロダクションはDUB/ヒップホップを一段階上にあげた。ライブではマイク/MPCにカオスパッドを繋げてリアルタイムでダブワイズを行い、このスタイルは多くのアーティストが模範し、プロダクション面においてもTHINK TANKが開拓した手法は2000年代以降のプロデューサー/DJ達に色濃く影響を与えた。
THINK TANKのメンバーであるBABAはよりレゲエ/DUBの伝統的な要素とダブステップやグライムといったベースミュージックもミックスしたルーディーなサウンドをソロやSkunk Heads、DOOOMBOYSで展開する。

THINK TANKの影響を感じさせる日本語ラップは幾つもあるが、PSG「I dub you (残響の詩)」やOMSB「Joke」にはTHINK TANKのDUB的手法からの影響が垣間見え、PUNPEEと5LACKとOMSBはKiller-Bongとライブや楽曲でコラボレーションを行っている。

DUBと日本語ラップの融合では、Rino Latina IIとShing02が参加したJuzu a.k.a. Moochyのアルバム『Re​:Momentos Movements』、鎮座Dopenessの「PO Pt.2」など他にも沢山ある。

2010年代のトピックとしては、Silent Poetsと5lackの「東京」は両者の個性とスキルが上手くハマったクラシックであった。MARIANA KAIKOUやJUNK SPORTS A.K.A DJ MIZUBATAのアルバムも興味深く、インストルメンタルだがIssugiの16FLIP名義のアルバム『10DUBB』は完璧な仕上がりだった。

まだまだDUBとヒップホップの組み合わせには大きな可能性があり、きっとこれから凄い作品が生まれてくるはずだし、既にもうあるかもしれない。これを機会にまた掘ってみようと思う。





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